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3-7

「あら、お久しぶりね、ミス・パクストン。お元気?」

 演奏が一段落した休憩時間、化粧室に行ったネリーを廊下で待っていたところ、気持ちが悪いくらい愛想良く声をかけられて、イーヴィーは背中がぞわっとした。声の主がレディ・リンジーだったからだ。

 アーサーが出席するから、と母親が招待状を強引に手に入れたコンセット家の音楽会にネリーと来てみれば、リンジーまでいた。さわらぬ神にたたりなし、とアーサーからもリンジーからも隠れるようにして行動していたのに、向こうから、それも満面の笑みで近づいてくるなんて。

 おかしい。おかしすぎる。

「レディ・リンジーこそ、お加減はいかがですか?」

 特に頭の方は、と続けかけて、すんでのところで口を閉じる。

(あ、危なかった……)

「まあ、お優しいのね。わたくしの風邪なら、とうに治りましてよ」

(へ?)

 いつも通り切れ味の良い皮肉が雪崩(なだれ)を打って押し寄せてくるのかと思いきや、リンジーはにこにこと笑っている。様子が変だ。そう言えば、いつもはゾロゾロとつき従う取り巻きが一人もいない。

(風邪、引いてたんだ。というか、本当に頭がどうかしちゃったの?)

「あのね、ミス・パクストン……、実はね、わたくし、あなたにお詫びしたくて探しておりましたのよ」

「わたしに?」

 ちょっとよろしいかしら、と腕を引かれて、イーヴィーは廊下の端の談話室に引っ張り込まれた。どうやら人に聞かれては困る話らしい。今は休憩時間だから、廊下のあちこちには、談笑する人の輪がある。

「この間、わたくし、あなたにとってもイヤなことを申し上げてしまったわ」

 マダム・ウィロウの夜会で、アーサーのことで調子に乗るなと牽制された時のことだ。また何か言われるのかと身構えると、ふっと笑ったリンジーは小さく首を横にふった。

「あのお話はお忘れになって」

「え?」

「わたくしね、楽しそうに笑っていたあなたがうらやましくって。それでちょっといじわるをしてしまったの。だからお気になさらないで」

「そうですか……」

 突然の態度の豹変に当惑していると、話はさらに意外な方向に転じた。

「わたくしね、もうすぐお父さまの選ばれた方と婚約することになっていますの」

「ご婚約なさるんですか……」

 本来ならこんな気の抜けた相づちじゃなくて、お祝いの言葉をかけないと失礼な場面だ。けれどイーヴィーはリンジーの気位の高そうな顔に浮かぶ表情を見て、喉から出かかった「おめでとうございます」を引っ込めた。

(なんか……、すごくらしくないけど、……泣きそう?)

「その方に不満がある、というわけではないんですの。でも、恋をしたことも、殿方に心ときめかせることもないまま、お嫁に行くのかと思うと、なんだかとっても寂しくて……」

 そうつぶやいたリンジーの横顔は、いつもより数段、子供っぽくみえた。

 そう言えばこの子も、わたしと同じ十七歳なんだっけ、と妙に腑に落ちた。性格は控えめに評しても最悪だし、陰険がオートクチュールを着て歩いているような子だけれど、彼女の心が何も感じないかというと、そういうわけじゃない。

 だからといって、彼女がネリーにしたことを水に流せるわけじゃないけれど。

「ミス・エルマーにも、わたくし、お詫びしないといけませんの」

 まるでイーヴィーの考えを読んだような台詞に、聞き返す声があからさまに尖った。

「なんとおっしゃって?」

「あの件では、わたくしが軽率だったわ。ベッキー、つまりわたくしの小間使いが持ってきたゴシップを、わたくし鵜呑みにしてしまいましたの」

「え、そんな……」

 ちょっとでもリンジーに同情しかけたことを、イーヴィーは後悔した。まさか、小間使いに全責任をなすりつけるつもりだろうか。

「本当のことですのよ。もしお疑いでしたら、お調べになって下さって結構よ」

 あっさりと申し出られて、毒気を抜かれる。

「でも、その小間使いは、なんで――」

「――そんな作り話をしたか、ですか? そうですわね、彼女がそんなことをわざわざする必要があるとは思えませんものね」

 イーヴィーの台詞を引き取ったリンジーは、彼女の疑念を先回りして肯定すると、ぐんと声を落とした。

「これはここだけのお話ですわ」

 確認するようにイーヴィーの目をのぞき込むと、リンジーは内緒話の口調で続けた。

「ベッキーは以前、サー・ウィリアムのお母さま付きのメイドでしたの。二年ほど前に、わたくし付きの小間使いが結婚してやめてしまいましたので、紹介されてわたくしのところに来たのですわ。それでね、前の勤め先にいた頃に、その……」

 思わせぶりに言葉を切って、イーヴィーに目配せする。

「ああ」

 合点が行って、イーヴィーはうなずいた。ベッキーはサー・ウィリアムと親密な関係にあった、と言いたいのだろう。ひょっとすると、主家の子息との関係を周囲に知られたから、勤め先を変えたか変えされられたか。そういう話自体は、よくあることだ。

「そうなの」

 申し訳なさそうな顔で、リンジーもうなずいた。

「ベッキーは、あなたの親友とサー・ウィリアムのロマンスのことを聞いて嫉妬したのでしょうね。それであんな作り事をわたくしに吹き込んだのですわ」

「そうだったのですか……」と、一応うなずいたものの、リンジーの話は、指に刺さったトゲのような違和感を残した。

(できすぎてるけど、丸っきりの嘘とも思えない……)

 調べてもらって構わないと断言しているから、ベッキーの元の勤め先がサー・ウィリアムの実家だというのは事実だろう。恋愛関係にあった、というのも本当かもしれない。

(でも……)

 本当に、全ては小間使いの作り話なのだろうか?

(それに、ベッキーはどうなっちゃったの?)

 一使用人がそんな悪意ある噂話(デマ)を流したと露見したら、まずクビにされる。

(本当に、確かに、犯人だったのなら、まだ納得がいくけれど……)

 じわじわと、疑念が広がってゆく。伯爵令嬢(リンジー)小間使い(ベッキー)、どちらが嘘をついたにせよ、どちらが責任を取るかは、始めから決まっているようなものだ。ベッキーは今、どうしているのだろう。

 そんなイーヴィーの思案は、突然響いたノックの音に中断された。

「レディ・リンジー、そちらにいらっしゃるの?」

 扉の向こうから、若い女性の声がかかった。

「エレン、わたくしはこちらよ。入っていらして」

 うながされて、エレンと呼ばれた焦げ茶の髪の少女に引き続いて、数人の娘たちが部屋に入って来た。いつもリンジーの取り巻きをしている子たちだ。

 彼女たちの方を振り向くと、リンジーはいかにもほっとした、という声と表情で告げた。

「ねえねえ、聞いて、エレン。わたくしね、ミス・パクストンと仲直りしましたのよ」

「まあ、誤解が解けましたのね! それは良かったこと」

 エレンの言葉に、他の少女たちが唱和した。どうやら彼女が、リンジーの取り巻きの筆頭格らしい。

「というわけで、ね、エレン、アレを用意してもらえる?」

「わかりましたわ」

 エレンは心得顔にうなずくと、すっと部屋から出ていった。

「アレ、って、なんですか、レディ・リンジー?」

「フルーツ・パンチよ」

 にこやかにリンジーが答えた時、エレンが二つのグラスを載せた盆を手に戻ってきた。リンジーがグラスを一つ受け取ると、エレンはもう片方をイーヴィーに差し出した。

「せっかく仲直りしたんですもの、ご一緒に乾杯いたしましょう?」

(ま、乾杯くらい、いいわよね……)

 リンジーの『説明』のおかげで、かえって謎が増えたようなものだけれど、ここで彼女を追及しても尻尾を出さないだろう。それなら後で落ち着いて事情を調べた方がいい。

どうせもうすぐ後半の演奏が始まるし、さっさと飲んでこの場を離れよう、とイーヴィーはグラスに手をのばした。華奢なグラスには、なみなみとパンチが満たされている。

 すると、「はい、どうぞ」とストローも渡された。同じくストローを差したグラスを手に、レディ・リンジーはにっこり、と微笑んだ。

「こちらの方が口紅が落ちなくてよろしいのよ。お試しになって」

「そういうものですか……」

 お化粧と言えば白粉(おしろい)をはたくくらいのイーヴィーには、あまりよくわからない。

「それでは、ミス・パクストン、仲直りのしるしに乾杯しましょう」

「あ、はい」

「乾杯」

 リンジーに合わせて軽くグラスをかかげると、イーヴィーはストローを口にふくんだ。


読んでいただきありがとうございます。

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