5-2
『あまり目立たない服装で来てもらえるかな』
アーサーからの散策へのお誘いには、そんな謎めいた但し書きが添えられていた。
「どこへ行くの?」
モードレッド家の屋敷で出迎えたアーサーの服装と、戸口に横付けされた馬車を見て、イーヴィーは首を傾げた。
散策というから、てっきり無蓋馬車でどこか郊外にでもお出かけするのかと思いきや、様子が違う。脇に控えた御者が扉を開いているのは、地味な作りの無紋の箱馬車。よく貴人がお忍び歩きに使う類の乗り物だ。
「ちょっと届けモノがあってね」
秘密めかした返答と一緒に返ってきたのは、悪戯っぽい笑顔だった。
「なんではぐらかすの?」
不服そうなイーヴィーをさっさと馬車に乗せると、執事のギブスンから覆いのかけられたバスケットを受け取って、アーサーも乗り込んできた。
その時、バスケットから、ごそっ、と物音がして、イーヴィーは訪問の目的をさとった。知らず口元がゆるむ。
「わかったわ!」
「正解」
彼女に微笑むと、アーサーは御者に出発の合図をした。
乳飲み子を腕に抱いたまま、扉を開いたトビーの母親は、二人の訪問者の姿をいぶかしげに見回した。
馬車は少し離れた大通りに止めて、ここまでは歩いてきた。
イーヴィーは、いつも蚤の市めぐりをする時に着る茶色のドレスに、同色の飾り気のないボンネットを合わせた、女家庭教師風のいでたち。アーサーも、抑えた色味のツイード地のフロックコートを着て、シルクハットの代わりに、新聞記者あたりが被るような、気軽なハンチング帽を頭にのせている。
それでも、二人がフラムに住むような人種ではないと直観的に悟ったのだろう。トビーの母親は、あいている右手で扉をつかみ、戸口をふさぐように立ちはだかると、「何の用だい?」と困惑と警戒の混ざる口調でたずねてきた。
「こんにちは、ミセス・オブライエンですね?」
アーサーが口を開くと、聞き慣れない上流英語の響きに、彼女はぎくりと身構えた。
「う、うちの人がなんかしたんですかい?」
「いえ、トビーくんにお返しをしたくて来たんですよ」
「お返し? 仕返しの間違いだろ? 人さまからお礼されるような子なんざ、この家にゃいないよ」
間髪を入れずに断言された。
(トビー、いつもはどれだけ悪ガキなの……)
「とにかく、うちにはそんな子はいないよ。間違いだよ間違い。帰っとくれ」
少年の素行を案じるイーヴィーの目前で、オブライエン夫人は早口でまくしたてると、ドアを閉めようとした。
(トビーが問題を起こして、その苦情に来たって思われてるんだわ!)
相手が地位の高そうな人間だから、面倒は御免と、しらを切って息子を守ろうとしているのだ。それは良いのだけれど、これではトビーが後で母親にどやされる。
「あの、オブライエンさん、待って下さい! トビーは本当に――」
あらぬ方向に誤解されたまま打ち切られようとしている会話を見かねて、イーヴィーが口を挟んだ時、薄暗い家の中から高い声がすっとんできた。
「母ちゃん母ちゃん、オレがどうしたって?」
「あんたはだまってなっ!」
(ひゃっ!)
気合い満点の一喝に、イーヴィーは思わず首をすくめた。なのに驚いたことに、母親の腕の中の赤ん坊はぐっすり眠ったままだ。
「なんだよぉ、うっせーな。父ちゃんの飲み代の掛け取りかよ?」
怒声など洟もひっかけず、トビーは好奇心丸だしの顔を母親の脇から突き出した。アーサーを見た途端、その顔は驚愕と喜びでぱあっと明るくなった。
「サー!」
「やあ、トビー。約束通り来たよ」
「猫! ほんとに猫、くれんの?」
「これ! トビー! 何て態度だい!」
母親を押しのけるような勢いでドアを開けると、トビーは外に飛び出してきた。
「ああ、連れて来たよ。気に入ってもらえるとうれしいな」
アーサーが覆いをのけたバスケットの中には、キャラメルのような濃い金茶色の目をした黒猫が、背を丸くして座っていた。
「すげーっ!」
「かわいい!」
イーヴィーとトビーは同時に歓声を上げた。それで初めて、トビーはアーサーの隣に立つ彼女の存在に気づいたらしい。
「この姉ちゃんはだれ? サーのコレ?」
「いらんことを覚えるんじゃないよっ!」
「いてえっ」
トビーはませた仕草で小指を立てて、すかさず母親から鉄拳制裁を食らった。
「…………………」
なんとも言えない顔で絶句しているイーヴィーの肩に、とりなすように手を置くと、アーサーは秘密めかした口調で紹介した。
「あのね、トビー、彼女は僕の、もう一人のイーヴィーなんだ」
「イーヴィー?」
その名前にトビーはぴくっと反応すると、何かを探すように彼女を上から下までしげしげと見た。むずかしい問題の答えを考えているように眉間に皺を寄せていた顔は、彼女と目が合うと、世紀の発見でもしたかのようにさっと晴れた。
「ホントだ! 姉ちゃん、猫とおんなじ目じゃん」
にかっと笑ったそばかすだらけの顔には、あちこち煤がついておかしな風になっている。
「そうよ、おんなじ目なのよ」
イーヴィーは笑顔でうなずくと、かがみこんでハンカチで彼の顔をふいてやった。アーサーの説明とも言えない説明で丸めこまれている彼がかわいい。
「あの時は、猫のわたしに優しくしてくれて、本当にありがとうね」
「よせやい! 子供扱いすんじゃねーよ!」
ばばばっと赤くなって彼女の手を振りほどくと、トビーはくるっと背を向けて、籠の子猫の前にしゃがみこんだ。
「こいつの目、タフィーみてーだな」
まごついた様子であたりをキョロキョロうかがっている子猫の瞳は、言われてみれば、キャラメルみたいな美味しそうな色合いだ。
「それじゃ、この子をタフィーって呼んであげられる?」
「おう。姉ちゃんがそう頼むんなら、呼んでやったっていいぜ」
肩越しに、トビーはえらそうに承諾した。
「あ、ありがと」
(な、なまいき……!)
けどまあ、下町の子なんて、こんなもんだろう。
「気に入ってもらえて良かったよ」
「ホントにありがとう、サー! オレ、こいつのこと、すっげ大事にするよ!」
しゃきっと起立したトビーは、頬を紅潮させ、混じりけのない尊敬のまなざしをアーサーに向ける。
(ナニ、この扱いの差……)
それはまあ、子猫をプレゼントしたのはアーサーで、イーヴィーはそのオマケの付き添いで来たにすぎないけれど。
ちょっと複雑な心境になったイーヴィーは、誰も見ていないのを良いことに、石畳に生えているペンペン草に八つ当たりした。
「おや、ご機嫌ななめだね」
モードレット家の屋敷に戻って、午後のお茶の支度が整った小サロンに落ち着くと、アーサーは彼女の顔をのぞきこんでくすっと笑った。
「そうよ、ナナメよ」
ぶすっと唇を尖らせて、イーヴィーは彼を小さくにらんだ。
「だってトビーったら、猫とあなたには、あ―――んなにうれしそうな顔、見せたくせに、わたしには背中向けてプイだし、『呼んでやったっていいぜ』だし、ナニあれ」
自分が出て行ってしまったから、気落ちしてないかと心配していたのに。
「わたし、あれじゃまるで出番なしじゃない。そりゃ、トビーと約束したのはあなただし、ああしてわざわざお礼に行ってくれたのも、うれしかったけど――」
「――トビーがそっけないから、面白くなかった?」
台詞と引き取られて、ぴくっ、とイーヴィーの眉が跳ねた。
「そうよっ、面白くなかったわよ! だってトビーったら、泣いてないか心配してたのに、ぴんぴんしてるし、あなたばっかり見て目はキラキラだし! もう心配して大損よ!」
話しているうちにますます面白くなくなってきて、声が大きくなる。
と、アーサーがいきなり噴き出した。
「なによっ! なにがおかしいのっ、アーサー!」
「トビーは照れていたんだよ」
「へ?」
こぶしを半端にあげたまま、イーヴィーはぴたりと動きを止める。
「君みたいなチャーミングなレディに優しくされて、トビーは照れていたんだよ。彼の態度は照れ隠しだったんだから、寛大な心で接してあげないと」
照れ隠し――と言われて思い当たった。イーヴィーに顔を拭かれたトビーは、林檎みたいに真っ赤になっていたっけ。
「………そういうものなの?」
「男の子なんて、大概そんなものだよ。好きな子に限って、いじめたりそっけなくしてしまって、それから一人で落ち込むんだ」
「あなたもそうだったの?」
「ああっ、思い出したくない過去を……!」
芝居っ気たっぷりに胸を押さえてうめいて見せたアーサーに、イーヴィーは怒っていたことも忘れて大笑いしてしまった。
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