2,腹黒にしてヤンデレ
フレデリックが聖騎士と認められたのは、十二歳の頃だった。異例の早さでの叙勲に周囲は色めき立ったが、当の本人は顔色ひとつ変えずに、すぐに魔物を滅ぼす旅へと出る。
その数年後、神殿が聖女を選出。護衛の為に若き聖騎士であるフレデリックが呼び戻されることとなる。
聖女と共に各地を回り救済の旅を続ける間、笑顔ひとつ見せずにただ役割を果たすだけだった青年は、勇者と出会い変わった。正しくはその妹と出会い、変化した。制御出来ずにいた己の魔力に振り回される勇者の妹を守り、微笑みを浮かべる。それを面白くないと思った兄である勇者と何度も争いになった。
「フレデリック様、ごめんなさい」
勇者たちが休む焚き火から更に奥地に入った森の中、ぐったりと横になったまま少女はフレデリックに謝る。
特段美人とは言えず、痩せぎすでフードつきローブから覗く腕や鎖骨はくっきりと骨の形を露にしていた。
「謝らないでください。ご無事でなによりです」
「うん、私、またやっちゃった……」
重そうに持ち上げた手を焚き火にかざしながら、少女は笑った。
「大丈夫です。随分制御できるようになってきました。大丈夫、誰も傷つけてはいません」
「そっか。なら良かった」
「…………気を失う前のことは覚えておいでですか?」
「うん。マディラが……」
「今ごろは勇者殿が断罪しているでしょう。ジェシカ様が戻られる頃には全て終わっておりますよ、きっと」
周囲を油断なく警戒しながらも、優しく微笑むフレデリックに向けて、ジェシカは腕を伸ばした。
フレデリックは誘われるように近づき、自然に抱き上げる。後ろから支えるようにジェシカを凭れかけさせ、緩く抱き締めた。
「ご無事で良かった。もしも勇者殿が幼馴染だからと多目に見るようでしたら、私が断罪いたします。ご安心ください、我が君」
「それ、やめて。兄さんにしろ、フレデリック様にしろ、私に甘すぎ」
ジェシカは陰で暴走魔術師や無差別魔術師と呼ばれていた。幼い頃から強力な魔力に振り回されて、他人を傷つけることも度々あった。
勇者の妹でなければ危険すぎて誰も近づきたくない。そんな存在だった。それでも出会った瞬間から、全力で敬愛を捧げてきたのがフレデリックだった。
「貴女様は私が守ります。生涯をかけて。何度もお伝えして参りました」
「うん……そうだね。そうだったね。ありがとう」
朝になり合流した二人は、マディラの旅立ちを知ることになる。街道とはいえ一人旅では危険だと訴えるジェシカの訴えを聞いて、フレデリックは自身の馬を駈りマディラを追いかけた。
「ここにいたか」
「なんの用よ。この腹黒」
明るい街道を一人歩いていたマディラを見つけたフレデリックは、馬上から声をかけた。
「町まで馬なら町まで一日とかからない。乗れ、送ってやる」
「ふーん。聖騎士様がジェシカ以外を気にするなんて珍しいね」
「一人放逐されたと聞いたジェシカ様が嘆いていたからな」
嫌々来たことを隠そうともしないフレデリックに、イーっと歯を剥き出しにして威嚇したマディラは、ピョンと跳ねてわざと脇道にそれた。
「おい!」
「腹黒の力なんか借りないよ! 何よりなんで私が出来損ないの妹の慈悲を受けなきゃいけないのよ。あの子は村に置いてくるべきだった。強い魔力があるとはいえ、制御も出来ない。小技も使えない。大技一発で魔力切れになるなんて勇者パーティーに相応しくないよ」
街道を離れ警戒もせずに奥へと入っていくマディラを追いつつ、フレデリックは呆れていた。
「まさかと思うがそれを勇者に直接話したのか? 馬鹿なことをするものだ。あいつはシスコンだろう。それも重度の。それは幼馴染のおまえが一番知っているだろうに」
「ふん! なにさ! なにさ!
知ったような口を利かないでよ!
私たちは、お互いおねしょの数まで知ってるんだよ。それなのに、なんで、なんでさ……なんで私を選んでくれないの?」
尻すぼみに小さくなる声を聞きつつ、静かにフレデリックは剣を抜く。
一拍遅れて、マディラも武器に手をかけた。
「魔物……だね。数は」
周囲に油断なく視線を走らせ、辺りを探る。マディラとて勇者パーティーに相応しいと認められた腕を持つ熟練の狩人だ。動揺することはなかった。
落ち着きを無くした馬をなだめながら、フレデリックはマディラに手を伸ばす。
「馬上にこい。射角をとれる」
「ありがと」
今度は素直に上がってきたマディラと共に、馬を走らせる。
牽制も込めて弓を射るマディラの目に飛び込んできたのは、オーガやオーク、トロールといった大型魔物と、ゴブリンの群れだった。
「なんで? 生息域が違うのに!!」
「無駄口を叩くな。この数だ。囲まれれば厳しい。さっさと抜けるぞ」
オーガが投げつけた棍棒を盾で弾き飛ばしつつ、フレデリックはマディラを叱る。
低木や下草を避け、馬で駆け抜けられる場所を選び逃げる二人を魔物は執拗に追ってきた。
「もう! しつこい!!」
舌打ちしつつ弓を鳴らすマディラを、フレデリックはちらりと見下ろし、突然突き落とした。
「キャ……」
背中から落ちたマディラに魔物が走り寄る。
「フレデリック! 早く!!」
腕を伸ばし助けを求めるマディラを見下ろす目は、虫でもみるような冷たいものだった。
「フレデリック?」
「ジェシカ様への暴言は許さない」
「何言ってるのよ」
「気が付かなかったのか? 俺がどんどん街道から離れていることに」
牽制の意味も込めて、マディラは近づいてくる魔物を射殺しながら頭を振る。
「そんな……」
「ジェシカ様こそこの世の全て。我が君に害意を持つ者を生かしてはおけない」
「バカなこと言わないでよ!
第一、こんなに多くの魔物に囲まれて、一人で逃げ切れると思ってるの!?」
「……特に問題はないな。ああ、マディラ。今までの旅の礼に、ひとつ教えてやる」
抜き身の剣を軽く振ると、剣の延長線上の大地が槍の用に鋭く盛り上がった。
「何よ! その技」
「ただの大地の祝福だ。ここまで出来るようになるのに随分かかったがな」
「そんなことができるなら、もっと早くやってよ!」
「何故?」
「なぜって! その力があればもっと楽に進めるでしょうがッ!!」
地団駄を踏みながら話すマディラを、フレデリックは冷酷に見下ろしている。
「それではジェシカ様のお為にならない。
俺が向かい来る魔を倒すことは容易だが、ジェシカ様には魔を倒し成長して頂かなくては」
当然の事だろうと首を傾げるフレデリックを、狂人を見るがごとく見つめたマディラは震える膝を叱咤し瞳に力を込めた。
「守るべき主とか言いながら、何ワケわかんないこと言ってるのよ!」
「我が君がご自身の身を守れるようになるのは重要だ。それをジェシカ様がお望みだからな。魔を呼ぶ俺の体質が役に立って良かったよ」
「魔を呼ぶって」
話し始めたマディラの耳の横を短刀が飛ぶ。背後に迫ったオーガを貫いたその剣の刃は黒々と輝いていた。
「かのお方を喰ったか。本当に雑魚は身の程を知らぬ」
瞬時に冷酷な表情へと切り替わったフレデリックがどこか古風な口調で吐き捨てる。胸元から取り出した小瓶に光が吸い込まれると同時に、ドロップ品へと変化した。
「フレ……」
何か自分の常識では計り知れないことが起きていると気がついたマディラは、震える手をもう一度フレデリックに伸ばす。
「…………ジェシカ様には君が別れ際に感謝を告げていたと伝えておこう。もし万一、この場を切り抜けられたとしても、二度と我らに近づくな。
近づけば次こそ俺が直接手を下す」
光に翳すようにして小瓶を見つめていたフレデリックは、そのままの姿勢で吐き捨てる。
「……まあ、かの女神がコレの気配に気がついた。君程度が無事に切り抜けられるとは思えないが」
ゆっくりと首を巡らせた先には、一匹のオークがいた。その体は不自然に膨張し、オーク自身も己の体に起きている異常に怯え、悲鳴を漏らしている。
「……さて、旅の無事を祈る」
いつの間にか手元に戻った短剣を弄びながら別れの挨拶を口にする。そのまま迷うことなく、馬頭を返し街道へと向かうフレデリックの背後から、若い娘の悲鳴が響いた。