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暗いところでは足元に注意しよう

 辻沢市内は人と自然がある程度共存する町、いわゆる田舎というやつで都心では考えられないような抜け道なども数多く存在する。

 薫の家までは歩いて二十五分程だが、それは学校の定めた通学路を使った場合の話で、抜け道や裏道を使えば、自宅までの距離を大幅に短縮する事も可能である。

 したがって学校の生徒は殆どの場合通学路は使わずに獣道を突っ切ったり、迷路のような林の中を突っ切る方法で家へと帰る。

 薫もその中の一人でいつも複数ある近道の中からその日の気分でどの道を行くのか決める。

「今日はこっちから帰ろう」

 薫の選んだ抜け道は、様々な木々が蔽い茂る雑木林だった。夕暮れ時の弱い光は完全に遮られ、数メートル先も見えない。

 鬱蒼とした林を突っ切るのは流石に抵抗があるが、通学時間が半分以下になると言うメリットがあるため、薫はよくこの道を使う。

 この道は高校に入学してから発見した抜け道だった。

 薫が早く帰りたがるのは別に彼女がプライベートはなるべく家で過ごしたい引き篭り予備軍というわけではなく、彼女の両親が経営する店の手伝いをするためだ。

 両親が店を経営していると言っても、特別大きな店でもない。むしろ小規模な小料理屋だが薫はその店が好きだった。

 小規模店の例に漏れず、小料理屋『朝倉』は常連客で成り立つようなものだ。料理の味は良いらしく常連達には隠れた名店と言わせる程だ。

 一度、口コミで噂が広まり、とあるニュースのグルメ特集に取材をさせて欲しいとオファーがあったことは薫の自慢である。

 しかし、薫の父親つまり『朝倉』の店主である朝倉豊治(あさくら とよじ)はそのオファーを断ったのだ。

 テレビに出れば客足も伸びると喜んでいただけに、父の判断に納得できない当時の薫は理由を訊ねた。

「客足が伸びたら今まで贔屓にしてくれた常連さんに迷惑が掛かる。俺はうちの雰囲気や味を本当に大事にしてくれる常連さんを大事にしたいからな」

 その時薫は父の商売人としての本質を見たのかもしれない。

 利益を伸ばすより、常連客への義理通しを選んだ父は経営者としては三流かもしれないが、薫にはそんな父が妙に誇らしく思えた。

 結局客入りはそんなに伸びなかったが、そんな父の判断は常連客達には好評だったらしく。自分の部下を連れてきたりとか忘年会等の会場に朝倉を選んでくれたりと昔以上に贔屓にしてもらっている。

 親に手伝えと言われたわけでもない、バイト代が出るわけでもない。それでも薫が親の店を手伝うのは、気のいい常連客との冗談の飛ばし合いや、長年かけて常連客との関係を築いた父親の傍らに身を置く事がいい勉強になると信じているからだ。手伝いのために早く家に帰ろうという気にもなる。だからこそ鬱蒼とした林も突っ切る事が出来るのだ。

 薫は鞄から常備した懐中電灯を取り出すと、林の中へと入っていった。

 木々が蔽い茂った林の中は冬の夕方には既に光が届かなくなるので懐中電灯の灯りが頼りだ。

 しかし、残念ながら懐中電灯だけで視界を百パーセント確保出来るわけではないので、用心しながら歩を進める。

 そういえば今日は自分のクラスメイトが手伝いに来るかもしれないという事を思い出した。

「部屋に生えたキノコを食べた、か」

 その場面を容易に想像できるので思わず笑ってしまう。

 斗蔵慶一と親しくなったのは九月の文化祭の時だという事を思い出す。一緒に行動するようになってからからほんの二ヵ月しか経っていないという事実に驚く。

「なんか、もっと昔から一緒に居たような気がするんだけどなあ」

 元々はクラスが一緒というだけで話をした事もなかった人間だ。それが何故あんなに近しく思えるのかという疑問はきっと解明する命題の一つなのかも知れない。

 ただし、薫が一つだけ断言できる事は、慶一に恋愛感情は抱いていないという事だった。

 よく、男女間の友情は成立しないと嘯く人間がいるが、薫にはそうは思えない。現に慶一は自分にとって大切な友人だという認識だし、向こうもそう思っていると信じている。しかし、彼に対して友情という言葉では済ませないような感情を持ち合わせているのも事実だが、断じてそれは恋愛感情ではない。むしろ異性としての魅力ならば彼の友人の佐久間智樹の方に感じている。

 慶一に抱く感情は正体不明だが、決して気持ちの悪い物ではない。むしろ心地好い。

 もしやこれが愛というものではないか。という考えが頭をよぎるがあまりにも馬鹿馬鹿しかったのですぐに忘れる事にした。

「出来の悪い弟ってのも違うしなあ」

 自分が今だかつて遭遇した事の無い未知の感情について考えていた薫の視界が突如大きく振れる。考え事に没頭しすぎて注意が散漫になっていた。彼女がごく自然に踏み出した足の先は極端に傾斜の強い崖のような坂が続いていた。

 体勢を立て直すような事も出来ず、みっともなく地面を滑り落ちてゆく。三メートルはある高さをほぼ垂直に滑り落ちた薫は勢いよく尻餅を付くように着地した。

「うう、痛あ。死ぬかと思った。っげ!」

 思わず声を上げてしまったのは自分が落ちたすぐ横の地面に所々歪に突き出した大きな岩があったからだ。

「よかった、ここに落ちなくて。私ってラッキー……ではないよね」

 とにかく現状を把握しよう。次の行動方針を決めた薫はまず自分がどこかに大きな怪我を負っていないかを確かめる。所々擦り傷はあるが、骨や筋には異常はない。尻餅を付いたところは未だにジンジンとした痛みが残っているが、歩行には問題なさそうだ。自分の体に下した診断だった。

 それが終わると、自分の体の動かし方を確かめるような動作で立ち上がる。

 薫の腰に痛みが走る。落ちたときの衝撃で痛めたのだろう。

 動けないほどの痛みはなかったので手で腰を摩りながら、落ちていた懐中電灯を拾い上げるとノロノロと辺りを見回す。

 そこで初めて妙なことに気が付いた。よく見ると薫の落ちた穴は、円柱型の抜き型で地面を繰り抜かれたように綺麗で均一な物だった。薫の目算及び主観だが半径が十メートルはありそうなその穴の深さは何処も同じで、地面は綺麗に均されたような印象を与えた。

 さらに薫が落ちてきたのと丁度反対の斜面にこれまた綺麗なアーチ型の横穴が空いていたのだ。

 近寄ってみなければ具体的なことは分からないが、大の大人が三人は楽に通れる程の穴だった。

「なによこれ。大規模な嫌がらせ?つうかこれどうやって上るのよ?もう訳分かんない。ああイライラする」

 あまりにも理不尽な展開に憤る薫。自分が落ちてきたほぼ垂直な斜面を思い切り蹴飛ばす。しかし壁を蹴ったところで状況が好転するわけはない。

 分かった事といえば質量の大きな無機物に八つ当たりをしても痛いだけということ。蹴った力がそのまま薫の足に向かって跳ね返ってきた。つま先を抱え飛び跳ねる様子は誰かに見られるのは恥ずかしいが誰にも見られていなくても十分空しかった。

「なにしてるのかねえ、私は……」

 情けなさのせいか、仰ぐように上を見る薫の目に飛び込んできたのはかささっきまで歩いていた林の中とは違い、既に陽の落ちた空に浮かぶ星空だった。周囲に光がないのでよく見える。

「星って意外に明るかったんだ」

 電球等の光には遠く及ばない弱い光だが、その控えめな輝きを薫は好きだと思った。

「とにかくどうにかして上に出なきゃ」

 といっても具体的にどうするかは何も分からない。真っ先に思いついたのは携帯電話で助けを呼ぶ事だったが、薫のいる場所は圏外だった。

 斜面を掘り進め、階段を作って出ようかとも考えたが、固い土を素手で掘るのは現実的ではない。

 結局落ちてきた箇所をもう一度上るという方法を取ったのだが、斜面は急な上に取っ掛かりがなる物が少なく、とても上れるものではない。

 一時間が過ぎ二時間が過ぎた頃になると、体力が限界を迎えたのか、薫は地面にへたり込む。汗と泥にまみれた顔を制服の袖で拭う。落ちてきた所を上るのは不可能だった。

「あと、可能性があるとすればあの穴か」

 薫が見つめる先には先程発見した不自然な横穴があった。

「でも、あからさまに怪しいよね」

 とは言ってみたが、最早あそこに入るぐらいしか薫には思いつかない。一つ溜息をつくと、ノロノロと穴の中へと入って行った。

 穴の中は緩やかに下降している。外から見た段階では土に穴を掘っただけの物かと考えていた薫だったが、中に入ってみると木材で補強がされていた。穴の壁面に木材を貼り付け、土が落ちてくる事を防いでいる。更に地面から天井に向かって同じ間隔で柱が立てられている。天井には播の様なものもあり、中々頑丈そうな造りをしていた。もっとも補強に使っている木材が腐っているのでしっかり機能するとは到底思えない。

 当然電気など通っておらず懐中電灯の灯りを頼りに歩を進めるよりほかに無い。全くもって不安である。

「どうして下がるかなぁ。私は上に出たいんだよ」

 ポツリと呟く薫。先程から自分の独り言が多い事は自覚していたが、独り言でも言わなければ不安で仕方が無い。

 薫の願いとは裏腹に、穴は下へ下へと続いて行く。どのぐらい潜ったのだろうか。緩やかな下降が終る。

 直線的に伸びた道の先に薄ぼんやりとした明かりが見えた。

「なんで?」

 明かりが見えた瞬間、薫は立ち止まる。電気一つ無い穴の中にどうして明かりが?不自然。危険。誰かいるの?思考とも呼べない単語の羅列が、薫の脳裏を目まぐるしく通り過ぎてゆく。

 元の場所に戻ろうかと考えたが、戻ったところで事体が好転するとは思えず。仕方なく光の方へと進んで行く。 

 暗いトンネル状の穴の先には大きな空間が広がっていた。正方形の箱の中の様な空間の四隅とそこからの対角線どうしの交点となる位置に古びた松明が置かれていた。

 松明には明かりが燈っていて薄ぼんやりとした明かりの正体はどうやらそれらしい。何故こんな所に明かりが燈っているのかはすぐに分かった。ゆらゆらとした松明の明かりは蛍光灯に比べれば弱い光ではあったが、その光はしっかりと薫よりも先にこの空間に辿り着いていた先客の姿を映し出していた。

 先客は薫と同じか少し歳下ぐらいの少女だった。十二月ということもあり点々と赤い模様の付いた白い厚手のコートを着込みベージュのパンツを穿いていた。茶色のブーツには所々に泥が着いている。

 黒い髪を後ろで団子状に纏め上げている。細く尻下がりの眉、疲労の色が色濃く現れる目、鼻は高いが尖った印象は無い。緊張で真一文字に結ばれた唇、そして白いコートに付いていた赤い模様と同色のベタ付きあるものが付着した陶器のように白い肌。

 赤いペンキを刷毛によく染み込ませ、それを彼女に向かって振り回せば丁度今のような姿になるのではないだろうか。もっとも、彼女に付着した模様は赤いペンキよりも幾分黒ずみ鉄臭い物だったが。

 異様な色彩の少女はゆっくりと立ち上がる。薫は少女の手には片刃の刃物が握られていた。刃渡りは短いが、包丁やぺティナイフ等とは根本的に用途の異なる刃物が松明の光を反射する。映画などで見た事がある。

 薫はその刃物の名前を思い出そうとするが、どうにも思い出せない。

 刃物にも赤いものは付いている。それを見たときようやく薫は少女の顔や体に点々と付く赤い模様はは血なのだと気が付く。

 心臓が早鐘を打ち始め、呼吸が苦しくなった。

 重圧から逃れたいがために一歩後ず去る。

 少女は立ち上がっただけで動かない。じっと薫を見ているだけだ。睨んでるようでもなければ獲物を狙うような獰猛さも感じられない。ただ見ているだけだ。その目付きが逆に怖かった。

「誰?」

 口を開いたのは薫ではない。よく通る澄んだ声だった。声を発したのが目の前の少女だと薫が気付くまでに若干のタイムラグがあった。

「え、あ」

 目の前の少女に自分の情報を与えてしまっていいのかの判断が付かず、馬鹿みたいな声を出す。そんな薫の様子を目の前の少女は大して気に掛けた風でもなかった。

「用が無いなら早くここから出たほうがいいわ。もっとも、ここに用がある人間だったら殺すけど。あなたは違うでしょ」

 なんでもない口ぶりだった。殺すという単語すらも滑らかに口から出ている。

「あなたはなんなの?」

 ようやく出た薫の声は震えていた。

「分かりにくいけど、そこに通路があるわ。そこから出れば外に出られる。高いところから落ちる事になるけどね。大丈夫死にはしないわ」

 薫の問いには答えずに少女は薫がまだ通っていない通路を指差しながらそう言うと血液の付着した顔で弱々しく笑った。ようやく彼女が自分を気遣っている事に気が付く。その時初めて、薫は少女の容姿が人並以上に整っているのだと認識する。

 少女の見せた弱々しい笑顔と自分への気遣いに薫の心は揺れ始める。全身が血塗れの少女には何かの事情があるのかもしれない。しかし、同時にこうも思った。深く関わらない方が正解だ。 

 どんな事情があれ、全身を血塗れにするのは異常だ。関わらない方がいいに決まっている。自分にどうにか出来る範囲を当に逸脱してしまっている。

「早く行った方がいいわ。ここに居てもろくな目に遭わないから」

 全く動く様子のない薫に少女は言う。少し焦れている様子だ。

 全身に血を浴びて疲れ切ったような顔をしながらも私を気遣い、その時だけは弱々しく微笑んだこの少女は信用できるのだろうか。

 そもそも、この少女を自分は一体どうしたいのだろうか。色々な事が異常過ぎて薫の思考もまとまらない。

 しかし、これだけは断言できる気がした。

 目の前の血塗れの少女は、悪人ではない。

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