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十番勝負 その十六

第二十四章 十番勝負 足利弥之助との勝負


 上杉義澄はそのまま逐電した。その後の行方は杳として知れない。

 城下での辻斬り騒ぎがそれ以来影を潜めたのは言うまでも無い。

 三郎は暫く、この佐竹の城下に滞在することとした。

 鬼義重と仇名される殿様の気性を反映して、城下には実にさまざまな武術を教授する道場が多く、三郎は興味をそそられたのが、長い滞在となった理由であった。

 ただ、佐竹への仕官を求める牢人も多く、重臣の屋敷に赴き、自分の腕を売り込む者、城下の道場に乗り込み、他流試合を挑む者、或いは、街道で「天下一」の旗差しものを立て、自分の武芸を披露する者、実に様々な人間模様が繰り広げられていた。


 そんな或る日のこと。

 この城下にも飽いた、そろそろこの地を離れ、鹿島の地に赴き、今回の旅の念願としていた鹿島神宮への参拝を行うこととするか、と思っていた矢先、愉快ならざる光景を見た。

 それは、古着屋の店先で起こった出来事であった。

 弥兵衛たちを連れて、三郎がぶらぶらと歩いていると、何やら前方で声高に話す者が居た。

 どうも、先日買った着物に染みが付いていたらしい、どうしてくれる、ということであった。

 大きな薙刀を持った中年の屈強な牢人が店先で怒鳴っていた。

 その怒鳴り声に怯えた店の番頭が揉み手をしながら、しきりと謝っていた。

 が、その牢人は承知しない。一層、声を励まして、怒鳴りちらす様であった。

 その内、店の奥から主人と思しき男が出てきて、その牢人に何かを渡した。

 渡しながら、主人はその牢人に言った。

 「お武家様のお怒りはご尤もでございますが、これで何とかお怒りをお納め下さいませ」

 「これは何じゃ。それがしはこのようなものが欲しくて、言っておるのでは無いわ。牢人ということで、見くびってもらっては困る。いやしくも、人に売る、その売り物にこのような染みの付いたものを売りつける、その心根が卑しいと言っておるのじゃ」

 「お怒りはご尤もでござりまする。が、これで何とかお怒りを納めて戴きたく、お願いを致しておるのでございます。また、染みの付いた着物は手前どものほうで、何とか致しますので。まあ、何とか、円満に」

 主人の言葉を聞いて、何とか丸く収まるだろうと思い、三郎たちがその場を立ち去ろうとした時、見ていた野次馬の中から、呟くような声が聞こえた。

 やれやれ、またかよ、この店はこれで二回目だよ、たちの悪い侍に見込まれたものだ、金を包んで渡し、着物を綺麗に洗って返して、目出度く円満解決かよ、これじゃあ、古着屋もやってらんねえな、という声が聞こえた。

 この声を聞いて、三郎の心にめらめらと正義の炎が燃え盛った。三郎は野次馬を押しのけ、前に出た。弥兵衛は、ああ、だんなさまがよせばいいのに、また余計なことに頭どころか、躰ごと全部を突っ込んでいく、とても見ちゃいられねえ、おっかない話になんなきゃいいが、とはらはらいながら、三郎を見た。一方、正太郎は、だんなさま、頑張れ、頑張ってこのたかり牢人をやっつけてくだされ、と思っていた。


 「あいや、しばらく」

 三郎の声に、その牢人が振り向いた。

 「何用かな。貴殿、何か、言いたいことがござるのか」

 牢人に向かって、三郎が言った。

 「もう、そのへんで許してやったらいかがかな、と思いましてのう」

 「いや、貴殿には関係無いことでござれば。黙って見ていて戴きたい」

 「聞けば、今回が二回目とか。それはまことでござろうか」

 この言葉を聞いて、その牢人の顔はみるみる血の気が上がり、紅潮していった。

 店の主人は、そうでございます、と三郎に眼で知らせた。

 「まことであれば、店の失態もそう重なるものとは思われませぬなあ」

 三郎の言葉を聞いて、牢人は激高して叫んだ。

 「それがしをゆすり、たかりと申すのか。二回目と申されたが、何のことか、それがしには判り申さぬ。が、ゆすり、たかりとする、その言葉は許せぬ。まことに、許し難い暴言と存ずる。武士の面目をかけて、お主と闘うこととなるが、それでも、よろしいのか」

 売り言葉に買い言葉で、三郎の眼もだんだん吊り上がってきた。

 弥兵衛は、それ見たことか、やっぱりおいらが懸念した通り、おっかない話になっちまった、と短い首を更に短く引っ込めて、三郎とその牢人の問答を聴いていた。

 いつの間にか、明日、城下はずれの河原で果し合いをすることとなっとしまった。


 「だんなさま、あいてはなぎなたつかいだよ。かたなでは負けてしまうだよ。どうするつもりだっぺか」

 弥兵衛の言葉に、三郎は考え込んだ。確かに、弥兵衛の言う通りだ、刀と薙刀では尋常な立ち合いとはならず、刀が不利であることは明白だ、では、どうする、手持ちの槍で闘うことにするか、竜神丸は大身の槍ではあるが、薙刀相手では、柄を斬り落とされてしまう恐れが多分にある、柄さえ斬られなければ何とかなるのだが、さて、兵法の工夫が必要ぞ、三郎、どうする、工夫はあるか、と三郎は歩きながら考えていた。

 三郎は正太郎に何やら囁いた。正太郎は担いでいた槍を三郎に渡し、ばたばたと通りを駆けて行った。その後、弥兵衛、ついて参れ、と言いながら三郎は正太郎から渡された槍を肩にかけ、武具商いの店が建ち並ぶ通りへと向かった。


 正太郎が戻ってきた。三郎が正太郎に命じて、あの牢人、足利弥之助の後を付けさせておいたのだ。ただのゆすり、たかりの侍とは思えなかったのだ。

 言葉、態度に何やら妙な品があったのだ。やはり、三郎の勘に狂いは無かった。

 「だんなさま、あの足利というお侍はかなり立派なお侍だよ。家は長屋の一角で貧しい暮らしをなさっているようでござりますが、病気の奥方と小さい女の子を抱え、近所では極めて評判の良いお侍さまでござります。お侍さまが家の中に入った後、十歳くらいのめんこい女の子が外に出てきて、近所の子供と羽子板とか手鞠をついて遊んでおりましたが、おいらもほとほと感心するくらい、小さい子供には優しく、また、立ち居振る舞いもそれはもうとても上品でござりました。牢人する前はさぞかし身分の高いお武家だったのではなかっぺか」

 「ふーん、思った通りか。これは、困ったのう。いつものように、きつく懲らしめるわけには参らなくなったわ」

 貧すれば、鈍するということで、足利弥之助としては意にそまぬ、ゆすり、たかりという行為であったのだろう。いや、ひょっとすると、儂の早合点で、着物に染みが付いていて、文句をつけたところ、商人(あきんど)の馬鹿にしたような態度に腹を立て、あのように声を荒げていただけなのかも知れない。周りを取り囲んだ野次馬は、二回目と言っていたが、足利という侍は、そんなことは知らぬと言っていた。儂の早合点ならば、とんでもないことをしでかしてしまったことになる。はて、円満に解決する方法は無きものか、三郎は、日が暮れても、酒も飲まず、珍しく沈思黙考をしていた。ふと、妙案を思いついたのか、ニコリと微笑んだ。


 「弥兵衛、少し出かけてくる。正太郎と勝手に呑んでおれ。お前が呑む分には構わぬが、正太郎にはあまり呑ますな。後で、おせきに叱られる」

 と、言い残し、旅籠を出て、夜の闇に消えていった。


 「足利殿。いざ、尋常にお相手致そう」

 「おう、望むところよ。部門の意地でござるによって、いずれかが斃れても仇討ちは無用でござるぞ」

 河原は二人が対峙しているところを除けば、一面のススキの野原となっていた。

 土手には見物人が押し合い圧し合い、群れをなしていた。

 いざ、とばかり、足利は大薙刀を振りかざし、三郎は槍をピタリと構えた。

 三郎は足利の構えを見て、これは予想外に強い相手だ、刀では無く、槍にしておいて良かったと思った。槍ならば、柄を斬り落とされない限り、互角以上の立ち合いが出来る。

 隕鉄から打たれた竜神丸という大身の穂先を二間の柄に付け、三郎がかねて工夫した鍔付きの管を挿入した槍を構えた。左手でその管を握り、右手で繰り出す槍の穂先は空気を鋭く裂き、足利の胸に迫った。足利もひらりひらりと身をかわしながら、三郎の繰り出す槍の鋭い穂先を避けた。しかし、三郎の強さは予想を遥かに越えており、昨日、勢いで決闘を決めてしまったことに対して、臍を噛む思いをしていた。しまった、と思った。ちらりと、妻の早苗と娘の千代の顔が脳裏をよぎった。わしを許せ、父を許せ、と心の中で叫んだ。

 刀で向かってくる相手にはこれまで負けたことは無く、槍を得物とした相手にも勝ちを収めてきた足利ではあったが、三郎の管槍くだやりは遥かに手強いものであった。

 しかし、二人の武士が冴えた技を尽くし、丁々発止と渡り合う様は、集まった野次馬たちにとっては見事な演武のようにも見えた。

 観ている者たちは一様に、二人の闘いに酔っているようにも見えた。

 互角の闘いが半時も過ぎた頃であろうか、三郎の一瞬の隙を捉え、足利の薙刀が三郎の槍の柄を捉えたように思われた。柄が真っ二つ斬り落とされた、と誰もが思った。


 しかし、その瞬間、槍は斬り落とされること無く、むしろ薙刀を巻くように槍の穂先が突き出された。槍の穂先は足利の喉元一寸のところでピタリと止まった。

 「いかに、足利殿」

 三郎が言った。

 一瞬の静寂の後、足利弥之助が息を整え、落ち着いた声音で答えた。

 その声に悪びれた趣は無かった。

 「南郷殿、それがしの負けでござる。いや、参り申した。負けた以上は、いかようにもしてくだされい」

 その言葉を聞いて、見ていた者から一斉に歓声が上がった。その歓声は、勝者はともかく、敗者をも讃える歓声であった。それほど、二人の闘いは秘術の限りを尽くした闘いであり、観る者全てに一服の清涼感と感動を与えたのである。


 闘いを終え、充実した思いで互いの顔を見交わす二人のところに、後方から恰幅の良い武士がゆっくりと現われ、歩み寄ってきた。かなり身分の高い武士と思われた。

 その武士は三郎に軽く一礼した後で、足利弥之助に向かって、思いもかけない言葉を伝えた。

 「足利殿。お見事な試合でござった。拙者、まことに感服仕った。あ、申し遅れたが、拙者、太田重昌と申す者でござる。佐竹様の臣で、武者奉行をしておる者でござるが、足利殿、当家に仕官されるこころづもりはござらぬか」

 足利は大いに驚いた。

 「太田殿、何か、お間違いでは。勝たれたのは、こちらの南郷殿でござるよ」

 「いや、南郷殿は岩城の侍でござるによって、当家に仕官は叶わぬ身でござる。貴殿はご承知無きことと思われるが、先般この城下を騒がせし辻斬りを見事退治されたのは、こちらの南郷殿でござる。南郷殿は岩城はおろか、この佐竹にまで聞こえし豪の者でござる。試合では、南郷殿が確かに勝ちを得ましたが、その差はそれがしの僻目で無ければ、紙一重の差でござった。ほぼ互角に闘われた貴殿をこのまま牢人として市井に埋もらせて良いものか。答えは、否でござる。貴殿さえ良ければ、是非当家に仕官して戴きたく」

 「これは、丁重なお言葉、足利弥之助痛み入りまする。それがしは、名を明かすのはご容赦願いまするが、さる西国の大名の遺臣でござる。この佐竹様の地まで浪々の果てにまかりこした者でござるゆえ、今回の仕官のお申し出はまことに有り難き幸せと存じそうろう。何分、よしなにお取り計らいのほどを」


 「だんなさま、ようございましたない。えんまんかいけつ、ということだっぺ。西風と夫婦げんかは夜になるとやむ。よるになって、ふうふげんかもえんまんかいけつ、なにはともあれ、えんまんかいけつは良いことだっぺ、めでたし、めでたしだっぺよ」

 「しかし、弥兵衛よ。今回の試合もまた高いものについたぞ」

 「はっ、なんのことだっぺ」

 「これよ、これ。この工夫が高いものについたということよ」

 と言いながら、三郎は槍の柄を弥兵衛に見せた。

 その柄には薄い鉄片が隙間無く並べられ貼り合わせられていた。

 そして、鉄片の上には漆が念入りにかけられており、木製の柄のように見せかけていた。

 半乾きの漆が足利の薙刀の一撃を受けて、鋭利に削り取られていた。

 「で、さくやは、だんなさま、あの太田さまのところにでかけていったのけ」

 「弥兵衛、お前はなかなか、勘がいいのう。先般の辻斬りの一件で、上杉六郎の魔剣から救った。その時に売った恩を返して貰いに行ったのよ」

 「あらまあ、だんなさまにしてみれば、めずらしいこって」

 弥兵衛が目を丸くした。正太郎がにっこりして正清に言った。

 「でも、だんなさまのおかげで、足利さまのあの女の子も幸せになれる。おいらもほんとに嬉しい。さすが、だんなさまだっぺ」

 「これ、正太郎。おだてるでない。わしはおだてと女には弱いのじゃ。おだてに乗って自慢するのもわしの悪い癖である。自慢たれくそ猫の糞、自慢は禁物、おだても禁物」

 その後、三人は常陸の国を西に下り、鹿島神宮への道を辿った。

 鹿島神宮への道、そして帰り道でも、正清たち一行に降りかかった冒険は無く、一行は秋の終わりに、岩城に帰って来た。


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