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『基本レシピ④ 星屑
【注記】菊の夜露は秋から初冬にかけてしか入手できないので、その時期に多めに作り置きしておくと良い。清潔なガラス瓶を使用すれば、約一年保存できる。
【一】まず材料を集める。砂糖、小麦粉、アーモンドパウダー、ペパーミントとローズマリーの葉はどの家庭でも容易に手に入るので、ここでは菊の夜露の採り方を説明する。
《一》花の数だけ、卵ほどの大きさの綿を用意する。
《二》夕刻、その綿を広げて、菊の花を覆うように被せる。
《三》翌日の早朝、太陽が昇る前に、花に被せた綿を集める。(日の光を浴びると香りが飛んでしまうので、綿を回収する時間を必ず守ること)
《四》綿が吸った菊の露を絞り、ガラス瓶などに保存しておく』
アァー、とどこかで早起きのカラスが鳴いた。
「うう……、ねぇむいぃー……、さぁむいぃー……」
秋の夜明けの冷え込みは、睡眠不足の体にきつい。
「うぅ、外套をはおってくれば良かったぁ……」
後悔のつぶやきを白く凍らせながら、肩にかけてきたショールの前をかき合せる。
一度寝てしまったら、日の出を寝過ごす自信だけは絶対にあったので、結局イーヴィーは徹夜して朝を待った。
フラフラと、亡霊のようにおぼつかない足取りで夜明け直前の暗い庭を進むと、芝に宿った夜露が、靴だけひっかけてきた裸足の足首を濡らす。
目指すは秋の草花が植えられているコーナー。
東の空をうっすらと茜色に染めはじめた頼りない光にも、昨日菊の花に被せた綿の白が浮かび上がって目印になる。
一つ、試しに手に取ると、露をふくんでしっとりと重い。鼻に近づけると、心洗われるような清々しい香りがふわりと立った。
「よかった、採れたのね」
眠気もすっかり忘れて、イーヴィーは持ってきたボールに綿を次々と入れていった。
『【二】ローズマリーとミントのシロップを作る。適量の水を入れた鍋を火にかける。このとき、鍋に入れた水の量を憶えておくこと。
沸騰したらハーブの葉をちぎって入れ、香りを移す。水がきれいな緑色に染まったら、そこに水の半分の分量の砂糖を入れ、再び火にかけて溶かす。
砂糖が溶けたら火から下ろし、ガーゼをあてたザルなどで濾して葉を取りのぞき、冷めるまで待つ』
夕食後。メイド頭のマーサと料理人のトマスを追い出した薄暗い厨房で、イーヴィーは鼻歌まじりに、出来上がったシロップをザルで濾していた。
「うっわー、いい香り! もっと作っといても良かったかしら……」
辺りには、ミントとローズマリーの涼やかでひんやりとした芳香が漂っている。どのくらいシロップが必要かわからなかったので、とりあえず片手鍋一杯分作ってみた。
菊の夜露を瓶におさめてから、朝ごはんをすっとばしてお昼ごはんまで寝たので、寝不足は解消できている。
「さて、次は、っと」
シロップが冷めるまでの間、自分で入れたミルクティーを飲んで一休みしていたイーヴィーは、鍋を触って温度が下がっていることを確かめると、作業台の上に開いてあるレシピをのぞきこんだ。
『【三】同量の小麦粉とアーモンドパウダーを混ぜ合わせ、そこに少量ずつシロップをたらしてゆき、両手の指先を使ってあおるように混ぜる。
パラパラとした触感になったら、今度は菊の夜露を数滴混ぜる』
「パラパラにするってことは、クランブルみたいにすればいいのよね?」
林檎の砂糖煮の上に、砂糖とバターと小麦粉をすり混ぜたものを乗せ、オーブンで焼いたアップル・クランブルは、イーヴィーも大好きな素朴なデザートだ。林檎があちこちの庭の木にすずなりになる九月から十月は、どこの家庭でも週に一度は食卓に上る。イーヴィーのパクストン家も例外ではない。
大方の家では、アップル・クランブルはカスタード・ソースをかけて食べるけれど、美食家はヴァニラ・アイスクリームが添えて楽しむという。
(一度、ヴァニラ・アイスと一緒に食べてみたいわぁ)
パクストン家の暮らしぶりはかなり裕福な方だけれど、スコットランド人らしく倹約家のイーヴィーの母親は、無益な浪費は嫌う性分だ。アイスクリームがパクストン家の食卓に登場するのは、お客さまを招いての晩餐会の時だけ。そしてそんな改まった席に、アップル・クランブルのような庶民的な味覚が姿を見せることはない。
だからアツアツの林檎と雪のように冷たいアイスクリームを一緒に味わう、なんていう贅沢をイーヴィーは知らない。
(ミントも舌がスーっとするから、星屑を詰めた焼き林檎って、アイスクリームを添えたアップル・クランブルみたいなのかな)
そんな素敵な味のお菓子なら、ネリーを元気づけることもできるかもしれない。
だってイーヴィーには、もうどうやって彼女をはげましたらいいのかわからない。
「……夜露を入れたら、混ぜておしまい、よね」
自分の役立たず加減に、タイル張りの床に向かいたがる視線を、気力と友情で本に引き戻したイーヴィーは、「んん?」と不思議そうに眉根を寄せた。
「なにかのおまじない?」
『【四】両手で木の匙を持って、最高に気持ちの良い夏の日の青空を思い浮かべながら、目を閉じて反時計回りに十回かき混ぜる。次に、クリスマスの日の暖炉の炎の色を思い浮かべながら、目を開いて時計回りに五回かき混ぜる。
完成したら、すぐに使わない場合は、密封性の高い容器に入れて保存する』
(ソフィーお姉さまからいただいたウサギのケープ、素敵だったわ……)
スコットランドに嫁いだ姉から去年贈られたクリスマスプレゼントの包みを、暖炉の前で開けた時のことを思い返してうっとりしていると――。
シュバババ! と突如指先から紫色の閃光がほとばしった。
「ひええっ!」
ニンジン畑から逃走する野ウサギのように、イーヴィーは一息に壁際まで飛びすさった。
おそるおそる、木の匙を握りしめたままの両手の指を確かめるが、どこも焦げていないし痛くもない。
(な、何だったのっ?)
稲光みたいな色と光だった。
そういえば、と思い出す。南アメリカ大陸のアマゾン川には、雷のように強烈な電気を放つウナギが生息しているという。
先月、隠していた虫歯がお母さまにばれて行かされた歯医者さんの待合室で、自分を待ちうける恐怖の時間忘れたさに熟読した雑誌に載っていた記事だ。
(うん、そうね。ウナギに放電できるんだから、まぐれで人間にも起きるのよ。今日はお夕食をいつもよりたくさん食べたから、きっとそのせいね)
かなり飛躍した議論で自分を納得させると、イーヴィーは出来上がった星屑を一つ、指でつまみあげて口に運んだ。
「あ、おいしい~」
ほっこりとした、心まで温かくなりそうな甘みと、夜空のようにさわやかな涼味が口の中に広がった。
どうやら、初めての星屑作りは成功したようだ。