35.里の老人
「彩様におかれましては、息災のようで何よりで御座います」
老人は恭しく彩に頭を下げる。畳に頭を擦り付けんばかりだった。
年齢は九十を超えているという話である。
恵と一刀は彩の案内で里に着くと、ひときわ大きな古民家にお邪魔していた。
本地区や戸氷地区を周回する村営のマイクロバスを降りると、舗装はされていたが戸氷地区へつながる名ばかりの県道をわき道にそれ、車が行きかうのがやっとの道を一時間近く歩く。しばらくすると道は行き止まりとなる。そこは十軒ほどの古い民家が立ち並ぶ小さな集落だった。
周囲を山と森に囲まれ、隠里と呼ぶにふさわしい場所であった。
「ご連絡さえいただければ、お迎えに上がりましたものを」
通された居間で、彩は和住家の当主と向かい合う。
少し下がって恵と一刀は座っている。一刀は胡坐をかいていたが、他は正座だった。
「それには及びません。心遣いありがとうございます。霊山殿もお元気そうで何よりです」
彩は笑顔で応える。
さも当然といった彩の態度が一刀には鼻につく。
「息子、完江は彩様のお役に立っておりますかな?」
「息子? もしかして宮司さんのお父さんなのですか?」
恵は驚く。
「そうです」左斜め後ろの恵に頷く。「完江殿はよくやってくれています。助けられていますよ」
「それは何よりで御座います」
「祭の時は、替え玉の話をしても何もしないから、キロウに内通でもしているのかと思ったけどな」
ボソッと一刀は呟く。
「あれは私が指示したこと。すべては試練のためでした。責は私にあります」
「獅子は我が子を千尋の谷に落とすってか?」
「彩さんはちゃんと謝ってくれたんだよ。何ともなかったんだから、もういいよ、一刀クン」
「殺されかけたってのにかよ」
「私は恵さんを信じておりましたから」
「彩さん」
恵は彩の言葉に感動しているようだった。
「物は言いようだよな」
「もう」恵は頬を膨らます。「いちいち水を差さないでよ」
「へいへい」
「失礼ながら彩様。後ろのお二方は?」
「私のお友達です」
彩の言葉に一刀は顔を歪めていたが、気付かないふりをして彼女は二人を霊山に紹介する。
「左様でございますか」
霊山老は何か思うところはあるようだったが、その表情からは伺い知ることはできない。
場を和ませるように茶運び人形がお茶と茶菓子をそれぞれに運んでくる。
一刀と恵は先日のこともあるので身構えてしまったが。
「その御仁の話からすると、大祭で何かあったようですな」
「龍神は去りました」
「それは……真にございますか?」
龍の伝承はこの里にも伝わっているようだった。この老人はどこまで龍のことを知っているのだろうと恵は思った。
「三行の儀は成就されたのです」
「あの~、彩さん。霊山さんは龍のことを知っているんですか?」
「天地様のお弟子様の御子孫です。龍の力のことは伝わっています」
「その力、稀なるもの。禁忌を犯し触れることなかれと伝え聞いております」老人も応える。「真にあったのですな。さすれば先だっての根府屋で起きた崩落も関係しているのではありませぬか?」
「その通りです。力を失い抜け穴も崩壊したようです。こちらでも何か起きてはいませんか?」
彩は霊山に頷きながら、凛とした声で訊ねた。
「そうですなあ」霊山はしばし考えこむ。「関係あるかどうか分かりませぬが、十日程前に社に祀られていました観音像が消えました」
「あの観音像が、ですか?」
「はい。忽然と消えました」
「盗難にあったのですか?」
恵は神仏窃盗が起きたのかと思った。
「警察には知らせたのですか?」
「状況からすると窃盗ではないように思えました。まさに消えてしまったのです」
「どういう事だよ?」
「見て頂いた方がよろしいかと思われますが、よろしいでしょうか?」
彩が頷くと霊山はゆっくりと立ち上がる。
雑草の生えた未舗装の細い道を、老人を先頭にゆっくりと歩いていく。
「里の人方々は彩さんのことをどれくらい知っているんですか?」
恵は耳打ちするように小声で彩に訊ねる。
「ほとんど知りませんよ。宮司もですが、三行神社の巫女として敬われているのではないかと思います。この里の方々は天地様の遺言に従っているだけにすぎません」
聞かれてもかまわないのか、彩はトーンを落とすことなく答える。
「なんだよ、それ?」
「天地仁左様亡きあと里に何かあった時は、風上の三行神社の巫女を頼れと、ご先祖様は言われていたそうです」
霊山が答えてくれる。
その昔、里に飢饉や災害が起きた時、手を差し伸べたのが三行神社であったという。
「恩義ある三行神社からの願いであれば、何を差し置いても手助けせよと、ご先祖様から言い使っております」
「おかげ様で助けられています」
「わしらは、先祖が神社から受けた恩を返しているだけですよ」
「ずいぶんとまあ信用されているんだな」
「天地様のお言葉だからでしょう。私は必要な時に助力を得ただけにすぎません」
「そうだとしても彩さん、敬われていますよね」
農作業をしていた老人たちが手を止め、彩に恭しく挨拶しているのを見ていた。
中には拝む人もいたくらいである。
「私は普通に話をしているつもりなのですが、神託のように感じて下さっているのかもしれませんね」
「わしらにとっては、神の声ですよ」老人は平然と言うのだった。「十年前は田畑のことや暮らしのこともアドバイスしていただきました」
「たいしたことではありませんよ。それに私は十年前と見た目も変わりませんからね」
彩は苦笑しているようにも見えた。
「うらやましいかぎりです。わしらはどんどん老いぼれていくだけですからな」
「さっきのからくり人形は霊山さんが作られたのですか?」恵は訊ねる。
「昔の事ですよ。今は継ぐ者が居りません」
「宮司は?」
「あやつにも伝えてはいますが、不器用でしてな。それにその次が居りません。若い連中は全て里から出て行ってしまった。わしら和住の者だけではありません。守らねばならぬものがあるはずなのに、当屋や早田、堂兼も若い者は皆里を捨て出て行ってしまった。継承者のいた家は途絶えてしまっているのです」
「あれだけのからくり人形を作れるのでしょう? 後継者を募集するとか資料を残すこととかはしていないんですか?」
「相伝の技でしてな。何も残されなかった天地仁左様に、ご先祖も倣ったのでしょう。門外不出、村の外には出さず口伝でしか伝え聞いていないのですよ」
「設計図も無しにからくり人形作っているのか?」
一刀も恵も驚く。
「天地様のお弟子様の末裔ですからね」
「ご先祖は天地仁左様から伝え聞いた技とこの里を守ろうとしたのです」
「だとしても、なんでそんなもんにこだわる必要がある?」
一刀は呟く。
「それが天地仁左様への想いだったのでしょうな。からくりだけではございません。素晴らしい匠の技を伝えていかねばならぬと使命を胸に抱いていたのでしょう」
刀だけではない鉄砲や大筒の技は国でも随一であったとさえ言われていたと老人は語る。その口調は誇らしげなものだった。
「江戸の頃には戦のない時代となり、里もさらに衰退していったようです。才ある者は本地区だけでなく城下や町へと出ていったそうです。小さな里の事、人の流出は痛手だったことでしょう」彩は補足する。
「木工などの技で細々とやってきましたが、そろそろ引き時でありましょうな」
寂しげに霊山老は笑う。
「そう言ってる奴ほど長生きするよ」
「一刀クン、失礼だよ」
「励ましているのではないですか?」彩は恵に言う。
「そんなんじゃねぇよ」
「里は最後まで護るつもりです」
老人は頑なに言うのであった。
急な坂を上ると、その先に今にも朽ち果てそうな古びた社が見えてくる。
森の木に隠されていて、言われないと気づかない場所だった。
「車も入ってこれねぇな、こんなところじゃ」
「そうだね。人も住んでいないようだね」
「もしかしてここが三行神社の本社があった場所じゃないのか?」
「違いますよ」その場所はもう誰にも分からないと彩は言う。「この社は天地様が建てたそうです」
老人は鍵を取り出すと錠前を外し、閂を抜く。
社に足を踏み入れると、床がきしむ音がする。いつ朽ち果ててもおかしくない感じがする。
恵には微かに香水のような甘い香りがする。
「どうした、恵?」
「甘い臭いがしない?」場違いな様な気がする。
「いや、埃っぽい感じがするだけだな」
「気のせいだったかな……」
窓はなく社の中は薄暗い。老人はろうそくに明かりを灯す。
一刀と恵は手持ちのペンシルライトを取り出し社の中を照らした。
百五十センチほどの等身大の阿吽像が台座の上に立っている。その中央にも台座があるが、そこに像はなかった。
「あそこに観音像が立っていたのですか?」
恵の問いかけに霊山は頷く。
「動き出すとかは無しだぜ」
刀を入れてきた鞄から取り出したものかと一刀は考えてしまう。
「からくり人形の件もあるから、何が起きてもおかしくないよね」
撮影を開始しながら恵も警戒する。
入口で老人と並んで立っている彩は二人の様子に苦笑するしかなかった。
「観音像もこれと同じ大きさだったのか?」
「阿吽像より二回りくらい大きかったと思います」
「大きいですね。人がすっぽり入りそう。もっと小さいのを想像していたのに」
「ここは天音様を弔うための場だったのかもしれませんね。観音像のお顔がそっくりだったように思えてきます」
彩はそう言いながらパスケースに入れている天音の写真を霊山に見せる。恵が映した画像をプリントアウトしたものだ。
「この方は?」
「私の知り合いの女性です」
「左様ですか、これは確かに観音像のお顔に似ておられますな」
「ねぇ一刀クン。これ台座から観音像を引きはがしたんじゃないような気がする」
台座を見ていた恵が呟く。
「盗まれたとかじゃないっていうのか?」
「盗むにしても破壊するにしても、三体ともじゃないかな? 私は観音像の中が空洞か、何か入っていたんじゃないかと思うの。台座の中ほどはコーティングされたようにきれいだけど、残っている木片は外側に向かって広がっているわ」
恵は立ち上がると、阿吽像や壁にライトを当て注意深く見て回る。
「やっぱり。ここに木片が刺さっている」
少なからず破片が飛び散ったのだろう、観音像のであろう木片が壁側からも見つかった。
それ以外にも「砂?」
床に落ちていた物に指で触れるとザラザラする。匂いはなかった。
「ここって最近、掃除とかしましたか?」
恵は霊山に訊ねる。
「しましたが?」
「何か変わったこととか……そう粉みたいなものとか破片が落ちていませんでしたか?」
「悪さをしたものがいるのか、砂が撒き散らかされておりましたので、掃除しております」
観音像が消え、その後に床一面に灰色の粉が落ちていたという。
「それはどこに?」
「掃いて外に捨てております」
「体は何ともありませんか、お爺さん?」
「意味が分かりかねますな。何か毒でもあったというのですかな?」
「ただなんとなく」香水の匂いがしたとは言わなかった。
「ここって元々鍵がかかっているよな」一刀は考える。「観音像が無くなった時も鍵がかかっていたのか?」
「掛かっておりましたな」
「じゃあ中に入れないし、持ち出せないよね」
「鍵は誰かが持ち出したりしていなかったのか? 合鍵とかは?」
「合鍵はありません。当家で保管管理しており、誰も持ち出してはいないはずですな」
「それに盗むなら台座ごと持って行くだろうな。壊して持って行くなんて、価値を損なうだけだ」
大きさを考えると複数でやらない限り、運び出すのも難しそうだ。
「なかに何かが入っていたって考えた方が自然かな。それが爆発したか、動き出した?」
「何が入っていたっていうんだよ?」
「私に訊かないでよ……分かるわけがないじゃない」
「確かにどうにも盗み出されたとかそんな感じじゃないな。格子扉だから密室とはいいがたいが、腕が入る程度では愉快犯的な破壊目的じゃない限り、こんなことやる意味がない」一刀は彩を見る。「なあJESでも調べてもらった方がよくないか?」
彩は結局、二人の様子を見ていただけだった。
「そうですね」彩は厳かに言う。「その前に剣山虎月を確認しましょう」




