なろう読者の「視点」の分析
これは独断と偏見により考察、分析したなろう読者の「なろう小説」を読む時の視点に関する記述である。
なろう読者はおそらくだが、なろう系小説に対して、ある意味でクオリティーを求めていない傾向にあると思われる。
無論だが、ある一定のクオリティーは欲しい。しかし私が言いたいのはそうではなく、「店に売られている小説」を買う時と、「なろうの小説」を読む時とでは、恐らく心構えが多少違うのだ。
店に売られた小説には無論クオリティを求める。物語として純粋に面白いか、というところが重要であり、逆に言えば細かな内容に関する注文はないと考えられる。
ライトノベルか、純文学か、というような大きな視点での注文はあるだろう。しかし例えば、「異世界に行って主人公が何度も死に戻りをしながら徐々に希望を掴んでいく物語」だとか、「美しい世界観で男女の恋愛を描いた悲恋の物語」だとか、そうしたところまでは求めていないだろう。好みはあるだろうが、結局のところ「話題性」と「面白さ」で人が見に来ているように思える。
これに対しなろう小説は、例えるなら「二次創作」を見るような気持ちで見に来ている人が多いように思える。
二次創作を漁る際、多くの人は例えば「推しカプの絡み」などのような『細かな内容』で物を選別しているだろう。
私は実のところあまり二次創作を調べないのでこの辺りの感覚はわからないが、しかし卑近な何かを考えるとしたらそれは「エロ」であろう。
私は神も認めるほどのドスケベである。そんな私が何でエロを探すかと言えば、例えば「黒髪ロング」であったり「貧乳」であったり、あるいは「具体的なプレイの内容(ちなみに私はドМである)」などである。
これはつまり、『より詳細な内容への言及』と言える。これについても二次創作界隈と似通った点が多く、例えば「AとB」のキャラクターがいたとして、無論カップリングは「AとB」の2人になるわけだが。しかし、この「AとB」という表記の時点で、腐女子界隈はざわつくところとなる。
AとBなのか、BとAなのか。これはどちらが攻めでどちらが受けかという話だ。たったこれだけの違いでしかないのに、さる界隈はしかしそれが大きな違いとなる。
これは私もよくわかることだ。私はおねショタが好きなのだが、しかしこれはあくまでお姉さんがショタよりも上位の存在にあることが前提となっており、ショタがお姉さんを屈服させるような物は断じて認められぬことである(なお、お姉さんが『敢えて』ショタを優位体位に持ってくるような、所謂『誘い受け』のようなものは精神的には優位なので認められるものとする。ここは非常に重要なので覚えておいてほしい)。
つまるところ、これらは内容への具体的な指示なのだ。ここには面白いかどうかではなく、内容が私の望みに合っているか否かが重要となっている。
同じように、なろう小説へも具体的な内容への指示が根底にあるように思える。「異世界」であったり「追放モノ」であったり。これは言い換えるなら、「エドロイ」か「義炭」か、みたいなものである。
店頭の小説となろう小説。これらの違いはなぜ起こるのか。それはおそらく、「能動的に探すか否か」が分かれ目となるだろう。
つまり、これは私の感覚的なことが多分にあるためにこのような言い回しになるが、『自分から作品を探しに行く』のか、『話題になるなどして目に付く』のかの違いである。
すなわち、店頭の小説とは書いたが、例え店頭の小説であっても『自分から探しに行く』場合はなろう小説と同じように『事細かな内容への注文』が入るということだ。
考えてみれば、当然である。わざわざ広大な作品の海の中からひとつを釣りあげようという時、まさか直感で選ぶというようなことはあるまい。自分の好きな属性、物語の方向性、そうしたものでまず「対象を絞ってから」選びに行くであろう。単にこれだけの話でしかなかったのだ。
他方、ひとつ例外がある。それが、『ジャンプの新連載』だ。
ジャンプなどの有名な雑誌で始まった新連載と言うのは、「とりあえず読む」という層が結構多い。これは気持ち的に考えれば、『今季のアニメ何が面白いかな』ととりあえず第一話をチェックするようなものである。
無論、そうした層は少数派ではある。しかしそうした少数派の人間が実際に本編を見て、様々な感想を書き込み、そこから話題性が生まれ、『よくわからないけどとりあえず見てみよう』と考える層が現れる。
これにより大きく打ち上がった作品はと言えば、「けものフレンズ」である。PVなどの段階では正直期待値は低かったが、徐々に作品の内容が評価され、ある種それがギャップを生み出したこともあって話題となり当時の覇権レベルにまで打ち上がった。
ケムリクサはここから監督本人への信頼性が生まれたことで人気となった……と考えられる。私も好きなAV女優の作品はチェックしているので、これは実によくわかる話である。
この「とりあえず読む」という層が現れるには条件がある。それは、「作品の母数が少ない事」である。
ジャンプの新連載はあっても5作、6作程度までだ。この中から突き抜ける作品、突き抜けずに連載継続となる作品(疑問に感じる読者諸君もいただろうが、打ち切り学会では新連載が打ち切られることを『突き抜ける』と表現するのだ)が現れるわけだが、この程度の作品数であるなら、第一話だけを全て読むのはハードルとしてはかなり低く思えるだろう。
しかし、この層は作品の母数が多くなればなるほど少なくなる。当然である、100や200を超える作品を「とりあえず読もう」と言うのはいくらなんでもあまりに辛い。そうなると必然、「選別」が行われる。
つまり、『作品の内容を、タイトルやPVなどから予想して、当たりをつけてみる』ということだ。アニメでも『なろう枠』というのが言われていることから、これはおおよそ当たっていると思われる。
実際、『なろう枠だから見よう』という人は良くも悪くもいるはずだ。『なろう枠wwwwイ〇〇マ枠やんwwwwww見てみよwwwww』とアンチ的な目線で見る人も当然いる。
しかしこれもまた同じである。結局そのアンチは、『なろう枠だから』『あたりをつけて』見に来たのだ。
ネットはまさにこの「母数が多い」の代表とも言える界隈である。よって、「とりあえず読もう」という層が物凄い勢いで少なくなってしまう。そういうものである。
だからこそ、タグなどで「あたりをつけて」見に来るのだ。そしてなろうというこのサイトは、あくまで「素人が小説を書いている場所」である。当たり前だが、我々は素人にプロ並みの腕を求めはしない。
そんなこんなで、多少クオリティが書店に並べるにしては劣っていても、とりあえず『自分の推しのタグがある作品を見よう』と考えるわけだ。そしてとりあえず見てみた時に、『なんか、違うな』と思ったらその時点で見るのをやめる。なにせ他にも作品はたくさんあるのだから。この辺りは、私も実にわかる。私もエロ漫画やAVを見る時、とりあえず試し読みなどで内容を多少把握してから、『なんか、違うな』と思ったらそのまま見ない。他のエッチな作品を探しにイク。
もしやだが、なろう読者の視点はこのように、二次創作やエロ漫画を探す人の視点に近いのではないか、と言うのが今回の結論である。