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4-7

 肩に温かな手をのせられて、イーヴィーは小さく身じろぎした。

「ん……、ここは……?」

「目が覚めた? ああ、これは夢の中だから、目が覚めたっていう質問はおかしいかな」

「アーサーっ?!」

 至近距離から降ってきた穏やかな声に、イーヴィーは水をかけられた猫みたいに飛び起きた。

「やあイーヴィー、お邪魔してるよ」

「お邪魔って、これって……、ブタ氏(ムシュー・ピッグ)の夢よね?」

 大きく目をしばたいて、イーヴィーは辺りを見回した。子供部屋の壁紙のような、大きな星が浮かぶ夜空も、子羊のような雲もいつも通りだけれど、何かが足りない。

「……お月さまがないわ」

 ブタ氏の指定席になっている三日月が、どうしたことか今晩は姿がない。その上に乗っかっているブタ氏もしかり。

「さっきまではいたんだけどね、少し席を外すって言っていたよ」

 アーサーの台詞に、びくりと肩を揺らして振り返る。にわかに、二人きりでいることが意識に上る。おまけに――。

「ねえ、アーサー、あの、まさか、あなた、わたしにいま、ひざまくら……」

 今現在の二人の位置関係からして、つい先ほどまで自分が頭を乗っけていた場所は、アーサーのひざの上しか考えられない。

 すると彼は、ばつの悪そうな顔をして髪をかきあげた。日中と違ってセットされていない栗色の髪は、指が通っても、すぐにさらりと額へと落ちかかる。

「ごめん、つい、君の寝顔の誘惑に負けてしまったよ。まさか夢の中で会えると思わなかったから、浮かれてしまって……」

(やっちゃった、やっちゃった……、また、また、やっちゃったぁ――――――――っ!)

 何度醜態をさらせば気が済むの! と恥ずかしさでクラクラしながら、今一度確認する。

「ね、ねえ、こ、こここ、こ、これって本当に夢よね?」

 いつもみたいな、自分の願望と空想に彩られたバカな夢だと思いたいけれど、絶対に違うと全身の感覚が告げている。

「ブタ氏もいたし、この場所からしてそうと考えるのが自然じゃないかな」

(本物のアーサーだ……)

 イーヴィーの作り出した妄想が、こんなに落ち着き払って答えるわけがない。

 ダメ押しに、とイーヴィーは頬をつねってみた。

「イタタ……」

「イーヴィー、そんなことをしたら、頬が赤くなってしまうよ」

 そっと彼女を押しとどめる彼の手も、ちゃんと人間らしい存在感がある。指先がひんやりとしているのも、いつものアーサーだ。

「なんか、本物らしすぎて、夢って思えない……」

「そうだね。でもこれは夢のはずだよ。でないとちょっと困るかな」

 少し照れくさそうに、アーサーは自分が着ている白地に青の縞模様の寝間着を見下ろした。

「わたしも、お布団をかぶって、羊を数えてたらここにいたわ」

今夜はお気に入りのサテンのネグリジェを着てて良かった、と内心安堵の息をつく。

 何とはなしに、二人とも互いの寝間着姿に視線を向ける。すぐに自分の無作法に気づいたアーサーは、あわてて視線を外したけれど、イーヴィーの目の動きはずっとのんびりしていた。お休み仕様の彼は、髪も自然のままだし、何だか無防備で可愛い。

(やだ、わたしったら……)

 知らずと口元がにやけてしまうのを、なんとか乙女の意地と矜持で引きしめる。

「寝る時は羊を数えるの? イーヴィー」

「う……、うん、なんとなく、子供の時の習慣が抜けなくって……」

 正確には、寝付きが悪い時の習慣なのだけれど。寝る前の懊悩(おうのう)が思い出されて、イーヴィーは言葉尻を濁した。

ネリーと散歩に行ってアレコレ話して、多少すっきりして家に戻って来たら、アーサーからのプレゼントの苗が届いていて――。

(わ! ダメ! 思い出しちゃダメ!)

 彼の手紙を読んだ時の想いがよみがえるにつれ、頬の温度が真夏の気圧みたいにぐんぐん上がってゆく。今朝、馬車の中で自分がしでかしたことまで、つられて思い出されて、頭から蒸気が出そうになる。

(えーと! なんか! なんとか気をそらさないと! 話題、話題……)

 挙動不審になる前に気持ちを切り替えないと、彼とは二度と文明的な会話が交わせなくなりそうだ。

「あ、そうだ! あのっ! アーサー」

「ん?」

「あのっ、本当にありがとう! 薬草の植木鉢、本当にうれしかったわ!」

「そう、よろこんでもらえてうれしいよ」

 ふわり、と温かな微笑みを返されて、心臓がひょいととんぼ返りを打った。

(わたし、ちょっとだけうぬぼれちゃってもいいの?)

 期待とも希望ともつかない思いが、日なたの香りのする空気のように、胸いっぱいに広がる。

「昨日は、あれからちゃんと眠れた?」

「うん」

 イーヴィーはまた、小さなウソをついた。本当はキスのこととか、アーサーの抱擁のこととかが頭から離れなくって、バッタみたいにベッドの上でジタバタするばかりだったのだけれど。

「馬車の中で――」

「ひゃっ!」

 不意打ちで核心をつかれて、イーヴィーは小さく飛び上がった。たちまち完熟トマトみたいになった彼女を見て、アーサーは申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「――あんなわがままを言って、それから、あんなことをして、ごめんね」

「う……ううん!」

 イーヴィーはぶんぶんと首をふった。

「わたし、別に、ちっともイヤじゃなかったもの」

「それは、またしてほしいって遠回しに言ってるのかな?」

「えっ?」

 固まってしまったイーヴィーに、アーサーはやんちゃ坊主みたいにぺろりと舌を出した。

「冗談だよ。()()恋人にもなっていないのに、あんなことしちゃいけないよね」

()()?)

 彼の思わせぶりな言葉に、こうしていちいち反応してしまう自分が手に負えない。

「でも、怒っていなくて良かった。心配だったんだ。だからご機嫌取りに、急いで薬草の鉢を送ったりして……。それでも君から何も便りがなかったから、すごくヤキモキしたんだよ。今日なんて、ギブソンに六回も『手紙は来ていないかい?』と聞いてしまったんだから」

「そんなあなたって、なんか想像できないわ……」

 ぷっと噴き出してしまった。大人の男の人なのに、クリスマスイブの子供みたいだ。

「信じてないね。男心は案外、繊細なものなんだよ」

大真面目な顔で反論されても笑いは止まらなかったけれど、彼のヤキモキの元凶が自分だと思い至って、イーヴィーははっとした。彼にだけは、礼儀知らずと思われたくない。

「お礼状が遅くなってごめんなさい。その、さっき、やっと書き終わったばかりなの……」

 あーでもない、こーでもない、と書いてみた文面を没にしてばかりいたら、便箋がなくなってしまって、夕方、メイドのレティに急いで買ってきてもらった。

 苦心作のお手紙は、真夜中近くになってようやく完成した。あんなに推敲したくせに、まだ書きなおしたいくらいだ。

「ごめんなさい。返事がなかなか出せなかったのは、その、なんか恥ずかしくって……」

 ぽろり、と言うつもりのなかった本音まで口からこぼれた。

「僕があんなことをしたから?」

「うん、それもあるけど……」

 うつむいて雲を指先でつつきながら、ごにょごにょと口ごもる。自分の気持ちを認めてしまったせいだとは、今は言えない。こんな幸せな時間に言えるわけがない。

「けど?」

「ごめんなさい、言えるようになったら、言うから……」

 自分をためらわせているのが臆病さだと気づいて、イーヴィーは唇を噛んだ。アーサーに恋するまで、自分がこんなに怖がりだと知らなかった。けれど恋は知らないことだらけだから、自分に今足りないのは、勇気なのかもしれない。

「今夜はあやまってばかりだね。それとも夢の中だと、君は殊勝になるのかな?」

 くすりと笑ったアーサーは、それ以上追及しなかった。やっぱり彼は大人で紳士なのだと、こういう時、しみじみ実感する。

「君が秘めているのが、僕が聞きたいと願っている言葉ならいいな。――ああ、そろそろ朝みたいだね」

 霧の向こうを見透かすように目元を細めた彼の姿は、蜃気楼のように薄れはじめていた。

「名残惜しいね。――さようならのキスをねだってもいい?」

「ええ、いいわ」

 あっさりとうなずけたのは、夢の中で大胆になっているからだ、ということにした。ひざ立ちになってキスしようとしたら、背に彼の腕が回って、きゅっと抱きしめられた。

 そう言えばさっき、アーサーは『ごめん』とは言ったけれど、『もうしない』とは言っていなかったっけ――と、埒もない発見をする。

 彼の体の温かさを感じながら、頬にキスを落とすと、お返しのように額に口づけされた。夢の終わりを惜しむようなその抱擁は、イーヴィーがまぶたを開く間際まで続いていたように思う。


読んでいただきありがとうございます。

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