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「おうい、お嬢ちゃん」

 その声は、やけに近くから聞こえてきた。

体を支える、フワフワとしたやわらかな感触が気持ち良くて寝返りをうつと、かわいらしい声とミスマッチな年寄り臭い口調が再びたずねた。

「もうし、お前さま、聞こえておいでかね?」

「聞こえてるわ……、あと五分だけー……」

 朝寝坊のイーヴィーを毎朝起こしにくるメイド頭(ハウスキーパー)のマーサに答える調子でいい加減に返事して、再度夢の世界に戻ろうとすると――。

「それは良いが、お前さま、そんなに寝ぞうが悪いと雲から落ちなさるよ」

(え? 雲?)

 何か様子がおかしい、とようやく目を開くと、淡い月明かりに照らされた夜空がまず目に入った。子供部屋(ナーサリー)の天井に描いたら似合いそうな、特大のキラキラ星と綿あめ(コットン・キャンディ)みたいな雲が散りばめられた、明るい藍色の空。

 その真ん中では、これも規格外のサイズの三日月が温かなレモン色に光っていて、その上には、イーヴィーが蚤の市で買った貯金箱そっくりの子ブタがちょこんと腰かけていた。お行儀の悪い子供を眺める大人のように、腕を組んで首をかしげてこちらを見ているのはいただけないが。レディをジロジロ見たら失礼だと教わらなかったのだろうか?

「これは夢よね?」

「ま、それでも良かろう」

 何だか適当な返事が子ブタの口から返ってきた。これはやはり夢にちがいない。

「それでブタさん、わたしはなんでここにいるの?」

 身を起こしてみると、イーヴィーは空に浮かぶ綿雲の一つに乗っかっていた。

「お前さまに話をする頃合いかと思うてのう」

「お話? あ! 名乗るのが遅くなってごめんなさい。わたしはイヴリン・パクストンよ。親しい人にはイーヴィーって呼ばれているわ」

 初対面の人には名を名乗る。礼儀作法(エチケット)は、毎週のように母親におさらいをさせられているのだ。ここで忘れてはパクストン家の名が泣く、とネグリジェの裾をつまんでお辞儀すると、ブタ氏も短い胴体が許す限りの会釈を披露した。バランスを崩して月から転がり落ちないか、と一瞬ひやりとしたけど大丈夫だった。

「これは丁寧に恐縮じゃ。吾輩の名は子ブタ(ピギー)貯金箱(ピギーバンク)ブタ氏(ムッシュー・ピッグ)と呼んでいただきたい」

あなた(ムッシュー)はフランスから来たの?」

「や、フランス風にした方がかっこいいじゃろう?」

 なんでフランス語の敬称、と思ってたずねてみると、そんな見栄っ張りな回答をされた。見かけによらず洒落者のブタらしい。

「言われてみれば、そうよね」

 ただの板チョコだって、包み紙に『純正ベルギー製高級チョコレート』と書いてある方が美味しそうに見える。

「そうじゃろうそうじゃろう」

 イーヴィーの同意に満足したようで、ブタ氏は得意げに繰り返しながら、うんうんとうなずいた。昔話をするようなのんびりとした口調は、子供みたいに高い声と愛嬌たっぷりの外見とはちぐはぐで、でも妙にしっくりくる。

「吾輩はな、お前さまが市で買うた『レシピ』の番人じゃ」

「あのレシピの?」

 イーヴィーは息を呑んだ。

「そうじゃ」

 こっくりと首を縦にふったブタ氏に、彼女は身を乗り出した。

「それじゃ教えて! あのレシピって、なんかおかしくない? 星屑(スターダスト)を作ってたら、指先から光が出たの。ネリーはあんなに落ち込んでたのに、星屑林檎(スターダストアップル)を食べたら元気になっちゃうし……、ううん、元気になってくれてうれしいんだけど、他のレシピもなんだかおかしいの! お料理っていうより……、その、魔法みたいで怪しいのよ?」

「うむ。魔法じゃよ」

 勢い込んでたずねたのに、ブタ氏はあっさりと肯定した。どんどん荒唐無稽になって行く会話に、これは自分が考え出した夢だと確信を強める。

「やっぱり魔法なの?」

「そうじゃ。お前さまはな、はぐれ魔女なんじゃよ」

「はぐれ魔女?」

「野良魔女とも言うな」と、どこか失敬な響きのある表現でブタ氏は言い換えた。

「えーと、要するに一人でほっつき歩いているような感じの、家族とかに保護されていないような系統の魔女のこと?」

 野良猫と飼い猫の違いを、人間に置き換えて言ってみた。それでも微妙に失礼なニュアンスはぬぐえない。

「そうじゃ。よくわかっておいでじゃの」

「でもわたし、ちゃんと頭の上には屋根があるし、お父さまもお母さまも、おじいちゃまやおばあちゃまだってご健在よ」

 憮然とした表情でイーヴィーが訂正しても、ブタ氏は動じなかった。つぶらな黒い瞳で、確かめるように問い返された。

「じゃがお前さまの一族は、誰も魔法は使えんじゃろ?」

「それは……、たしかにそうかも」

 イーヴィーの父親は弁護士だし、母親もしっかり者のごく現実的な女性だ。父方の祖父はヨークシャーの男爵家の当主だが、新しもの好きの好奇心旺盛な人で、魔術などという神秘とは無縁だ。スコットランドにいる母方の一族も似たようなものだ。

「そんな風に、ひょっこり何もないところに生まれるのが、はぐれ魔女なんじゃよ。魔女は十七になったら、みんな魔力がめざめる。じゃが一人である日いきなりめざめては、寂しかろうし不安じゃろう?」

「そうね。一人だけ周りと違うのは、きっと心細いわね」

 同意したイーヴィーに、ブタ氏は我が意を得たり、とばかりに深くうなずくと、教師のように右前脚を上げた。ブタの前脚に人間のように指があれば、ピンと人差し指を立てているところだろう。

「『レシピ』はな、そんなはぐれ魔女に魔術を届けるために、世に出されたものなんじゃ」


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