第4皇女は元敵国へ嫁ぐ
一年半もの間続いた皇国と王国の戦争。双方の疲弊により、結ばれた停戦協定は薄氷の協定と呼ばれたがーーとりあえずは平和が訪れた事には間違いない。
平和の証として、第4皇女のサーラが差し出された。相手はイルタファ・ジャハル王子。この婚約により、双国の絆は固く結ばれる事だろう。
「はぁ……」
サーラは馬車に揺られ溜息を吐く。その切れ長の碧眼に浮かぶのは憂いの影。国境はとうに超え、現在地はジャウハラ王国内。この国特有の荒れた大地は馬車が走るには優しく無い。ガタガタと揺れ乗り心地は最悪である。
まあ溜息の原因はそれでは無いが。そんな事は大した事では無い。問題なのはサーラ嫁がされた理由。
というのも、まだ両国の和平は見せかけだという事だ。確かに書面の上では正式に和平が交わされた。だが、それは所詮机上の話。
国民の相手国に対する憎しみはまだまだ爪深い事ぐらいサーラにも分かっていた。ジャウハラ王国には反皇国組織が巣食っている。
つまり、間違いなく、サーラは命を狙われるだろう。こんな分かりやすい標的は無いのだ。
なのに何故そんな危険な国へサーラは嫁ぎに出されるのか。それはーー資源の為だ。
「はぁ……」
サーラの口からまたもや溜息が漏れた。自分が人間の欲望のだしに使われるのは不愉快だ。資源ーーというのはジャウハラ王国が保有する大量の鉱物資源である。
皇国は技術力は王国より優っていたが資源が枯渇していた。王国に関してはその逆である。
皇国は王国の資源を欲していた。サーラを差し出すーーつまり人質として預ける事により資源の共同採掘を引き出す。もし、サーラが暗殺されたならば、それをダシにより有利な資源提供を引き出すーーそんな理由だ。反吐がでる、とサーラは思う。
「……ま、お義母様やお義姉様にとっては良い厄介払いでしょうね」
サーラは自嘲気味に笑う。サーラは庶子である。姉とは腹違いで血の繋がりは無い。そんなサーラを母と姉は忌み嫌っていた。自分を差し出したのも、まあ、そういう事なのだろうとサーラは理解していた。
サーラの父親ーーつまり皇帝は戦により病床に伏せてしまった。今、皇国の実権を握っているのは母である。そんな母に忌み嫌われるというのは皇国内に居場所はない。元々婚約者も国内に居たが、何故か破棄されてしまった。理由は分かり切っているが。
サーラには今回の婚約は抗いようがなかった。
「こうなったらなるようになるしかない……か」
色々考えると不安要素があり過ぎてサーラは頭が痛くなった。異国の地、異文化の地、更にはついこの間まで刃を交えていた国だ。何が起こるか分からない。ならもう開き直るしかない、とサーラは割り切る。……割り切りたいのだが。
「はぁ……」
やはり溜め息を止められないサーラであった。せめてジャハル王子が人格者であわよくばイケメンなのを願うばかりである。
■ ■ ■ ■
サーラの道中は特に何ごともなく進み、ジャウハラ王宮へ到着した。そこはまさしく異国の地。当たり前だが民の服装も建物の建築様式も何もかもが違う。
サーラは盛大な歓迎の儀礼を持って招かれた。だが、サーラは感じる。人々の視線。
(好奇と不安ね……流石にここでは露骨な敵意は感じないけど)
サーラは様々な視線を感じた。好奇や不安の視線だ。王宮内だけあって敵意のこもった視線は感じなかったが油断は出来ない。
そんな事を考えていたらーー王子が現れた。先ず感じたのはーー大きい。
(えっ)
サーラは思わず目を丸くする。現れたのは優に2mはあろう大男。この国特有の褐色の肉体は筋骨隆々。緩やかな民族衣装に身を包んでいるが、それでもその肉体の凄みは抑えられない。そして何より、額に走る刀傷。顔は端正であるが、その肉体と刀傷により恐ろしげな印象を受ける。
「あ……」
サーラは我に返る。い、いけない。予想外の王子の登場に驚いたが、こんな事で飲まれてはいけない。これからサーラはここで暮らすのだから。
「お初目にかかります。アルーギ皇国第4皇女サーラ・ヴァニスタです」
サーラは努めて冷静に挨拶の所作をする。だが……。
「……」
(……?)
ジャハル王子はサーラに視線を向けたまま動かない。その真紅の瞳はサーラをじっと見つめている。その感情をサーラは読み取る事が出来なかった。
そうして十秒程。ジャハルはゆっくりと口を開いた。
「ジャウハラ王国、王子イルタファ・ジャハル」
低いが、よく響く声。
(?)
あの間はなんだろうか。サーラは一種戸惑うが、まあ良いか。
ーーーーそして、速やかに婚礼の儀が交わされる。異国の形式にはいささか戸惑ったが、どうにかこなす。
そうして迎える初夜。サーラは余りの体格差に、痛いだろうか、死なないだろうかと不安を覚えたが……結論から言うと、痛くはないし死ななかった。
ジャハルが寝室に訪れる事はなかったのだ。
■ ■ ■ ■
3ヶ月後。サーラは王宮のテラスにてお茶をすする。清涼な爽やかな香りがサーラの鼻孔をくすぐる。故郷の紅茶とはかなり異なる味わいだが、慣れると美味しい。
テラスからは街が一望できた。この国特有の幾何学的な模様の建築物。そして照りつける強い日差し。遠くの景色が歪んで見える。そんな異国の光景にも割と慣れた。
とりあえず、一通りの行事は終えた。異文化の生活様式など戸惑う事は多いが……人間慣れるものだ、とサーラは思う。懸念して居た反皇国組織の攻撃もなかった。
だがーーーー。
「ジャハル様……か」
サーラは独り言つ。ジャハル。サーラの夫。未だにサーラはジャハルには慣れなかったーー正確にはちょっと怖い。
3ヶ月前。ジャハルは初夜の日、部屋には現れなかった。どうにも体調不良だったとの事。それは、それで仕方がないのだが……それ以降未だ寝台を共にする事は無い。
それどころかまともな会話も無いのだ。もちろん食事や行事を共にはするが、私的な会話は皆無に等しかった。
「嫌われている……わけではないと思うのだけれど」
時折、ジャハルはサーラをじっと見つめる。あの初めて会った時のように。しかし、サーラが声をかけると視線を逸らすだけ。その視線の意味をサーラは掴めない。
少なくとも敵意は篭ってないと思うが……サーラにはよく分からなかった。
そんな不透明な現状と、あの外見。人を見ためで判断するのは正しくないが、ジャハルの見た目は力に対する根源的な恐怖ーー言ってしまえば暴力への恐れを感じた。
だが、このままでは良くないだろう。王子と王女が不仲と噂立つのも時間の問題だ。
「……あれ?」
サーラは王宮の敷地内にある人影を見つける。誰かが剣を振るっている。大分ガタイが良いーーってあればジャハル? 何をしているのだろう。
サーラは気になりその場所へ向かう。辿り着いたのは、修練場。
「ひっ」
何かが砕ける大きな音が響いて。サーラは驚き小さな悲鳴をあげる。な、何をしているのだろう。恐る恐るサーラは中に入り覗き見る。そこにはーー。
「……」
無言で立ち尽くす男。上半身は裸体で、それは凄まじい肉体であった。山の様な筋骨隆々な体。そして無数の傷跡。
(戦いの……傷痕)
ジャハルは優れた戦士である、とサーラは聞いていた。戦争の時も先陣を切って戦っていた、と。体の傷はその時のものだろう。話には聞いていたが実際に見ると凄まじい。
ジャハルは手にした剣を構えて、目の前の丸太に向く。そして、振り下ろした。
丸太が砕け散った。剣の切れ味が悪いからか、丸太は切られるのでは無く圧倒的な腕力によって叩き潰されたのだ。
「きゃっ」
破砕音によってサーラは思わず声を上げる。そしてそれにジャハルが気づき。
「……」
「あっ……」
2人の視線が合う。サーラを見つめるのは力強い真紅の瞳。別に悪い事をサーラはしたわけじゃ無いが、何となく気まずい。
「……サーラ」
「……あ。ジ、ジャハルさま」
サーラは何か話さなければと言葉を探す。
「す、凄いですね。丸太を、あんな風に。す、凄いです」
「……」
我ながら何とも貧弱な語彙だとサーラは思う。だがとっさには出てこない。サーラを見る瞳が更に焦らせるのだ。
「……凄い、か?」
「す、凄いです」
「……」
5秒程の無言の間。そして再びジャハルが口を開く。
「……そうか」
そういうとジャハルは奥へと入っていった。引き上げたのかとサーラは思ったが直ぐにジャハルは戻って来た。沢山の丸太を引きづり。
そして、再び剣を振るい丸太を砕き始める。何回も何回も。
「あ、あの……そろそろ休憩しては」
サーラはジャハルの疲労が心配になり声をかける。余りに間髪入れずに剣を振るうから。
するとジャハルは剣を振るうのをやめる。そして。
「……分かった」
そういうとジャハルは立ち去った。
「やっぱりよく分からない」
サーラはそう独り言つ。だけど、さっきのジャハルには、何か今までと違う感情が言葉に籠っているのを感じた。それが何かはやはり分からないが。
ーーそうして更に2ヶ月が過ぎた。
ガタゴトと馬車にサーラは揺られる。行事の帰り。移りゆく景色を窓見つめる。そしてちらっと前を見る。サーラの対面に座るのはジャハル。腕を組んで目を瞑っていた。
やはり、会話は依然として無い。ここまでくると流石にサーラも。
(嫌われているのかしら……)
不安になるのも無理はない。自分は異国の、しかも元敵の皇族だ。ジャハルは戦争で戦っていた身だ。サーラを憎んでいても不思議ではない。
そう考えるとサーラもジャハルへの接触は遠慮がちになってしまった。余計に悪循環だがどうしようもない。
所詮政治的な婚約。表立って憎まれていないだけましかもしれないけれど……やはり辛い物がサーラとしてはある。
自分が愛されていないと思うと悲しくなり、夜中に啜り泣く事も多々あった。
だからといってサーラにはどうしようもないのだが。この身に通う血は変えられはしない。
そんな事を考えていた時だ。ーーーー突如、天地が逆転した。
「?!」
凄まじい衝撃と轟音。サーラには何が何だ分からない。サーラは馬車から投げ出された。痛み、怒声、悲鳴。
「な、何が……っ」
顔を上げるとそこは、殺し合いの場だった。護衛の人間が、襲われている。懸命に戦うが……最後に残ったのは襲った側。
「……あ」
ゆらり、と襲撃者が剣を手にサーラへ近づく。返り血で濡れた男。顔は布で隠されていたが、その目は血走っているのが分かる。
「あ、ああ……」
サーラは恐怖で足が竦み動けない。同時にサーラは理解した。戦争は終わって居ないんだと。自分はこの国に受け入れられていない。和平などなっていないと。
「神の名の下に、侵略者に鉄槌を」
冷徹な声と共に血濡れの剣が振り上げられる。そしてサーラへ振り下ろされーー。
「っ」
響く鈍い音。不思議と痛くはない。目を開けると、そこにはいつか見た傷だらけの筋骨隆々の背中。ジャハルが剣を持って刃は受け止めていたのだ。
「ジャハル……様」
「俺から離れるな」
力強い意思が篭った声。ジャハルはサーラを抱き寄せる。残る襲撃者は5、6人。現れた障害を排除しようと襲撃者は襲いかかるがーー。
「ふっ」
ジャハルのひと薙ぎは武器ごと襲撃者を吹き飛ばす。圧倒的な剛腕。剣ごと相手の骨を砕く程に。
2、3人程吹き飛ばされ、泡を吹いて気絶する仲間に襲撃者は恐怖した。そして仲間を引きづり逃げ出す。襲撃者達は逃げ去った。
「大丈夫か」
ジャハルの声にサーラは我に帰る。何もかもが唐突過ぎてサーラは呆然としていた。
そしてーー何故そんな言葉を発したのはサーラも分からない。命を救われたのだ。ここは礼を言うべきだろう。だけど、自然と出てしまった。
「何故、助けたのですか」
「……何故?」
「……嫌われていると思ってました」
「っ」
その言葉にジャハルは固まる。今まで見たことの無い動揺の色。何か言葉を探そうとしている。やがて、観念したかの様に。
「すまない……分からなかったんだ」
「何がです」
「俺は、戦士だ。ずっと戦う事で生きてきた。……壊す事しかしてこなかったんだ」
ジャハルは傷だらけの手を見つめながら言う。ジャハルの人生は戦いの記憶が殆どを占めていた。彼の王族はそうやって成り上がって来たのだからそれは自然な事と言えるがーーそれ故にジャハルは他のことが分からない。怖いと言っても良い。
「俺は、最低だ。あの初めの日も怖くて逃げ出して……サーラに恥をかかせた」
「だけど、サーラに触れて、もし傷つけてしまったら。それが怖くてたまらなかった」
「それに、君が俺を憎んでいるかと思うと怖かった」
「サーラ……すまなかった」
そうジャハルは沈痛な面持ちで吐き出す。
……そうか、分からなかったのは私だけじゃなかったのか。サーラは思う。私がジャハルを分からなかったように、ジャハルも私の事が分からなかったのだ。そうか……。
「そう、ですか」
サーラはジャハルの手を取り握る。びくりと、ジャハルは震える。
「……大丈夫です。あなたの手は私を壊しません」
「サーラ……」
「私も、ジャハル様が怖かった。でも、そうではなかったのですね。この手は……先程私を守ってくれました」
「自分の愛する妻を守るのは当たり前だ」
ジャハルはサーラを真っ直ぐと見つめ言う。力強い決意のこもった声。
「……っ。そ、そうですか」
改めて言われると気恥ずかしくサーラは赤くなる。今日の今日までほぼ会話していなかったから余計に。
「そ、そういえば」
誤魔化すようにサーラは切り出す。
「以前あの、修練場でお会いした時ですが……あの時のは」
「……あれか」
すると何故かジャハルは恥ずかしそうに。
「あ、あれは……サーラに凄いと言われたのが嬉しくて……つい張り切って」
「…………ふ、ふふふ」
「わ、笑わないでくれ」
まさかの理由にサーラは思わず微笑む。何とも微笑ましいというか、愛らしさを感じる。
「サーラを見た時から、一目惚れだったんだ。だから嬉しくて……張り切るのは当然だろう」
少し拗ねたようにジャハルは言う。ああ、この人はこう言う顔もするのか。……人は話さなければ分からないなぁ。
襲撃で傷だらけの2人だが、その表情は今までで1番和かであった。
■ ■ ■ ■
ーー後日、宮殿内寝室。
月明かりがテラスからさしていた。薄暗い中でもサーラにはジャハルが酷く不安な顔をしているのが分かる。
「……怖いですか、ジャハル様」
「……ああ」
「……」
サーラはジャハルに寄り添い、あの時の様に手を握る。
「大丈夫です。これからあなたの手は王国の未来を作るのですから」
「未来……」
「直ぐに人々がわかり合うのは無理かもしれない。だけど、私とジャハル様が分かり合えたのだから、いつかきっと」
「……そうだな」
「愛してます、ジャハル様」
「愛してる、サーラ」
2人のいく末は困難が待ち受けているだろう。だけど、2人ならどんな苦難も乗り越え未来を作っていける。サーラとジャハルはそう確信していた。
だって人は分かり合えるのだから、と。