4-2
「その鏡、あまり良いものを映してこんかったのじゃろうなあ」
「だから人を呪うようになったの?」
その夜、イーヴィーの報告を聞いたブタ氏は、しばらく考えてからそう答えた。
「どうじゃろう……。呪いというほどはっきりした意思は持っておらんのかもしれんが、悪い思いのようなものをたんとためこんでおるようじゃ。イーヴィー嬢ちゃんのご友人が狙われたのは、きっとそのお人が感じやすいお人だったからじゃ」
「感じやすい?」
「ほら、音楽を作ったり、絵を描くお人によくあるじゃろう? 人より色々なものがよく見えたり、聞こえたりするお人じゃ」
「ああ、感受性が豊かってことね」
それなら納得だ。アーサーは人並み外れて優れた審美眼の持ち主なのだから。
「たとえ話で説明するのが一番わかりやすいかの」
あごに手をあてて一考すると、ブタ氏は続けた。
「その鏡は、人でぎゅうぎゅうに一杯になっておる部屋のようなものじゃ。そんな部屋があったとして、隣部屋に続く扉を開けたら、中におる人はどうなると思うの?」
「人は隣の部屋に流れるわ」
「その通り。その隣の部屋が、そのアーサーというお人じゃ。なまじ感じやすいお人じゃから、鏡の扉を開けてしもうたのじゃろ」
「それじゃ、アーサーは、鏡の中にたまっていた悪いモノを引きうけちゃってるの?」
「そうじゃの。そのお人を通って外に出ようとしておるのじゃろ。それであてられて、夢を乱されたり、体を壊したりしてしまうのじゃ」
「ねえ、なんとかできないの?」
イーヴィーは助けを求めるようにブタ氏を見つめた。このままでは、鏡が毒を吐きだしてしまうまで、ずっとずっとアーサーは苦しむことになってしまう。
(三百年分の悪夢なんて、そんなのひどすぎる……!)
彼は鏡を預かっただけなのに。
「掃除、が必要じゃのう」
ぽつりと言われた散文的な言葉に、イーヴィーは首を傾げた。
「そうじ?」
「澱のたまったものを綺麗にすることを、掃除と言うじゃろう?」
時々、ブタ氏の語彙は世の常とはズレる。それでも言いたいことは分かったので、イーヴィーは大きくうなずいた。
「そうね、それも一種のお掃除ね。それで、お掃除はどうすればできるの?」
「まてまて、ものには段取りが必要じゃ。掃除にはの、お前さま、道具が必要じゃろう?」
「わかった! モップとかお雑巾とかでしょう?」
何と言うか、生活感いっぱいの魔法ね、と変に感心していると、「ちがうちがう」と首を横に振られた。
「魔法杖じゃよ」
「まほうじょう……って、なに?」
初めて聞く言葉だ。
「知らぬか。まあ、そうであろうのう。魔法杖は強力な魔術を行う時に必要な道具じゃよ。掃除はお前さまにはちと上級編じゃが、まあ、道具がそろえばできるじゃろ」
「えっ? お掃除ってそんなに難しいの?」
自慢じゃないが、『上級編』とついたものは、刺繍もフランス語の作文も、一遍で合格した試しがない。自他共に認める凡才としてイーヴィーがひるんでいると、できの悪い生徒を勇気づけるようにブタ氏は言葉を重ねた。
「難しくはないが、強い魔術じゃからな。特に初心者は、魔法杖を通した方が狙いが確かになって安心なのじゃ」
「けれど、その魔法杖はどうやって手に入れるの?」
まさかお店で売っているわけではないだろう。
「もちろん、あつらえるか自分で作るのじゃ。イーヴィー嬢ちゃんは何月の生まれかの?」
「五月よ」
「それなら、素材はヤナギが良かろう」
軽くうなずいたブタ氏は、おもむろに教師のようにぴっと右前脚を上げた。
「それでは魔法杖の作り方を説明してしんぜよう。なに、心配はいらんよ。作りはいたって簡単じゃ」
(作りは簡単でも、作るのは簡単じゃないわよぅ~)
魔術には明るくても人間社会のアレコレにはうとい番人の指示を思い出して、イーヴィーはしょんぼりと肩を落とした。ロンドン一華やかな買い物通り、ボンド・ストリートを、彼女はトボトボと歩いている。
たったいま、宝飾店で価格という現実に直面してきたところだ。彼女が必要とする魔法杖は、長さ一フィート、継ぎ目のないヤナギ材で作られた棒の軸に、使い手の瞳と同じ色と大きさの石をはめ込んだものだ。
ヤナギ材の棒を作るところまでなら簡単だ。楽器店に行って、ヤナギ材の指揮棒をあつらえてもらえば事は足りる。提示された代金も、安くはないけれど即金で払える額だった。
問題は、その後。
『そうじゃな、かなめの石は、お前さまの場合、紫水晶が良いのう』
彼女の瞳を見たブタ氏はそう告げた。
瞳と同じ大きさの――ということは、親指の先ほどの大粒の紫水晶、ということだ。いくら紫水晶が宝石にしてはお手頃価格でも、それだけのサイズだと、お値段もかなり良い。
――つまり、彼女のおこづかいでは手が出ない。
先ほどの宝飾店でイーヴィーに応対してくれた初老の店員は、まるで葬儀屋みたいに不景気な顔つきだったけれど、見かけによらず親切で、彼女の要望にじっくりと耳を傾けると、在庫を調べてくれた。そして条件に合う石がないと分かると、これまでの取引記録と石のランクごとの流通価格から、丁寧に見積もりを出してくれた。
その金額は、彼女のおこづかいにして丸一年分。枕元の引き出しに大切にしまってあるヘソクリを合わせても、イーヴィーの手持ちじゃ全然足りない。
(こんなの、長期戦じゃないとムリだわ……)
最短でも七カ月はかかる。おこづかいは来年の誕生日まで増額されないし、こんな使途が説明しにくい買い物では、前借りもできないからだ。もちろん、おねだりも論外だ。彼女の母親は、こういうことでは子供たちを決して甘やかさない人なのだ。
(目が金茶色だったらよかったなあ……)
そうしたら、手持ちの琥珀のペンダントの石を使えたのに――。
――と無い物ねだりをしかけて、ダメダメ、と自分をたしなめる。あのペンダントは、ヨークシャーのおばあちゃまから、十四の誕生日にいただいたものなんだから、転用なんかしたらバチが当たる。それに。
(青や緑の瞳の魔女さんの苦労を考えてごらんなさいよ)
彼女たちは、サファイアやエメラルドを買わなきゃいけないのだから、紫水晶で済む自分はまだしもマシというものだ。
気を取り直したイーヴィーは、地道におこづかいを貯める決心をした。
(しばらくは、蚤の市めぐりもお買いものも自粛ね……)
深いためいきとともに決心する。最近、やっと一人外出禁止令が緩和されたというのに。(イーヴィーが猫姿でちょいちょい無断外出しているのを見かねたアーサーが、パクストン夫人に適当なことを言ってくれたらしい)
何だか生きる楽しみが二割ほど目減りしてしまったような気がしたけれど、それでも不思議とあきらめようとは思わなかった。
(アーサーには、もうちょっとだけ、煎じ茶で我慢してもらおう)
悪い夢を綺麗に掃除するのが一番だけれど、煎じ茶だって効かないわけじゃない。幸い、材料の薬草は長期保存できるから、新鮮な材料が手に入らない冬の間も、調合は可能だ。
(ラベンダーとカモミールはお店でまとめ買いして、カラハナソウのお花の残量を確認しておかなくっちゃ。あ、そうそう、霜が降りる前に、ブタ氏(のクローバーもポットに株分けして、温室に置いてもらわないと。それから――)
少し軽くなった足取りで石畳をコツコツと踏みながら、イーヴィーは何だかんだと世話になっている子ブタ先生のものも含めた、冬支度の算段を始めた。




