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2-10

「ミス・パクストン?」

 なんだか聞き覚えのある声がする。

「聞こえていますか? ミス・パクストン」

(わたしの耳はちゃんと聞こえているわ。そう何度も大声で呼ばなくてもけっこう!)

「もしもーし、目を開けたまま夢を見ないでください、ミス・イヴリン・パクストン」

(ちょっと、誰よ? 失礼ね! 誰が寝ているって言うの? そっちこそ寝言は寝て言いなさいよね!)

 しつこく繰り返される声に反論を繰り返しているうちに、ようやく気がつく。呼ばれているのは自分の名前で、テーブルに頬杖をついたまま意識を飛ばしていたのも自分だ。

「はいいっ! なんでしょうっ?」

 レディにしては威勢のよすぎる返事をして顔を上げると、目の前には王子さま――。

 ――じゃなくて、グラスを手にしたアーサーが立っていた。

 リンジーとの一戦の後、頭を冷やそうと思って休憩室(ここ)に来たのだけれど、ドアを開けたままにしてあったとはいえ、なんでここにいるとわかったのだろう。

現実世界(リアル・ワールド)におかえりなさい、イーヴィー」

 にこやかにそう告げると、彼は右手のグラスを差し出した。

「これはなんですか? ベリオル子爵」

 半眼になったイーヴィーは、なれなれしく愛称で呼ばれた仕返しに、仰々しく爵位で呼び返してやった。彼女に再三、ファースト・ネームで呼んでほしいと言っているアーサーが嫌がるのは承知の上だ。

 そんな折角の嫌がらせだったのに、効果はさっぱりだった。みじんも気を悪くしたそぶりを見せず、彼はにっこり笑う。

「これは水です」

「そのお水をなぜ、わたしに?」

 イーヴィーの仏頂面は知らぬ顔で、アーサーは空いている方の手で、彼女の前に置きっぱなしの空のワイングラスを軽く示した。

「少々飲みすぎのようにお見受けしたので。僕の観測が間違っていなければ、先ほどのシャンパンで四杯目でした」

「……………」

 何で今日は、他人に自分の行動を数値化されてばっかりなんだ。実験動物に立候補した憶えはない。

「女性の飲酒量を計測するのがご趣味ですか?」

「ええ。実はそうなんです」

 彼女の皮肉をしれっと真顔で肯定してから、アーサーはにこりと笑ってつけ加えた。

「ただし、計測対象はあなたに限られます」

「なぜ?」

「目が離せないからですよ。お酒の入ったあなたは、危うくて放っておけませんからね」

(なによ、人を酒乱みたいに!)

 今度こそ余計なお世話だ。

「あなたはわたしの女家庭教師(ガヴァネス)? 別に酔って暴れたわけでもないのに、人聞きの悪い!」

 ぷいと横を向くと、明るい笑い声が耳を打った。

「ああ失礼、そういう意味ではありませんよ」

「それじゃどういう意味よっ?」

 眉を吊り上げて詰問しているのに、返ってきたのは意味ありげなウィンクだった。

「自覚がないのですか? 闇色のドレスを脱いだあなたは、僕のベッドの上であんなに悩ましい姿を披露――」

「わ――――――――っ!」

 ろくでもない言葉を垂れ流す唇を両手で封印すると、イーヴィーは肩ではあはあと息をした。

「そういう、人聞きの、悪い、ことは、言わないでくださいっ!」

「誰も聞いていませんよ。だから別に人聞きは悪くありません」

 唇をふさぐ手をやんわりとつかんで外すと、アーサーは憎たらしいくらい平然と応じた。

「そんなにわたしをからかって面白いの、アーサー!」

 かみついた後で「しまった!」と思った。ついうっかり、彼を呼び捨てにしてしまった。

「あはは、やっとあなたにアーサーと呼んでもらえましたね」

 何が面白いのか、笑い転げながら彼はそんなことを言っている。

「失礼な人ね!」

 動揺をごまかすために、まだ笑っている彼の手からグラスをひったくると、中の水を勢いよく飲み干した。水を口にしてからわかったけれど、思いの外喉が渇いていたらしい。

「おかわりはいかがですか?」

「もう結構です! それより会場に戻られたらいかが?」

 ツン、とあごをそらして憎まれ口をたたいて、ついでに扇子を広げて顔を隠そうとしたら、白い羽根をあしらった扇がない。いつのまにか手元から消えていた。

「あ、あれ?」

「これですか? 大広間のテーブルの上にありましたよ」

 きょろきょろするイーヴィーの前に、手品のように扇子が差し出された。

「あ、ありがとう」

 扇を受け取ろうとすると、サッと引っ込められた。

ベリオル卿(ロード・ベリオル)!」

 何するの、とにらみつけると、悪さをたくらむ子供のような顔をしている。

「アーサーと呼んでくれたら返してあげましょう」

「何を大人げないことを言っているんですか! 大体、あなた、こんなところで油を売っていていいんですか?」

「さっきからやたらと僕を追い払おうとしますね」

「だって、こんなところにいたら、何のために夜会に出てるのかわからないじゃない!」

 貴族の仕事は社交で、夜会はそのための場所だ。こんな誰もいない休憩室に二人きりでこもってたら意味がない。

――二人きり。

(やだ、ここって密室じゃない……)

 当世風のロマンス小説なら、これから男女の秘めたアレコレが起きる場面だ。そう考えると急に居心地が悪くなって、あわてて立ち上がり、ぎくしゃくと数歩、入口に向かって後退してみた。

「つれないですね。忘れてしまったんですか?」

「な、なにを忘れたんですか?」

「僕が今晩、何のためにここにいるか。お話しましたよね? それとももう一度聞きたいから、忘れたふりをしているのですか?」

『あなたが出席すると聞いたからです』

 そうアーサーは口にした。でもあれは――。

「憶えていますって! 大体あんな社交辞令、二度も繰り返さなくて結構よ!」

 自分のような女の子を楽しい気分にするためのリップ・サービス。そう思ったら、何だかやさぐれてきた。


読んでいただきありがとうございます。

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