第1部 1章 第2話「山奥の修行 初日」
「まずは体操から。私の動きをまねしてやってごらん」
そういってメリスは体をほぐす体操を始めた。ゆうやは見よう見まねで体をひねったり伸ばしたりしている。その様子を観察する。どうやらこの子、だいぶ体が固いようね。
そこでメリスはゆうやに毎日柔軟体操をやらせることにした。メリスが手伝って限界まで関節を伸ばす。
「いたたたたた。いたい!」
ゆうやは苦しそうだったが、体を柔らかくしないと大けがするよとおどしたら、素直に身を任せた。
次は走らせてみる。とりあえず100mくらいにしようか。
「じゃあね、よーい、どん、でこの線からここの線まで一生懸命走ってみて」
「はーい」
「いくよ。よーい、どん!」
ゆうやは必死で足を動かした。しかし、そこはやはりまだ小さな子供。思うように前には進まない。結局なんとか走り切るのが精一杯だった。彼は息を切らしている。
その様子を見て、地球の子供というのはこんなにも体力がないものなのか、と少し驚いた。実際、ゆうやがあまり運動が得意ではないということもあったのだが、セントバレナの同年代の平均的な子供たちは彼の優に2倍の身体能力があった。
環境の違いもあるのかもしれない。メリスはそう考えた。実際、彼女は知らなかったが、セントバレナの重力は地球のそれと比べて約1.3倍ある。この重力差が、身体能力の差となって表れていたのだった。
うん。まずは体力強化が必要ね。
「とりあえず一旦朝ごはんにしましょう」
「やったー!」
朝食を食べ終えると、メリスはボードを取り出してきた。
「今から昼まではお勉強の時間よ。さっ、このノートとペンをあげるから頑張るわよ」
「おべんきょうかー。がんばるよ」
ゆうやは勉強はそんなに嫌いな方ではなかった。とはいっても、これまでは勉強という名の遊びのようなものしかやってこなかったが。
メリスは最初の1時間半、ゆうやにセント語を基本から教えた。
「いい。セント語ってのはね、20種類の文字でできているの。書いていくから、書き写してみなさい」
何か見たこともないような文字が書かれていった。ゆうやはそれを見ながら懸命に移していった。
「この文字をね、組み合わせていって言葉を作っていくのよ。たとえば……」
xxxx
メリスは4文字を連ねて書いた。
「これは日本語でこんにちはに当たる言葉よ」
「私に繰り返して言ってみて。xxxx」
「xxxx」
ゆうやは聞こえた通りに言ってみた。
「その調子。セント語は日本語と形がよく似ているから頑張れば大丈夫よ。できるだけ急いでやるからしっかりついてきなさいね」
「はーい」
そう、セント語の文章構造は日本語と非常に似ている。それが、日本語が学問として比較的容易に研究された要因の一つとなっている。
今日のセント語授業では、20文字の英語でいうところのアルファベット、そして日常のあいさつや簡単な言葉を習った。
10分間の休憩を入れ、次は1時間かけて算数にあたるものをやった。どこまでできるか分からなかったので、とりあえず数字を教えた後で一桁の足し算と引き算から始めた。運良くセントバレナでは、現在の日本と同じく十進法および位取り記数法が用いられていたので、ゆうやにはなじみやすかった。
年少のため、彼は全く計算については習ってはいなかったが、すぐに桁上がりなどのルールを理解した。
算数が終わると、次はまた90分くらいかけて、この世界について教えていくことにした。セントバレナの地理、歴史、文化などについて、最終的にはこと細かく教える必要があった。とりあえず今日はつかみとしてこんなことを話してみることにした。
「ねえ、ゆうや。バルってなんでいると思う?」
「わるいやつをやっつけるためでしょ?」
「まあ、一面ではそうなんだけどね。ちょっと難しい話だけど、頑張って聞いてくれるかな」
「はい」
「まず、この星の名前はセントバレナといって、地球とは違う星なの」
「そして、この世界で一番地球と違うところって何かというと……」
メリスは言葉を考えながら説明を始めた。
「寿命というものが地球にはあるんでしょう?年を取るとか老いるとか、そんな言葉を聞いたことがあるわ。どうなの?ゆうや」
「うん。さいごはみんなおじいちゃんやおばあちゃんになって、しんじゃうらしいよ」
「この世界ではね、そんなことはないの。成長するということはあっても、一度大人になったら、それ以上体が変わることはない。何かの事故や病気、けが、あるいは飢えで死んだりしない限り、ずっと生き続けることができるわ」
「それってどこかできいたような……あっ、そういえばあきひろにいちゃんが言ってたよ」
「としでしなないってしあわせなことじゃないの?」
地球では、多くの人が一度は不老不死を望むだろう。現実にはそんなものは未だ存在せず、死は万人に平等に訪れる。時の権力者も含め、多くの人間によって求められてきた不老不死が、不死ではないが、近い形でこの世界では当たり前のように存在していた。
「いいことばかりじゃないの。みんなが死ななかったらいずれどうなると思う? この星の大きさには限界がある。この星が生き物であふれかえってしまうのよ」
「すむばしょがなくなっちゃうね。」
「そう。それだけじゃない。食べ物も足りなくなって、みんなが飢えで困っちゃう。だから、住む場所や食べ物とかをめぐって争い事がたくさん起こるってわけ」
「みんなたいへんなんだね」
「その争い事をなくそうって頑張ってるのがバルなんだ」
「それでわるいやつらをやっつけるんだね」
「うん。でもね、争い事をするにも仕方ないような人たちもいる。それだけ追い詰められてる人たちがいるの。だから、バルのお仕事ってそんなに簡単じゃない、そのことを分かってほしい」
「わかったよ」
そんな人たちがいるなんて、大変なんだなあとゆうやは思った。
メリスは自らの仕事のことを考える。国単位で主導される人口調整政策が効果を上げている地域もあるが、そんなところばかりではない。人口過剰とそれによる慢性的な土地不足と食糧不足。それがこのセントバレナにおける戦乱の主要な原因だった。それに利権が絡み、宗教が絡み、種族や価値観の違いなど、多くの要素が絡んで、この世界では争いが絶えることがなかった。
皮肉にも、それがバルという職業を成り立たせてしまっているし、争いによる死者で人口のバランスが取られている。もし争いが全く無かったら、人があふれかえり、この星の全員が飢えてしまうだろう。
バランスを維持していくのに必ず争いが必要とされる世界。この世界はある意味で呪われていた。自分のやっていることもその場しのぎにすぎず、争いをなくそうとすることが本当に正しいことなのかもわからない。自然の成り行きにまかせた方が良いのではないか、そう考えたこともある。
しかし、人間というのはときに必要以上に残酷な殺戮者になってしまうことがある。無用な殺戮を止めるために、自分のような人間がいること、それは意味のあることじゃないだろうか、そう考えて私はこの仕事をしているんだ。それに何より、争いで苦しんでいる人がいるのに、それを助けられる力を持っているのに、何もしないというのは考えられなかった。
「ねえ、なにかんがえこんでるの?」
「なんでもない。とにかく、バルはただの正義のヒーローじゃなくて、色々と難しい仕事だってこと。だから、それをこなすにはたくさん勉強して、深い知識を身につけないといけないよ」
「はーい」
そして勉強時間が終わった。4歳の子供にいきなり4時間の勉強は大変だったかな、とメリスは思っていたが、ゆうやは色々と知れたのが良かったのか、
「いがいとおべんきょうってたのしいね!」
と顔を輝かせている。4時間授業をやっても興味津々に聞き続け、言われたことは大体すぐに覚えたあたり、子供にしては結構集中力と理解力は高いようだ。
昼食をとった後、2人はまた外に向かった。
「今度は修行において一番大事なところといってもいいかな」
「気のコントロール、これを教えようと思う」
「こんとろーるって?」
「うまくあやつるってことよ。これができないとバルとしては務まらないわね」
メリスは一息つくと説明を始めた。
「まずは最初の注意よ。気を身につけたときはうれしくなるかもしれないけど、使い方を間違えると危ないから、むやみに使わないこと。とりあえず今は、使ってもいいと言ったとき以外は使わないようにしなさい」
「はい!」
「まず気がどんなものかってところから説明するわ。気はね、誰でも自然に持っている、体の中から湧き出るエネルギーのようなものなの。普段は普通の人は意識せずにいるけど、とても集中したときとか、いつも以上の力を発揮できることがあるでしょう?それはね、気が引き出されていることも理由の一つなのよ」
へーえ、という顔をするゆうやに、メリスは続ける。
「この気というのを意識して使えるようになると、体がもつ力以上の力を発揮できたり、相手を気で攻撃したり回復したり、とにかくいろいろなことができるようになるわ」
「まあ、ちょっと見ていなさい。そうすればわかるわ」
そういうと、メリスはゆうやをつれて近くの大岩のところまで行った。この大岩、メリスの数百倍の大きさがあるのではないかというほどに巨大だった。
「でっかいいわだなー」
ゆうやは大岩を見上げた。
その大岩の目の前にメリスがいる。
「この岩、腕力だけじゃ壊すのに一苦労じゃない。だからね、こういうふうに気を集中させるの」
そういうと、メリスは拳を構えた。そして、メリスの全身から黄色のオーラが放たれた。右手の拳にオーラを集中させる。ゆうやは、それを固唾を飲んで見守っていた。
「はあっ!」
メリスは拳を岩に繰り出した。拳が岩に激突する。
大きな音が鳴り響いたかと思うと、直後、メリスの数百倍はある大岩は、メキメキとひび割れ、いとも簡単にガラガラと崩れてしまった。
「すっ、すげーー!」
ゆうやは目の前の光景を信じられないという様子で見た。あんな巨大な岩が一撃で崩れ去ってしまったのだ。興奮は冷めやまなかった。
「あんなの、おれにもできるようになるの!?」
「まあ、頑張っていればそのうちね。まだだいぶ先のことだと思うけど、空も飛べるようになるわよ」
「そらもとべるの!? ぜったいがんばるよ!」
ゆうやは、幸せな空想で胸がいっぱいだった。
「さあ、まずは気を引き出す訓練から始めましょう。まずは座って、気持ちを落ち着けて、精神を集中させるの。私といっしょにやってごらん」
ゆうやはちょうど坐禅を組むような格好になって目を閉じた。せいしんをしゅうちゅう? どうやるのだろう? とりあえず何も考えずに目を閉じていた。しかし、何も起きない。しばらくそうしていたが、とうとう飽きてしまい、
「ねえ。いつまでこれをやってればいいの?」
とメリスに疑問をぶつけた。
「これは続けないと効果がないのよ。途中でやめちゃだめ。毎日やっていれば効果が出てくるから、私を信じてやりなさい」
「はーい」
結局は大体2時間くらいずっとこの訓練をしていた。動かないというのは、この年頃の子供にとってはかなり苦痛であった。こんなんでほんとにいいのかな、とゆうやは疑問に思ったが、メリス先生の言葉ということで、信じることにした。
「今日はこのくらいにしましょう」
そういってメリスは立ち上がった。
「あ、あしがしびれてうごけないよ」
ゆうやはじーんときた足にまいっていた。
「次は思いっきり体を動かすわよ。体を鍛えないとね」
メリスは腕立て伏せ、腹筋、背筋、スクワットなど、ありとあらゆる箇所の筋肉を鍛え上げる運動を次々と指示し、それぞれ40回ずつはやらせた。
腕立て伏せなんて多くて休み休み10回かそこらしかやったことのないゆうやにとって、40回という回数はかなりの拷問であった。重力が地球の約1.3倍あることもあり、負荷はより強力にかかる。体は悲鳴を上げていた。
しかし、強くなりたいという一心で、ゆうやは体を動かし続けた。ようやく全てが終わったころには、吐きそうになっていた。体中がパンパンである。
はあっ……はあっ……はあっ……息を切らすゆうやに、メリスのきつい一言が。
「よくがんばったわね。でも、そのうちだんだんと回数を増やしていくから、覚悟しときなさい」
「えーー」
10分ほど休憩を取り、ゆうやはメリスに連れられて近くの湖に向かう。
「よし。今日はこれで最後よ。泳ぎの訓練をしましょう」
水着を持ってきていたので、着替えさせた。
「あの、おれおよげないんだけど……おしえてもらえますか」
「なーんだ。そういうことね。じゃあ、いい方法があるわ」
メリスはゆうやを持ち上げた。
え、と驚く暇もなく、ゆうやはふんわりと湖へ投げ出されてしまった。
「わあーーーっ!」
湖面をはじく豪快な音とともに、ゆうやは水中へと落ち込んで行った。彼はもがき、必死で水面に上がった。
「ほら。おぼれたくなかったら頑張ってこっちまで来なさい」
ゆうやは懸命に足をバタバタさせる。するとどうにか体が前へ進んだ。そしてもがくことしばらくして、ようやく足のつくところまで来られた。
「ひどいよ。いきなりなげるなんてさ」
「あら。でもおかげで泳げるようになったじゃない」
「それはそうだけどさー」
ゆうやはいじけてムッとした。
「ごめんね。さあ、今度はちゃんと泳ぎ方教えてあげるから、気を取り直して頑張ろう」
ゆうやはしぶしぶうなずいた。
ま、あれは荒療治だったけど、泳げるって感覚を身につけさせるには一番手っ取り早い方法だからね。たまに失敗して本当に溺れちゃうやつがいるから、そこは気をつけないといけないけど。
ゆうやは、今日はバタ足とクロールの基本的な泳ぎ方を教わった。この修行の目的は、泳ぐことで体を鍛えることにある。だから、基本的な泳ぎ方を教えればそれで十分だった。
「はい! 今日の修行はここまで。明日からも毎日この調子でやっていくから、音を上げるんじゃないよ」
「ふう。やっとおわったー! もうくたくただよ。それに、おなかすいたー!」
「そうね。夕飯にしましょう」
夕飯を一緒にとりながら、メリスはセント語の復習をした。
「xxxxは?」
「こんにちは」
「そう。じゃ、xxxxxは?」
「えっと、ありがとう」
「あたり。それじゃ、xxxは?」
「なんだったっけ?うーん……あっ、さようならだ!!」
「よくできました」
「こんなのかんたんだもんね」
「ほんとかな? xxxxxxxはどう?」
「え、あれ?……ダメだ、おもいだせない」
「正解は「わかりません」よ」
メリスは笑いながら言った。
「わからないって……なにそれ? はははは!」
ゆうやも可笑しくて笑う。
ゆうやとメリスは夕食後風呂に入った。メリスはゆうやの体がパンパンに張っているのに気がついた。
「今日は大変だったね」
「うん。つかれたし、つらかったけど、たのしかったよ」
バルになるための第一歩を今日踏み出したんだ。そんな誇らしい気持ちをゆうやは持っていた。一方で、ついていけるかな、という不安もある。
「ねえ、おれ、だいじょうぶだった? バルになれるかな?」
「大丈夫。このまま頑張っていけば、きっとなれるわよ」
そう言ってメリスはゆうやの頭をなでであげた。
今日の様子を見たところ、光るものというか、バルになるための才能や素質のようなものはゆうやからはさほど感じられなかった。しかし、ひたむきに頑張る姿を見て、この子には努力する才能がある、と感じていた。だったら大丈夫。訓練の質と量次第では、きっと立派なバルになれる。ただ、かなり大変な思いをさせてしまうだろうけれど。
風呂から上がって歯を磨くと、ゆうやは完全にうとうとしていた。
「もう寝ましょうか。明日も早いわよ。明日からは毎日朝5時半に起こすからね」
「そんなにはやくおきれないよ……」
「文句言わない。あなたの修行のためよ」
「わかった……」
ゆうやはその言葉を最後にぐっすり眠ってしまった。
よほど疲れていたのね。メリスは小さく、おやすみ、と言うと自分も眠った。