プロローグ
オレの夢は最強になることだ。
ずっとずっと、子供の頃から最強を目指し続けてきた。
16歳の時、史上最年少で剣聖となった。
剣聖とは、剣士最強を意味し、同時に人類最強の称号でもである。
この世界では剣士の数が最も多く、1対1では剣が最も優れていると考えられている。だからこそ最強を目指す者たちは全員迷いなく剣士となり、それ故、剣の道でトップになることは人類最強になることを意味していた。
オレは迷いなく剣士となった。そして弱冠16歳で剣聖となった。
だがオレの夢は終わらなかった。
オレの夢は最強だ。人類最強なんかじゃない。世界最強なんだ。
目指すのは世界最強と言われる龍を倒すこと。
唯一神話時代を知るとされる存在にして、世界最古の龍【反転龍レクシオン】の討伐だった。
それからの修行は困難を極めた。
何しろ相手の強さが分からない。
500年前の剣聖かつ勇者で史上最強と言われる男がいるが、その男ですら【反転龍レクシオン】の討伐に赴き、帰ってくることはなかったのだ。
だからまずはとりあえず史上最強と言われる程度には強くならないといけない。
ただそれより上はどの程度まで行けばいいのかは分からない。
【反転龍レクシオン】のところに向かった者はすべからく帰ってこなかった。だから詳しい強さは誰にも分からない。ただ無茶苦茶に強いというのは確かだ。
オレは修行をし続けた。
もっと上、もっと上を目指し続けた。
そして41歳の時。
オレは悟った。
これ以上の上なんてないと。
多分最も強かったのは30歳頃だろう。
それ以降は衰える身体と、それを誤魔化すための技術の争いだった。
最盛期のようには動かない体を使って、最盛期かのような動きを再現する。
実際には最盛期に比べると劣る剣技をオレは放った。
「この程度か……」
老化の方が速い。
そもそももうすでに何をすれば強くなるのかもよく分からなかった。
最盛期の頃は、さらに強くなるビジョンが描けていた。
でも今は……最盛期の頃を追うだけの日々。
ただこの体では限界がある。
潮時だ。
オレは思った。
このまま年を取り続ければさらに体は動かなくなっていくだろう。
今がギリギリだ。
今ならまだなんとか最盛期かのような動きができる。
だがこのままでは最盛期の動きを表面的にすらできなくなる。そしてそれはそう遠い未来ではないと理解してしまっている。
未来を諦めるには十分だった。
オレは独り、【反転龍レクシオン】の下に向かった。
*
『人の子とは愚かなものだな……』
【反転龍レクシオン】はこちらを一瞥するとつまらなそうに呟いた。
ここは龍山と呼ばれる雲より高い山の頂上で、幻想的な空間であった。空は雲一つなく青く、眼下には純白の雲の絨毯が広がっている。【反転龍レクシオン】の姿も周りの景色にふさわしく、白くも透明感に溢れた不思議な色の鱗に覆われていた。
……オレの人生の集大成に相応しい景色だ。
「オレは第15代剣聖アリク・シュガルド! 【反転龍レクシオン】を討伐し、“世界最強”となるためここに来た!」
オレは名乗りを上げる。
左腰にはオレの相棒を下げている。純オリハルコンで作られた名刀だ。特殊効果はないが純粋な耐久性や切れ味は世界一だと自負している。
オレは剣を抜く。
白く輝く刀身が現れる。その輝きは、【反転龍レクシオン】の持つ鱗の輝きにも負けていない。
「行くぞ!」
オレは一気に間合いを詰め、反転龍の足元に剣を振り下ろす。
反転龍は微動だにしない。
しかし、剣が反転龍を傷つけることはなかった。
不思議なことが起きた。
オレが放った剣撃がそっくりそのまま返ってきたからだ。
咄嗟に受け流すオレ。
なんだこれは!?
『ほう……我が《反転》を喰らっても無傷か。久しぶりに少しは骨のあるやつが来たようだな』
「これは……??」
『ふむ。お主が不思議に思うのも無理はない。これは我のみが唯一使うことができる異能《反転》の力だ。我の体は常に《反転》の力を纏っていてすべての攻撃を相手に返す。我はこれを《反転装甲》と呼ぶが、未だこれを破った者は500年前の勇者のみだ。さて、お主にこれが破れるか?』
《反転》……無茶苦茶な力だ。
すべての攻撃を相手に返すのか。
だが破ることは可能らしい。史上最強と言われた男は破ったらしいし……
「破ってやる!」
キンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキン!!!!!!
オレは斬る。返ってきた剣撃を受け流し、再び斬る。
さらに返ってきた剣撃を受け流し、それを力に変換、そして斬る。
斬る。受け流す。力に変換。再び斬る。
永遠と同じことを繰り返す。
『ほう……』
反転龍が感心したように呟いた。
《反転装甲》が揺らいだ。
こっちの剣撃に少しずつ耐え切れなくなってきているようだ。
キンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキン!!!!!!
《反転装甲》は揺らぎ歪み湾曲する。
そして歪みに耐え切れなくなった瞬間、パンッと消えた。
「……」
反転龍が纏う《反転装甲》は消え、無防備となった。
攻撃を畳みこむには絶好の機会だろう。
しかしオレは動かなかった。
『ふむ。せっかく《反転装甲》が消えたというのに攻撃して来ないのか? ……ああ、もう《反転装甲》が戻ってしまった』
「問題ない」
『問題ない? お主はかなりの手順を尽くして《反転装甲》を消したように見受けられたが?』
反転龍の指摘は確かに正しい。
オレは《反転装甲》を消すのにかなり手間取った。
しかし消すことができた。
これは朗報だ。なぜなら――
――オレは力を解放した。
『なっ!? お主、それほどの力を持っていながら、力をセーブしていたのかっ!?』
「ああ、さっきまでは16歳、剣聖になった時の実力で抑えていた。しかしその時の実力でも《反転装甲》を破れるとは……これは嬉しい誤算だな」
『ククク……なるほど、これは500年前を超える逸材だ。少しは我を楽しませろよ?』
「もともとそのつもりだ――奥義、三の太刀《断絶》」
オレの一振りで《反転装甲》は消滅した。
「――奥義、四の太刀《虚空斬》」
そして反転龍は血を流す。
直後、轟音が鳴り響いた。
『グオオオオオオオオオオオオン!!!!!! 血カッ!? 血ナノカッ!? 我ガ血ヲ流シテイルノカッ!? 何万……何万年ぶりの痛みだ? これは……くくく、愚かなる人の子よ。感謝するぞ。血の痛みを思い出させてくれたことを』
しかし傷は浅い。
やはり《虚空斬》では威力不足か。この技は回避するのが難しいが威力が低いのが難点だな。
ならば――
「――奥義、二の太刀《津波殺法》」
剣撃の嵐が津波のように襲い掛かる奥義。
オレが使える技の中でも最強クラスの威力の技だ。
しかし反転龍に焦った様子はない。
『ふむ、なるほど。お主は強い! 人間の枠を超えているのは確かだ! だが、我には及ばない――
――反転之神奥義《世界反転》!!!!!!』
格が違う。
反転龍がその技を放った瞬間に理解した。
この技は通常の奥義とは、文字通り格が違う。
神奥義。
その言葉に納得せざるを得ない。
『我にこの技を出させたこと、誇りに思うがいい』
強い。
確かに最盛期の頃、奥義のその先があるような気もしていた。
しかしその技は完成しなかった。
神奥義か……
オレの理性は負けを認めた。これは勝てない、と。
しかし心は負けなんか認めない。
負けず嫌いな本性は圧倒的な実力差を前にしても、決して認めない。
「――奥義、死の太刀《宵狭間》」
理論上は可能だが、一度も試したことのない技。
少しの失敗が即、死につながる危険な技だ。
しかし背に腹は代えられない。
この技は、生と死の間にある“狭間”を利用する。
肉体ごと、現実世界から狭間へ持ち込む。そうすれば現実世界の攻撃から逃げられるよね? っていうシンプルな発想だ。
しかし本当に危険な技である。
狭間にやってきた肉体は現実世界に戻ろうとする。しかし一方、オレという魂は死の世界へ落ちようとする。
この魂が問題だ。
魂が死の世界に落ちればお陀仏。死だ。
だからその前に狭間から肉体を現実世界に戻さなければならない。そうすれば肉体が魂を引っ張ってくれる。
現実世界を離れる時間はほんの一瞬だ。しかしそのほんの一瞬がでかい。ほんの一瞬無敵状態になれるという究極の技なのだ。
――そして、この技は成功した。
完全に理論通りに成功した。
しかし反転龍の神奥義は無茶苦茶だった。
反転之神奥義《世界反転》は、すべての事象を反転する。物理法則や時の流れまでも反転する。反転した法則すらも反転させ、何度も反転する。残るのはカオスだけ。
現実世界は、何も法則がない無法地帯に成り下がってしまっていた。
――いや、反転という法則があるのか!
すべてを反転するという意味不明な法則。
しかしそれが存在している。
それは現実世界を破壊し、狭間に侵食する。死の世界との境界がなくなり、死神の手がオレの魂を奪い取ろうと手を伸ばす。
うりゃうりゃうりゃ!!!
荒れ狂う反転の中、オレはただ必死に死に抗った。
死神の手を斬って斬って斬りまくった。
どういう理屈で死神の手を斬っていたのかなんて、よく分からない。
肉体が自分の制御を離れているのに剣なんて振れるのか、甚だ疑問だがなぜか振っているようだった。
ようだった、というのは、自分の意識があいまいだったから。
まるで夢だった。
ただ必死に斬って斬って、斬りまくった。
その記憶だけを残して、オレは気付けば――狭間から抜け出して――
――もしくは反転から抜け出して――
――生きて残っていた。