帰阪
飛び込みで宿が取れたのが幸いであった。真冬の東北で野宿などしたらどうなるか、想像しただけでも恐ろしい。温泉で体を温め、晩酌を始めた。熱燗が最高である。暫くして忠さんが横になって目が虚ろになり始めたので、忠さんの肩を揺すって起こそうとした。
「こんなとこで寝たら風邪ひきますよ。」
「あかん、苦しい……」
「どないしたんですか?お気を確かに!」
忠さんの体調が急変した。見るからに危険な状態である。受付に行って救急車を呼んでもらった。その後も忠さんの体調が悪化していく。
救急車が到着・搬送し、病院で救急治療が行われた。しかし、忠さんの息は二度と戻らなかった。忠さんには身内が居ないので、翌日酒田で手続等を済ませ、火葬まで完了した。
思わぬ酒田での滞在が終わり、忠さんの骨壺を持って北に進む事にした。青森から津軽海峡を渡り北海道に行く事も考えたが、忠さんも居なくなった事で気も変わり大阪に帰る事にした。
約一日かけて東北本線を南下し、上野に到着した。アメ横にて年末買い出しをする人で上野は人だらけであった。オイルショックの影響か、トイレットペーパーの大量買い溜めが目立っていた。山手線を乗り継いで赤煉瓦で名高い東京駅丸の内駅舎に着いた。あとは西に進むだけ。しかし、ここで持ち合わせが不足してしまった。お金を下ろすにも銀行が年末年始休業中である。そして………
禁じ手をしてしまった。忠さんの財布を開けてしまった。仏さん、しかも大変御世話になった方のお金に手を付けてしまった。ハッと我に帰り情けなく泣きそうになった。その時、忠さんの財布から手紙のような物が入った封筒が落ちた。
【忠さん、アホな息子をどうか頼みます。毎年冬なったら風邪ひきおるから、そこも気にして欲しいです。お金足りんようなったら、このお金も使うて下さい。】
封筒の中には親父の手紙と三万円が入っていた。
涙を拭い、券を購入して新幹線に乗り込んで新大阪へ向かった。曇って見え辛かったが、雪で覆われた富士山の車窓はこの上なく格別であった。
昭和48年12月の事であった。
「大将、監督変わったけど阪神結局今年もあかんかったのう。」
「せやけど、前半戦だけでもええ夢見させてもろうた。若虎も結構育ってるみたいやし、来年が楽しみや。」
「確かにせやな。ほんで、今日何で早う店閉めるん?」
「今日、法事でんねん。」
閉店後、隠居している親父を仏間に呼び、法事が始まった。
「南海からダイエーに変わったけど、今年ホークス優勝したんですわ。忠さんが亡くならはった26年前以来のリーグ優勝ですわ。忠さんホークスファンやったから嬉しいでっしゃろ。私の好きな阪神は今年もあかんかったけど。」
今日は忠さんの命日で、今年で27回忌である。
「そう言うたら、若旦那どないしてるんやろか。昨日大将と喧嘩して末さんと一緒に出て行ったままやけど。」
「静かにせい。大将に聞こえるやろ。」
後方で若い板前の会話が聞こえた。
「さっきから自分らうるさいで。法事中や。あんなアホ息子の事は放っとけ!」
「せやから言うたやろ。せやけど、大将も若い時に大旦那様と喧嘩して同じような事したらしいで。」
昨日息子と諍いを起こし、小さい頃から息子の御世話して頂いている末さんと一緒に息子は出て行ってしまった。出ていく間際に末さんに手紙入りの封筒を渡した。
手紙にはこのように書いた。
【末さん、アホな息子をどうか頼みます。毎年冬なったら風邪ひきおるから、そこも気にして欲しいです。お金足りんようなったら、このお金も使うて下さい。】
最後まで具体的な年代を伏せて居りましたが、南海ホークス優勝・オイルショック・山陽新幹線工事中等で時代背景を出すという作品にしました。短編小説ではミステリー物を少し書きましたが、当作品も伏線を張っており、そこに年代推定・手紙の内容を含んでおります。
最後の箇所は平成11年(1999年)で元の作品を書いた年であり、「現在」として捉えて頂ければ幸いです。
※本作品はフィクションですが、時代背景等の表現の為に実在する事業者名等の掲載をしております。