2-9
「ごきげんよう、レディ・リンジー。何かご用?」
自分としては精いっぱい冷たい声と表情を作って、イーヴィーは彼女に向き直った。内心びくびくものだったけれど。
「まあー、怖いお顔。そうなさるとお父さまそっくりね」
小馬鹿にしたようなリンジーの声に、くすくすくす、と取り巻きの嘲笑が重なった。
「親子ですから、似ているところがあるのは当然でしょう? わたしは父の娘であることを誇りに思っていますから、むしろうれしいですわ」
にっこり笑って彼女の揶揄を受け流そうとすると、リンジーはくっと笑って、派手な口紅を塗った唇を開いた。
「それは良かったですわ、ミス・パクストン。でもお父さまそっくりだからといって、同じ体質を受け継いでいたら、悲劇ですわねぇ。同じ女性として同情しますわ」
斬新なジョークでも聞いたように、腰巾着たちがきゃーっと甲高い声で笑った。
(なっ、なんですってえ――――!)
かろうじてその怒声は飲み込んだけれど、イーヴィーの頬はぴくぴくと引きつった。
社交界での、彼女の父のあだ名は、『カツラを被ったライオン』だ。パクストン氏は平常は温厚な紳士なのに、弁護士として法廷に立つと、人が変わったように勇猛果敢に論陣を張る。もともとかなり強面だから、それで『ライオン』と呼ばれるようになった。それは良い。問題はその先だ。
法廷弁護士は、法廷ではカツラをかぶることが義務付けられている。それで『ライオン』の頭に『カツラ』がくっつくのだけれど、父の通り名が、近年危機的に後退している彼の生え際と無関係だとは、娘の彼女にも主張しにくいのだ。
(この……、この……、低次元の根性悪っ!)
なけなしの理性を総動員して、頭蓋内の温度をなんとか引き下げる。なにせこのくらいの当てこすりは、リンジー標準では挨拶程度のものなのだ。いちいち本気に取って怒り狂っていたら、こちらの身がもたない。
「ところで、ミス・パクストン――」
案の定、再び口を開いたリンジーは、本題を切り出す口調で話を始めた。
「――ベリオル卿は、あなたを随分とごひいきなさっているご様子ね」
(えっ? アーサー?)
「まさか! そんなはずないですよ」
この場に彼の名前が出てきたことに驚いて素で返すと、リンジーの眉がぴくっとはねた。と思うと、やにわに固い笑顔で指摘された。
「まあぁ、ご謙遜。彼に四回も踊っていただいて、おっしゃることはそれ?」
(うわあ、数えてたんだ……)
背を冷や汗が伝った。そう言えば今夜、アーサーはリンジーと全く踊っていない。ネリーの次は、自分が彼女の攻撃対象なのだろうか。
(ま、負けないんだから……)
ぐっと体の芯に力を入れると、なにげない口調をよそおって答えた。
「とても名誉なことですけれども、きっと気紛れでなさったことでしょう? わ、わたしのような若輩者が深読みするべきでは、な、ないと思いますの」
(ダ、ダメかもしれない……)
台詞は上出来だったけれど、こわばった頬のせいで作り笑いに失敗した。情けないことこの上ないけれど、怖いものは怖いのだ。
そんな彼女を見下ろして、リンジーは獲物をとらえた獣のように笑った。
「ええ、そうよ。き・ま・ぐ・れ」
パラリ、と孔雀の羽根をあしらった豪奢な扇子を広げて、一音一音を強調するようにあでやかにひらめかす。高そうな香水の匂いが、その度にこちらまで流れてくる。
「良くわかっていらして安心しましたわ。こういうことは勘ちがいなさったら大変なのよ、ミス・パクストン。よくって? わたくし、あなたのために申し上げていますのよ? つらい目にあうのは、いつも、あなたのような方なの」
「…………………」
くすくすくす、とお追従笑いがまた響く。
「お友だちとして申し上げますわ。わたくしの忠告は、おぼえていらした方がよくってよ」
華やかなドレスの裾を優雅にひるがえして、女王サマは退場した。きつい残り香が漂う空間に、イーヴィーはしばし立ちつくしていた。
「………だれが………」
ややあって、ぽつり、と誰も聞く者のいない言葉が唇からもれる。
「……だれが、いつ、あなたと、『お友だち』になったっのよ! それくらいなら、ロンドン動物園のハイエナと盟友になる方が百万倍マシよ!」
プルプルとこぶしを震わせながら、ようやく、遅すぎる啖呵を切る。できることなら今からでも追いかけていって、フランス製のレースをこれでもかとばかりにあしらった彼女のドレスの裾を踏んづけて転ばせてやりたい気分だ。
「もう! もう……、なんで――――――っ!」
痛くもない腹を探られて、釘まで刺された。アーサーに気に入られた、と勘ちがいして思い上がるなと――。
「そっちこそ勘ちがいでしょう、リンジー・マクハースト!」
そう言い返せるだけの機智と意気地が自分になかったことに、ますます腹が立ってくやしくてたまらなくなった。
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