53.再会
恵は波紋のように寄せてくる小さな波打ち際でぼんやりと夜空を見ていた。
「今夜は星を見ないのですか?」
彩は恵の隣に立つと訊ねる。
天体望遠鏡も持ってきているはずだった。
「今日は月が明るすぎて」
苦笑したような顔で恵は答えていた。
「そう言われて見ると星が少ないかもしれませんね」
「月面観測も悪くはないのですが、今日はそんな気分でもないので」
「寒くはないですか?」
日中は強めの風が吹いていて少し肌寒く感じられたが、今は落ち着いている。
「大丈夫ですよ。いつも着こんでいますから。それよりも彩さん、少し散歩しませんか?」
「いいですね」
出雲に声を掛けると、恵と彩は並んで湖岸に出来た砂地を歩いていく。
しばらくは無言で歩いている。
湖面に映し出された満月が美しく映し出されていた。
「どこへ行っちゃったんでしょうね?」
恵は独り言のように言う。
「目的を果たされているのかもしれません」
手掛かりはまだ何もない。
「刀と零ちゃんで、何がやりたいんだろう?」
「早田健三さんとは少しだけ話をしたことがございますが、何か狂気をはらんでいるようにも感じられました」
そして、目的のためなら手段を択ばないようにも感じられた。
「零ちゃんて、作られた命なのかな?」
「天地様がそのようなことをなさっていたとは思いたくありません」
死者への冒涜にも思えてくる。
「なんであんなに似ていたのかな」恵は呟く。「天音さんに似ているだけであって、本人とは違うのにね」
「私もそう思います」
「でも、会いたいって気持ちは分かるかな」恵はあの時の宇宙を思い出しながら言う。「私もお父さんとお母さんに会いたいと願ったから」
「ごめんなさい」
「彩さんが謝ることじゃないし、あれがあったおかげでちゃんとお別れが出来たんですよ。私は感謝したいくらいです」
恵がそう言って微笑みかけてくると彩はただ頷く。
目の前に奇岩『台子岩』と呼ばれる巨大な四角い岩が見えてくる。
そこまで行ったら砂地も終わり行き止まりなので、恵は引き返すつもりでいた。
「歌?」
風に乗って何か歌声のようなものが聞こえてきた。
「行ってみましょう」
彩に言われて恵も駆けだした。
「岩の上から?」
二階建ての建物ほどの高さのある一枚岩で正方形のサイコロのような岩が湖にせり出しているような感じだった。
ほぼ垂直だったし手掛かりとなるようなものはなく上には登れない。
「誰かいますか~?」
恵は声を掛けてみた。
「恵さんだ」岩の上から顔を出す者がいた。
月明かりのせいで顔がよく見えない。それでも聞き覚えのある声だった。
「零ちゃん?」
「恵さん、やっぱり来てくれたんだ。嬉しいな。もう一度会いたいって思っていたんだ」
「私もだよ」
零は岩の上で寝そべっているのだろう。顔と肩が少し覗いている。
「危なくない?」
「大丈夫だよ~」
「どうして、そんなところにいるの?」
「月に導かれて、かな」
「月?」
恵は満月を指差す。
「もう少しで月の光が満たされるの」
「満たされると何が起きるの?」
「わたしが進化するの。楽しみ。それまでは恵さんとお話が出来るんだ」
零は嬉しそうだった。
「貴女は天音様ですか?」
記憶の中にある天音の声に似ていた。だからだろう彩は思わず訊ねていた。
「誰?」怪訝そうな声だった。
「彩でございます。破羅の彩です」一歩、二歩と前に出て必死に声を上げている。「記憶にございませんか?」
「知らない」
「本当に、でございますか?」
彩は必死だったが、零の反応は素っ気無いものだった。
うな垂れ彩は肩を落としている。
「天音って名前は知らない。というかわたしはケンゾウと恵さんくらいかな。あと春奈ちゃん、沙織ちゃん。人の知り合いはそれくらいだよ」
「人? 学校とか行ってないの?」思わず訊ねてしまった。
「わたし、見た目は恵ちゃんと同じくらいだけれど、この姿になって二ヶ月くらいだよ。恵さんと会ってから十センチも伸びたんだよ。普通じゃないよね」
零は笑っていた。
「この姿って?」予想はしていたけれど、改めて聞かせられるとショックだった。
「わたし、スライムみたいな存在だったみたい。ナメクジのように動きながら岩鋼山にやって来たみたいなんだ」面白いよねと零は笑いかけてくる。「そこでこの身体になったんだってケンゾウが教えてくれた。だから、わたしは人じゃないし、その天音って名前もでもないし、記憶なんてないよ」
「でも天音さんの姿にそっくりなんだよ」
「そうなの? でも知らない。零って名前はゼロからスタートだって、ケンゾウが付けてくれたけれど、天の巻にもそんな名前は記されていないし、六柱のことと、そしてわたし」
面白いことを見つけたようにはしゃいでいる。
「他には?」
「萍だっけ? 刀のことも書かれているらしいわ。私は見ていないから分からないけれど、ケンゾウが歌興味を示したことだけは教えてくれたの。わたしは天地仁左の最高傑作だってケンゾウは言っていたわ」
「最高傑作って、物みたいな……」
「わたしは人ではないし、そういう扱いでいいんじゃないかな? わたしはまだ未完成みたいなので、まだまだやることはあるってケンゾウは言っているわ。人間てやつになれるのかな?」
「零ちゃんは人間だよ」今こうして心あるように話しているのだから。
「どうなのかな? それに天音、って人に似ていたとしても、わたしにはその人の記憶の欠片もないわ。残念だけれど、代わりではないんじゃないかな」
「今から天音さんになるのかもしれないよ」
「そうなのかな?」不思議そうな声だった。
「零ちゃんはどうしてここへ?」
「歌鳥に教えてもらったの」
「歌を聞いたの? 意味が分かったのかな。凄いね」
「違うよ、ケンゾウが歌鳥を分解して、中に入っていたものをカイセキ? したって言っていたよ」
「もしかして」平田さんが言っていたブラックボックスみたいな奴のことかな?「箱みたいなの取り出せたの?」
「歌鳥は囀るだけの玩具じゃなくて、『天への道が記されている』んだって。そう『天の巻』に書かれているとか言ってた」
無邪気な子供のように話しかけてくる。
それが最初に会った時と違った印象を与えてくるのであった。
「そのケンゾウさんは?」
「やることがあるって言っていた」
「別行動なの? 会わせてほしいんだけれど」
「無理。連絡方法がない」
「タブレット持っていたじゃない?」
「あれ、連絡用じゃない。ケンゾウが勝手にわたしを見つけてくれるだけ」
「どうやって? もしかして萍?」
「分からない」答えはあっけらかんとしていた。いや無邪気か?
「じゃあ、なんでそこに居るの?」
「恵さんに、お礼が言いたかった。そうお願いした。あと歌鳥ともお別れを」
「歌鳥?」
零の頭上で鳥が舞っていた。
あれが歌鳥? 本物の鳥に見えた。
「見てて」
零は立ち上がり月を指差した。それを合図に鳥が月に向かって羽ばたいていく。
月の光を浴びてなのか、金色に輝きだして、キラキラの航跡を残し鳥は形を失い消えていくのだった。
「綺麗だね。天の巻に書いてある通り」零は夜空を見上げている。
月の光をうけて、その笑顔は神々しく感じられる。
「恵さん、あの時は本当にありがとう。楽しかった。もっとお話ししていたかったな」
「だったらお話ししよう。友達になろうよ」
恵はそう言って話しかける。
またどこかに行ってしまいそうだから、必死で繋ぎとめようとしている。
「そろそろ行かなくちゃ」
「どこへ?」
「私が私であるために」零の姿が岩陰に消える。「また会いましょうね。待っているから」
それを最後に零の声も気配も消えた。
恵はどうにかして向こう側へ行こうと周囲を見回していると、モーターボートが月明かりの中を湖の中央へと走っていくのが見えた。
操舵しているのは零だった。
彼女は夜の湖へとボートを進めていく。




