第一編 第一章 真実は血染め色の髪
初めての投稿です。
下手な文章ですが、目を通していただけると幸いです。
追伸
あまりにも、下手な文章だったので、現在書き直ししています。
今まで読んでくれた人申し訳ありません。
1真実は血染め色の髪
⁑
気づいたとき、閑静な住宅街のとある一角で、クラスメイトの美穂を、軽く抱きかかえるように立っていた。そして、目の前にあるのは、見慣れた小さなビルの側面だった。
またかと思った。これは美穂との仲が一挙に崩れ落ちた日を映し返す夢だ。
眠っているにもかかわらず、意識がいつも以上に明瞭で、当時の思考が頭の中に流れて来るのが分かる。ただ、僕には何もできない。僕の身体はその日を再現するように動き、言うことを聞いてくれないからだ。
「美穂」
唇が勝手に動き、そう告げる。ただ意識の中では、このときの覚悟を、この世界ごと投げ出してしまいたい願いでいっぱいだった。
「な、なに」
このとき美穂は肩で息をして疲労を露にしていた。それでいて顔は青褪め、整えられていたセミロングの髪は乱雑にはね、中学の制服は、ところどころに擦れてしまったところや破けてしまったところがある。彼女の顔色の悪さは、突然現れた襲撃犯相手に、炎の可逆変化で遠距離放火を行使しすぎた所為で、自身の血を多量に失ってしまったからだ。これ以上彼女を連れて逃げるのは難しいだろう。
「君の血をほんの少し分けて欲しい――」
ここで一度呼吸を整えた。霊体の指揮者(通称は指揮者)である美穂と、敵対する僕の立場を明かす覚悟を決めるためだった。
「僕は、吸血鬼なんだ」
僕の正体を聞き入れた彼女は、目を大きく開いた。吸血鬼である僕は指揮者を吸血し、その者の可逆変化を行使できるのだ。しかし、その力を使えるのは永遠ではない。発動するたびに消耗され、仕舞いにはその能力を喪失してしまうのだ。そして僕には今何の力も残されていなかった。
そのため吸血鬼は、その性質上可逆変化を扱う指揮者との関係が悪い。その上普通の人にも悪い印象をもたれてしまうのだ。そういったわけで、普通の人を装って今まで生活してきたのだ。
美穂はしばらく考えた後、
「いやよ――」
僕の耳元に向かって呟くような、小さな声が聞こえた。そして、彼女は僕の下から二三歩後ろへ下がり小さなビルの側面に寄りかかって、
「――いやよ、もうしばらくすれば巡回者が来るじゃない」
確かに騒ぎを聞きつけた指揮者の巡回者がここに来て、奴を捕縛または駆逐をしてくれるだろう。ただ〝しばらくすれば〟だ。その間に奴に見つかれば僕の命だけでなく、美穂の命までもが危ない。
「駄目だ、もうまもなくここに居ることも気づかれてしまう。そうしたら、僕たちも奴に殺られてしまう。もう一刻の余地も無いんだ」
美穂は口を噤んだ。無理もない、彼女は今吸血鬼に血を吸われることを恐れているはずだ。そして僕たちを焦らせるのは、この沈黙の中で聞こえてくる、革靴がコンクリートを叩く音だった。それがこちらへと近づいて来る。
「美穂」
彼女へと近づき、彼女の左手首を掴んだ。ずいぶんと冷たくなった体温を感じる。と同時に、美穂は一瞬震え上がった。
「大丈夫、美穂は必ず僕が守ってみせるよ」
精一杯の笑顔でそう言った。もうその時には足音が大袈裟な位大きく聞こえていて、それが美穂から選択肢を奪ったのだろう。彼女は無言で恐る恐る頷いた。
「失礼するよ」
彼女の頷きにそう答えると、彼女が着ているブラウスの左手首にあるボタンを外して、袖をまくった。すると、彼女の肌理細やかな腕があらわになる。その時、僕の吸血本能が覚醒し、口内にある二本の犬歯が蠢いた。人の皮膚を切り裂くため、普段の二倍以上の長さまで突き出していく。
「痛かったらごめん」
長く伸びた犬歯を見せまいと、俯きながらそう言うと、美穂の髪が一瞬下がるのが見えた。彼女が僕の言ったことに応えて頷いたのだろうと思い、意を決して彼女の柔らかな腕に牙を立てた。するとあっという間に皮膚は裂け、彼女の抑えきれなかった痛みが「うっ」と声になって漏れる。傷口から、始めはにじみ出るように、そして徐々に嵩を増し、舌の上を流れるように血が口内を通り過ぎていく。鉄に似ているが甘露のような甘さがあり、濃厚な鮮血の香りが鼻腔を擽る。独特な味と香りが僕の吸血本能を向上させていくと同時に、頭の中は欲求に満たされ意識が遠退いていく。加減を忘れ、そのまま干かびるまで吸ってしまいたい衝動に駆られる。しかし、二回喉が鳴ったとき、とっさに本来の目的を思い出す。彼女の腕から口を離した。その後一泊置くと、体中に粒子のような何かが行き渡る。それと同時に犬歯が元に戻ろうと蠢きだした。
「あのさ」
スラックスの後ろポケットから財布を取り出し、その中に常時入れてある絆創膏を取り出した。念のためにと入れておいたこれが遂に役立つときが来た。
「これでも貼っといてくれ」
「う、うん、ありがとう」
それを美穂に差し出すと、彼女はそう言いながらも、傷口が痛むからか瞳に涙を浮かべそれ受け取った。
その後彼女から離れるように後ろへ数歩進んだ後、右の掌を胸の前に動かし、力がそこに集まるように強く念じた。すると、赤く辺りを照らすほどに明かりを放つ粒子が身体全体から続出した。彼らは霊体といって、人の身体と可逆変化で創れる術式の中間に位置する存在だ。そして霊体を〝彼ら″と表記できるのは霊体がれっきとした生き物だからである。その霊体が掌に集結し始めたとき、意識の中で堅牢な槍を構築する。それに従って霊体が渦巻き、槍の刃先から現実に構築していった。約二秒後、周囲に霊体がいなくなり、代わりに烈々たる紅い炎を纏い、僕の身長と同じくらいの長さの白刃の槍が、掌の上に顕現されていた。
久しぶりにしてはうまくいった。可逆変化を使うのは、今は亡き母さんに教わって以来だ。
そしてついに、
「みい~つけた」
さきほどまで僕たちを追っていた奴の、からかいの混じった引力のある低い声が聞こえた。彼は目の部分だけが赤く塗りつぶされた金色の仮面で顔の上半分を隠し、白髪が混じる灰色の髪をうなじで一つにまとめている。灰色のスーツをぴしっと着こなし、ブラウンの革靴を履き、純白の手袋をしている。仮面を除けば紳士的なおじさんだった。
そんな半分紳士的な男性が、仮面越しに僕の掌にある紅い槍を見て、
「お、ふむ、そうか、みい~つけた」
何かに納得した後、もう一度からかいが混じった声でそう言った。すると、彼の全身から薄水色に輝く霊体が現れ、彼の右手に柄の部分が握られるように氷の刀が顕現されていった。顕現された刀は、刃先から柄頭まで全体が透き通った薄水色の氷で創られ、刃渡りが大体仮面男の身長の半分くらいある、半透明な日本刀のようだった。
「美穂、下がってくれ」
「うん」
美穂を自身の後ろへ移動させると、紅い槍を両手に持って、姿勢を低く構える。初めての対人だった所為か、膝が小刻みに震えていた。
「吸血鬼、あなたの腕前、今ここで見極めておきましょう」
仮面男が言った。彼の言ったことに一度違和感を覚えたが、気に留めることはなかった。彼が一瞬身構えたかと思うと、刃を突き出し僕に襲い掛かってきたからだ。すかさず精神を集中させ、槍を回して氷の刀を払った。しかし、仮面男はその払われた刀をすぐさま霊体へと逆変換し、僕の腹の前に集合させた。そしてその集合体は一瞬のうちに元の刀へと戻っていた。気づいたときにはすでに遅く、その刃先は僕に刺さっていた。深く、深く刺さっていくその刀は僕の背中を貫通して飛び出してしまっている。すると急激に視界が白く染まってきた。最早後ろに振り向いても、美穂の表情は窺えないだろう。
ただ不思議なことに、痛覚が麻痺したかのように痛みは全く感じなかった。代わりに意識が遠退いていくのを感じた。
ピピピピピピピピ―――
沈んでいた意識が現実に引き上げられると、枕元で喧しい電子音が鳴り響いていた。その元凶を手探りで見つけ出し、ボタンを叩いて止めた。
それから、無理やりベッドから上体を起こす。このまま横になっていると眠気が深まり、もう一度寝てしまうからだ。
「はあ、また負けた」
上体を起こして、眠気が引いてきた頃。そう独り言を言った。あの指揮者と戦ったのは、夢現合わせて今日で二十八回目になった。戦いの結果は、零勝、一引き分け、二十七敗だ。内、負けた二十七敗は全て夢の中で。残りの引き分けた回では、明らかにあの仮面男が手を抜いていた。夢の中では最後の科白までは現実通りに再現されているが、それ以降内容が変更され、腹に刀が刺さってしまう。しかし現実のときは、いきなり腹の前に刀を顕現させてこなかった。今思うと、あの技は奴とやり合っていた時にいつでも使えたはずだったはずだ。結局あの後、仮面男が交えている内に騒ぎを聞きつけた巡回者が、仮面男に討って掛かったが、彼は巡回者の術式をかわし、すぐさまその場を去ってしまったのだ。それでその結果を引き分けと評することにした訳だ。
やっぱり負けたら悔しいなぁ。しかも二十七回連続同じ方法なんだよなぁ、いつになったら夢の中の僕は仮面男に勝てるのだろうか。
おっと、時間を忘れて考え事してた。学校に行く準備をしなければならない。先ほど叩いた目覚まし時計を確認した。デジタルな数字が7:13を示している。目覚ましを七時丁度に設定しているので、十三分は考えていたことになる。だがまだ許容範囲内だ。いつも通りに朝の支度をしても大丈夫そうなので胸をなで下ろした。
「はあ、春休みが終わったのか」
本日二度目のため息をつく。今日は朝から憂鬱になる事ばかりだ。
そう、今日は入学式当日。暢気な春休みを終え、忙しい日常の幕開けだ。
適当に朝の身支度を済ませると、部屋のドアを開け、寮の公共スペースである廊下に出て、鍵を閉めた。それから食堂へと向かおうとしたとき、サファイアの原石みたいに深く青い瞳と目が合った。しかし、その瞳は気だるそうに半開きで輝きを失っていた。それと同時に視界に入ったのは、腰の辺りまで伸びる、色むらのない地毛の金髪だった。その髪を右側の一房だけ縦に巻いている。一瞬女の人かと思ったが、すぐにそれは違うと分かった。服装はスカートではなくスラックスを穿いているし、学ランを着ている。その学ランには、この学校の制服の特徴である、青い二重丸の中にさまざまなラインと怪しい文字の羅列――魔方陣が腹部にでかでかと刺繍されていた。
彼の顔を見てとても心配な気持ちになった。全体的に血の気が足りてないかのように青く染まっていて、目の下には真っ黒な隈があるのだ。あと彼は壁に手を沿え、それに寄りかかるように立っていた。
「おはよう、君は確か僕の隣の席に座っていた人だね」
その金髪の人が僕に挨拶してきた。声は声変わりを終えた低音で、疲れきったみたいにかすれていた。
言われてみれば、三日前にあったオリエンテーションのときに僕の隣にこんな金髪の人がいた気がした。彼が桃色の髪の女子と話していたのを見かけたから、同じように女子だと思っていた。
「うん多分そうだ、おはよう」
「やっぱりそうか。それじゃあ、一緒に食堂行かないか。これから朝ご飯だよな」
「うん、そうだよ。一緒に行くか。・・・あのさ、名前はなんていうの?」
食堂へ歩き出すと同時に、名前を訊いてみた。
「僕の名前は桜木 氷架理。氷架理って呼び捨てにしてくれ。君は?」
いきなり名前を呼び捨てにしていいと言われた。彼は自分の名前が気に入っているのだろうか。
「僕は波藤 雅輝。僕のこともくんとか、さんとか無しで、呼び捨てにしていいよ」
久しぶりに自己紹介をした。なんか、自分の名前をフルネームで言うのって照れくさいな。自己紹介を終えると、氷架理は申し訳なさそうに、
「早速なんだが、波藤、ちょっと頼みが」
と、訊いてきた。
「ん、なんだ?」
「ほんとうに悪いんだが、肩貸してくれないか?」
寮内を歩いている間、氷架理はずっと壁伝いに、半ば足を引きずって歩いていたらしい。しかし、寮を出てから校舎に入るまでの校庭には、伝って歩けるようなところがなかったということだ。
「そんなに具合が悪いなら、一旦自分の部屋に戻ったら?氷架理、なんかかなり顔色悪いよ」
氷架理を心配してそう訊くと、
「大丈夫、ただの寝不足だ。けどなんか足元が覚束なくてな」
心配したらただの寝不足だった。
「そか、それなら仕方ないな」
氷架理が寄りかかっている方とは反対側の上腕の下にもぐりこむ。氷架理は僕の右側を歩いていたので、右の肩を貸すことになる。すると彼は「悪いな」と言って、体重を預けた。その時、彼の胸部が僕に触れたが、胸はなかった。当然だ。ただしっかり鍛えているのだろう、筋肉ががっしり付いていた。
「昨日は夜遅くまで何やってたの?」
千鳥足状態の氷架理にそう訊いた。
「いや、特に何も。ただ、どうしても朝起きられないから、今までずっと起きていた」
耳を疑った。いくらなんでも朝まで起きる必要は無いだろう。
「えぇと、あのさ目覚まし時計貸そうか?」
氷架理が目覚まし時計を家に置いてきてしまったのだろうと思い、そう訊いた。僕は携帯のアラームを使えばいい。
「いや、前に一度に三台鳴らしたけど、起きられなかった」
どうやら、目覚まし時計を忘れたとかそういう次元じゃないらしい。彼は思いの外朝は起きられないようだ。
「それじゃあ、これまではどうやって起きてたのさ?」
真相に迫ってみることにした。
「それは、恥ずかしながら妹に起こされていたんだ。妹の容赦ない跳び蹴りがないと起きられないんだ」 氷架理は苦笑しながら言った。寮に引っ越してから妹が居なくなってしまった。ということだろう。
「なるほど、それじゃあ、その跳び蹴りをルームメイトに頼めばいいんじゃない?」
「それが、ルームメイトはいないんだ。それにいたとしても跳び蹴りは頼まないな。あれはすごく痛いんだ」
まあ、流石に跳び蹴りは痛すぎるか。ちょっと待てよ、それじゃあこのままだと平日は夜も寝れないじゃないか。
「じゃあ、これから朝どうやって起きるのさ?」
試しに訊いてみた。
「それは・・・。何も考えてなかったな。どうしようか」
氷架理は考え始めた。しかし、昨夜から眠ってない所為か、一向に答えが出てくる気配はなかった。
国立高等学校。日本全国にたった四校だけある、偏差値八十越えの超エリート高校だ。その魅力は、学費がほとんど国の税金で賄われている上に、塾や家庭教師が一切必要ない熱心な教育指導、寮で生活する自由な校風、美味すぎて飽きることのない食堂の料理など、生徒の理想を次々に実現されているところだ。
そんな国立高等学校には、推薦も学力試験もなく入学できる人がいる。――それは霊体の指揮者だ。
ここで少し脱線して、その理由についてひとつ歴史の話をしよう。とは言っても、中学生の社会で習う程度のことだが。
〝自然の上に立つもう一つの自然〟と表現する人もいる位に強力な可逆変化を行使する、指揮者の存在が全世界に浸透したとき、世界中は震撼させられた。彼らは、万物を溶解する劫火や、万物を凍結させる冷気、万物を光速で移動させる運送技術など自然界の法則を超越した能力を行使する、言わば世界全域の常識を覆す魔法使いのようだった。そして、その可逆指揮者を先駆けて研究・実用化し、全世界で創めて戦争で利用したのは、僕たちが住む国――日本だった。
時は遡って第二次世界大戦前、他の国が新たな兵器の開発・生産に追われる中、国家最高機密下で日本が研究していたのが可逆変化だった。その後の世界大戦中では、その研究の成果が絶大に発揮され、敵国のあらゆる新兵器でさえ可逆変化の前には無力に過ぎなかった。唯、後々開発される一つの兵器を除いては。
可逆変化には〝自然の上に立つもう一つの自然〟と表される一つの理由があった。それは指揮者が息衝く所が無ければ、可逆変化を行使する人がいなくなってしまうことだ。
考えてみれば当然と思うかもしれないが、当時、そのことを考察し戦術に取り入れ、それを達成するための兵器を開発し、日本に投降させざるを得ない状況にまで陥れた国があるのだ。
そう、ご存知の通りその国はあのA国だ。
初めは可逆変化で絶大な威力を発揮した日本だった。けれど、それは自分の血を消耗してしまう能力であり、指揮者自体それ程の人数がいた訳ではなかったので、彼らはよく戦場からの一時的な離脱をせざるを得なく、その度、日本には少なからず隙ができていたのだった。
それにつけ込んだA国が、ついにあの事件を起こした。それは、一九四五年八月六日、指揮者の研究施設、待機施設が多く分布していた広島に原子爆弾が投下したことだ。続いて八月九日も同じ理由で長崎にも投下されてしまう。
突然の出来事に指揮者達も対応できず、熱線や爆風に呑み込まれた者や、放射能に苦しめられ落命する者が大勢現れてしまった。そして、その中には多くの指揮者がいたのだ。
ここから先は、すぐに決着が付いてしまった。兵力の主軸とも言えた多くの指揮者が亡き者となった日本は、当時最新鋭と言われた兵器に太刀打ちできず。原子爆弾投下前から列強国の間で話し合われたポツダム宣言を受託し、日本は降伏した。
戦後、生き残った指揮者は絶大な力を振るったために、重い処分が下されると誰もがそう予測した。しかし、A国はそうはせず、彼らを保護する代わりに、国家機密下で行われた研究・実績を全世界に啓蒙させたのだ。当然、彼らが属した軍隊は解体されることにはなったが。
その時、指揮者を保護する目的で福岡に建てられたのが国立可逆変化研究所、今の国立第一高等学校だったのである。しかし、当初は彼らの幽閉・精査が目的だったそうだ。
その後、近隣国での戦争が勃発。その時作られた警察予備隊で極少数だったが指揮者が兵力増強のために採用されることになった。それが日本に指揮者が根強く息づく理由になっていった。
その数年後、京都には国立第二高等学校、新潟には僕が入学する国立第三高等学校が設立された。これらの二県でも、戦前から可逆変化の研究がなされていたのだ。そして、復興を終えた広島にも国立第四高等学校が造られた。大学ではなく、高校が造られていったのは、大学は本々国立で、霊体科をすぐに設立できたからだ。そこでより早い指揮者の教育を行うために国立高校が造られたのだ。
結局、こんな長話をして僕が伝えたかったことは、この国立高等学校は指揮者を教育する為に造られた学校ということだ。こんなに長く脱線をする先生がいたら、授業がすごく遅れて、後に校長先生からお叱りを受けるだろうね。
朝食を摂ったあと。教室棟最北端に位置する1‐12教室、そこに並ぶ六列の机のうち、真ん中二列、その前から二番目に位置する席の、右側に氷架理、左側には僕が着いていた。
今僕の隣で、氷架理が奈落にでも落ちるかのような深い眠りに落ちていた。時間になったら起こすという僕との約束で、彼は安心してしまったのだ。小説を取り出す。『赤い人』夕焼けに触れると姿が消えてしまう少女がヒロインの、切なくて、甘酸っぱい恋愛物語だ。
始業時刻間近。部活動の朝練組と、朝はギリギリまで眠っていたい組が、閑散としていた教室に活気を与える。その中に桃色の髪を持つ女子がいた。彼女はその髪を肩甲骨のあたりまで伸ばしたガーリーなストレートにして、瞳の色は夕日の焼けるような橙色をしていて、空想上の人形みたいな存在だった。背丈は大体百五十五センチくらいで、それは彼女を妖精のように思わせる。服装は学校指定のブレザーと青いチェックのスカート。そのブレザーには学ランと同様に青い魔方陣がでかでかと刺繍されている。
そんな桃色の人が、しゃべっていた友人と別れた。彼女が氷架理の前にある自分の席に着く途中、
「氷架理のくせによく此処までたどり着いたじゃない」
と、氷架理を見下ろしそう言った。
彼女が席に着いた後、
キンコンカーンコーン―――
始業を告げる鐘が鳴った。けど先生が来てないのでまだ氷架理を起こさない。鐘が鳴ったとき、何事もなかったかのように身体が静止したままだったので、おそらく、彼はその音に気づいていない。相当眠気がたまっていたらしい。
鐘が鳴ってから一分後、担任の先生が早足で教室に入って来た。髪は短く刈られ、漆黒のスーツを着こなしていて、お腹が少し出ている、背丈は百七十センチくらいの男性だった。流石に起こさないとまずいので、氷架理の肩を揺すろうとしたとき、
がこっ!
「ぐべ!」
と、音を立てて氷架理の額が、机に叩きつけられる。その後頭部には、
「いい加減起きなさい。先生来たよ」
氷架理の前に座る、桃色の人の拳が落とされていた。その光景を呆然と眺めることしかできなかった。
そして、呆然と眺めていたのは僕だけじゃなかった。教壇の後ろに立つ担任の先生、教室内の生徒全員が、さっきの音に反応して、彼らに視線を送っていた。ただ、先生は切り替えが早く、表情を元のまじめな表情に戻して、
「華炎さん、人を起こすときは、もう少しやさしくしましょう」
と、桃色の人を注意した。どうやら、彼女は華炎という名前らしい。
「せんせー、コイツがなかなか起きないのがいけないんです。仕方がありませんでした」
華炎さんは先生にそう反論した。いや、華炎さん、氷架理を起こすのに他のこと何もやっていませんから。
「うーん。それでも、拳骨はよくないな。せめて、脇腹をつつく位でよしとしませんか」
「はーい、今度試してみまーす」
先生の意見に、華炎さんは棒読みするように答えた。
「それでは、朝の挨拶をしよう。当番がいないから、号令は一番相川君」
いきなり、先生に指示された相川はとまどいながらも「起立」と号令した。皆が席から立ったら「おはようございます」それに皆が続く、そして、着席の指示で皆席に着いた。皆が席に着いたことを確認した先生は、黒板に『遠藤 広』と白チョークで書いた。チョークの扱いに慣れているのだろう。字のバランス、大きさ、角度全てがしっかり整えられていた
「始めに俺の自己紹介から俺の名前は〝えんどう ひろ〟可逆変化は――」
遠藤先生は、右手から、雪より白い、純白の霊体を舞うように出現する。現れた霊体は彼の右手の上で小さく渦巻き、すぐに、教室の蛍光灯に反射して輝く、研磨された後のような、ダイヤモンドを顕現させた。女子はそれに見入っているようだった。
「地晶創造だ。他にプライベートのこととかで聞きたいことがあったら、それは休み時間中に聞いてくれ、時間が無いからな」
遠藤先生は、ダイヤモンドを霊体に逆行し、彼らは遠藤先生の本に帰還して行った。その後、数枚のプリントを手早く配った。そして、今日の日程の確認・諸注意を言い終えて、
「それでは、皆に名簿順で自己紹介してもらおう、一緒に可逆変化も頼もうかな。相川君お願いします」
という先生の指示で自己紹介が始まった。ん、ちょっと待てよ。〝可逆変化も頼もうかな〟と言ったな。
・・・・・・・
(僕は吸血鬼です)
心の中で呟いてみる。
すると皆から、鋭い視線が突き刺さる。
そしてクラスで浮いた存在になるのだった。
・・・
これは全力で阻止しなければならないな。
・・・・・・・
ん、そうだ、僕は吸血鬼であり、指揮者ではないのだ。だから、〝何も可逆変化は持っていません〟と言えばいいんじゃないか。なんだ、簡単な問題だったじゃないか。
よかった、よかった。
――がららら。
すると隣のいすが後ろへ引かれた。いつの間にか、氷架理が自己紹介する番になったのだ。
「桜木 氷架理です。華炎とは双子だから、皆には僕のことを苗字ではなく名前で呼んで欲しい。僕の可逆変化は――」
そこまで言ったとき、氷架理は一旦自己紹介をやめる。すると水色の霊体が彼の右手に集まり、すぐに氷の塊が顕現した。それは、研磨する前の水晶の一角のように、所どころごつごつしている。そして、季節を一つ後戻りしたような冷感がした。
「――氷晶創造です」
「おお」「すげぇ」「双子揃ってかよ」
氷架理が自分の可逆変化を言ったとき、教室がざわめく。
可逆変化の結晶――霊体の密度が一定量超えた状態で、術式を顕現させたときに現れる、非常に硬い生命体だ。右往左往する霊体を狭い空間に収めるのは至難の業で、結晶化は所得するのが困難なのだ。
「以上で、自己紹介を終わります」
そう言って氷架理は席に着いた。その後氷架理の机を軽く叩いて、彼をこちらに向かせた。
「あのさ、考え事して、一つ前の聞き逃したんだけどさ、氷架理の妹って、前の席の桃色の人のこと?」
気になっていたことを訊いた。
「ああ、そうだ」
LHR中ということもあり、手短に氷架理は答えた。
その後、考え事を終えた僕は、氷架理の順番からの自己紹介を集中して聴くことができた。そして、氷架理の列が終わり、僕の前に座っている人の自己紹介も終わり、僕の順番になった。
「それでは次、波藤くんお願いします」
「はい」と返事して席を立ち、多くの人に聞いてもらうために後ろを向いた。僕に注目する者、興味なさそうにそっぽ向く者がいる中、氷架理は・・・、
「すぅ、すぅ」
と背筋を曲げず、頭だけを垂らして寝ていた。あまり気に留めず自己紹介をする。
「僕の名前は波藤 雅輝。趣味は本を読むこと。そして、可逆変化は――」
おかしい、これから皆を騙すからだろうか、視線が重い、空気が重い、唇が重い。何もかもが過剰に重く感て、押し黙りそうになるが、
「何も持っていません」
何とか言い切ることができた。すると、「何もないのに、何でここにいるんだ?」「学校側が何か間違ったんじゃねーの」「クラス間違えたのでは?」と、隣の席の人と囁くこえが教室に木霊した。
「・・・以上、です」
そう言い残して、そのまま席に着こうとした。しかし、
「波藤くん、隠しごとはよくありません。それと皆静かに!」
という先生の一言で腰を下ろす姿勢のまま静止し、教室内はしんとした。
「これから、波藤くんが、包み隠さず自分の正体を明かします。それを皆は静かに聞くように」
そして先生は、僕とそれ以外の生徒に違う指示を出した。包み隠さずって、何も聞いてない。
「まーさ、手紙届いてるよ!」
二階にある自分の部屋で漫画を読んでいたとき、母さんの大声が響いた。今日発売したばかりだった漫画の続きが非常に気になったが、読んでいた頁に左手の人差し指を栞代わりに挟んだ。それから母さんがいる一階のリビングへ向かう。
リビングに通じるドアを開けたとき、
「国立第三高等学校からだって、まさ、何か心当たりある?」
僕に気づいた母さんはそう訊いた。
「いや何も」
そう答えて、家事を終えてテレビを見ていた母さんに右手を差し出して、茶色の封筒を受け取った。それには確かに、僕の住所と名前が印刷された白いシールが貼られていた。
もと来た通路をたどり自分の部屋に戻る。そして人差し指の挟まれた漫画の頁を確認して机の上に置き、両手を使える状態にして、机の上に置いてあった筆箱の中から鋏を取り出し、封を切った。
中に入っていたのは、重ねて折られた三枚の白い洋紙だった。
早速広げて読んでみると、一枚目の一番初めにはこう書いてあった。
〝あなたには、国立第三高等学校に入学する義務があります〟
・・・・・・・。
「大丈夫です、皆あなたの味方ですよ」
吸血鬼である僕が、なぜここにいるかを考え、過去を振り返っていると、先生はそう助言した。
「氷架理くんは起きてください」
先生の声は氷架理に届かない。
「氷架理くん!」
荒げた声も氷架理には届かない。いきなり大声を出すから、僕が怒られたと思った。
すると、氷架理の前の席に座っている華炎さんは、右手の人差し指を立てて、
「ふんっ!」
「がはっ!」
と、氷架理の脇腹を刺した。人差し指が脇腹にのめりこんでいる。
「起きなさい!波藤くんから重大な発表があるそうよ」
華炎さんが起きたばかりの氷架理に現状の説明をした。その説明を耳にした氷架理は他の皆がそうするように、咳き込みながらも僕のほうを向いた。これで、この教室内にいる全ての人が僕を見ていることになった。
もう、すでにこのクラスで浮いているな。先生はあんなこと言ってたけど本当かな。もうどうなっても知らないと自分のことなのに思い、観念した。教室の正面を向いて、
「僕は――吸血鬼です」
そう明言した。すると教室内の空気が凍りついたように、みんなの動きが止まった。時間でも止まってしまったのだろうか。しかし、すぐ凍解される。
「おいおい」「嘘だろ」「はあ、意味わかんねーよ」
皆が思い思いに隣の人としゃべり始めたのだ。・・・先生嘘ついたな。
「はいはい、静かに!これから波藤くんはこのクラスの一員だから、皆は彼と仲良くするように」
先生はそう言い付けたけど、皆の不安が晴れることはなく、僕の頭の中は深憂でいっぱいだった。
このあと、何があったかはあまり覚えていない。覚えていたことは考えることも儘ならない頭でとりあえず他の人についていったことくらいだった。
指揮者が持つ吸血鬼に対する印象は、畏怖と憎悪だろう。
7年前、三・二二事件が勃発したからだ。
その大筋は、ホテルを貸しきって行われた集会に、一人の吸血鬼――赤羽 義紀が侵入して、百三十六人もの指揮者を吸血、殺害した吸血鬼の黒歴史だ。そして、その吸血鬼はただ吸血し、ただ殺害したわけではない。彼は指揮者の肉を喰らい、死体は見るも無残に、身元がわからなくなるまで焼き尽くし、切断し、押し潰されていたのだ。
この日から、吸血鬼への風当たりは非常に悪くなった。指揮者は全国の吸血鬼を探索し、彼らを撲滅しようとしたこともあった。
それでいて、三・二二事件の犯人は未だ逮捕されていない。現在も何処かで生き永らえているそうだ。
そのこともあり、僕や他の吸血鬼は自分の正体を隠し、普通の人間か、指揮者になりきって生活しているのだ。いまや、いつ命を狙われてもおかしくない状態だからだ。
終業のSHR終了後、誰よりも先に教室の後にして、寮にある自分の部屋を目指した。早く一人になりたかったのだ。
けど、そのささやか願いは叶わなかった。校庭を歩いている途中、誰かに後ろから走って撃突されたのだ。
一瞬宙に浮き上がると、受身も取れず前のめりに地面に突き落とされ、一回転してやっと停止した。
「ごほっ、ごほっ」
撃突された時の衝撃で息が詰まっていた。肩は動かすたびに痛い。しかも、落下の衝撃で頬を中庭の地面に敷かれている煉瓦に擦り剥かれた。
「よお吸血鬼坊、何企んでいるかは知らねえけど、ここはてめえの居所じゃねぇんだよ」
やけに甲高いがら声に、俯いていた首を上げる。そこには、釣り目を本々が細いながらも大きく開け、唇も右側だけ大きく釣り上がって歪んだ笑みをした男の人がいた。唯でさえ縦に長い顔をもっと長くするように立てられた髪、だらしなくスラックスのボタンを外し、シャツを出し、スラックスも下ろされて腰パンしている。制服の縒れ具合から、一年生ではないと見当が付く。
「僕だって――」
「おわっと被害者妄想はやめろよ。てめえの考えていることは分かってっから、それ以上言わなくていいぜ」
全然分かってないな、絶対。しかも僕の言うことは聞いてくれそうにないし、これからどうなるんだろ。
国はこんな指揮者の巣窟に僕を捕り入れて、はなから僕を殺すつもりだったのだろうか?
ふと周りを見渡した。こちらに見向きする者はいたけど、誰も助けてくれそうになかった。
「おい!聞いてんのかよ」
はっとして、視線を送って助けを乞うのを止める。いつの間にか取り囲む人が三人に増えていた。他の二人も同じようにだらしのない格好をしていて、一人は非常にがたいがよく、喧嘩っぱやそうで、もう一人は薄紫色の髪をワックスでがちがちに突き立てていた。
「ごめん、聞いてなかった」
薄弱な声で答える、すると、胸倉を掴まれて、
「こっち来い!」
と僕に突撃した張本人が言い放ち、無理矢理立たされた。
前方には突撃犯、後方には他の二人という魔のトライアングルに、第二体育館の裏まで連れて来られた。そこには、引越し用のトラックが通れるくらいの幅があるコンクリートの道があるだけだった。
周りに人の気配がなく、隣の森から生き物の鳴き声と、木々のざわめきが響くのみだ。校庭から結構な距離を歩いてきたので、よほどの叫び声を出さないと、誰も気づいてはくれないだろう。
突然、腰の辺りに衝撃が走る。どうやら、今度は蹴られたらしい。また前のめりに転ぶ。手がコンクリートの地面に切り裂かれる。
「てめえ、ここに居る指揮者の血ぃ吸いにきたんだろ。だが、それもお終いだ、残念だったな」
衝突犯が不気味な微笑を交えながら言った。いや、そんなことは何も考えてなかったんだけどな。
悲鳴を上げる腰に手を当て立ち上がる。そして、ゆっくり後ろへ振り返った。
・・・あいつら本気だな。
目に映ったのは、撃突犯を囲むように舞う、紅い霊体だった。すでに、彼の右掌には、火花を散らす、バレーボールくらいの火の玉が顕在していた。他の二人は、楽しそうに顔面をニヤつかせている。
「てめえには、ここで死んでもらおう、あの事件の償いとしてな!」
そう言い放つと、彼はドッヂボールの要領で、その火の玉を投げた。当然、それは僕に向かって飛んで来る。
反射で霊体を出現。すぐさま火の玉の軌道に、霊体が創り出す結晶の盾を顕現させた。間髪を入れず火の玉は盾に直撃して、脳天まで響き渡る爆音を伴い爆ぜた。しかし、その盾はマンホールくらいの大きさしかなく、防ぎきれなかった爆風が盾を通り越して、頬を焼いてきた。
盾に身を守られている間、これからのことを考える。
吸血鬼である僕は、周囲に存在する指揮者が常に発する、微量の霊体を察知できる能力――霊体感知を持っている。
そのため、ここに連れて行くとき、奴らが僕を取り囲んでいた所為で、奴ら全員が指揮者であることが分かった。つまり現状、三対一の可能性が高い。まして、奴らは僕よりも上級生だ。ここは、指揮者の学び舎なので、ある程度は可逆変化を使い熟せるはずだ。
そして何よりまずいのが、僕が有する霊体がごく僅かな事だ。よく夢で再現されるあの日以来吸血していない。そのため、今行使している美穂から分けてもらった霊体が死滅してしまうと、普通の人間と同じ戦闘能力しか残らなくなる。
結論。攻撃に転じたところで勝ち目はないようだ。
その結論にたどり着いたとき、足元に弱小な爆発を起こして、その勢いを利用して、背面に思いっきり飛ぶ。その後、残りの霊体に槍になるように指示を念じた。すると、あの時のように烈々とした炎を纏っていないために、結晶のみで形成された白い槍が顕在した。しかし、それは槍と呼ぶには短すぎる代物だった。全体が指先から肘ぐらいの長さしかないからだ。頭上に浮いているその白い槍に両手で掴みかかって懸垂状態になる。そして、残った霊体を噴出し、それを推力にして、奴らがいない方向へ、ホバリングして逃亡を図った。空気は切り裂かれ、甲高い音を立て震え上がる。
「へっ、逃がすかよ」
撃突犯とは違う、低めの声が耳に入る。その声に振り向くと、視界が閃いた。それと同時に鼓膜を破らんと轟音が襲う。薄紫の髪の人は、雷創造だったのだ。雷の速さで僕に肉薄してくる。くそ、これでは逃げられない。
――すると、突然視界が真っ暗になった。轟音も止んだ。それでいて、新たな痛みは感じなかった。
二拍後、暗闇に光が差した。明度が元に戻り、目に映ったのは、第二体育館の外壁だった。それと同時に、
「跳び下りて!」
と、女性の声で端的な指示が飛んできた。槍から手を離す。三十センチ落下し、膝を曲げ、衝撃を和らげようとするが、
「おわっ!」
と情けない声を出して、膝から転倒した。膝を曲げても速度は殺せなかったのだ。コンクリートの荒い面に膝が思いっきり擦られた。
「雅輝、よく持ちこたえたわ!あとは私に任せなさい」
どうやら、声の主に助けられたらしい。地面を向いていた顔を上げ、状況を確認した。僕のすぐ近くにウェーブの利いたアップテールの女の子の後姿が在って、その五メートル先には衝突犯と、その片割れ。そのまた十メートル奥には先ほど追ってきた雷男がいた。
「きみは誰?」
と、僕の前にいる女の子に立ち上がりながら訊いた。
すると、彼女は一瞬僕に振り向いた。目は陰り、頬には窪みがなく、口がぽつりと開き、儚くて、なぜか、今にも泣き出しそうな顔をしていた。もしかして、以前に会ったことがある人だったのだろうか。けど、全く見覚えはないな。
「私はね――」
正面に向き直った女の子が、そこまで呟くように言うと口を噤んだ。その後一呼吸置いて、
「そ、そんなことより、目の前のこと、どうにかしましょう」
と、さっきまでの悲しい面影を打ち消すように、彼女は自らを活気づけた。
「あ、ああそうだったな。あのさ、一人で大丈夫?」
と訊いた。今の僕は全く戦力にならないので、実質、彼女と奴ら三人の、三対一状態なのだ。
「ええ、心配無用よ」
彼女は、何の憂いなくそう答えた。その声には、余裕がうかがえた。
「あなたたち!か弱い高校一年生に、三人がかりで襲い掛かるなんて、見苦しいと思いません?」
そう立ち塞がる女の子が言い放った。彼女の身を包む制服には、真新しさがあるので、おそらく彼女も一年生なのだろう。
「はあ、てめえ誰だよ?」
衝突犯が、荒げた声で訊いた。
「私は、この学校の巡回者よ」
指揮者の悪事を取り締まる実力者。そう答えると、衝突犯の顔が歪んだ。
「こんなことして許される訳ないわ、あなたたちには後できぃっつい指導が待ち構えているわね」
続けて、彼女は微笑み混じりにそう告げた。
「へっ、けど、てめえたった一人で俺たちを捕まえようってのか」
一番遠くにいる雷男がそう大声を出した。
「そうだな、あいつを倒して、吸血鬼も殺っちまえば、万事解決だな」
それに納得した、衝突犯がそう言い返した。とんだ勘違いだ。
「今度は逃がさねえぜ」
雷男は青紫の霊体を出現させた。気づいたんだけど、衝突犯の隣にいる奴、一度も喋ってないな。とりあえず、他の二人に付いて行こう見たいな感じだな。
その雷男の戦う意欲に、
「そう、なら、仕方がないわね」
立ち塞がる女の子がそう呟くが、彼女の霊体は一向に姿を現さなかった。
「へっ、早々負けでも認めてんのかよ。さっきの力はもう使えないってか」
そう雷男が立ち塞がる女の子に訊いた。すると、突然彼の右肩の上に漆黒の口内を曝け出すかのように、何かが開いていた。よく見るとその漆黒の穴は彼の周りに五箇所くらい顕現され、近くにいる霊体を呑み込むように移動し、実際その漆黒の穴は霊体を呑み込んでいった。
「いいえ、あなたこそ、負けを認めたらどうですか?」
立ち塞がる女の子が余裕の面持ちでそう答え、雷男の辺りにいる霊体がいなくなった頃、
「はあ!てめえ、調子こいてんじゃねえよ!」
気の荒い雷男はそう叫んで、何も気付かずに、右手を立ち塞がる女の子のいる方向に差し出して、雷を顕現させようとした。しかし、雷に変化させる霊体が残されていなく。
「ん」
と右手を差し出したまま、立ち尽くすのみだった。
「な、て、てめえ何しやがった?」
「教えて欲しい?」
雷男の呟きに、蔑むように立ち塞がる女の子がそう訊いた。雷男のこめかみに皺が寄る。
「ああぁ!もう許さねえ!」
苛立ちを募りに募らせた雷男は、そう叫ぶと、全身から数多の霊体を出現させた。一泊置かない内に、彼の姿は消え、代わりに空気を激しく揺す振り、目を閉じても網膜に突き刺さる、一閃の雷が顕現された。
音速を超えて、彼女に突進するそれは、間髪挟まず彼女を襲うはずだった。
しかし、彼女の目の前に位置する空気が歪むと、雷光は歪みに呑み込まれ、消失してしまった。そして、僕たちが来る前の閑静を取り戻す。
「て、てめえ!貴也を何処へやった!」
閑静を破ったのは衝突犯叫び声だった。
「にわか雨にご注意ください。雨は降りませんけど」
その彼の叫びに立ち塞がる女の子は淡々と答えた。
すると、再び鋭い光が網膜を刺激した。それと同時に、
「うがあああぁあぁあ!」
衝突犯は、その光に感電した。彼の遥か頭上、晴天の空から、雷が覆い被さってきたのだ。その際、衝突犯に被された雷は、次々と無数の霊体へ逆行し、彼の傍に集結、その後集結した霊体は淡い光を灯し、元の雷男の姿となった。その間に、衝突犯は気を失って倒れてしまった。
「へっ、手応えあったぜ」
そして、その雷男の顔は、達成感でニヤ付いてた。しかし、その顔は、一瞬にして豹変する。
「な・・・」
「ご苦労様」
襲ったはずの、女の子が無傷で立っていたのが彼の目に映ったからだろう。三日月のようだった目は、二倍に開かれ、こちらも三日月だった唇は、満月の如く開かれた。
すぐ雷男は、辺りを見渡した。そして、すぐに自分が襲った正体が明らかになった。
「勝久!勝久なのか?」
隣でぐったり倒れた衝突犯を見つけて膝をつき、雷男は彼の肩を揺さぶりながら声を限りに叫んで、彼の意識を呼び戻そうとした。
「大丈夫。始めから私のこと本気で殺そうとか思ってなかったでしょ?だから、死にはしないわ」
女の子はそう雷男を慰めた。ただ、その隣には、
「・・・・・」
彼女を睨み付ける、沈黙の瞳があった。しかし、彼女は気にした様子もなく、
「これ以上、雅輝を打ち倒そうとするのはやめなさい。行きましょう、雅輝」
そう言い残し、彼らに背を向けた。
「あ、ああ」
ここに残っているわけにも行かず、背を向けた女の子に付いて行くことにした。奴らは、怖気づいたのかこれ以上攻撃してこなかった。
「ごめん、待たせたな」
右側の頬、右手、右膝の傷口に軟膏を塗って、ガーゼで塞いでもらうと、保健室の長椅子に腰掛けている、さっき助けてもらった女の子に声をかけた。
「大丈夫だった?」
その女の子が心配そうに訊いた。
「うん、ただの擦り傷だった。ありがとな」
正直、今は傷口より、突き飛ばされたり、蹴られたりしたところのほうが痛むな。けど、彼女を心配させるわけにはいかないので、そう答えた。
「どういたしまして。雅輝が無事で良かったわ」
すると、彼女は胸を撫で下ろして、僕に微笑みかけた。その時、その彼女の笑顔が綺麗だなと、思った。
ピアノのようにつやのある黒い瞳、整った鼻筋、薄紅色の唇。全てが彼女の笑顔の魅力を引き立てていたのだ。
けど、見惚れていないで、気に掛かっていたこと訊く。
「あのさ、なんで僕のこと名前で呼ぶの?」
この女の子と話したのは、今日が初めてのはずなのに、彼女は僕のことを苗字ではなく名前で呼んでくるのだ。しかも彼女に名前を教えた記憶はない。
しかし、この答えはすぐに帰ってこなかった。代わりに彼女は目をそらして、
「もう、あの時の雅輝じゃないのね」
と自分にしか聞こえないように呟いた。
「え?」
その呟きを聞き取れず、もう一度言ってもらうように促した。
「ごめんなさい。気にしないで。あと、馴れ馴れしくてごめんなさい」
「いや、謝らなくていいよ」
二度も謝られて、何だか気まずくなった。
「それと、名前はなんていうんだ?」
この女の子の名前を知らなかったので訊いた。
「やっぱり、私の自己紹介聞いてくれなかったのね。改めて紹介するわ、私の名前は日々谷 希、可逆変化は虚空創造よ」
「なっしぃんぐねすくりえいと?」
一体、どういう可逆変化なんだ?聞いたことのない言葉なので、鸚鵡返ししてしまう。
「簡単に言うと、別次元に空間を作り出す可逆変化よ。あとは、適当に出入り口を開ければ、その空間と、元いた次元とで行き来できるわ」
「なるほど、それで、僕がいきなり日々谷さんの後ろに行ったり、雷が突然消えてなくなったりしたのか」
「そういうこと。あとはその空間に閉じ込めた雷をあの釣り目の真上から落としてあげたわけ。それと、私の席は波藤くんの後ろよ」
ポツリと明かされた事実に呆然とした。
「え、ごめん。全然気付かなかった」
「しょうがないわよ。誰だって、始めは緊張しているもの」
確かに緊張していたかもしれない。ある日突然この学校から封筒が来て、成り行きでこの学校に入学して、なぜか指揮者の集まるクラスに入れられて、吸血鬼であることを白状させられて、周りの人が全員敵に思えていた。
そんな時、日々谷さんに会って、彼女とこうしてお喋りして、曇天な先行きに、光が差した気がした。氷架理とも、また他愛ない話できないかなぁ。けど、まだ不安は残っている。
「いいのか?」
だから、日々谷さんに一つ訊いてみることにした。
「どうしたの?」
脈絡ない言葉に、日々谷さんは首を傾げた。
「僕は、吸血鬼だよ。そんな僕と一緒にいて、いいのか?」
それは、吸血鬼であるために、再び誰かに疎ましがられるのが怖かった。だから今のうちに訊いておこうと思ったのだ。
「それがどうかしたの?私はそんなこと、気にしてないわ」
心配とは裏腹に、日々谷さんはそう答えた。信じられなかった。今までそんな人、お母さんしかいなかったのに。
「本当?」
だから、もう一度訊き返してしまった。
「ええ、本当よ」
すると、すぐに日々谷さんは微笑んで、そう答えた。
その答えが嬉しかった。今まで人間として生きて、自分の本来の姿を否定され続けてきた僕を、日々谷さんは認めてくれると言うのだから。
「ありがとう」
思わず、この言葉が口から出てくる。今までの苦悩から、抜け出せた気がしたからだ。
「そう言われるほど、私は何もやってないわよ。それより、これからちょっと付いて来て貰うわよ」
僥倖に浸っていたら、日々谷さんに、何かを誘われた。断れる立場ではないし、日々谷さんの華やかな微笑みに、
「うん、いいよ」
と頷くしかなかった。
「遠藤、波藤くん連れてきたわよ」
「なぜ俺は呼び捨てで、波藤にはくん付けなんだ?あとここでは――」
「『教師だから、〝先生〟を名前の語尾に付けなさい』でしょ」
僕が日々谷さんに連れて来られたのは、セミナー4教室という、三階主要棟の隅っこにある、一度行ってみないと場所を覚えられないような狭い教室だった。
普段授業で使う教室より一回り小さい黒板、その正面には教卓、あとは生徒が授業中使うであろう机と椅子が十二席並んでいるだけだった。
その教卓の前で、生徒が使うのと同じ椅子に、遠藤先生が腰掛けて待っていたらしい。
「分かってるなら次からは頼むよ。俺はこれから人を連れてくるから、ちょっとここで待っててくれ」
遠藤先生は席を立ち、教室を出て行こうとした。入り口塞がるように立っていた、僕と日々谷さんは道を開ける。すれ違いざまに日々谷さんは、
「しょうがないじゃない、長い付き合いなんだしさ」
と、微笑み混じりに言った。
「それでも、今は君たちの先生だ」
遠藤先生はそう言い残し、足早にセミナー4教室を出て行った。足音が遠くなった頃、
「いきなり先生なんて呼べるわけないわ。ねえ波藤くん?」
日々谷さんは口を開いた。
「ちょっと状況が理解できてないや。つまり日々谷さんは遠藤先生とこの学校に入る前から、何か縁があったの?」
「ええ、遠藤とは遠い親戚で、小学生の時からよく会っていたわ。あの時はただの学生だったのに、今は先生とはねぇ」
日々谷さんは、そのことに驚きを隠せないようだった。
「へぇ、そうだったんだ」
だから、あんなに親しいわけか。
「今まであんなに偉そうでもなかったのに、遠藤が先生になって、私がここの生徒になって、それからよ、彼があんな態度を取るようになったのは」
「きっと、先生としてのプライドがあるんだよ」
「そうかねぇ。あの遠藤がねぇ」
日々谷さんは、遠藤先生を先生と呼ぶのに納得いかない様子だった。
「お待たせ」
遠藤先生が教室を出てから、僕たちは適当に机に座って待っていた。二分後くらいに、彼はここへ戻って来た。その背後の姿を目にして、
「あっ!」
思わず目を疑って、机から立ち上がった。
「お久しぶりです」
何度も夢に出てきた、金色の仮面男がいたのだ。あの時と同じ灰色のスーツ、純白の手袋、白髪の混じって灰色に映る髪も同じ型。室内だからか、あの時とは違う艶のある黒い革靴を履いていた。
その仮面男は仮面に手を掛け、外した。
露になった顔全体は、高年を思わせる、灰色の髪と違って、深い皺は刻まれていなく、思いの外若々しいものだった。
「そして、此の間は申し訳ありません」
突然謝られても困るな。しかし、あの時とは打って変わって、やけに丁寧な口調だな。
「紹介しよう。彼は霊体指揮者探索班、班長の荻川 礼二郎先生。荻川さんも波藤くんと同じ吸血鬼ですよ」
「へ、」
呆然と立ち尽くした。何でここに吸血鬼が居るんだ?
「遠藤先生、波藤くんがお困りのようですよ」
「ああそうだね、ちょっと唐突すぎたな。あと、今ここで話すことは他の人には秘密な」
「あ、ああ、分かった」
確かに、校内に吸血鬼が普通に居たとしたら、問題に発展してもおかしくないからな。僕なんかがいい例だ。
「そもそも、国立高校には大抵吸血鬼が四・五人所属しているのよ。なぜだと思う?」
質問してきたのは、日々谷さんだった。
吸血鬼が国立高校に所属する理由。何だろ?やっぱり、
「国立高校の保護かな。ここには、多くの指揮者が集まるから、それを保護するのに何か絶大な力が必要な気がするし、ここなら、複数の指揮者を吸血して、種種霊体の指揮者になるのは容易いことだと思う」
「それもあるわ。けど、それより、彼らにはもっと重要な任務があるのよ」
自信があったんだけどな。自信があった答えが外れると、なかなか次の答えが出にくいんだよな。そして一分くらい経った頃。
「駄目だ、全然思いつかないや」
「それじゃ、ギブアップする?」
日々谷さんが、楽しげにそう問いかける。悔しいけど、
「ああ、ギブアップする」
「そう、じゃあ答えは・・・、その内話すわ」
「そんな・・・」
日々谷さん今僕で楽しんでるな。それでいて、焦らして何も言わないなんて、なんて意地悪なんだ。
「冗談よ、今話すわ。だからそんなに落ち込まない、ね」
「あ、ああ、分かった」
日々谷さんは首を傾げながら、僕を慰める。その時の微笑は、とても同じ高校生とは思えないくらいに大人びていた。
「いきなり、答えを明かしても面白くないから、まずはヒントから。荻川先生は〝霊体指揮者探索班〟の班長よ」
さっき、遠藤先生がそう紹介したな。それが今回の答えにどのような・・・。ん、
「・・・そうか!霊体指揮者探索班は吸血鬼の仕事、ということだな」
「正解。吸血鬼の波藤くんにこのヒントは分かりやす過ぎたかな」
「霊体指揮者探索班は霊体感知を使って、街中から指揮者を探し出していた。・・・理由はこれで合ってる?」
「それも正解。この学校に三百人以上いる指揮者のうち、三割くらいの九十七人を、霊体指揮者探索班が探し出したのよ」
日々谷さんは満足げに、僕の解答を聴いた。
「横槍を差すようで申し訳ありません。私は波藤くんの仰るとおり、その能力を使い。街中であなたか、その隣をお歩きになっていた紫室さんが指揮者であること窺知致しました。その後、人気のない住宅街にあなた方が差し掛かった頃。私は殺人を装い、あなた方に襲い掛かりました。もちろん、当時この私に殺意などございませんでした」
荻川さんが執事のような口調で、あの時の真実を語った。彼の口述で出てきた紫室さんは、あの時まで、僕の友人、というよりは親しい関係にあった美穂のことだ。
「ちょっと待てよ。いくらなんでも、襲い掛かってくる必要はないと思うんだけど」
あの頃も、そして今も、突然指揮者が人を襲ったという話を、滅多に耳にしない。あるとしても年に一二回程度だ。
もし霊体指揮者探索班が、指揮者を見つける度に襲撃していたとしたら、普通はもっと巷で話題になったり、指揮者に注意を促されたりするはずだ。事実。その話も聞き入れたことはない。
「そうですね。あなたの仰るとおりです。普通は、住所を調べ、そこへこの学校にご入学して頂けるよう、お手紙をお送りします。ですが、あなたの場合は少々特殊でして・・・」
荻川先生は言葉を途切れさせると、純白の手袋を、灰色のスーツの内ポケットに差し入れて、一枚の黄ばんだ四つ折りの紙を取り出した。そして、その紙の表が僕に見えるように裏返した。
「な」
そこに色鉛筆で描かれていたのは、血のように赤い色の髪を持つ、一人の少年だった。絵師にでも頼んだかのように、その目鼻筋、顔の輪郭までもが僕にそっくりだった。
「あなたを探しておりました」
確かに、僕の髪の色はこの似顔絵のような赤い色だ。ふと、視界に映る自分の前髪の色を確認する。しかし、その髪の色は、多くの日本人がそうであるのと同じ、混じりけのない黒色だった。そうだろう、この色に髪を染めているのだから。髪が赤いのは、その人が吸血鬼の血筋にあることを示す。だから他の色に染めておかないと、吸血鬼であることが他人に認知されてしまうのだ。そういう訳で、物心つく前から、母さんに髪を黒く染められていたのだ。そのため自分の髪が赤いところなど一度も見たことがない。母さんが本来の髪の色を僕に教えてくれなければ、今も自分の髪の色を知らないだろう。
なら、どうして荻川先生は、僕が赤い髪を持つことを知っているのだろうか。
「驚くのも無理はないです。しかし、私の手元にはこの絵しかありません。そして、これでは同じ顔である少年が、あなたであるかどうか私には存じませんでした。ですので――」
「――僕と美穂を追い詰めて、僕が美穂を吸血するかを確かめた」
続きを言い当て、荻川先生の言葉を遮った。彼の話を聞いて、憤りを覚えるが、あまりにもその憤りが大きすぎて、表に出したら後戻りできないところまで行きそうだった。
「ご明察です」
荻川先生は目を細めた。その後、この話は終止符を打たれ、沈黙がこの教室を覆う。
「ちょっと質問していいかな?」
その憤りを抑えここに居る三人を見渡しながら訊いた。
「そうだな、このまま話を続けてしまっては波藤くんに悪い」
遠藤先生がそう答える。それに「ええ、そうしましょう」と日々谷さんが、「そうですね」と荻川先生が頷いた。
「僕と同じように、ここには吸血鬼の生徒は他にいますか?」
と訊いた。それに答えたのは遠藤先生だった。
「波藤くんの他に、一年生に一人。吸血鬼をこの学校に取り入れることにしたのは今年からだから、これで確認されているのは全員だ。もしかしたら、一般の生徒の中にも吸血鬼がいるかもしれない」
「次の質問は荻川先生に、僕の髪が赤色だとなぜ分かったんですか?」
「申し訳ありません。今はその問いにお答えすることはできません」
荻川先生は、そう丁寧に断った。それ以上詮索しないことにした。
「最後に、今年から吸血鬼をこの学校に取り入れた理由は?」
これは、今の僕にとって一番の疑問だった。春休みを終えた一番最初の日に、僕は殺されそうになったのだ。
「それは、これから話し合う議題に関係のあることね」
答えたのは日々谷さんだった。
「そうだな、すまないが波藤くん、このまま本題に戻っていいか?」
それに遠藤先生が続いた。
「そういうことだったら、どうぞ」
彼の提案に肯定した。
「それじゃ、話を戻すわ。さっきまで話していた通り、今まで、国立高校の間で吸血鬼は霊体指揮者探索班の役割しかほとんどなかったわ。けど、これからそうはいきそうにないのよ」
日々谷さんは深刻な表情で話を切り出した。
「どういうこと?」
「それは三・二二事件の首謀者、赤羽 義紀が、吸血鬼によるテロ組織を設立したらしいのよ」
「そんな・・・」
一度で百人以上の指揮者を殺戮した吸血鬼が、他の吸血鬼と手を組んでしまったら、それは重大な事態だ。またいつ、一挙に多くの指揮者が殺害されてもおかしくないのだ。
「そこで、俺たちが出した意見は、吸血鬼――種種霊体の指揮者の育成だ。もはや、個々の指揮者では彼らに太刀打ちできないところまで来ている」
そう切り出したのは遠藤先生だ。
「つまり、僕が種種霊体の指揮者に成ればいいということか?」
「そのとおり。赤羽がその気になれば、この学校なんて十分も経たないうちに手も足を出ずに壊滅状態になるのよ。だからお願い!――波藤くん!私たちに力を貸して!」
日々谷さんの声は徐々に大きくなって、仕舞いには切羽詰ったかのように、僕の両手を握って懇願してきた。その手は、さっき僕を助けてくれた日々谷さんと同じ手に思えないくらい、小さな手だった。改めて、日々谷さんの顔を見上げてみると、思ったより背丈は低かった。すぐ傍にいる彼女は今、僕を見上げ、僕の目をまっすぐ見つめてている。
しかし、日々谷さんの願いに頷くことはできなかった。いきなり戦いに出ろと言われて出てしまうような、空想上で理想とされている主人公ではないのだ。
「ごめん、考える時間が欲しい」
だから、そう目を逸らして断ることしかできなかった。日々谷さんが手を握る力は徐々に弱まり、その両手は垂れ下がるのみとなった。
「ごめんなさい、いきなり手を馴れ馴れしく握ってしまって。・・・そうよね、いきなり共に戦う仲間になれなんて言っても、そう簡単に許すわけにはいかないのよね」
日々谷さんは落ち込んだようにそう口にした。
「そうだな、日々谷さんの言うとおり、いきなりとは言わない。気が向いたら、俺や、日々谷さんに話して欲しい」
波藤先生がそう僕に話をつけると、短い沈黙が教室に訪れた。
「今日の話し合いはここまでにしよう。波藤くんはここで、お開きにしていいよ。一学期早々、こんな話をしてすまないな」
「そんなことないです。・・・失礼します」
皆に背を向けた。
⁑⁑⁑
静かに音を立てて、戸が閉まる。
「・・・」
私、雅輝に、いや、波藤くんに取り乱してしまったわ。
「よくやった」
「ええ、私にはとても真似できません」
俯いている私に、遠藤が添えるように右肩に手を置いた。それに続いて、荻川さんが述べた。
「まさか、こんなに辛いなんて、思ってもいなかったわ」
波藤くんと話しているとき、私は思い出してしまった。海馬の奥底に眠らせておいたはずの、――未来である過去を。
――砕け散る氷の繊細な音。叶わなかった悲痛な叫び。命を燃やす烈火。力なく消えゆく炎。失ったものを鬼哭する声。希望となるはずだった光。――
全てを、ここ最近の出来事のように頭の中で掻き雑ぜられた。
この日を忘れてはいないものだと思っていた。しかし、実際はこうだ。今でも鮮明に思い出すと、さっきのように我を失ってしまう。
「俺自身も、今は亡き妻に会ったとき、同じようになったと思う。俺は声すら掛けられなかった」
遠藤は私にそう囁いた。
「いいのかい?希。彼らは、希が言ってた親友たちじゃないか。この三人と同じクラスになって」
「いいわよ。今度こそは、皆護り抜いて見せるわ」
春休み初め、遠藤はクラス決めの真っ最中。遠藤は私の提案に憂いを抱いていた。
「そういうことじゃなくて。フラッシュバックに見舞われる。それに変わり果てた彼らに逢うのは、希が思っているより遥かに、残酷なものだぞ」
前に遠藤に話されたわね、『俺は妻と目が合っただけで、居ても経ってもいられず、その場を後にしてしまった』と。
けど、恐れていては何も始まらない。それは求めていたものがいつまで経っても手に入らないのに繋がるということよね。
「大丈夫。私決めたもの。雅輝と氷架理と華炎を何があっても護り続けると」
「私は誓った、のよ、何があっても、雅輝と、氷架理と、華炎を護り、続けると。例え私のこと全、く覚えていなくても、どんなに変わり果てて、いても」
私は自分に言い聞かせるつもりで放った。波藤くんが居なくなってから、身体中の震えが止まらない、涙腺が崩壊寸前だし、嗚咽も止まらない。
「わた、しの、覚悟が、まだ足りなかったの――」
「そんなことは、全然ない。覚悟なんて、どんなに積んでも高さだけが大きくなって、ちっとも厚さが変わらない。ちょっとした衝撃にすら耐えられない、紙のような壁だ」
遠藤が私を慰めてくれた。彼を言葉と口調に少々驚きを覚えた。
「遠藤、いつから、先生みたいになったのよ」
嗚咽をこらえながら問い掛けた。
「俺は、五年前から先生だ」
「そういうことじゃなくて」
そう呟いた。
目を通していただきありがとうございます。
続きはしばらくお待ちください。
もし待ってくれる人がいたら、僕は感激します。