44.彩と来訪者
岩鋼山における一連の出来事はJESによって秘密裏に処理されていた。
異臭騒ぎと地震による崩落があったとして、屏風ヶ岩までのルート上での安全が確認されるまで入山が規制された。五日間にわたってJESはFBトリガーとの戦いの痕跡を消し去り、周辺の現状回復に努めた。それと並行して屏風ヶ岩周辺の調査も行われることとなる。
JESの総力を挙げて大規模な調査が行われたが、宇月恵が記録したものと雲乃彩から聴取できたこと以外、新たに発見できたものはなかった。
天地仁左が岩鋼山で残したものは謎のまま消滅したのである。
岩鋼山と並行して瀬羅湖周辺の調査も行われた。
航空機を飛ばし上空からも精査しているが、結果は捗々しくない。
「簡単に見つかるものならば、もっと早く誰かが見つけていたはずだろう」
一刀は肩をすくめ途中経過を聞いていた。
古い塚や社、史跡なども調べられた。
伝承など逸話が残っていないかの聞き込みもされたが、得るものはなかった。
一刀や恵も週末を利用して調査に加わっている。
「雲をつかむような話だよね」
戻る途中で恵は疲れたように呟いた。
新たな展開があったのはそれから一週間が過ぎようとしていた頃だった。
夕刻、彩はその日JESから戻ると和住から来客があることを告げられる。
「私にでしょうか?」
また神社のことを調べに来た者がいるのだろうか?
「はい。彩様がここにいることをご存じの様子でした」
「どちら様でしょう?」
この時代の数少ない知り合いは先ほど会って来たばかりである。
「早田健三と名乗っています」
「早田?」
和住は彩の問い掛けに頷く。
「里と関係があると思いますか?」
「おそらくは」
「分かりました。お会いしましょう」
襖を開けると居間で一人、男が正座して待っていた。手荷物は無い。
見た目は三十代半ばくらいだろうか。
髪を撫で付け、身なりの良いスーツを着こなしている。軽く会釈し笑顔で彩を見ていたが営業等のサラリーマン風でもなく、秘密を嗅ぎまわるジャーナリストとも匂いが違うと感じるのだった。
一刀なら胡散臭い奴だと言うだろうか? 彩はふとそう思った。
ただその顔はどこかで見たことのあるような気がする。いつどこでなのかは思い出せないが。
「私が雲乃彩です」
彩も正座し居住まいを正すと挨拶をする。
「早田健三と申します」
彼は名乗ると深々と頭を下げる。畳に頭を付けるのではないかと思ったほどである。
「なぜそこまで頭をお下げになるのでしょう?」
「あなたを見て、しっかりと頭下げなければならないような気持ちになりました」
真摯な口調で彼は言う。
「私はそのような大層な人間ではございません」
彩はまじまじと早田を見つめる。
眼鏡を掛け温和な顔立ちではあったが、底知れぬ知性を感じさせる。心持ち雰囲気が平田に似ているだろうか?
「お美しい。それにあまり他人のような気がしません」
「口説き文句を聞いているような気がします」
「そのようなつもりありません。気を悪くされたのでしたら謝罪いたします」
「褒められて悪い気はしませんが、お会いするのは初めてでしたよね?」
「初対面です」もう一度謝罪する早田だった。「あなたのことは記述から想像していましたが、それ以上でした」
「記述? 私のことが書かれている? それはどのような物なのでしょう?」
「企業秘密になりますのでお教えすることは出来ませんが、私が三行神社のことと彩という名の人物を知ったのはそこからです。今は雲乃姓を名乗り巫女をしていることは別件ですが」
「私の何をご存じなのでしょう?」
「信じられないような事実です」
「私のことを御調べになって、何をされるおつもりでしょうか?」
「あなたのことをどうこうしようという訳ではありません」早田はそのために来たのではないと言う。「私はあなたが知っているであろうことを伺いたいだけです」
早田は彩の秘密を暴くためではないと強調する。
「私の何を知っているのか気になりますが」無関心を装うように彩は務めた。「それで何用で当神社に参られたのでしょう?」
「とあるものを探しております」
「当神社にあるものでしょうか、それなら」
「龍の力ではありません」
何も無いと言おうとした彩を制し早田は言う。
それを聞いた瞬間彩は身構える。
「何処かの使いの方でしょうか?」
「先日までとある企業に所属していましたが今はフリーです。名刺も渡せず申し訳ありません」早田は苦笑いする。「ただご心配には及びません。ここに龍の力はもう無いことは知っていますので」
「ランネルドの方でしょうか?」
「違います。どこの組織とも一切関係はありません」
大げさに手を広げてみせる早田だった。
「ランネルドをご存じであるというのなら、何をもって信用せよと?」
「そうですよね。でもこれは本当に個人的興味から探し求めているものなんですよ。どことも関係を持ってはいません」
「天地仁左様の秘宝でしょうか? 狙う方は沢山おりますが」
「知っています。ライバルは多いようですね」
「天地様のことでしたら、私に答えられることは多くはありませんよ」
「それでもあなたがお知りであるようなので、伺いました」
「どこから私のことをお知りになったのでしょう?」もう一度彩は訊ねる。
「天地仁左の残したとあるものからです」
その言葉で彩は確信した。
「お名前以外まだ伺っておりませんが、御出身は海嶺村でしょうか?」
「私は生まれも育ちも若葉市ですが、曾祖父がそちらの出身でした」
「あなたがお持ちの天の巻には、私の記述もあるのですね?」
「やはりご存じでしたか」あっけらかんとした口調で早田は笑う。
「天の巻を探しておりました」彩は射るように早田を見つめる。「どのように私は書かれているのでしょう」
「あなたに施した事柄が書かれていました。今なお存命であることに驚愕しています。にわかには信じ難かった。更に言えば龍の力が消失してもなお生きておられる」
「それに関してはコメントを差し控えさせていただきます」
「残念です。興味はありますが、それは今回のこととは関係ありませんね」彩の能面のような表情も気にしていない様子だった。「天の巻には信じ難いことばかり書かれていましたが、検証していくにつれてそれらが真実であることが分かってきました。ですからあなたのことも信じることにしました」
にこやかに彼は答える。
早田健三が天の巻を見つけたのは偶然だったのかもしれないが、彼自身は運命的なものを感じていた。
大学に進学して間もなく亡くなった祖父の遺品を整理していた時のことだった。
桐箱の中に入っていた巻物は、ぞんざいに保管されていたにもかかわらず他の古文書と比べると保存状態が良好だった。いや良すぎた。
記載されていた年代が本当であれば鎌倉時代後期になる。
古くから続いていたという早田家の祖先が記したものだと思ったが、実際にはそうではなかった。しかもその記述が目を見張るものだった。
祖父のイタズラであろうか?
これを記した天地仁左とは何者なのだろうか?
何かに化かされているのかと思った。信じられない思いのまま巻物をめくっていくとある図解に目が留まる。
人体の代謝図だ。
それは彼自身が研究を進めているものと酷使していた。
衝撃とともにこの巻物を解読しようとした。
難解な文体とともに字抜きなどの簡単なトリックから難解に暗号化された言葉が使われている。クロスワードを解いているような気分になった時もあった。
人を食ったような巻物だったが、読み解けるたびに世界が広がっていくのが分かる。
妄想や虚言ではない。
七百年以上前の無名の人物が、今よりも先進的な思考と超越した技術によって、彼自身が困難だと思っていた事象に挑んでいたのである。
早田健三は天地仁左に心酔していく。
「それをお見せしていただくことは叶いますでしょうか?」
「今は手元にございません」
「それは残念です。こちらからお伺いして見せていただきたいのですが」
「期待に添えぬようで申し訳ありませんが、ご勘弁願います。これは保険のようなものですからね」
「保険? 何のための?」
「ご存じの通り、ライバルが多いのですよ」
「命を狙われているのでしょうか?」
「お察しの通りです。よくお分かりですね。ですから、私を殺してしまえば手掛かりは永遠に失われてしまうようにしてあります」
「穏やかではありませんね」
「なかなか気が抜けません。確実に私はとある筋から狙われています。重要機密を頂戴してしまいましたから」
「機密?」
「私が長年に渡って探し求めてきたものです」
その言葉で繋がった物がある。
「天地仁左が残したものでしょうか?」
「あなたに隠し事は難しいですね」
「もしや萍でしょうか?」
「流石です。それもご存じでしたか」
「あなたのその行為からかあらぬ疑いを掛けられた方が居りますので」
「それは悪いことをしました。どうしても必要なものでしたので」悪びれた様子は無かった。「天の巻をご存じなら地の巻の行方も知らないでしょうか? あれも大切なものであるようなので」
「地の巻がどのようなものなのか、何が書かれているものなのかご存じなのですか?」
「彼の業績ですよね。当時としては進んだ技術であったかもしれないが、今では時代に埋もれ使われなくなってしまったことが書かれている」
「では重要なことではないのでは?」
鎌を掛けてみる。
「書かれていることはね。それでも天の巻と地の巻は対を成すものなのですよ」
「ではそれも探し出さないといけませんね」
「秘密が多すぎて大変です」
見透かしたような目で彩を見ている。
「実物を見ることが叶わないのでしたら詳しくお話を伺うことは出来ますでしょうか? 私自身もですが、私以上に知りたがっている方もいらっしゃいますので」
「今はご勘弁願いたい」
「なぜでしょう?」
「ライバルが多いと言ったでしょう。この会話が盗聴され記録されているかもしれない。余計なものは残したくないのですよ」
「用心するにこしたことはないと」
「そういう事です。あなたも秘宝を求めていらっしゃるようですしね」
「私は秘宝に執着していませんが、それがどのようなものなのかは知りたいと思っております。天地様が何故そのような物を残し後の人々に何を託そうとしていたのか」
「託そうなどとはしていませんよ。天地仁左は私利私欲のために秘宝を残しています」
「なぜ断言できるのですか?」
「分かるのですよ。誰かのために残したものではない。彼自身の目的のためだ」
「目的と申されますか。なおさらその内容を私も知りたいですね」
「知らない方がいいものもある。あなたの偶像を壊してしまうものかもしれない」
「確かに超越された方ですが、あなたはどこまで天地様をご存じだというのでしょう?」
「過去に生きた人です。何も知りませんよ。ただ私は人として彼の執着したものを完成させたいだけだ」
「秘宝を手にして、それをどうするおつもりですか?」
「その先にあるものを手に入れるのですよ」
「先? 権力ですか? それとも名声、富?」
「あなたの言うそれらは後から付いてくるかもしれませんが、俗物の求めるような単純なものを私は欲してはいません。そうですね、ロマンとでも言いますか」
「夢想家にもロマンテイストにも見えませんが」
「それは良かった。そのためにも歌鳥が必要なのです。どこにあるのかご存じですよね?」
「知っています」
やはりそう来たかと彩は思った。隠すつもりはない。ただ切り札としては使いたい。
「どちらに? あなたがお持ちなら助かります。国坂美術館に収蔵されていたことまでは分かっていますが、あの一件以来行方が分からない」
「なるほど……では取引をいたしませんか」
「交換条件ですか?」
「私も天の巻を見たいので」
「あなただけでは済まないのでしょう?」
「結果的にはそうなるでしょうが、致し方ないことです」
「あなたの一存だけでは決められないところにあるすると。それは面倒ですね」
「なぜですか?」
「私は他の組織とは関わりたくない。これらは私自身が独占していたいですからね」
「それが可能なものなのですか、秘宝とやらは」
「そうして見せますよ」
「強欲な方ですね」
「独り占めしたいのですよ。ですから取引は出来ません」
「残念です」
「できれば私がここに来たことも内密にして欲しいですね」
「それは難しいかと」
「では、もう立ち去った方がよさそうだ」
早田健三はそう言って腰を浮かし、お暇しようとする。
社務所の玄関の引き戸が大きな物音をたて開け放たれ、勢いよく廊下を駆ける足音が近づいてくる。襖が荒々しく開かれた。
「ケンザン!」
平田が勢いよく踏み込んできた。
「そのあだ名で呼ばれるのは久しぶりだな」
早田は立ち上がりながら手を上げ軽く挨拶してくる。
「心配したんだぞ。今までどこに行っていた?」
胸倉を掴みかからんとする勢いだった。
「すまない。少し身を隠していた」
「何をやらかした!」
「もしかして彩さんの関わっているのってヒデと同じ組織だとか?」
「組織ですか……会社ではなく。どこまでご存じなのですか?」
「あ~まあ、そこそこには裏社会のことも」
「無視するな、答えろ! 命に関わるようなことなら、保護してもらえるように手配するぞ」
「警察にか? 無用だよ。自分の身は自分で守れるさ」
「本当に心配しているんだぞ!」
これほど感情を露わにする平田は初めてみたと彩は思った。
「ありがたいが、やらなければならないことが山積みなんだよ」
「だったら力になれるぞ。そういった方面にも顔が利く」
「JESか」
「お、おう。よく知っているな」
「蛇の道は蛇。いや悪魔は悪魔を知るかな」自嘲気味に早田は笑う。「行くわ」
「どこにだ?」
「平田が来たことで、だいたいのことは分かった。さっきも言ったがやることが山積しているんだ」
「本当にお前は何をやっているんだ? 答えろケンザン!」
「そう怒るなよ」悪戯するような笑顔だ。「迷惑かけるし俺個人の問題なんだ」
「だったら連絡先か居場所くらい教えろ」
「スマホは持っていない。足が付くからな」
「ヤバいことならなおさらだ」
「秘密だ」掴みかかろうとする平田の手を払い除ける。「彩さんそれではまた」
彩に礼を言うと早田は部屋を出ていく。
「逮捕してしまった方が良いのでは?」
「警察ではないし、あいつが悪いことをしている訳ではないので理由が無い」
「会社から機密を盗んだようですが」
「それだってその会社から告発されているわけではないし……」
追いすがろうとする平田に玄関で靴を履きながら早田が声を掛ける。
「そういえば平田に頼みたいことがひとつあったわ」
「な、何だ?」
「フログレンスバイオテクノロジー製薬な。あそこヤバいぜ」
「お前のいた会社じゃないか」
「人体改造。違法薬物をごまんと作っている」
「なんでそんなことを」
「頼むな」
朗らかに言うと早田は外へと出ていくのだった。
「追いかけないのですか?」
彩は平田に問う。
「出雲がいます。彼の方が尾行には長けている」
「そうでしたか。あの方はやはり平田さんの御学友でしたか」
「大学で同じ研究室です。早田健三が居ると聞いて飛んできましたよ」
彩は早田に会う前に念のため、JESに一報を入れていたのである。
「お早いご到着でしたので驚きました」
「それでケンザンは彩さんと何を話したのですか?」
「早田さんはケンザンと呼ばれているのですね」
「大学時代の仲間内での呼び名ですが?」
「炎雷さんの話から出来た人相書きとは少し雰囲気が違っていましたが、あの人が継承者で間違いないようです」
「本当ですか? そうであればケンザンをなおさらこちらで保護しなければ」
彩と平田は社務所の外に出る。
鳥居の向こうから彼らに向かってくる人影があった。
「出雲」
「すいません。撒かれました」
悔しそうに彼は答えた。
「逃走手段も考えられていたようですね」油断ならない人物のようだ。
掴みかけた手掛かりが手の隙間からするりと抜けていくような感覚だった。




