3-2
月の光がなくなってしまったせいで、帰り道はタールを流したみたいな真っ暗闇だった。
道の両側には、イーヴィーの家とよく似た小奇麗な住宅が並んでいるけれど、家人も使用人も寝静まったこの時刻には、どの家も黒々とした壁のようにそそり立っているだけだ。メイドが消し忘れたろうそくみたいにぽつぽつと並ぶ街灯は、頼りない光の輪を路面に落とすだけで、かえって街路の暗さを際立たせている。
「よう、ネエちゃん」
物音ひとつしない通りを小走りに急いでいると、ふいに暗がりからだみ声が響いた。
「ようよう、そこの黒いネエちゃん」
(え?)
「そう、あんただよ、あんた」
男の声だとはわかるけれど、声の主の姿は見えない。
(だれ? わたしに何か用?)
反射的に足を止めかけて、それからはたと気づく。今の自分は猫に変身した姿だ。声の主はそれと知って声をかけているのだろうか。
(やっ、こわい……!)
先へ急ごうとするが、恐怖にこわばった脚はなかなか思うように動かない。脚の数が倍になると、もつれる確率も倍なのだ。
(おおお、おちついて! そう、落ち着くのよ、イヴリン・パクストン……)
「おい、シカトすんなよ。この俺様が声かけてんだぜ?」
追いかけてくる柄の悪い声に、知らず総毛立つ。
(とっ、とにかく! 次の街灯まで行くのよ! そうしたら相手の姿も見えるはず……)
見たくない気も大いにするけれど、考えないことにしてそろそろと歩を進める。
「おいおいネエちゃん、アイサツなしか? 気取ってんじゃねえぜ。俺はこう見えてもこの辺一帯を仕切ってんだぜ?」
街灯の明かりの届くところにたどり着いたイーヴィーは、ガタガタと震えながら声の聞こえる方に視線を向けた。
(な……、なにもの?)
横手の塀の上からひらりと飛び降りたのは、トラみたいな縞模様の大きな猫だった。向こう傷だらけのやさぐれた面構えが、いかにもといった風情のドラ猫だ。
(な……、なんだ……。ネコのナンパ……)
はあぁ、と安堵の息をついたイーヴィーは、無意識に出していた爪を引っ込めて、さっさと立ち去ろうとする。するとトラ猫は、行く手をふさぐように彼女の前に回りこんだ。
「ネエちゃん見かけねえツラだな? 飼い猫か? いい毛並みじゃねえか。なあ、いい夢見れる花が咲く木を教えてやろうか? このちょいと先なんだけどよ?」
(その木なら、もう一生分堪能したから結構です!)
キッと彼をにらんで脇を通ろうとしたら、トラはいきなりズザザッ、と一馬身分ほども飛びすさった。
「おまっ、うわっ、イ、イイイ、イログロのフトメ!」
(へ?)
ドラ猫の口から飛び出した叫びに、イーヴィーの目は一瞬、点になった。
(いま、なんて、言った?)
『イログロのフトメ』
反芻してようやく、そのありがたくもない意味がじわじわと沁み込んできた。
(い、色黒……の、太め……、です…って……?)
わなわなと震えはじめたイーヴィーを見て、それまで呆然自失の態だったトラもはっと我に返った。
「うおっ、やっべええ―――――――――!」
くるりと回れ右したトラは、一目散に逃走した。さすがはボスを自認するだけあって、見事な逃げ足だ。勢い余ってゴミ箱にでも突っ込んだのか、ガラガラガッシャーン! と派手な物音が闇の奥からとどろいてきた。
「タスケテ―――、おカアちゃあぁ―――――ん!」という情けない悲鳴が風に乗って流れてくる。けれどイーヴィーは、マザコン野良どころではなかった。
(色黒の、太め……)
ぐさりとくる暴言に、凍りついたように石畳の上に立ち尽くす。
毛並みは黒いのだから、百歩譲って『色黒』はよしとしよう。でも。
(太めって、太めって……)
乙女になんて暴言だ。そりゃファッションプレートのモデルのような柳腰ではないかもしれないけれど、イーヴィーはどちらかと言えば華奢で小柄な方だ。つまり。
(幼児体形だってことっ? ずん胴で凹凸がないから、太って見えるってこと?)
自分でも密かに気にしていた点を深々とえぐられて、イーヴィーは屈辱にうち震えた。
(ひどい……、ひどいいいいいぃ……、乙女に現実を直視させるなんて、残酷すぎる仕打ちよ……)
へたり、と力を失った尻尾が石畳に落ちる。涙目で地面をにらんで、イーヴィーは世の無情を呪った。
家までの残り数ヤードを歩む彼女の足取りは、行き倒れ寸前の旅人のように蹌踉としたものだった。
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