夢物語
トム君は早く大人になりたいと願う小学生です。
トム君、今日は一人でお留守番。トム君はアカレンジャーの人形を使って遊んでいました。
するとそこに一匹の黒い悪魔が現れました。悪魔はその不気味な目でトム君を見つめて言いました。
「君、早く大人になりたいかい?」
悪魔に話しかけられたトム君はおどおどしながら、
「うん。はやくおとなになりたい」
と答えました。すると悪魔は豚の形をした置物をどこからともなく出しました。
「これはなに?」
「これは夢を入れるための箱さぁ。夢ってわかるだろ? 君のなりたいものってことさぁ。君が持っている夢の中で要らないものをこの中に入れると、君はすぐに大人になれるよ」
そう言うと、悪魔はニッコリ微笑みました。
トム君はなんだか楽しそうな箱だなぁ。と思いました。
「でもぼく、いらないゆめなんてわからない」
「おおっと、今回だけは特別さぁ。夢を入れなくても大きくしてやろう」
そこで悪魔が指揮者のように腕を振るうと、トム君の体がパアッと光り輝きました。
「さぁ、これですぐに大人になることができるよ。ただしこの魔法は死ぬまで解けないからね」
トム君は「死ぬまで」という言葉を聞いて恐ろしくなりました。慌てて悪魔に聞きます。
「ゆめをすてるってどうやってすてるの?」
「簡単さぁ。この豚の置物が『捨ててください』ってつぶやいたら、豚に向かって要らない夢を言えばいいのさぁ」
「もしゆめをすてなかったらどうなるの?」
「そのときは人間じゃないものになってしまうよ」
トム君は心臓がドキドキしているのに気づきました。
「まぁ、そんなに心配しなくても大丈夫さぁ。それじゃ」
そして、悪魔はすうっと消えていきました。
トム君は中学生になりました。
ある日トム君が自分の部屋に入ると、それまで一度も話さなかった豚の置物がいきなりこう言いました。
「夢を百個捨ててください」
「百個!?」
悪魔め。そんなに捨てるなんて聞いてないぞ。とトム君は思いましたが、言わないと人間でないものにされてしまうので、しぶしぶ実現の可能性の低そうな「要らない夢」を次々と羅列していきました。
「宇宙飛行士、ケーキ屋さん、あ、あとアカレンジャーって夢も要らないや」
「百個いただきました。ありがとうございます」
そう言うと、豚の置物はまた静かになりました。
トム君は大学生になりました。
このときもまた突然豚の置物がしゃべりました。
「夢を二百個捨ててください」
「二百個!?」
仕方なくトム君は言い始めました。
「弁護士、お笑い芸人、プロ野球選手、あ、あと小説家」
「二百個いただきました。ありがとうございます」
そしてまた夢を食らった豚は静かになりました。
トム君が大学を卒業するころ。トム君は思うことあって引き出しから金づちを取り出して、豚の置物を割ろうと思いました。
トム君が振り上げた腕を下ろそうとしたそのとき、
「やめたほうが身のためさね」
と悪魔が現れて言いました。
「それを割ったら君は死んでしまうよ」
トム君は脳みそに氷柱を突き立てられた心地がしました。
「悪魔。お前に聞きたい。この中に入れた夢は取り出せないのか?」
悪魔は少しトム君に同情した顔をして、
「その通り。二度と取り出すことはできないのさぁ」
と言いました。
「なんてことだ。あのとき軽はずみな気持ちで入れなければ良かった」
「その夢はもう諦めるしかないさぁ。別の夢を探すんだね」
愕然とするトム君を残し、悪魔は霧のように消えました。
その後トム君は、社会人となったときは三百個、三十歳になったときは四百個、とどんどん夢を入れていき、六十歳になったときは七百個の夢を入れました。
トムおじいさん七十歳の誕生日。
豚の置物は言いました。
「もう実現の可能性のない夢を全部言ってください」
彼はぽつぽつと言いはじめました。
「膝を悪くしてしまってあまり動けないから警備員にはなれそうもない。パソコンが苦手だから事務員もなれそうにない。勉強していなかったから非常勤講師にもなれないだろう」
そう言いながら、トムおじいさんは今までの人生を振り返り、ひどい後悔の念に包まれました。
あの頃はあんな夢をもっていた。
どうしてあのときあの夢を捨ててしまったのだろう。
いつの間にか彼は涙を流していました。
「あの日悪魔の言ったように、確かに私はあっという間に大人になった。しかしその代償として捨てたもの、それはとてつもなく大切なものだったのだ」
彼はふいに今まで置物の中に入れた夢をもう一度見てみたくなりました。彼は引き出しから金づちを取り出して大きく振りかぶりました。
もう悪魔は現れませんでした。
そして豚の置物は雷が落ちたように微塵に砕け散りました。するときらきらと真珠のように光る数々の夢々がトムおじいさんを包み込みました。
「私には未来があった。それを私は捨ててきたのだ」
トムおじいさんは置物からあふれ出た可能性の海に浮かんでいました。それは彼を母親の胎内にいる赤ん坊のように幸せな気持ちにさせました。
「私は夢を叶えたと言えるのだろうか」
そして、自ら置物を割ってしまったトムおじいさんは永い眠りにつきました。その顔には後悔という感情と幸福という感情が一緒に浮かんでいるように見えました。