早朝の電話
四
プルルルル、プルルルル。
事務所の電話が鳴っている、俺はその音で目が醒めた。
時計を見ると、まだ六時だ。
「誰だよ、こんな時間に」
ボヤキながら、新しいスーツに着替え俺は事務所に進む。
「おはようございます、藤田さん」
「おはよう、高井くん」
あくびをしながら出て来た俺に、しっかりと頭を下げ挨拶をする。その他人行儀な態度が気になったが、とりあえず電話に出た。
「よう、バカ孫。またなんか変な事に首突っ込んでいるんだろ?」
電話の相手はもしもしすら言わせず、いきなり罵声を浴びせてきた。
そんな知り合いを俺は一人しか知らない。
「ばあちゃん、いきなりバカ孫はないだろ。それにこんな朝早くから」
「バカな孫にバカと言って悪いのかい? それと朝が弱いのもお前が悪い」
「確かにそうだけどさ」
俺のばあちゃんは朝四時には起きる。
起きてすぐ自分の住んでる寺の周りの森を一時間歩き、帰ってきてから一時間祈祷する。それから三十分だけ時間に余裕が出来る、その時間しか電話をする暇がないらしい。
ただそれに付き合わされるこっちの身にも少しはなって欲しいものだ。
「それで、今回はどんな事に巻き込まれてるんだ?」
「サリーちゃんに聞いたの?」
「サリー? ああ大吾か、いや聞いてないよ」
「ならなんで俺が巻き込まれてるなんて思ったんだ?」
「あんたの街の霊道に乱れが出てるからね」
「乱れ?」
「今の所そんなに酷くは無いけど、まっすぐで無いといけない霊道が少しぶれてるのよ」
この街には真っ直ぐ大きな霊道が走っている、その霊道は国内を走る大霊道の一本だ。
そんな物が、ぶれて乱れるなんて気にはなる。
ただ、そうはいっても細かな動きはよくある事でもあり、事件や事故等でも動くのでその動きを見て電話してきたのだろう。
「あんたの事務所はその霊道の重要な地点の真上にあるんだから、なにか起きてるんでしょ?」
「まあね」
「それで、今回はどんな事件なのか説明しなよ」
俺は昨日の事件の事を説明した。
※
俺のばあちゃん、皆月昭子は俺の師匠で祓い士の中の有力者だ。もうすぐ七十歳近いはずなのだが、見た目は四十位にしか見えない。
祓い士兼道具士でありながら実業家で児童養護施設や学校を運営していて俺を含め、その学校出身の祓い士も結構居るのだ。
「ふーん、そんな事になっているのかい」
「ああ、どう思う?」
「ビルの屋上にわざわざ死体を置くだなんて聞いた事無いね。もしかしたら、ソイツ自身も予期して無かった何かが起きたのかも知れないね」
「予期していなかった何か、か」
今の所は予想も出来ないなと考えていると、
「ま、何にしても気をつけるんだよ。あんたはどんくさいんだから」
全く、ばあちゃんは本当に口が悪い。
「そんな事無いだろ、そうそうサリーちゃんが言っていたんだけど俺の道具を作る相談をしたいって」
「ふーん。まぁ気が向いたら考えとくよ」
そんな適当な答えを聞いた所で、
「そろそろ出来の悪い弟子達に稽古付けなきゃいけないから、切るぞ」
じゃあとこちらが言う前にガチャと電話が切れる。
「ったく、急に切るなよ」
「誰だったんですか?」
高井くんが聞いてくる。
「ばあちゃんだよ」
「おばあさんですか、仲良いんですね」
「どうだろうね」
俺は返事をしながら、やかんのを火にかける。
するとまた電話が掛かってきた、今度は俺の携帯だった。
画面には、サリーと書いてあった。
「サリーちゃん、もしかして昨日言ってた吸血鬼の奥さんの事かい?」
「その通りよ、京ちゃん。今日の会ってくれるらしいわ。いつ来てもいいって」
俺はサリーちゃんに教えてもらった住所を、手帳にメモする。
「ありがとう、サリーちゃん」
「いいのよ、たぶん建物の中は真っ暗だと思うから懐中電灯を持って行ってね」
「分かった」
俺は電話を切る。
「高井くん、今日も出かけてくるよ」
「分かりました、藤田さん」
やっぱり気になる。
「なぁ、高井くん。その藤田さんってやめないか?」
「えっ?」
やかんの火を止め、インスタントコーヒーの粉をマグカップに入れる。
「ほら他人行儀だろ、同居してるんだから名前で呼んでくれよ、俺も翔くんって呼ぶ様にするしさ」
「でも年上ですし、お世話になってますから」
やかんのお湯をカップに注ぐ。
「いいって、そんなの気にしなくて。こっちが恐縮しちゃうしさ」
「分かりました、じゃあ京士郎さんで」
さん付けか、まぁ今までよりはいいかな。
「それでいいよ」
俺と翔くんが、そんな事を言っていると階段を誰かが上がってくる音がした。
コンコン。
「所長、起きてますか?」
「う。、運ちゃん入っていいよ」
「はい、失礼します」
扉を開け、運ちゃんが入ってくる。
「おはようございます、所長、高井さん」
「おはよう」
「おはようございます、梔子さん」
「はい、新聞です」
運ちゃんは俺に朝刊を手渡し、デスクに自分の荷物を置くと、
「所長、朝ごはん食べました?」
「いや、まだだけど」
「なら今作りますね、私もまだなんで」
「うん、ありがとう」
そして、俺は新聞に目を通す。
一面は相も変わらず続くこの国の不景気についてだった、そんな記事を軽く眺めて次のページを開く。
「あった」
すごく小さい記事を見つけた。
それは、高井くんの事件の事だった。
(なになに? 昨日ビルの屋上で男性の遺体が見つかった、先日起きた変死体との関連性があるかは不明で現在も調査中と。早く解決しないとな、次の犠牲者を増やさない為にも)
「所長、出来ましたよ」
新聞をだいたい読み終えた辺りで、運ちゃんが声を掛けてくる。俺は急いでテーブルの上を片付け、運ちゃんが朝食をテーブルに置いた。
今日のメニューは、バターを塗ったトーストに目玉焼きと野菜スープだった。
「今日も美味しそうだね、いただきます」
「いただきます」
俺は、トーストに手を伸ばす。
「あ」
「どうしたんです」
「そうだ、コーヒー入れてたんだった」
「僕取りますよ」
カチャ。
目の前にコーヒーが置かれた。
宙を飛んで。
「え?」
僕と運ちゃんは、声を揃えて驚いた。
「今どうやってここに置かれたんですか?」
運ちゃんの声は震えている。
俺の方からは急に浮いたマグカップがゆっくりとテーブルに置かれるまでが見えたが、キッチンに背を向けた運ちゃんからは突然テーブルに現れた様に見えただろう。
「なぁ、翔くん。今の君だよね」
「ええ、持って来ましてけど」
「君、そこから動いてないよね?」
「あっ、そういえば」
「それに、幽霊だから触れられないよね」
「なら、どうして僕はマグカップを動かせたんですか?」
「翔くんは、ポルターガイストって知ってる?」
「あの家の中の物が勝手に動いたり、ドアが開くのですか?」
「うん、翔くんはソレをしたんだよ」
俺はコーヒーをひと口すする。
「僕そんな事出来るんですか。でも僕はテーブルに持って行こうとしただけで、これといって何もしてませんよ」
「初めは、そういうものらしいよ。じゃあ、試しに俺の箸を俺の手のひらに置いてみてよ」
俺はテーブルの上の箸を指して、右手を開き膝の上に置いた。
「ほら、やってごらんよ」
「では、いきます」
翔くんはジーっと箸を見る。しかし、箸はピクリともしない。
「はぁぁぁぁぁ」
なんだか分からないが息を吐きだしながら手を箸にかざしだした、けど動かない。
「うぬぬぬぬ、だめだー」
翔くんは肩で息をしながら言った。
「まぁ、そう簡単には出来ないらしいからね」
俺は翔くんに説明する。
「ポルターガイストは幽霊なら誰でも使えるって訳じゃないんだよ、悪霊や悪魔なら普通に使えるんだけどね。たまに霊力の強い人が死ぬと使えるようになるんだ、翔くんって幽霊とか見た事はある?」
「いいえ、全く無いですよ」
「なら、潜在能力が死んだ事により目覚めたのかもね」
「京士郎さんが死んだら凄い事になりそうですね、ビルとか持ち上げられるんじゃないんですか」
「それはないよ、祓うために普通の人の倍以上はお経を読んでるからね。死んだら成仏しちゃうのが決まってるんだ」
俺の知り合いの祓い士で成仏せず、幽霊になったのはほとんどいない。
一部を除いて。
「それにしてもカップは動いたのに、箸を動かせなかったのは何でですか?」
「無意識だったからだろう、動かそうと思えば思う程に体の中の霊力がきちんと動かなくなるんだよ。緊張して体が動かなくなるのと同じようにね」
それにしても、これは幸運だった。
「良かったよ、君が霊力の強くて。これなら、悪霊になる確率をだいぶ下げられるよ」
「本当ですか!?」
翔くんが嬉しそうに聞いてくる。
「悪霊になるのは悪心や疑心を持ったらその都度、魂が汚れていくからなんだけど体内のっていうか魂の霊力を循環させると魂の穢れを薄くする事が出来るから悪霊に成りにくいんだ。ただ、その為には修行をするしかないんだけど、受けるよね?」
「もちろんです」
その心強い返事を聞けて、安心した。
「おっしゃ、なら善は急げだな。今から修行するよ」
「はい、何処でやるんですか?」
俺は残ったコーヒーを飲み干し、立ち上がる。
「ここだよ」
「えっ、ここで動くのは狭いんじゃ?」
うん、確かに狭いけどさ。
「大丈夫、今からやる修行はそんなに場所を使わないからさ」
俺は両手の指を絡め、へその辺りに当て手のひらが上になる様に組んだ。
「このポーズを真似して」
「はい」
翔くんが真似る。
「そうしたら、目を閉じ体の力を抜いてリラックスする」
「はい」
「そして、深呼吸」
「すー、はー」
「亡くなる前の肉体があった時、その自分の体温を思い出す」
「はい」
「そして、深呼吸をしたまま体の中の霊力が血管の様に体を通って行くのを思い浮かべる。心臓から出て体の全身を巡り、また心臓に戻る」
すーはーという呼吸音だけが部屋の中に響く。
「あとは、その呼吸が自然に出来るようになればいい」
はーと息を吐き、目を開いた翔くんが話しかけてくる。
「これで、物を動かせるようになるんですか?」
俺は、首を横に振る。
「これはあくまで修行の第一段階だから、まだ無理だよ」
「そうなんですか」
ちょっとしょんぼりしている。
「今日はとりあえず、その練習をしててよ」
「分かりました」
頑張ってと翔くんに言い、
「運ちゃん、これから出てくるから」
「はい、分かりました。なにかあったら、携帯に連絡しますね」
「よろしく」
俺は事務所の玄関を開けた。