吸血鬼達の住み家へ
五
行方不明の吸血鬼の奥さん、木場夕日さんが指定した廃ビルは事務所からそんなに離れてはいなかった。
「ここかな?」
その三階建てのビルはうちの事務所より古そうで壁に植物が根を張りビルが緑一色になっていた、そのビルの窓全てが木の板で目隠しされているせいで外からは中の様子が分からない。
「さてと、入り口は?」
ビルの表に面している方には、元々ドアがあったようだが今は板で塞がれていて入れそうに無かったのでビルの裏に回る、その場所は昼前で明るい今の時間でも日が差し込んでいなかった、そんな薄暗い路地に鍵の開いている扉はあった。
「おじゃまします」
扉を開ける。
部屋の中は暗く、なにも見えない。
「カチッ、と」
サリーちゃんに言われて持ってきていた、懐中電灯のスイッチを入れる。
灯りに照らされ見えた部屋の中は机ひとつ置かれいない殺風景な部屋だった、部屋の広さはうちの事務所より大きかった。
「ここには誰も居ないみたいだな」
何かないかと室内を見回す、すると視界の端でキラッと何かが光った気がした。
ゆっくりとそちらの方に近づいてみると扉があり、そこに貼られた紙は四隅を蛍光塗料で塗られていたのでそれで光ったのだろう。
その紙にはこう書かれていた。
「二階の部屋で待っています、蛍光塗料を目印にして下さいーーか」
扉を開けると、そこには階段があった。
「こっちか」
階段を上る。そこには三階へ続く階段と扉があった。
二階の扉の横に先程と同じような蛍光塗料で塗られた紙が貼ってあった。
(どうぞお入りください)
ドアノブをひねり、部屋に入る。
「おじゃまします」
扉の先を照らしながら入ると、黒のローブを纏った人が立っていた。
「初めまして、木場夕日さんですか?」
俺は一歩足を進めた。
「そこから動かないで!」
急な大声にドキリとし、足が止まる。
その人影はゆっくりとフードを外しながら、
「そうよ、私が夕日よ」
綺麗な顔立ちの女性だったが、その顔には嫌悪の表情が見える。
急な訪問で気分を害しているのかも知れない、そう思い出来る限り丁寧に、
「急な訪問で申しありません、私は……」
名乗ろうとしたが、それは彼女の言葉で掻き消された。
「なんであの人の事を調べてるの!?」
再度、彼女は大声をあげた。
「自分は探偵の藤田京士郎と言いまして・・・」
事情を説明しようとしたが、
「サリーに聞いたわ、そんな偽名まで使って」
彼女はそう突っぱねた。
「いや、本名なんだけど・・・」
「そんな嘘が通じる訳が無いでしょ、あの人を返してよ!」
そう彼女が叫んだ時、夕日さんの周りの暗闇から四つの黒装束の人影が現れた、彼らは全員赤黒い槍の様な物体を持っていた。
(これはマズい!)
今までの祓い士の経験が、俺に警鐘を鳴らしていた。
四人の人影も夕日さんに倣う様にフードを外す、その口には鋭利な牙が生えていた。
彼女たちはその牙を俺に見せつけたきた。
吸血鬼が牙を見せてくるその行為は、攻撃意志の表れだ!
「放てっ!」
夕日さんの掛け声に呼応し、男達は槍を構え俺の方に投げつけた。
その尖った先端は、確実に俺の命を狙ってきている。
「ッ!」
サイドステップで左に避ける、ヒュンと右の耳を嫌な音が通り抜けた。
カツン!
避けた反動で手から懐中電灯が落ち、その光が五人の吸血鬼を照らす。
「ちょっと待ってくれ、俺は探偵だ!」
夕日さんの顔は憎悪の色を増した。
「そんな嘘、信じるわけないでしょ!」
夕日さんの右手に何か液状の物が生まれる、それは徐々に細長い棒になる。
そして、先程投擲された槍よりひと回り程短い槍になり固まる。
周りの男達も、それに倣う様に同じサイズの槍を出す。
「ハァァー!」
その短い槍はさっきより速く進んできた、そんな槍を全てサイドステップで躱すのは至難の業だ。
駄目元でサイドステップをして右に躱す。
しかし二本は躱しきれず頭と腹を狙っていた、このままだと確実に俺の体には二つの穴が開く。
「クソッ!」
俺は迫り来るひとつめの槍にパンチを出す。
パシャ!
槍は元の液体に戻る。
それを確認する暇なく、左拳でアッパーを放つ。
その拳は、槍の中ほどに届く。
パシャン!
槍は液化し天井と俺の新しいスーツを濡らす。
「なんだ、その力は!」
夕日さんの右隣の男が叫ぶ。
「殴って元に戻しただけだよ、お祓いでね」
右手で顔にかかった液体を払いながら喋る。
「じゃあ、あなたは朝日を消したって言うの?」
彼女は俺が槍を消した事で冷静になったのか、ようやく話が出来そうな空気になった。
「違うって、登録している吸血鬼を勝手に除霊したら命が無いってのは誰だって知ってるし、その必要もないじゃないですか」
「じゃあ、なんで朝日さんはどうしたんだ」
左端の男が言う。
「だから俺もそれを調べてるんだって、俺は探偵兼怪異祓いをしてるんですよ」
えっ、と男の一人が言う。
「もしかして、藤田さんってあの藤田さんですか?」
さっきの夕日さんに自己紹介したのを、暗闇の中で聞いていたのだろう。
「誰なの?」
夕日さんが尋ねる。
「ほらあれですよ、少し前にあった人間が目玉をくり抜かれて死んでたっていう。あれを解決したのが、たしか藤田って言う探偵だってサリーさんが」
「あっ」
夕日さんは驚いた様だった。
「本当にそうなんですか?」
男のひとりが聞いてくる。
「えぇ、確かにそうですけど」
そう言った瞬間、彼女たちは片膝を付き頭を下げた。
「知らなかったとはいえ、貴方様に手を出した無礼をお許し下さい」
吸血鬼が片膝を付くのは、最大限の敬意を払った時だけだ。
ただ、俺にはそんな大仰な事をされる覚えは無いので、
「止めてください、そんな大げさな事をされても困りますよ」
と言ったのだが、
「いえ、理由はあるのです。あの事件の被害者には我々の仲間も居たので」
初耳だった。
「その同志は目を盗まれ暫く盲目だったのですが、貴方が奴を倒してくれた事により無事目を再生する事が出来たのです。貴方には一度挨拶をと思っていたのにこんな事をしてしまうとは」
夕日さんを含め全員下を向いたままだった。
「大丈夫ですって、怪我も無かったですし。ほら、顔を上げて下さいよ」
しかし夕日さんは、
「いいえ、貴方に牙を向けるなど知らなかったとはいえしてはいけない事をしてしまった。こうなっては自害するしか謝罪の方法がありません!」
「いやいや、吸血鬼は自殺出来ないでしょ?だから、いいですって」
「しかし!」
俺は汚れたスーツを眺めながら、
「そうだ。洗濯代出して貰えるならそれでいいですよ」
「えっ?」
それまで、頭を下げていた彼らは頭を上げ俺の服を見る。
「すみません、我らの血で汚してしまって」
あの槍は彼等の血で出来ていたのか、道理で水にしては鉄臭いと思った。
「けど、本当に洗濯代だけでよろしいのでしょうか?」
「よろしいです、というかそっちの方が嬉しいです」
「なら、分かりました」
「あと、もうその体勢もいいですよ」
「はい」
ようやく、夕日さん達は普通にしてくれた。
「みんな、ごめん。私の早とちりだった」
夕日さんが、他の吸血鬼達に謝る。
「いやいや、いいですよ当主様」
「では、我々は下がらせてもらいます」
夕日さんと俺に一礼して、彼らは闇に溶けていった。
「本当にごめんなさい!」
「だから、いいですって」
「私ってよく早とちりしてしまうんですよね、ほんと駄目ですよね」
「そんなに落ち込まなくてもいいですって、それより喋り方が」
「あっ、失礼しました。気が抜けてしまい、不躾な喋り方になってしまった無礼をお許しください」
「いやいや、そうじゃなくて。普段の喋り方でいいですよ、堅苦しいとこっっちも疲れちゃうから」
「そうですか? なら、お言葉に甘えさせてもらいます。では改めて自己紹介を、ヴラド家当主、木場夕日です」
「ヴラド家って今言いました?」
「ええ、そうですよ」
「もしかして、あの?」
「はい」
「えー!」
ヴラド家と言えば吸血鬼の中でも超有名な一族のひとつであり吸血鬼の始祖と言ってもいい位で、もしこの業界に居てヴラドを知らない奴が居たらそいつはモグリと言っていい。
「なぜヴラド家の、それも当主が日本に?」
元々ヴラド家はルーマニアの出身だ、その後色々とあったらしく今はアメリカに居ると聞いたのだけれど。
「実は私と彼、朝日はアメリカで数年前に出会ったんです。アメリカに居た時の私は、昼間は自分で作った会社を運営していたのですがそこに偶然彼が自分の事業に出資して欲しいと訪ねて来たんです」
吸血鬼は富豪になる事が多い。
というのも元々人を襲っていた彼等は人々から恐怖の対象として見られていた、そんな彼等を人間が避けるのは当然だった。
人との交流が無くなる事は、自分の命の糧である血を吸えなくなる事と同義だった
そんなある時、彼等は人間に馴染む事にした。
人に隠れ人に混じり人を襲う。
彼等は、零より一を取る事にした。
それでも一所に人間の寿命を超え生き続けると怪しまれ始めた。
今度はあちこちを転々とし始めた。
けど、そんな流浪の生活に疲れた者達が出始めたそうだ。
その理由は人に恋をしたからだったという。
かつて、ただの糧でしか無かった人間を対等の存在として見始めた。
そうなると、血を吸い襲う事を躊躇い始める。
それは、血の研究へと彼等を進ませた。
その過程で基礎的な科学の事から高度な数式までを覚えた、その知識は一族全てに血を通じ受け継がれていった。
彼等の人と馴染むコミュニケーション能力と何百年分の知識は人間界で生活するにはもってこいで、何処に住もうと財を成せる様になった。
これが吸血鬼の現在までの歴史だ。
「彼は、日本人で日比野朝日って名乗ったの。彼の事業ってのはなかなか面白そうだったけど、アメリカで成功するかは微妙だったわ。でも、彼の夢を語る顔が凄く素敵だったの。たぶん、その時からもう恋に落ちていたんだわ。とりあえず彼には一年間ウチの会社で働いてもらって、その間企画を練っていったわ」
夕日さんの表情は幸せそのものだった、けどその表情が急に曇った。
「半年程経った時には私達はもう付き合っていたの、彼に一年経つ前にもう日本に行ってもいいんじゃない?って聞いた事もあったんだけど、彼は君との約束だからきちんと守らないとって言ってくれたわ。それに私が吸血鬼だって事も打ち明けた時も彼は、別に気にしないよって言ってくくれて吸血鬼になってもいいよって言ってくれたのもその位の時期だった。一年経って彼に日本に行こうって言った時に凄く喜んでた、その姿を見て私も嬉しかった。それで日本へ行って売り出してみたら、好評だったわ。それからしばらくして、彼が新しい場所でも挑戦したいって言いだしたの。私は止めなかった、絶対大丈夫だと思ってたから。そして、来たのがこの街だったの」
夕日さんは、涙を堪えている様だった。
「それが、三カ月位前の事。最近ようやくこの街でも人気が出てきてようやく軌道に乗ってきてたのに、ウゥッ」
それからしばらくの間、夕日さんは泣いていた。
その姿に俺は言葉を掛けられなかった、この涙を止められるのは朝日さんだけだろう。
「すみません、こんな所を見せてしまって」
「いえ、酷な事を聞くようですが何処で居なくなったのか分かりますか?」
「ええ、私達吸血鬼は血の力で自分の血族の位置が分かるの。だから、一週間前に当然彼の存在が消えた時はビックリしたわ。それで、消えた辺りに仲間を連れて行ったけどそこには誰も居なかったの」
「そこってビルの屋上ですか?」
「いえ、隣町の工場跡だったけど」
翔くんなんかと違ってビルの屋上じゃないのか、なんでだ?
「そこって案内できますか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
「なら、案内してもらえませんか?」
大切な人が死んだ所に連れてってくれってのは、自分でも酷な事をしていると思った。
「分かりました、けどもう少し暗くなってからでもいいですか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
「そうだ、着替え持ってきますよ」
血で汚れた俺のスーツを指差す。
「いや、大丈夫ですよ。着替えとって来ますし」
「そうもいかないでしょ、その恰好で外に出たら警察に止められますよ」
そう言うと夕日さんは目の前から消えた、吸血鬼の能力のひとつなのだろう。
「暑いな」
俺はスーツの上着を脱ぎ、近くの濡れていない壁に寄りかかる。
(こんなに汚したの見たら運ちゃん、怒るだろうなぁ)
血で赤黒く染まっているシャツを見て、ちょっと憂鬱になる。
そんな事を考えていたら、
「お待たせしました、サイズが合うかは分かりませんが」
夕日さんが手に、ジーンズと薄手の灰色パーカーを手に戻って来た。
「朝日のですので、ちょっと小さいかもしれないですけど」
「すみません」
俺は服を受け取る。
「じゃあ、着替えが終わったら呼んで下さいね」
また、夕日さんが消える。
俺はシャツとパンツを脱ぎ着替える、確かに少し丈が足りないがこの程度なら問題なさそうだった。
ふと足元から視線を感じる、そこを見ると5歳位の小さい女の子が不思議そうな顔で立っていた。
「おじさん、だれ?」
(えっ? なんでこんな所に子供が居るんだ?)
「こら、日菜。駄目でしょ、ここに来たら」
「え~」
夕日さんが女の子を叱る。
「ごめんなさい、ウチの子が迷惑かけませんでしたか?」
それを聞いて驚いた。
「吸血鬼って子供を作れないんじゃないんですか?」
「ええ、ですから私の分身の要素と彼の分身の要素を混ぜたんです」
「そんな事って出来るなんて、知らなかった」
「秘技中の秘技ですしね、ほぼ実例が無いんですよ。全人類の中で一組出来るか出来ないかって位の格率ですから」
「それが旦那さんだなんて、運命ですね」
「ええ、分かった時は嬉しかったです」
夕日さんは、日菜ちゃんの頭を撫でながら日菜ちゃんに微笑みかける。
「当主様」
夕日さんの後ろにメイド衣装の眼鏡を掛けた女性が立っていた。
それにしても、吸血鬼の家は突然人が現れるから心臓に悪いな。
「ああ、エミリー。この人の服を洗濯してくれない?」
「承知いたしました」
エミリーさんは、俺に近づく。
「では、お貸しください」
「いいんですか?」
夕日さんに尋ねる。
「ええ、洗濯代の代わりです。ウチのメイド達の家事の腕は、世界一ですから安心してください」
「では、お言葉に甘えて」
俺は服を渡す。
「お預かりいたします」
エミリーさんは、俺から服を受け取ると一歩下がり消えた。
「そういえば、藤田さんは昼食までですよね?」
ここに入ったのは昼前だったが、気付いたら昼を過ぎていた。
「もし良かったら、一緒にお昼食べませんか?」
いいですよ、と答えようとしたが吸血鬼の料理なら血だらけなんじゃないかと言うのを想像して断ろうとしたけど、
「あっ、大丈夫ですよ。きちんと人間用のご飯も作れるので」
顔に出てたのか、彼女はこっちの気持ちを汲んでくれた。
「なら、ご馳走になります」
「ええ、では三階に行きましょうか」
「その前に助手に電話します」
「なら先に行ってますね」
夕日さんと日菜ちゃんは、三階への階段を上って行った。
俺は服から出しておいた携帯で事務所に電話する。
「はい、こちら藤田探偵事務所です」
「もしもし、俺だけど」
「弊社には特殊詐欺に出す程の蓄えはございませんので、お引き取り下さい」
「本当に特殊詐欺だったら良い対応だけど、違うから」
「分かってますよ、それでどうしたんですか所長?」
「いや、吸血鬼さんにお昼お誘いされちゃってさ。だから、出前でも取って食べてて頂戴な」
「分かりました」
「それと夜も帰れそうにないから、定時に鍵掛けて上がっていいよ」
「はい」
「ところで、翔くんどうしてる?」
「所長に言われた通りスーハースーハー言ってますよ」
「うん結構結構、それじゃあ後の事は任せたよ」
「はい、分かりました。気をつけてくださいね」
「ありがとね、じゃあ」
ツーツーと音が鳴る。
さて、もう一人に電話掛けるか。
ガチャ。
「おう、どうした?」
「あっ、ヤマさん。俺だけど」
「警察に詐欺働く気か、ふてぇ野郎だ。しょっぴくぞ」
「なんで時代劇風なんですか、違いますよ」
「んじゃあ、電話掛けてきたのはどういう理由だ」
「いえね、この前の事件の時に借りたのアレをまた持って来て貰えませんかね?」
「え、アレを借りるのには色々書類書かなきゃなんねぇだけどな。上の許可も取らないといけないしさ」
「どうしても必要だと思うので、お願いします」
電話口のヤマさんが唸る。
「仕方ねぇな、手伝うって言っちまったしな。分かった、それでいつ頃何処で会うんだ」
「とりあえず暗くなってからで、場所は後でメールします」
「よし、分かった」
「じゃあ、お願いします」
「おう」
俺は電話を切った。