37.懐かしい風景を眺めながら
「眺めがいいですね~♪」
甘めの卵焼きを美味しそうに頬張りながら恵は言う。
太平洋が一望できるちょっとした丘のような場所である。離れた所に戸氷の集落が見える。
里から北に少し離れたところにある緩やかな斜面に彼らは来ている。樹木が伐採され見晴らしがよくなっていた。
三人は思い思いに腰を下ろし、彩が用意したお弁当を食べていた。
「ここからの景色が好きなのです。気に入っていただけて何よりです」
水平線の彼方にコンテナ船が消えていく。
時折海面をわたってくる海風が頬を撫で、髪がなびいた。それが心地よく感じられる。
「何百年も経ってりゃ樹木も育つ。眺めも変わっているんじゃないのか?」
「それでも海は変わりありませんよ」
「なぁ、なんで天地はここに里なんて作ったんだ?」
一刀は大木の切り株の上で胡坐をかきながら食べている。
「本当は天地様お一人でここにこもられるつもりだったようでした」
しかし城勤めを辞めた彼を弟子たちは放っておかなかった。彼に付き従い里を作ったのである。
「私の推測でしかありませんが、天地様のご生地がここではないかと考えています」
「あいつの前半生は分かっていないんだよな?」
「天地様御本人が仰られていましたが、記憶がないのだそうです」
「本当かよ!」
「え~、記憶喪失?」
「気が付くと風上の地に居たそうです。年齢は見た目から推測されたとのことでした」
「それで歴史上に名前が出てくるのが、三十代から四十代の頃だったのか」
「名も何も分からずさまよっていたところを、その地の名主に助けられたという話でした」
「天地仁左って名前、最初からじゃなかったのか?」
「剣山と呼ばれていましたが、それは刀の名前であったとか」
「虎月剣山の名はそこから来ているのか?」
「そのようです」
「本物の剣山虎月はどこにあるんだろうね?」
「トーヤが持っていたのがそうだろうな」
「じゃあ里の関係者かな?」
「その公算が高いでしょうね。後程JESで調べてもらいましょう」彩の言葉に一刀も頷く。「天地姓は殿が与えてくれたものだそうです」
彩が初めて会った時はすでに天地仁左と名乗っていた。
「記憶はなくても知識とかは凄かったんですね」恵は感心したように言う。
「はい。最初に出会った名主の娘が天音様だったのですよ」
「ドラマですね~、彩さんはその辺りのことを書かないんですか?」
「恋愛小説が私に書けますでしょうか」彩自身面白がっている口調だった。「その後、殿の危機を救い、海葉城に召し抱えられてからの天地様は様々な分野で活躍されることとなります」
「それが隠居かよ。よく許されたな」そんな世情ではなかったはずだ。
「身を粉にして働かれましたから、その功に報いたというのが通説ですが」
「本当はどうなんだよ?」
「天地様が押し切ったようです。天音様の死を境に天地様は変わられてしまいました。国事よりも自らの研究に没頭されるようになってしまわれましたので」
「誰だって死ぬんだ。なんで受け入れられないんだよ」
「あの~」恵は申し訳なさそうに口をはさんだ。「こういうことを彩さんに訊くのは心苦しいのですが」どうしても気になっていた。
「どうぞ」目を細め隣の恵を見る。
「彩さんは、その……珠の、龍の力によって生き返ったんですよね? では、天音さんはどうして……その、できなかったんですか?」
「龍の力を理解できても、それを利用し、制御するのは難しいことだったのでしょうね。珠は龍によって生み出されたものです。それと同じものを作り出すことは困難を極めたのではないのでしょうか」
「つまり、コンパクト化できなかったとか?」
「例えるならそういう事です。龍の力を溜めて、維持できるような器を作ることができなければ、私と同じことはできなかった」
「バアさんはモルモットだったのかよ」
「私は天音様のことを見越しての実験だったのかもしれません。いえ、きっとそうですね。天地様自身半信半疑ではなかったかと思われます。術後はよく私の身体や体調を御調べになっていましたからね」
「よく、その天音ってやつに珠を使わなかったよな」
「天音様のために使っていただくのであれば、私も本望でした」彩は自分の胸に手を当てる。「ですが、天音様はそれを拒絶されました……」
「人の命を奪ってまでして、生きたくないですよね」
「そんなの背負いたくはないな」
「おそらくは……、いえ、そういうことだったのでしょうね」
「龍の力を使って、あの地下施設と『地』を維持していたんだから、てっきり制御出来てるもんだと思っていたんだがな」
「少々おかしい例えかもしれませんが、電力会社の伝線に勝手に線をつなぎ電力を拝借していたとお考え下さい」
「電力泥棒だった?」
「例えが悪いですが、そうなります」
「ここに来たということは龍の力をあきらめた?」
「新たな力を生み出そうと考えたのではないでしょうか。世間の喧騒を離れ、秘密裏に行うためにここに来たのではないかと思います」
「弟子が付いてきてりゃ意味がないだろう。それにオレはあの抜け穴でもよかったと思うぜ。あそこは要塞だったんだろうから」
「天地様の御意思に関わらず人がやってくることになるでしょう。それにあそこには天音様との思い出が詰まっているでしょうから」
「それを振り切るためにも場所を変えたのかな?」
「俗世から切り離されたような場所を求めたのかもしれません」
「仙人かよ。それで生まれたのが、この刀か?」
「そうなります」
「こいつで何をしようとしたのやら」
「何を斬るつもりだったのかな?」
「なあ、天地仁左はここにどれくらいいたんだ?」
「十年程でしょうか」彩は言葉を切る。そして「これは私の推測でしかありませんが……」
「言ってみろよ」
何かを言いかけて、話すことを止めた彩に一刀は言う。
「……天地様はどこかの時点で記憶を取り戻されたのではないのでしょうか」
「それに何の意味があるってんだ?」
「天地様はあの時代の人としてはたぐい稀なる教養を持っていらっしゃいました。まるでこの時代の人にも通じるような知識です」
「何が言いたいんだよ?」
「いまだ考えがまとまりません。ただ天地様が消えてしまわれたのはそれに起因していると私は思うのです」
「消えたってどういうことだよ?」
「文字通り、姿を消したのです。その時、天地様はご高齢でした。病に臥せっていたという話も聞きました。無様な姿をさらしたくなかったから、死期を覚悟して消えたと仰られる方もいましたが」
「あんたはそう思っていない」
「はい」
「相当年だったんだろう?」
「推定でも七十は越えていたと思われます」
「当時としては高齢ですよね?」
「私はまだまだご健勝であったと思います」
「死んだところは誰も見ていないんだな?」
「弟子たちは殿様の助力も得て足取りを求め周辺の山や森を探したそうですが、亡骸は見つからなかった。私は天地様が自ら死を選ぶような方ではないと思っています」
「目的があったんですもんね」恵も頷く。
「夢破れたのかもしれない」
「天地さん本人にインタビューできたならなぁ」
「私は不思議に思うのです。天地様は『萍』とともに消えているのです」
「ウキクサの所在が分からないのもそのせいか?」
「天地様晩年の成果である三振りの名刀のひとつとともに消えた。そのことが私には気になります」
「ウキクサによって何かが成されたとか?」
「そう思える時もあります。天地様の亡くなられた日は姿を消した日となっていますが、今も生きてどこかで研究を続けていらっしゃるのではと思うこともあります」
「彩さんを見ていると、あながち否定できない……」
「こいつはなんなんだろうな」
霧双霞を見て一刀は言う。
「不思議な刀だよね。形のないものを斬ったり、鍵になったり」
そう言いながらウィンナーを頬張る恵。
「名刀の謎を解くことが、天地様の考えに近づける手段なのかもしれませんね」
「そもそも、何でそんな名刀がうちにあるんだ?」
「三本の刀のひとつは国を守るために贈られました。それは殿を守るためです。風上武士団の中でも朧家は筆頭でしたから」
「その頃から強かったんだね」
「そうなんだろうが」
「信頼も厚かったと思いますよ。殿様が持っていても、出陣しなければ宝の持ち腐れでしたし。戦場で朧家の者たちは数々の手柄を立てていましたから」
「あんたはどこまで見ていたんだよ」
「俗世と離れていたとはいえ、世間と隔離されていたわけではございません。いろいろと噂は耳にします。霧双霞は朧家へ。萍はいずこかへと消え、虎月がこの里に保管されたのです」
「こんな小さな里、よく今まで続いたもんだよな」
「天地様のお弟子様とその子孫です。才はありました。戦国時代には鉄砲などの鍛冶工として名をはせた方も輩出しております。里の外に出て活躍された方も多くいたのではないでしょうか。もしかすると彼らの祖先もまた、死を信じず里を守り、天地様の帰還をお待ちしているのかもしれません」
「業が深すぎるだろう……。てことは天地の墓はここにはないのか?」
「墓碑の代わりにあの社があるだけです」
「そのわりにはぞんざいだよね」
「亡くなったんでなければ、手厚く守る必要もないだろう。結局、どこで生まれ、どこで死んだのか分からずじまいかよ」
「そうなっちゃうね」何者なのか分からずじまいである。「天地さんも、この景色を見ていたんだろうね」
「こうしてお二人に、この風景をお見せすることが出来て本当によかった」
何かが分かるとは思っていなかった。謎は深まるばかりではある。ただその謎を確認したかっただけなのかもしれない。
いや、彩自身がけじめをつけに来たのかもしれない。過去と決別し今を生きるために。
清々しい気持ちで空と海の青を見つめ、笑みを浮かべるのだった。
「結局、分からないことだけだ」
「お答えできる限りのことはお話いたしまた。この里のことは私も見聞きしただけで、知らないことが多いのです」
彩は一刀に謝る。
天地仁左が何を研究するためにこの里に居をかまえたか真の目的は分からない。さらに観音像の中に何があったのか、虎月はどこへ行ったのか、謎は増えていくばかりだった。
「面倒くせぇな」
最後の一口を口に運びながら一刀は呟く。弁当は美味しかったが、苦みも増してくるのだった。
「記憶か……あんたはどの時点で天地仁左の記憶が戻ったと思っているんだ?」
「それの確証はどこにもありません。移住を決めた時点なのか、それもと消えた直前なのか……私には判断できる材料がございません」
「そうだよなぁ」
弁当を食べ終わり、お茶をすすりながら海を眺める。
スマホで時間を確認すると、バス時間までまだ少し間があった。
ただ次のバスに乗り遅れると戻るのが二時間以上遅れることになる。
そんな時、一刀のスマホに着信が入る。
「大場さん?」一刀は電話に出る。「どうしたんすか? スマホに連絡なんて珍しい」
『通信機に出ないからだろう』
「ああ、すいません」
『今、大丈夫か? 家にいるのか?』
「違うよ、海嶺村」
『なんでまた、そんなところに』
「バアさんの誘いで」
『親戚がいるのか? それとも家族と一緒なのか?』
勘違いされて、大場は知らないことを思い出す。
「そっちの方が気楽だったかもな。それで何の用ですか?」
『歌鳥は覚えているか?』
「美術館で見た天地仁左作の木彫りの奴でしたっけ?」
キロウの襲撃に備え、JESで預かっていたものだったはず。
『そう、それだ。先日、彩さんがお前の霧双霞があれば動かせるかもしれないという話をされていたんだ』
大場は抜け穴の件や根府屋での陥没などの事後処理に忙殺され、すっかり巻物の件は頭から抜けていたという。
「それって結構重要なことじゃないか?」
『すまん。それで手伝ってもらいたくて、連絡しているんだ』
一刀は彩を見る。
「ここのことを話してもいいか?」
「かまいません。霊山殿には申し訳ないですが、こうなってはJESにもお知らせすべきだと考えますから」
『近くに誰かいるのか?』
スマホをスピーカーに切り替え、二人にも聞こえるようにする。
「恵とバアさんが」
「お婆さんじゃなくて、彩さんです」
恵が口をはさむ。
『恵ちゃん? 彩さんもいるのか? 一刀、そこで何をやっているんだ?』
「天地仁左絡みでここに来たんですよ。見せたいものがあったようだからね」
『なんだって! 三人だけでか?』
驚くだろうし、怒られるよなと一刀は思う。
「そうなります。そっちで手伝うのはいいですが、迎えに来てくれませんかね。帰るのが大変でさ。ついでにこっちで調べてもらいたいことがあるんで」
一刀は社の観音像のことと偽の剣山虎月の話をするのだった。
それを聞いた大場は、すぐさま番場に報告を入れる。連絡を受けた平田らとともに現場に向かうことになった。
JESからヘリが飛び立つ。
彼らが現場に到着するのに、大場とのやり取りから一時間も経っていなかった。




