10.過去の遺物
兵士たちが集まっていた部屋を抜け、廊下を走る。まったく人気がなく、勇者たちの足音さえ、毛足の長い絨毯に吸収され、ただ鎧の擦れる音と互いの荒い息遣いだけが空虚に響く。
「あそこだ!」
一際は豪華な扉を指差し、ドムサは聖剣を抜き放つ。そのままの流れで扉を壊し、王の間へと雪崩れ込んだ。
「女王!」
「お覚悟ください!!」
血走った瞳で周囲を見回すドムサの陰から、ナディアも女王を探していた。
入口近くで立つジェシカは、周囲を警戒しながら残してきたランやフレデリックを待つ。
「ようこそ、勇者ドムサ。待っていたわ」
年齢に似合わぬ艶然とした微笑みを浮かべた女王は王座から勇者を見下ろす。
シャンデリアの光を浴びて輝く王冠に対し、美しく整えられた髪は、全ての光を吸い尽くすような漆黒であった。対照的な二つに飾られた顔は濃い化粧が施されている。
自らを殺しに来た相手の前であっても、動揺ひとつ浮かべぬ剛毅さは、流石は建国の女王に例えられた相手と言おうか。
答えに窮しながらもドムサは剣を女王に向けた。
煌めくドレスに戴冠式で身に纏ったマント姿で王座に座る女王は、怯えることなく続ける。
「逃げるつもりも、抵抗するつもりもないわ。これが我が国の民意であるならば、私は女王としての責を全うするのみよ」
「…………その、声」
女王の声に聞き覚えがあったジェシカが怪訝そうな表情を浮かべながら、濃い化粧の下の素顔を見ようと目を凝らす。
「ニーナお嬢様?」
「あら、バレてしまったわね」
悩みながら発せられた呟きを、否定することもなく女王は軽く肩をすくめた。その後でイタズラがバレた子供のように笑う。
「影武者?
兄さん、その子は女王じゃないよ。ほら前に話した街を一緒に見て回った小物入れの……」
今にも斬りかかりそうな兄を静止しつつ、ジェシカは必死にニーナに語りかけた。
「やっぱり貴族のお姫様だったの? 年が近いから女王の身代わりにされた? ねぇ、女王はどこに? 教えてくれたら絶対、悪いようにはしないから。いいよね、兄さん」
「ジェシカがそう言うならもちろんオッケーだ」
「ドムサ様、ジェシカちゃん、残念だけどその方はニナニストリア女王で間違いありません。
私は聖女として旅立つ時にも謁見しております。救うことは難しいかと」
「聖女ナディア。久しいこと。元気そうで何よりよ。貴女の勇者はとても優秀ね」
警戒の表情のまま言い切ったナディアに、良くできましたというように、微笑みを深くしたニナニストリアは称賛を口にする。
「さあ、勇者ドムサ。私を殺し、民意を果たし、この国を解放なさい。
そして過去の遺物に縛られた世界を救うといいわ」
ふわりと両手を上げ、まるで愛しい相手との抱擁を求めるように誘うニナニストリアに迷いはなかった。
「生き延びたいとは思わないのか」
「腹心たちは私の臣下として、広間に赴いたの。私だけが無様に命乞いをするわけにはいかないわ」
「あ………。あの時の狼獣人」
「ようやく分かった?」
駄目な子ねと続けそうな声音で笑うニナニストリアとジェシカの視線が交差する。
「あのときの、彼?」
「そう、あのときの護衛よ。私の狼。…………ああ、そうだわ。砦でも一度剣を交わしているでしょうに、本当に気がつかなかったね。少し迂闊過ぎるわ。今後は気をつけなさい。権力を手にするということは、とても怖いこと。これからは、一瞬の油断で命を失うことになりかねない。
そうね、遺言ではないけれど、一時でも縁があったものとして、ひとつだけお願いしてもいいかしら?」
遠くから響く甲冑の擦れる音に耳を澄ましなから、ニナニストリアはジェシカへと願う。勇者と妹の関係は報告を受けていた。勇者を動かすには、この方法が一番確実だった。
「国に殉じた兵たちの家族には、どうか配慮をお願います。どんなに幼くても王族ならばその生と死に意味を持たすことができます。けれどと兵には罪はありません。無論、その家族たちにも。
どうか、貴方たちが作る国に受け入れてください」
真摯に平民である自分達へと頭を下げるニナニストリアに気圧され、ジリジリと後ろに下がったドムサは、迷うように剣を下ろした。
「なんで……。まともそうなのに。何故、あんな悪政を行ったんだ」
「悪政?」
「民の命を犠牲に、中央に富を集中させた。俺たちがどんなに飢えに苦しもうとも、重税を課し、搾取し続けた。
だから俺の両親も死んだ。妹も魔力があると分かると、連れていかれそうになった」
「それは申し訳なかったわ。でも、王たる私は、一人の民のために治世を行うわけではないのよ。国という生き物を、豊かにする為に生きている。それに、リベルタには世界の盟主たる責任もあるわ」
「…………何を言っている! 国の根源は民だろう。その民を苦しめてまで」
「苦しんでも死にはしない。滅びはしない。滅亡させるわけにはいかない。
そうね、勇者よ。ひとつだけ忠告するわ。
『始まりの森』には手を出さないことよ。それが貴方たちを幸せへと導く術」
「始まりの森?」
「初代女王が唯一攻略に失敗した、魔の森です」
そっとナディアがドムサに囁く。
「どうい……」
「時間切れのようね。
さあ、勇者よ、世界に民の不満を伝えなさい」
部屋に入ってきたフレデリックたちを見て、ナディアは自分の死期を覚り、一度は下ろした腕を広げた。
「やはり殺せなかったか」
迷うドムサを確認したフレデリックは、溜め息混じりにニナニストリアへと歩み寄る。
「お覚悟を」
「ええ、足掻きなどしないわ」
ちらりとフレデリックの左手に持たれた布の塊に視線を流し、ニナニストリアは覚悟を決めた。恐らくその中には自分に絶対の忠誠を誓ってくれていた狼がいるのだろう。
黒曜の懐剣を抜いたフレデリックが、女王に迫る。
「勝手に何をやってるんだい!
いいのかい、ドムサ」
フレデリックの動きに慌てたランがドムサへと尋ねる。動揺を示しつつも止めないドムサに一瞥を投げかけ、フレデリックは懐剣を握りしめる。
正面から突き上げるように刺されたそれは、すんなりと根本まで体内に消えていた。
「フレデリック!」
迷いのない行動に驚きの声を上げるドムサに視線を流し、フレデリックは斜めに一歩動いた。その後事切れたニナニストリアを支えつつ、懐剣を引き抜き血糊を払う。
その直後、ニナニストリアが隠し持っていた自害用の短剣を抜き放ち、流れるように同じ場所へと差し込んだ。
「何をして……」
ナディアの声に無表情のまま口を開いた。
「後のことを考えれば、女王を勇者が手にかけるのは悪手だ。……女王は自らの非を認め、自刃して果てた。それでいいな?」
王家の紋章入りの柄を視線で示しつつ、残りの仲間たちを諭す。
「我々の勝利だ。早く知らせを放て」
呆けているナディアに命令するフレデリックの声は、揺るぎなくそして冷たい。まったく見ず知らずの相手と相対しているような気がして、ランは無意識にドムサへと身を寄せていた。
「…………何故」
「覚悟を決めろと言ったはずだ。王となるのならば、今までと同じではいられない」
すれ違い様に諭され、悔しげに俯いたドムサは、呟くような声でナディアへ外部との連絡を頼む。女王の死を知れば、枢機卿たちも先を争って動くだろう。これで民の地獄は終わるはずだ。
「……フレデリック様、それは何ですか?」
顔色を青白く変えつつ、ジェシカはフレデリックが無造作にベルトに差した懐剣を指差す。
「私が恐ろしいですか?」
すがり付くような、けれども諦めも滲んだ表情に、ジェシカは小さく首を振った。
「フレデリック様は兄を助けてくださった。兄さんではニーナ様は殺せなかった。だから……、でも、どうしてかな? その短剣から変な感じがするの。どうして震えるの?」
カタカタと小刻みを震える身体を抱き締めているジェシカは、掠れた声で問いかける。
「フレデリック様、それは何?」
「神器でございます。ご安心ください。私と共にいてくださる限り、コレが貴女様の害になることはございません」
「過去の遺物?」
「そうとも申します。今よりも人と神の距離が近かった頃の、遺物でございます」
ジェシカの視線を断ち切るように、服の中へと懐剣を締まったフレデリックは薄く微笑んだ。
「我々は勝ちました。仲間たちは皆、吉報を待ち焦がれています。これ以上の犠牲を避けるためにも、早く勝鬨を上げましょう」
ジェシカには優しく、振り返り見た三人には鋭く睨み付け、フレデリックは行動を促す。
それは神の愛娘と呼ばれた女王が建国した国の終焉を意味していた。
あと三話です。