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アーサーの家から戻ると、居間にいた母親に呼び止められた。
「今戻ったのですか? ちょっとこちらにいらっしゃい」
「はい、お母さま」
(はいはい、ご報告ね)
イーヴィーが部屋に入ると、パクストン夫人は手にしていた刺繍の枠を脇に置いて、彼女の姿をじっくりと検分した。格好について何も言われないということは、合格点らしい。
「ベリオル卿とはお話が弾んだようですね」
「彼がイタリアにいらした時のお話を聞かせていただいたわ」
「何か個人的なお話はなさらなかったの?」
(来た)
この質問は想定済だ。それでも答えにくいことに変わりはないけど。
「え……と、その……」
娘の顔色が薄赤く染まったのを見て、パクストン夫人の目が真剣な光を帯びた。
「ベリオル卿は何ておっしゃったの? お答えなさい、イーヴィー」
「その……、今後も親しくしてほしい、とおっしゃったわ」
「まあ! まあまあまあ、すばらしいじゃないの、イーヴィー!」
ぱっと顔を輝かせると、彼女は両手を胸の前で合わせた。
「ほらね、お母さまの言う通りでしょう? ベリオル卿はあなたに恋愛的な関心をお持ちなのよ」
「わたしには、とてもそうは思えないけど……」
まさか現代の生きた魔女として関心を持たれているとも言えなくて、イーヴィーは中途半端に疑念をさしはさんだ。
「そんなはずはありません。もっと自信をお持ちなさい」
にこにこと笑顔で首を横に振ったパクストン夫人は、おもむろにきりっと背筋をのばした。大事なことを言い渡す時の彼女の癖だ。
「いいですか、イヴリン・パクストン。これは重大な局面ですよ。これからはあなたも自覚を持って行動しなければいけません」
「はあ……」
「まず、これからは一層、身だしなみに気を使いなさい。今日の装いは娘らしくてとても良いですよ。ベリオル卿はそれはセンスの優れた方ですからね、これからもその調子で、いついかなる時も清楚で上品な装いを心がけなさい」
「はい、お母さま」
ひょっとしたら、と期待しつつしとやかに返事すると、夫人は満足そうにうなずいた。
「もう二着夜会服を作らせましょう。来週、ベリオル卿を主賓に晩餐会を開くことになりました。それには間に合わないでしょうけれど、これから着る機会が増えそうですからね」
(やった! ばんざぁい!)
今度は大人っぽいデザインと色のものをお願いしようかしら? シルバーグレーなんて素敵かもしれないわね、と半分とっつかまえたタヌキの皮算用にイーヴィーが頬をゆるませると、反対に彼女の母親は表情を引き締めた。
「もう一つあります」
「え?」
靴とバッグも? とイーヴィーが身を乗り出すと、夫人は厳かに宣告した。
「今後は、一人での街歩きをつつしみなさい」
「ええーっ、そんな! お母さま、今まではちょっとならいいっておっしゃってたのに!」
声高に不服を申し立てるイーヴィーを、手をかかげて黙らせると、夫人は反論を許さない口調で続けた。
「うちはそれほど格式を気にしなくて良い家ですから、これまでは多少の外出は大目に見てきました。けれども、若い、それも未婚の女性が一人で出かけることは、はしたないことなのですよ。自立心の強い女性を快く思わない殿方は多いですからね」
要はアーサーに悪印象を与えて敬遠されるといけないからダメだ、ということらしい。
「でも――」
アーサーはそんなことは気にする人ではないし、結婚うんぬんが話に上るような間柄じゃないから、と反論しようとしたら、再び口を開いた母親にぴしりと封じられた。
「口答えはなりません。ミス・ネリー・エルマーはお一人では外出なさらないでしょう?」
「それはネリーが、お出かけ自体、あまり好きじゃないからよ」
「そうね。彼女は人の集まる所が苦手だったわね……」
ネリーに先月振りかかった災難を思い出したのか、パクストン夫人は少し表情を曇らせた。けれど娘の親友への同情だけでは、話の流れを変えるのには不十分だったらしい。
「それでも、ダメなものはダメです」
「そんな、お母さまぁ……」
「『でも』も『そんな』も受け付けません。あなたは自分の立場をもっと自覚して行動するべきです。よろしいですね? お返事は?」
「はぁーい……」と、しょんぼりと答えると、夫人は少し表情をやわらげた。
「では明日、一緒にドレス・メーカーに参りましょう」
「はい、お母さま……」
熟練のアメとムチの使い分けに、イーヴィーは尻尾を巻いて引き下がるしかなかった。
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