第1部 序章 第2話「メリスとジルフ」
どうやら随分と長い間気を失っていたようだ。目を覚ますと、ゆうやは一面に広がる草原のど真ん中に横たわっていた。え、ここはどこなの? さっきまでやまにいたのに……状況が全く分からない。果てしなく広がる淡緑の世界に、彼はなすすべもなく立ち尽くしていた。
「おとうさ~ん! おかあさ~ん!」
叫んではみたけれども当然のごとく返事はない。
「せんせ~! しんじ~! ひかる~! めいちゃ~ん! かなちゃ~ん!」
先生と友達の名前を叫んでも返事はなかった。
「おとうさ~ん! おかあさ~ん!」
うっ……ぐすん……
わーん、と大声で泣き出してしまった。泣き声が空しく響き渡る。さびしくて仕方がなかった。誰でもいい。早く会いたい。しかし、自分がいくら泣き叫んでも、どこからも返答は得られなかった。
泣き疲れたゆうやは、トボトボとあてもなく歩き始めた。自分自身なんで歩いているのか、よく分からなかった。買ってもらったおやつを、少しずつ食べながら歩いた。どのくらい歩いたか分からない。へとへとになったころ、草原の真ん中に生える1本の大きな木を見つけた。とりあえずそこで休むことにした。
木によりかかる。グミの袋を逆さにして振ってみた。最後の一粒。もうなくなっちゃったんだ。水筒の水もとっくに尽きてしまった。
おれ……このまま……しんじゃうんだろうか…………
しぬってのはうごかなくなっちゃうことらしい。そうするとみんなとはもうあえなくなっちゃうんだって。とってもかなしいことだってきいた。
でも、みんなさいごはしぬらしい。でも……
まだしにたくないよ……
おなかもペコペコ、のどもカラカラだった。夜の暗闇が怖かったが、もう泣く気力も出なかった。ばったりと倒れ込み、そのまま眠りに落ちた。
翌日は大雨だった。小さな体に雨は容赦しなかった。体を冷やし、体力を奪う無情の雨。幼き子供は徐々に生気を失っていた。
ごめんなさい……おとうさん……おかあさん……おれ……
もう体が動かない。ゆうやは、そのまま意識を失ってしまった。
数時間後
雨は止んでいた。大草原の上空を飛ぶ一組の男女の姿がある。2人はこれから仕事で辺境の町カーサに向かうところだった。
男女は、はるか下、1本の木のところに倒れる1人の子供の姿を偶然見つけた。
「子供がぶっ倒れてるぞ。どうしてあんなところに?」
二人は降りて子供に近づく。男が子供を抱き起こした。
「おい、まだ息があるぞ! だがすごい熱だ。とりあえず回復だ。メリス、気を当ててやってくれ」
「まかせといて。はあっ」
メリスという女性から黄色いオーラが放たれる。それがゆうやの体を包み込むと、ゆうやの顔に一気に生気が戻った。
「どれどれ。熱も引いたようね。ふう。間に合ってよかった。運がいいわね、この子は」
「よし、安全な場所へ運ぶぞ」
そう言うや否や、男がゆうやを抱え、二人は地を蹴り、超スピードで空を飛んで行った。
あれ? ここはどこだろう? あったかい。そうか、ゆめだったんだ。おかあさん、きょうはね、ひとりぼっちでひろいひろいくさっぱらをあるいてるゆめをみたんだ。とってもこわかった。ねえ、おかあさん、きいてるの? ねえ。
「おか……」
ぱっと気がつくとそこは見たこともない部屋の一室だった。電球が薄暗い光をたたえている。そこには両親の姿はない。代わりに、
「xxxxxx(気がついたね)」とメリスが声をかける。
何を言っているのかゆうやには理解できなかった。
「あの、おばさんだれ? それとそこのおじさんは?」
その言葉を聞いて二人はひどく驚いた。
「xxxxxxxxxxxxxxxxxx(この言葉! たしか日本語じゃないか! まさか、こいつ)」
「xxxxxxxxxxxxx(またあっちから迷い込んできたのかしら)」
「xxxxxxxxxxxxxx(とりあえず、日本語で話しかけてみるわ。覚えていてよかった)」
困惑しているゆうやに向かって、
「ぼうや。気分はどう?」とやさしく声をかけた。
「うーん。おなかすいたー」
「ふふ。それじゃ、ごはんにしようかな」
「xxxxxxxxxxxxx(ジルフ、ちょっとネクト買ってきて)」
わかったよ、そう言ってジルフは買い物に出かけた。
「あのさー。おばさんのなまえはー? あと、あのおじさん、ジルフっていうの?」
なぜ自分たちのことをおばさんやおじさんというのかはよく分からなかったが、メリスはじっとゆうやを見て
「そうねえ。私のことはメリスさん、あのおじさんのことはジルフさんって呼んでくれるかな?」
「うん。わかった。」
「ところで、ぼうやのお名前は?」
「うんとね、おれ、ゆうや。ようちえんのねんしょうさんなんだ」
ようちえん、と聞いてメリスには具体的なイメージが浮かばなかった。そこで、
「ようちえんってどんなところなのか教えてくれるかい」と尋ねてみる。
「とってもたのしいところだよ。えっとね、せんせいがいて、ともだちがいて、いろんなことしてあそぶんだ。」
満面の笑みを浮かべて幼稚園の思い出を語り始めたゆうやを見て、メリスも少しあたたかい気持ちになった。ここのところ各地で起こる紛争の解決に尽力してきた自分は、人々の暗い顔ばかり見てきた。もちろん侵略者から町を救ったときは、みんなが喜びの笑顔を見せるが、そんなに話が単純じゃない場合も多い。双方をなんとかなだめ、どちらも納得のいかない顔で解決することもあるのだ。最近はそんなことばかりで、心身共にとても疲れていたメリスにとって、ゆうやの無邪気な笑顔は、ひとときの心のオアシスだった。
「わかったわかった。じゃあ、どうやってここに来たのか教えてくれる?」
「それがね、よくわかんないんだ。こう、きゅうにすいこまれて……そのあとはわかんない。」
それを聞いて、やはり、とメリスは思った。昔からまれに子供がこの世界に突如として現れる現象がある。空間に裂けたゲートのようなものを通ってやってくるらしい。その全てが自分は地球というところからきたと主張する。そしてその多くは日本人と名乗るのであった。日本語は学者たちによって研究され、ごく一部の人は話すことができる。メリスもまたその一人であった。
「ねえ、おれ、おとうさんや、おかあさんや、みんなにまたあえるかなあ……」
顔にはじんわりと涙が浮かんでいた。メリスはいたたまれなくなって、ゆうやをぎゅっと抱きしめた。
「そうだね。みんなのところに帰れるといいね……」
メリスは知っていた。未だに地球という星に行く手段はないということを。そして、地球からやってきた子供たちの多くが、この星の環境で生きるには弱すぎるために、病気、争い、飢え、様々な要因で亡くなっているという事実を。しかし、この小さな子供に、はたしてその事実を受け止めるだけの心の強さを期待することはできなかった。この子のこれからをどうしようか、そう考えながら、今はただ抱きしめてあげることしかできない。
「ずっと……ずっとひとりぼっちで……」
ゆうやは安心したのか、大声を上げて泣き出してしまった。
「こわかった……こわかったよー!」
泣きつくゆうやの頭をやさしくなでながら、しばらくしてメリスはゆうやと抱き上げ、顔を見つめながら言った。
「さあ、男の子なんだから、いつまでもめそめそしない。ねっ」
うん、と言ってゆうやは涙を拭った。
すると、ジルフが、ネクトと水のボトルが3つずつ入った袋をさげて帰ってきた。
「さあ。ごはんにしましょう」
メリスが言った。
ネクトは、地球でいうとパンのようなもので、パンよりは若干米に食感が近い。その中に、食用の植物や肉を挟んで食べるのだ。今日は近くの店で買ってきたソム肉入りのものだった。
変わった食感。しかし、ゆうやはそれが気に入ったようだ。「おいしい!」そう言いながら、ガツガツと食べる。まともな食事を2日近くとっていなかったゆうやには、ネクトはごちそうであった。でも、ハンバーグはないのかなあ。
おいしそうにネクトを頬張るゆうやの横で、メリスは彼から聞いたことをジルフに話していく
(やっぱり地球から来た子みたいね。ゲートを通って)
(話には聞いていたが、実際に見るのはこれが初めてだな)
(これから、この子どうしようかしら? 聞いたらまだ4歳らしいのよ)
(とりあえず連れてくしかねえか。俺はガキの世話は苦手なんだがな)
(でも、ずっと連れて行くと危険だから、どこかで引き取り手を探さないとね)
(このご時世にセント語も話せないようなガキを引き取ってくれる人がいるかどうか、それが心配だ)
(そうね。そこが問題ね)
(――なあ。いっそのことおまえが世話してみたらどうだ。ほら、その、おまえ子供ができない体だろ? あの子が気に入ったなら、ちょうどいいんじゃないか)
(……あの子には待ってる親がいる。そんなことはできないよ)
(その気持ちは分かる。だが、地球に帰らせる方法がない以上、どうやったって親に会わせることはできないんだ。あのガキには辛いだろうが……いずれ近いうちにそのことを話さなきゃならない。そして、一人前になるまで、誰かがあいつを世話してやらなきゃあいつは生きていけない。今さら見捨てるわけにもいかないしな)
「………………」
(おまえが親代わりになってやるのも一つの手段だ。そのときは、仕事の方は俺に任せとけ。まあ、一人でもなんとかなるさ)
(……とりあえず今はおいとくわ。まずは引き取り手を探しましょう。仕事の準備もしなくちゃ)
そう言ってから、メリスはゆうやのことを見つめた。子を宿せない体をもつ自分。子どもがほしいと思ったことは一度や二度ではなかった。だが、自分は子ができない事実を受け入れてかなりのときを生きてきたし、幼馴染のジルフともずっと一緒に相棒としてやっている。幼馴染と協力しながら、バルとして世界の争い事を解決していく。正義の戦士としての使命感があるし、感謝されたときの達成感があるし、バル一筋に生きる現状には満足していた。子どもがほしいなんて、もうそんな希望は持つことはないと思っていた。
しかし、今目の前のゆうやを見て、久し振りに子を求める感情が沸き起こってきた。この子にもし生活のあてがなければ、バルとしての仕事を休んででも、育ててみたいという気持ち。だが、彼には帰りを待つ両親がいる。見ず知らずの自分を育て親として受け入れることがあるのだろうか。そして、地球に帰ることはできないという残酷な現実を知ったとき、彼はそれをどう受け止め、何を選択するのだろうか。
そんなことを考えていると、ゆうやはこちらに気づいたのか無邪気な顔で
「ねえ。さっきなにはなしてたのさ」と聞いてくる。
「大人の話。子どもは知らなくていいの」
「ずるいよー。おとなっていっつもそうやってはぐらかすんだよね」
と頬をふくらませて怒る。でも、次の瞬間には、改まって、
「あの、おれをたすけてくれたのって、あんたたちだよね」
「ありがとう」
言葉づかいがなっていないながらも、精一杯の感謝の気持ちに、二人は素直にうれしくなった。