彼の成長
七
「ただいま」
俺は事務所の鍵を開け、中に入る。
「おかえりなさい」
翔君が返事をする。
「梔子さんは定時で帰りましたよ」
「そう、修行の成果はあったかな?」
俺が聞くと翔君は自信たっぷりに、
「ええ、見て驚いてください」
翔くんがゆっくり、机に歩く。
そして机の上に置いてあるペンに、触れる。
そう、触れた。
そしてそのまま、持ち上げる。
「翔君、出来るようになったの?」
「ええ、修行を初めた時は掴むどころか動かすのも難しかったですけど徐々に動くようになって来て。それからは意外と簡単で、遠くの物を浮かす事が出来たら掴むのはもっと楽で、手の平から出ている力の量を真っ直ぐ線の様に出さないで手の平全体に面の様に薄く調整したら出来ましたよ」
喜々として語る彼を見ながら、俺は驚いていた。
確かに修行をしておけばいいとは言ったが、それはあくまで翔君が悪霊にならない様にする為ってのが俺の本当の理由だった。
だから、ここまで強い力を持つとは思っていなかった。
ほらこんな事も出来るんですよと、翔君はリモコンを使ってテレビのチャンネルを変える。
確かに色んな物を掴めると便利なんだが、もし万が一何かがあって悪霊に落ちたらその時は・・・。
「まぁいいか」
「なにか言いましたか?ってか手を怪我してるじゃないですか、治療しますよ」
餓鬼に引っかかれた所から血が出ていた。
「いいよ、自分でやるから」
「遠慮しなくていいですって」
直接俺の体に触れないようにねと注意しつつ、治療を受けた。
さっきまでの自分の考えを否定した。
人をこんな風に思いやれる彼なら簡単にはならないだろうと思う。
落ちる前にけりをつければ、それで全てが丸く収まる。
「それじゃあ、今日は疲れたからもう寝るわ。おやすみ、翔君」
「はい、おやすみなさい」
まだ見ぬ不安を、夢の中に溶かす様に眠りについた。
※※※
ジリリリとけたたましい音を上げる時計を止める。
さすがに昨日は疲れてたみたいで、すぐ寝れた。
そのおかげか体には疲れが残ってなかった。
スーツに着替えようと手を伸ばす。
「あっ」
そういえば、まだ服を返して貰ってなかったんだっけ。
朝日さんの服は洗濯するとして、今は何を着るかな?
きょろきょろと周りを見る。
「これでいいか」
着慣れたヨレヨレのスーツを着る。
事務所に入ると翔くんが、コーヒーを作っていた。
「あ、京士郎さん。おはようございます、そろそろ起きる頃だと思いましてコーヒー沸かしました」
「そんな事しなくていいのに、ありがとね」
「いえ、暇ですし。お世話になってますのでこの位の事はさせて頂かないと」
椅子に座り、コーヒーを飲む。
鼻にコーヒーの匂いが充満し、口の中には苦みと少しの酸味が広がる。
「おいしい、これっていつものインスタントだよね?」
「お湯を入れる前に少し煎ったり、温度を変えたりすればいいんですよ。昔から親にコーヒー作ってたんでこういうの得意なんです」
運ちゃんのインスタントコーヒーも美味いが、翔君のは店で出て来てもおかしくない味になってた。
うーん、美味い!
美味しいコーヒーで幸福感を感じていると、事務所の扉が開かれた。
「おはようございます」
運ちゃんが事務所に来た。
「所長、お客さんですよ」
運ちゃんの隣には見覚えのある人が立っている。
「朝早くから失礼します。昨日の預かり物をお持ちしました」
全身黒づくめのエミリーさんだった。
「翔くん、カーテン閉めて」
「はい、分かりました」
エミリーさんが翔くんを見て、
「おや、幽霊と一緒に住んでいるのですね」
「彼は依頼人なんですよ、朝日さんと同じ事件の被害者なんです」
「そうでしたか」
翔くんがカーテンを締め終え、コーヒーを入れ始めた。
「どうぞお入りください」
運ちゃんがエミリーさんを招き入れる。
「では、失礼いたします」
軽く会釈をして、エミリーさんが室内に入る。
「こちらのお洋服の洗濯が終わりましたので、お持ちしました」
ガーメントバックから、俺のスーツをエミリーさんが取り出す。
「あれ?それってこの前買ったスーツじゃないですか?」
運ちゃんが気づく。
「ああ、昨日色々あってね」
そういうと何かを察したかの様に運ちゃんが俺をジト目で見つつ、
「何をしてるんですか、サイテーですね」
なにか物凄い誤解をしている気がする。
「いや、血を大量に浴びちゃって」
俺としては誤解を解こうとしただけなのだけど、
「えっ、大量に血を浴びるとか何をしてたんですか!今日までありがとうございました、私梔子運は本日をもってこの藤田探偵事務所を退社させて頂きます」
「いや、ちょっと待ってって。運ちゃんは確実に勘違いをしているよ」
「いえ、大丈夫です。所長がどんなご趣味をお持ちでも私には関係ないですから。あ、元所長ですね」
そそくさと踵を返し、運ちゃんは事務所を出て行こうとする
ちょっと待ってと止めようとしたら、
「お待ちください、少し説明をさせて下さい」
とエミリーさんが運ちゃんを呼び止めた。
※※※
「なんだ、そんな事だったんですね」
エミリーさんが運ちゃんに昨日の事、俺が彼らの住み家に行った事、俺が彼等に犯人に間違われた事、そして昼食を頂いた事、そして俺がその後の工場であった事を付け加えた。
「それならそうと説明してくれればいいのに」
「いや、説明しようとしたら辞めるとか言い出すから」
「ええ?そうですっけ?」
運ちゃんがとぼける。
「そうだ、ご飯まだですよね。材料買って来たんですよ」
と話をはぐらかす。
「朝食、まだなのですか? 良かったら、私がお作りしましょうか?」
運ちゃんの言葉に反応したエミリーさんがそう言った。
「いいんですか?」
俺が聞き返す。
「ええ、当主様には少しでも役に立つなら京士郎様のお手伝いをするように託っておりますので」
なんて嬉しい提案なんだと、
「なら、お願いします」
と即答する。
そこにお盆を持った翔くんが、
「エミリーさん、でしたよね? コーヒーをどうぞ」
とコーヒーを差し出した。
「運さんも」
ともうひとつテーブルに置く。
エミリーさんは座った状態のまま頭を下げ、
「申し訳ございません、私は飲食はしませんので」
と謝る。
(そういえば、昨日もエミリーさんは一緒に食事を取ってなかったな)
「実は私は、ガーゴイルなのです」
「エミリーさんは、吸血鬼じゃないんですか?」
「いえ、当主様から血を与えてもらっているので純粋なガーゴイルでもないのですが純粋な吸血鬼でもなく、半ガーゴイルの半吸血鬼なのです」
「初めて聞きましたよ」
「でしょうね、私も私以外はこんな出生の者は会った事がありませんから」
「でも、ガーゴイルって神様の使いとかそういう聖なる者って印象が強いんですけど、吸血鬼って闇の者ですよね。なんで、夕日さんに仕えているんですか?」
「元々は前当主様にガーゴイルとしてお仕えしていたのですが、前当主様が亡くなる時に私に夕日様の世話を命ぜられました。そして、その話を聞いた幼き夕日様は石像の姿のままでは色々と面倒だろうという事で、吸血鬼の能力のひとつである変身を使える様にと血を分けて下さいました」
彼女の眼差しは、過去を懐かしんでいる様だった。
ただ、気になる事もあった。
「答えたくないなら答えなくてもいいんですが、前当主さんってなんで亡くなったんですか?」
吸血鬼の寿命は非常に長い。
というか今まで寿命で亡くなった吸血鬼の話を聞いた事が無いので、寿命があるかどうかも分からない。
「殺されたんですよ、ハンターに」
彼女の目には憎しみの火が宿ったように感じた。
「世界は戦争に進もうとしていた時代、我々ヴラド家はルーマニアに住んでいました。しかし、ヴラド家は世界の流れとは違い繁栄の道を歩んでいました。そんなある日に、前当主様が銀の狙撃銃を持つ男に撃たれたのです。ただ、前当主様は命を狙われている事に気づいていた様で転生の準備を秘密裏に進めていたのです。狙撃された前当主様は最後の力を振り絞り、今の当主である夕日様に転生なさいました」
「という事は夕日さんは」
「ええ、前当主様なのです。ただ、狙撃された時の衝撃なのか殺された時とそれに関する記憶が無くなってしまっているのです」
「夕日さんは記憶が無い事について知ってるんですか?」
「いいえ、気づいてません」
「それで、その犯人は?」
「いえ、未だに見つかってません。狙撃したと思われる地点に行ってみたら、そこに銀の狙撃銃捨ててあるだけでした」
室内が暗い雰囲気になる。
「すみません、そんな事を聞いてしまって」
「いえ、では朝食を作らさせて頂きますがいいですか?」
「お願いします」
※
「どうぞお召し上がり下さい」
エミリーさんが配膳してくれた。
「すみません、じゃあいただきます」
いただきますと運ちゃんも言う。
「おいしい……」
運ちゃんの口から感嘆の声が漏れる。
「有難うございます」
エミリーさんがゆっくりと頭を下げる。
「負けた!」
運ちゃんがショックを受けている。
「運ちゃんの料理も負けては無いと思うよ、俺は」
俺は素直な感想を言う。
エミリーさんの料理は高級フレンチ店で出てくるような上品さがあるが、運ちゃんの料理は毎日でも通いたい小料理屋の様な暖かさがある。
まぁ、高級フレンチなんて行った事無いから想像なのだけど。
「貴女も料理が上手なのですか?」
エミリーさんが運ちゃんに聞く。
「いえ、上手とかじゃないですけど。好きですね」
謙遜する彼女に俺は、
「いやいや、運ちゃんの料理は人に出しても恥ずかしくないよ」
と言った。
そんな事無いですよと、運ちゃんは否定する。
「そんなに美味しいなんて興味ありますね、いつか夕日様に食べて貰って味を教えて頂きたいですね」
あまり感情を表に出さないタイプだと思っていたエミリーさんが、運ちゃんに敵対心を燃やしている様だった。
メイドとしての使命感なのだろうか。
「ごちそうさまでした」
「美味しかったです」
俺と運ちゃんはご飯を食べ終え、感謝の言葉をエミリーさんに言った。
「さて、ではそろそろお暇させてい頂こうかと思います」
エミリーさんがエプロンを外し、お辞儀をする。
「本当にありがとうございました」
「運さん、出来ればでいいので時間がありましたら当主様にお食事をお願いしますね」
「えっ? あっ、はい」
運ちゃんはエミリーさんの押しに負け、なんとなく返事をしていた。
「高井くん、起きているか!ちょっと来てくれ!」
誰かが俺を呼んでいた。
「今の声は岸さんみたいですね。どうしたんでしょうか?」
俺は胸騒ぎを覚え、急いで外に出る。
「所長!」
階段を降りていくと、数人の男達が立っていた。
その肩には餓鬼が憑りついている。
「岸さん、なんですかこれは?」
「それは、私が聞きたいよ」
俺は、いつ攻撃されてもいい様に構えた。
「オマエハ、テキ」
「餓鬼が喋った!」
こんな事は初めてだった。
「なんで餓鬼が喋ってるんだ!?」
岸さんも見た事が無いようだ。
「岸さんは下がって下さい」
「おう、とりあえずアレを持ってくる。気をつけてな」
俺がコクリと頷くと岸さんが店に向かった。
「ウゴクナ」
一人が岸さんを追おうとするが、それを右の拳を出し制する。
「行かせねぇよ」
カンカンカンと階段の音を立てて、誰かが降りて来た。
「大丈夫ですか、藤田さん」
「どうしたんですか?」
エミリーさんと翔くんだった。
「危ないから、下がってて」
「いえ、協力させて頂きます」
エミリーさんが俺の横に立つ。
エミリーさんは大丈夫だろうけど、翔くんは危ないな。
けど今から部屋に戻ると逆に狙われるかもしれないと思い、
「翔くんは、俺達の後ろにいるんだ」
仕方ない、俺とエミリーさんで守るしかないな。
「はい!」
「タオ」
スと餓鬼が発音する前に、エミリーさんが動く。
音も無く接近しガシッと餓鬼の頭を掴む、そのまま餓鬼を人から引きはがし空に放り投げた。
憑りつかれていた人が倒れる。
ザンッ!
エミリーさんの爪が伸び、餓鬼を突き刺し切り裂く。
普通の人には空中に手を振っているだけにしか見えないだろう。
その爪の色は灰色でまるで石の様だ、それが本来の彼女の体なのだろう。
「まずは一匹ですね」
エミリーさんの顔には笑みが灯る。
しかしその笑顔は、見た人に畏怖を覚えさせるには十分な程に歪だった。
笑った顔は綺麗なのだが、その中にある本質は獣が舌なめずりをしているかの様だった。
「ウグググ」
エミリーさんの強さを理解した餓鬼達は警戒しだした様で、残った奴らはこちらを向いた。
「俺の方が弱いって思われたな、全く舐められたもんだなぁ」
(まぁ、実際俺の方が弱いんだろうけど)
そんな事を考えつつ、一気に詰め寄り右手を突き出す。
速度で威力の上がっている力いっぱいの右拳が餓鬼に当たる。
「グッ」
(やっぱり一撃じゃなくなっている、予想していたけどな)
上半身を捻り、左拳をぶつける!
ゴシュ! と音と共に餓鬼が消える。
「アギョ!」
ふと見るともう一体の餓鬼をエミリーさんが倒していた。
エミリーさんは手を振りかぶりながら、
「これが餓鬼ですか?」
「ええ」
「強くは無いですが、数が多くなると大変そうですね。今は三匹しか居なかったので問題なかったですが」
エミリーさんの言う通りだ。
いつもより強くなったとはいえ、二発入れれば祓えるとはいえ数が増えると厄介だ。
「ううん・・・」
餓鬼に憑りつかれていた人が目を覚ましたようだ。
「大丈夫ですか?」
駆け寄ろうとした俺の視界に、鈍く光る物が映る。
(刃物か!?)
餓鬼に憑りつかれた男がナイフを持って走り寄ってくる、目を覚ましたばかりの男性に狙いを定めている様だった。
鈍い光を放つナイフが、倒れたままの男性に振り下ろされる!
「クッ!」
俺は急いでその人をかばう様にナイフに背を向ける。
(あれ?)
しかし、待っていても背中に痛みは無い。
振り返ると、男はナイフを振りかぶったまま止まっていた。
「ウ、ゴカナイ!」
「京士郎さん、早く倒してください!」
翔くんの方を見ると、彼が餓鬼の動きをサイコキネシスで止めていた。
「ナイス!」
俺は男に近づき、左手でナイフを抑える。
「翔、離していいぞ!」
サイコキネシスが解け、餓鬼が動き出そうとする。
「させるかよ」
右のジャブを二発当てる。
「グググ」
ジャブだから軽かったか。
「これで最後だ」
もう一発ジャブを当てると餓鬼は消えた。
男は膝から崩れ地面に倒れる、そんな彼を支えゆっくり地面に寝かせた。
「まったく、なんでこんなモン持ってるんだよ。物騒だな」
俺は男の手からナイフを奪い取る。
それにしても、
「翔くん、よく止められたね」
「咄嗟に体が動いただけですよ」
「助かったよ」
「修行の成果ですよ」
修行の成果がこんな風に出るとは思ってなかったけどね。
餓鬼が掴めるとはな、これなら自衛も大丈夫そうだ。
「キャー!」
女性の悲鳴が何処からか響いた。
「今のは?」
翔くんが尋ねる。
「たぶん、あちらです」
エミリーさんが答える。
「翔くんは、運ちゃんに救急車と警察に電話してって伝えといて」
「分かりました」
「急ぎましょう」
俺とエミリーさんは悲鳴の聞こえた方に走った。






