犯人は吸血鬼?
二
「ヤマさん、その事件現場ってのはどんな所なんですか?」
僕はヤマさんと横並びで歩きながら尋ねた、高井君は後ろをついて来ている。
「さっきの所と似たような状況だ。ビルの屋上。たださっきのとは違って遺体はミイラみたいになってやがった」
体内の血液がなくなった影響でな、とヤマさんは付け加えた。
「いつ頃、亡くなったんですか?」
「それが変な事に死後一日位らしい。胃の中に少し食った物が残ってたんだとよ」
ますます分からなくなってきた。吸血鬼になるならもう既に復活しているはずだし、ミイラ化はしないはずだ。吸血鬼に血を吸われて吸血鬼にならないとしても、ミイラのように乾燥せず綺麗なまま永遠に残るのが普通なのだ。
「ほら着いたぞ」
ヤマさんがあるビルの前で止まる。先程のビルと同じく真向かいに道があった。しかし、さっきとは違う所がある。
それは、向かいの道が細くて今の時間でも薄暗い事だった。ただ、道幅自体はさほど差がない。
「どうだ、今度は吸血鬼でもいけそうか?」
「うーん、どうでしょうね? それで、ここの被害者ってどんな方ですか?」
「女性だよ。免許証が残っていたから身元は簡単に割れた」
「体形はどうでした?」
「写真を見た感じだと、華奢だったな」
(それならばココの現場の遺体は吸血鬼でも持ち上げれるかもな)
「とりあえず許可は取っといたから、上に行くか?」
「お、さすが! ヤマさんは仕事が早いですね」
「どうせ頼まれるんだと思ったからな」
皮肉を言っているヤマさんに促され、俺達は屋上に向かった。
屋上の扉を開け中に入ると、テレビで見た事がある様な人型に貼られたテープと番号札が置いてあった。その他に気になる物はなさそうだった。
「まだ、捜査中だからあちこち触れんじゃねェぞ」
「分かってますよ」
そう言いつつ、入る前に着けていた手袋をヤマさんにを見せる。
「分かってるならいい」
手始めに人型テープの貼られた近くにしゃがむ。
「ん?」
(なんだ、これ?)
「どうした?」
「ヤマさん、ちょっと触っていいかい?」
「なんかあったのか?」
俺は、人型の真ん中あたりに触れる。
「おい、何やってるんだ!」
ヤマさんの怒声が飛んだが、俺は持ち上げた物を見せた。
「なんだそりゃ?」
「たぶん、コンクリートの破片ですね」
「どこかで欠けた破片が転がって来たんじゃないか?」
「いえ、ここの床が欠けたみたいですね」
と欠けている部分を指す、人型の中央を。大きさとしては五百円玉より二回り程大きい位だろう。
「元からなんじゃないか? このビル古そうだし」
確かにこのビルは古いらしく、この屋上に来るまでの間に建物の壁が何カ所をひび割れていたのを見かけてはいたが、
「ここだけなんですよね、屋上で欠けた所は他には無いんですよ」
そう聞いたヤマさんと高井君は周囲を見回して確認している。
「確かにそうだな。後でココの管理会社に聞いておくか」
「よろしくお願いします」
その場所から他にこれといったなにかを見つけられそうにもないので、他の所を見る事にした。
道路の反対側、入り口のある方とは反対の建物の裏側を見ると、ここと同じくらいの背の高さのビルが次の大きな通りまで続いている。左右の道は日光で照らされている、あそこで襲ってから飛んできて……ってのは難しいだろう。
(飛んでくるなら向かいの路地か。だとしたら、あの欠けたコンクリートはなんだ? それに、わざわざ屋上に置く理由はなんだろう? それとも、今回はここで殺されたんだろうか?)
俺がそんな事を思考していると、
「あのー、すみません」
さっきから黙っていた高井君が声をかけてきた。
「どうしたの? 高井君?」
「いえ、ここで人が亡くなったんですよね?」
ここが殺人現場かは分からないが、人が死んでいたのには違いない。
「ああ、そうだけど」
そう答えたのだけど、なんだか彼は不思議そうな顔をしていた。
「いえ、さっきここに来るまでの間に色々な幽霊っぽい人を見たんですが……」
「そうだね、何人かいたね」
幽霊は目に見えないだけであちこちに存在している。浮遊霊や地縛霊、生霊など、当然街中は人が暮らしている為に、その数も自然と多くなる。
オフィス街とはいえ、この辺りもそれなりに人数は多い。
「ここが殺人現場なら、なんで誰もいないんですか? 僕と同じなら、そのミイラの女の人が居ないといけないんじゃ?」
高井君に言われて気づいた。
俺はあちこち見渡す。屋上に設置されたパイプの隅々、ビルの周りの道路や空中、それに向かいの路地。
しかし、いくら辺りを見回してもそれらしい霊の姿は見つからなかった。
「どうしたんだ?」
ヤマさんが急に動き出した俺を見てか、怪訝な顔をしていた。
「高井君が気づいたんですよ。ここには、彼女の霊がいないんじゃないかって」
「そうなのか?」
「ええ。探してみたんですが、一切見当たらないんですよね」
「どっか行ってるんじゃねぇのか、移動出来ない訳じゃないんだろ?」
「いえ、こういう事件とか事故で亡くなった人ってのはとりあえず地縛霊になるんです。それから、何日か経ってからようやく死んだ事を理解して動いたり出来るようになるんです」
「なら、なんで僕は直ぐ動けてるんですか?」
高井君が尋ねてくる。
「俺が起こしたからだよ。本当はあんまり良くないんだけど、俺が責任持つからさ。その辺は安心していいよ」
「はぁ」
高井君はあんまり納得がいっていはいないようだったけど、
「細かい事は後で説明するよ」
今は事件の事が気がかりだ。
「それで? ここに仏さんが居ない理由は見当がついているのか?」
ヤマさんが聞いてくる。
「いえ。ここで死んで誰かに殺されたにしても、向いの路地で殺されて運ばれたにしても、何かしらの糸みたいな痕跡が残るはずなんですよ。けど、その痕跡が全くなかったんです」
「別の場所からここに運ばれたとか?」
「その糸は亡くなった体から出るんですよ。だから、死体があったここにも何か痕跡がないとおかしいんですが……まぁ、可能性としてはひとつだけあるんですけどね」
「なんだ、それは?」
これはあんまり考えたく無い事なのだが、
「魂ごと喰われたのかも知れません」
魂を食べられた者は転生しない。その魂はゆっくりと食べた者の中で溶けていき、消える。消滅した魂は理から外れて、永遠にいなくなる。
話を聞いたヤマさんと高井君の顔は、疑問の表情をしていた。
「吸血鬼ってのは、血だけじゃなく魂も食うのか?」
「そういうのは聞いたことがないですね。後で知り合いに聞いてみますけど」
「そうか」
それから少しの間、屋上を調べてみたがそれ以上の事は分からなかった。
「どうだ、他になんかあったか?」
俺は首を振りながら、
「いえ、もう何も無さそうですね」
「そうか」
ヤマさんは不満そうな顔をしていた、当然だな。
「とりあえず、後で知り合いの所に行って吸血鬼の話を聞いてきますよ」
「こっちも色々聞き込みしてみるわ。何か分かったら連絡しろよ。それと署に顔出せよ、いつものように調書とるから」
そう言いながらヤマさんは、背を向け出口に向かう。
「分かってますよ」
去っていく背にそう声をかけた。
「さてと」
俺は、高井君を見ながら改めてどうしようか考えていた。
「どうしたんですか?」
「いやね。高井君は今すぐ成仏する気って、ないよね?」
彼はなにを言っているんだろうかというような目で俺を見ている。
「ええ、誰に殺されたのか見届けないと成仏出来ないですよ」
「だよねー、どうするかな」
うーんと唸りながら考えていると、
「何か問題があるんですか?」
「大有りなんだよね。あんまりこっちにいたら悪霊になっちゃうから、さ。悪霊になったら人を襲うようになるんだよね」
「それ危ないじゃないですか」
「そうなんだよ」
「けど、犯人を知りたいんです、何か方法はないんですか?」
(うーん、どうしたものやら)
色々と思案したものの、やはり方法はアレしかなかった。
「分かった、とりあえずの方法を教えてあげるよ」
高井君は、安堵した顔をしていた。
「その方法は……」
「その方法は?」
「悪霊にならないように気をつける!」
高井君は呆然としながら、
「それってどういうことですか?」
と、聞いてきた。
「要するに気持ちの問題だよ。あんまり憂鬱な気持ちになったり、誰かを恨んだりしたらどんどん悪霊に近づいていくからね」
「えっ、なんかこうお経を唱えてとかじゃないんですか?」
「そんな事したら、高井君が消えちゃうよ?」
「そっか……」
「まぁ、心がけ次第では長い期間こっちにいられるし、悪霊化したら……俺が何とかしてやるよ」
高井君は少しだけ安堵したようだった。
「さてと、一旦事務所に戻ろうと思う。それと、警察署に行かないといけないから、今日の調査はこれで終わりかな」
「そうですか……」
「そんな暗い顔しなくてもいいって、出来る限り早く解決するからさ」
俺と高井君は屋上から降りてビルを出た。
事務所に帰る前に向かいの道を見てみたが、上から見たのと変わらず何の痕跡もなかった。
※
「あ、京太郎君」
事務所の前に着くと、不動産屋の岸さんに声をかけられた。うちの事務所の一階は不動産屋で、そこの主人……つまり、この岸さんが事務所の貸主だったりする。
「うん? そちらの方はもしかして」
「えぇ。幽霊の高井君です」
岸さんは呆れた顔をしながら、
「またですか、京太郎君。君のその性格は嫌いじゃないんですけどね、あんまり安請け合いしすぎると自分の身を壊す事になりますからね」
「あの、この方は?」
高井君が聞いてくる。
「この人は大家の岸さんだよ。元祓い士なんだ」
「そうなんですか。よろしくお願いします」
そう言いながら、高井君は岸さんに深々と頭を下げて挨拶をした。
「うーん、いい子そうだけどねぇ。だからといって……」
俺は岸さんの話が長くなりそうだったので、高井君に、
「先に二階の事務所に行って待ってて」
そう伝える。
高井君はこくんと頷き、階段を昇って行った。
「彼はいい子そうだから簡単に悪霊にならないとは思うけど、やっぱり気にはなるよね。孫が遊びに来ている時にでも悪霊化されると怪我をするかも知れないし……」
「大丈夫ですよ。その時は俺が何とかしますから」
そうは言ってもねぇ、と岸さんが漏らす。短い期間ですので、と言おうとしたのだけど、
「きゃー!!!」
と、二階の事務所の方から悲鳴が聞こえた。
「な、なんだ!?」
岸さんが驚く。
「しまった、運ちゃんに高井君の事を伝えるの忘れてた! すみません岸さん、その話はまた今度で」
俺は岸さんとの会話を遮って、急いで二階に上がる。ドアを開けると、
「きゃー! きゃー! 来ないで―!」
高井君に物を投げつけている運ちゃんがいた。
「運ちゃん、ストップ!」
「所長、助けてください! 変な幽霊が入ってきました!」
運ちゃんは近くにあった新聞紙やティッシュ箱を、高井君に投げつける。けれども、幽霊の高井君には当然の如く当たらずにすり抜けているのだけれど。
「これでもくらえー!」
運ちゃんの手には、俺のお気に入りのマグカップが握られていた。
「おいおい!」
俺は急いで運ちゃんと高井君と間に入り、運ちゃんに投げられたグーパンチが印象的なマグカップをキャッチする。それを机に置くと、運ちゃんの手を抑えた。
「運ちゃん、落ち着いて。大丈夫だから、ね?」
運ちゃんは、俺の手が肩から抜けるんじゃないかと思うほどの力で腕を振ろうとしていたが動かない腕に気付いたみたいで、ようやく落ち着いてくれた。
「しょ、ちょう? 変な幽霊が急に入ってきたんですけど、助けてください!」
俺は彼女の腕を掴んでいたの手を離すと、
「ごめんよ。連絡するの忘れてたよ、彼は高井君、わが事務所の新しい依頼人だよ」
そう言われた運ちゃんは、涙目だった顔を伏せた。
(良かった。安心してくれたみたいだ)
しかし、今度は肩が震え出した。
(これは、マズい)
「所長!」
運ちゃんのカミナリが落ちた。
※
「それで、一体どういう事なんですか?」
怒ったままの口調で質問してくる彼女に、俺は運ちゃんと別れた後に起こった事を説明した。
ビルの屋上に人影が見えた事、屋上で起きていた事件の事、その事件が新聞に載っていた事件と似ていた事と、その現場に赴いていた事。
一通りの事情を説明した。
「う~ん……」
運ちゃんは、考えているみたいだった。
「それでその屋上の人影がこの高井君だった、って訳」
「高井翔っていいます。よろしくお願いします」
未だに運ちゃんは考え込んでいた。
「どうしたの?」
俺が尋ねると、ジロッと運ちゃんは俺の方を睨んだ。
「その人って、依頼人なんですよね?」
(あっ、まだ怒ってる)
彼女の顔は明らかに怒っていた。
「はい」
「その人って、幽霊ですよね?」
「そうです」
無意識に背筋が伸びてしまう、運ちゃんは頭を抱えていた。
「所長、またタダで依頼を受けたんですね!」
「あっ……」
そういえばそうだ。
「あっ、じゃないですよ。前も言いましたよね? ウチの事務所はそんなに儲かってないんですから、きちんとした人から依頼を受けてくださいって」
「いやいや、運ちゃん。幽霊だってきちんとした人だよ?」
「そういう意味じゃなくって……きちんと調査料を払ってくれる人を見つけて下さいって言ってるんです」
「ごめんなさい!」
「事務所の資金繰り、大変なんですから。私の苦労も考えて下さい」
「はい、ごめんなさい!」
「まったく……」
そんな俺と運ちゃんのやりとりをにこやかに見ていた高井君が、
「偉いね、まだ小さいのにお父さんのお手伝いするなんて」
「あっ、高井君。それは」
一番彼女に言ってはいけない事を言ってしまった。悪気がないのは分かっているけど、今それを言うのは……。
運ちゃんを恐る恐る見ると、微笑んでいた。
(あ、ヤバい)
「そこに正座してください」
運ちゃんを見ると目が据わっている。その眼差しは、今まで相手をしてきたどの怪異よりも怖い。
「はい」
俺と、なぜか高井君まで急いで正座する。
「高井さん? 私のどこを見て所長の子供だなんて思ったんですか?」
「えっ、違うんですか?」
「違いますよ! どこから見ても立派な大人じゃないですか!」
「えっ? 背が小さいのでてっきり……」
「はい?」
声が怖いです、梔子さん……
「すみません」
運ちゃんは、視線だけで高井君を黙らせた。
「それに所長の外見が老けて見えるから、いけないんですよ」
「いや、それは……」
「なんです?」
「いえ、ごめんなさい」
運ちゃんは小さいとか子供扱いされると怒る。俺の顔が老け顔なのも認めるが、運ちゃんは明かな童顔だ。しかも、身長は150センチ位なので間違えられるのもうなずける。
俺も、初対面の時は間違えて三十分ほど怒られた。
「全く、そうやって人を外見で判断するのは……クドクド……」
「あの梔子さん、話があるのですが」
話を進めるために彼女に恐る恐る話しかける。
「私がまだ話しているんですけど、まぁいいです。なんですか?」
「いやね。今回の事件が終わるまでの間だけ、高井君をここに住ませようと思ってるんだ」
今度は怒りではなく、驚きの表情をする。
「本気なんですか、所長?」
「もちろん」
運ちゃんは、また頭を抱えた。
「もう……決めたんですよね?」
「うん」
「なら、私が言っても意味ないですね」
「ごめんね」
「いいですよ」
(ほんと、わがままな事ばっかりお願いしてるな、俺は……)
そんな俺と運ちゃんのやりとりを聞いていた高井君が、
「ここに住んでいいんですか?」
と、聞く。
「というか、ココ以外にはないでしょ?」
「けど、ここでさっき言っていた悪霊になったら」
「大丈夫。ここには特殊な結界が張ってあってね。悪霊は入れないし出れなくなるけど、普通の幽霊には無害っていう便利な物があるからさ」
安心してよ、と付け加えた。
「そうなんですか。では、お言葉に甘えさせてもらいます。今日からお世話になります」
「うん、よろしく」
「よろしくお願いしますね」
一通り説明を終えた俺は運ちゃんに、
「この後、俺は出かけて来なきゃいけないから今日は上がっていいよ」
そう伝えた。
「分かりました。あ、さっき買ってきた服は所長の部屋に掛けてありますから」
「ありがとう」
運ちゃんは、帰り支度を始めた。
「出かけてる間、高井君は暇だろうからテレビをつけていくよ」
「すみません」
「いちいち謝らなくてもいいって。今日から一緒に生活するんだからさ」
テレビをつけていると身支度を終えた運ちゃんが、鞄を肩にかけていた。
「じゃあ、お疲れ様でした」
「うん、また明日ね」
「はい、お疲れ様でした」
ガチャッ、と扉を開けて出ていく。
「さてと、俺も出てくるから」
「はい、いってらっしゃい」
事務所に高井君を残して、俺は扉に鍵をかけて階段を下りた。