29. 地の底へ
「本当に行くの?」
宇月恵の目の前には今、古井戸がある。
雑草が伸び放題でその所在は近づかないと分からないほどだった。
これは龍玄寺脇にある古い共同井戸とされているものだ。今は使われておらず、石蓋がされている。厳重に開けられないように鎖が掛けられ、鍵までついている。
「決まってるだろう」
思い立ったら吉日だと一刀は胸を張る。
「いいのかなぁ……」
恵はため息をつく。その自信はどこから来るのだろうか。
「問題ない。気にしすぎだ」
JESに行くと恵は平田の研究室から出てきた一刀と鉢合わせたのだが、勢いのまま彼にここまで連れてこられたのである。
「断らなくていいのかな」
「どこにだよ?」
「だって『危険』て書いてあるし……」
風雨にさらされ、半ば錆付いている立て看板がある。
「誰か所有者がいるってことだよね?」
「共同の井戸だったんだろう。市とかならそれも明記されていそうじゃないか」
「龍玄寺とか」
「じじいは関係ないって言ってたぞ」
「そうなんだ。でもカギがかかっているよ」
一刀の強気の発言に負けそうである。
「そこは任せておけ」
そう言って一刀はカバンから金属製のバトンのようなものを取り出した。
「それは?」
「平田さん謹製レーザーブレード!」
手の中でクルクルと回してみせる。
「そんなものがあるの!」
「試作で作ったものらしい。使えるのは一分にも満たないって話だけど、切れ味は抜群だってよ」
これくらいなら問題ないだろうと、一刀はブレードを作動させる。
微かに唸るような音がして、軽く振り下ろすと、見えない刃によって錠前が真っ二つに割れ、錆色の鎖が音を立てて落ちるのだった。
「すごい」
「長時間使えないのが難点だって平田さんが言っていたけどな」
とんでも兵器だが、まだ実用的ではないという。
「これで行けるかな」一刀は井戸の上に乗っている石蓋に手をかけ、踏ん張りながら力を込める。石臼を引くような音がした。「結構重いな」
スライドした石蓋は重々しい音をたて地面に転がる。
一刀は井戸の中を覗き込んだ。
暗くて何も見えなかったが、不思議とかび臭い臭いがしなかった。
足元に転がっていた小石を拾い井戸の中に落としてみた。すぐに乾いた音がする。
「枯れ井戸か」
一刀はカバンから同じく平田研究室から持ってきた小型の強力なライトを取り出すと光を当てながら井戸の内側を調べ始める。
「なにを見ているの?」
「ここが抜け穴に使われてたとしたら、上り下りするための足掛かりになりそうな窪みとかあるんじゃないかと思ってさ」一刀は井戸の側面を照らしながら恵に言う。「あった、あった」
「本当に?」
「ここが城に関する古井戸なら、史跡とかになってたり調査されていてもいいはずなのに、それすら今まで無かったっていうのがおかしいんだよ」
「意図的に隠されたってこと?」
「城の発掘調査は行われていたのに、なぜ向こうでは出入り口が見つかっていないんだ? そう考えた方が自然だろう」
「そうか……そうだね。一刀クンすごいね。そこまで考えているなんて」
「問題は誰が隠したかだが、あのババアならやりそうだと思わないか?」
「彩さんが?」
「天地仁左のこともかなり詳しく知ってそうだしな。龍だけじゃなく、天地仁左の秘宝まで護っていたとしてもおかしくないだろう」
「抜け穴の事も知っていて、あの本を書いていたものね」
「洗いざらい天地のことを吐かせてやりたいんだがな」
「一刀クン、後回しにされているものね」
「こっちは言質取ってるんだよ」
一刀はモヤモヤした感情を抑えきれない様子だった。
井戸の底へと下り準備を始める。
「一刀クンは負けず嫌いだもんなあ。普段はものぐさなのに、好奇心がわくと人一倍行動力や思いっきりの良さが増すのを忘れていた……」
恵は聞こえないように呟き、頭を抱えてしまう。
「ねえ一刀クン、ひとりで行くの?」
「そのつもりだけが」
ブレザーを脱ぎ、井戸の脇に置いていたカバンに無理矢理押し込む。
そして背中に霧双霞を背負うのだった。
「それなら、なんで私を誘ったのよ?」
「そういや意味なかったな。勢い?」
「え~っ! 信じられない」恵は呆れながら、決心した。「私も行くわよ。ここまで来たんだし!」
一刀はこぶしを握り締め前のめりに言う恵に気圧される。
「まあいいか。先に見てくるから、恵はこのライトでオレの足元を照らしてくれ」
「了解」
恵は手渡されたライトを持ち井戸の中を照らしながら、一刀の足元を照らせるように立ち位置をずらした。
ゆっくりと慎重に一刀は井戸の底へと下りていく。
十メートルほど降りて、一刀は底に着いた。
「あったぞ!」
興奮気味に手を振る。
「本当にここは井戸だったのかよ」
ジメジメとした感じはしない。足元も堅くとても井戸とは思えなかった。
底から五十センチほどの高さの位置に金属製の扉がある。
ポーチからペンライトを取り出し照らすと、周りはきれいに切り取られた石が積み上げられている。比較的新しい時代に造られた城の石垣を見ているようだった。レールの跡らしきものもあり三本のラインが上へと伸びている。
狭いが大人が二人立っていても十分なくらいの広さがあった。
目の前の扉に一刀は触れる。
鍵はかかっていないようだ。一刀が軽く押すと扉は開くのだった。
「さて、何が出てくるやら」
「一刀さんとは連絡が付きそうですか?」
「連絡は取れません。ですが、恵ちゃんと一緒だということが分かりました」
大場は彩に二人がJESの通信機にも応答しないことを説明する。
「恵さんと?」
「一度はJESに顔を出していましたが、二人で出て行ったようです」入口の監視カメラには二人そろって出ていく様子が映されていた。「彼らが発信するシグナルは龍玄寺の脇で途切れたということです」
「龍玄寺? どのあたりでしょう」
大場はタブレットでその位置を示す。
「まったく……、龍玄寺で何をやろうとしているんだ?」
「あの子たちったら」
彩は苦笑していた。
「一刀は普段、自分からは動こうとしないくせに、こういう時だけは勝手に突拍子のない行動をするんだからな」
「私たちも行った方がよろしいでしょうね」
「この場所に何か心当たりがあるのですか?」
「はい」吐息とともに彩は頷いた。「間に合うかしら?」
「とりあえず行ってみるか」
「そうだよね。こんな狭いところに二人でいても始まらないし……」
恵はスマホで井戸の底や壁、扉を撮影していた。
「中では何も始まってほしくないがな」
「だよね~」
ポーチからバンドを取り出すとライトをつけて頭に巻くのだった。
両手は自由に使える方が良い。根も万が一のために持ってきている。
「連絡は……無理……」
スマホも通信機もつながらなかった。JESに連絡する機会を逸していた。
「さてさて、何があるのやら」
二人は扉の中へと足を踏み入れる。
光はライトのみ。真っすぐに抜け穴が通されているかどうかも分からない。明かりが届かず先が見えないのである。
彼らは慎重に歩いていく。
「ここは地下のトンネルだよね。なんで圧迫感も息苦しさもないのかな。それに湿気も感じられない」
「トンネルなんてこんなもんなんじゃないのか?」
「私が歩いたことがあるのは地下五十メートルくらいの深さに通された海底トンネルだったけど、すごく変な感じがしたよ。それにこのトンネルは向こう側がふさがっているんだよね? それなのに息苦しさも感じない。むしろ清々しいくらい」
肌寒く感じるくらいひんやりとした空気だった。
「石蓋がされ扉も閉じていたから、数百年はまともに空気が循環していなかったはずだよな。それなのにかび臭さも埃っぽさもない。まるで空調が効いているような感じだな」
「ここが作られたのは、話が本当なら鎌倉時代だよ。それなのに足元も壁もコーティングされているようにきれい」
壁に触れてもざらついた感じはしない。
「普通ならノミで削った跡くらいありそうだよな」
「二人で並んで歩いても余裕があるし、天井も高いよ」
「硬い岩盤を掘るのにどれだけ時間がかかっているのやら……ここは本当に抜け穴なのか」
「別の目的に作られたとか?」
「何のためだよ」
「秘密基地とか? ねえねえ、あそこにも扉があるよ」
恵の照らす先にはトンネルの側面に鉄の扉があった。
扉の周囲を照らし、他に何もないのを確認すると、恵はそれを開けようとする。
錆付いているのか押しても引いてもびくともしない。スライドすらしなかった。
「ここは鍵がかかっているのか? なんだ動くじゃん」
代わりに一刀がやってみるとすんなりとスライドするのだった。
「なんで?」
ゆっくり一刀は慎重に開けていくと、扉の向こう側から光が差し込んでくる。
闇に慣れた目には眩しいくらいだ。
「外に出たのか?」
恵と一刀の前には竹林が広がっている。
「そんなわけは……上っていた感覚はなかったよ」
青空も見える。
「根府屋にこんな竹林はないぞ」
「じゃあ、ここはやっぱり地下? それなのに家まであるの?」
竹林の向こう、恵の指さす先には古民家が建っていた。
大場はジムニーに彩を乗せると地上へのスロープを走り始める。
「衛星写真を解析しても、あそこには古井戸があるだけですが、他に何かあるのですか?」
外の通りへと出ると彼らは龍玄寺に向かうのだった。
「どう説明したらいいでしょうね」
彼女はしばし考える。
「一刀が興味を示すとしたら、天地仁左の物しか考えられませんが」
「そうですね。一刀さんにはすべてお話しすると約束していましたからね」
「一刀と、約束ですか?」
「はい。平田さんや番場さんとの話が長くなってしまいなかなか機会も出来ず、相当しびれを切らしているのではないかと思っていましたが」クスリと彩は笑う。「まさかこのような行いに出るとは考えもしませんでした」
「あいつは物ぐさというか面倒くさがりですが、いったん行動すると何をするか読めません」大場の話に彩は同意する。「あそこには天地仁左の秘宝があるのですか?」
「秘宝はございません」
きっぱりとした口調で彩は断言した。
「他に何があるというのですか?」
「あの古井戸はその昔、海葉城からの抜け穴の出口として使われたことがありました」
「本当にあったんですか?」
城の外へと抜ける道があったという伝説は聞いたことがある。
だが海葉城発掘調査ではそのような物が城跡にあったという痕跡は見つかっていない。
それが事実だとしたら大発見である。
「ございます」
「本当ですか?」大場は驚きを禁じ得なかった。「神社に何が残されているのですか?」
龍のみならず、天地仁左に関する資料が三行神社にはあるというのだろうか。
「逸話として残されています」
三行神社に龍や天地仁左に関する文書なり資料が現存するわけではない。すべては彩の記憶の中に残されているものでしかなかった。
「なぜ公開しないのです」
番場が三行神社に調査に向かったが、門前払いされていたのである。
「龍は、その後継となる者が現れるまでは口外することはございませんでした」秘儀であったのだ。「秘宝は天地仁左様の御意志であられます」
「今は話してもらえるのですよね?」
「一刀さんとの約束もありますし、今がその時期なのかもしれません」彩は流れる街の景色を見ながら答えた。「先に大場さんにお話ししてしまうことを一刀さんには謝らないといけませんね」
「気にする必要はないと思いますよ。それで古井戸は今でも城跡と繋がっているんですか?」
「すでに城跡側の出入り口は塞がれています。天地様が隠居されたのち埋められてしまっていました。ですから近年の城の発掘調査でもその痕跡は見つけることが出来なかったのです」
「ではなぜ出口だけ残されていたんですか?」
「あれは天地仁左様の住まいへの入り口があるからです」
土がむき出しの道。
ふたり並んで歩けるくらいの道幅の両側には竹林が広がり、その竹林を抜けた先には古い建物が見える。
時代がかった造りの屋敷だ。
後ろに扉と壁がなかったら地上に出たのかと思ってしまいそうだった。
雲ひとつない青空は、よく観察するとホリゾントを見ているようだった。光源はどこにあるのだろう?
時代劇のセットがある舞台なのだろうかと考えたが、竹林も足元もリアルすぎた。
「とりあえず行ってみるか、恵?」
屋敷を指さしながら一刀は恵に声を掛ける。
「そうだね。行ってみよう」
スマホで竹林やその先に見える屋敷を撮影していた恵は頷く。
恵はライトを背負い鞄にしまう。右手には棍棒を持ち、今度は動画を撮りながら一刀についていく。
「連絡はできた?」
「つながらない。やっぱり、ここは地上じゃないな」一刀は諦め、通信機をポケットにしまう。「ただの抜け穴じゃないな。ここには何があるのやら」
「天地の秘宝かな」
「だったら大当たりだ」
「一発で福引の特賞引いたみたいな感じだといいね」
「ハズレ引きそうだから、そういうことは口にするな」
「だね」恵は舌を出し苦笑いする。「ここはまるでお昼時みたいだよね」
「地上じゃ十七時になろうとしているのにな」
スマホで時間を確認する。井戸の中に入ってから三十分以上時間が経過している。
本来なら空は暮れ始めていてもおかしくない頃合いだったが、ここではのどかな昼下がりのような情景が広がっている。
その光景は鳥のさえずりが聞こえ、風に笹の葉が揺られ音をたてているような錯覚すら覚える。
実際には静まりかえっていて、二人は周囲をうかがいながら進むが、生き物の気配すら感じられない。何らかの舞台にせよリアルで大掛かりすぎた。
「ねぇ、一刀クン」
「何だ?」
「足元、おかしくない?」
「ああ、地中でなんか動いているような」
「地震じゃないよね?」
風もないのに笹が擦れ合うような音がする。
突然、地面を跳ね上げ、土埃を巻き上げて鞭のようにしなる竹の根が現れた。
それが一本でなく無数に二人を挟み込むように地面から伸びていく。
地に縦横に張り巡らされた竹の根がまるで生き物であるように二人に襲い掛かってくる。
恵と一刀は棍棒と霧双霞で、鞭のようにしなり迫る竹の根を迎え撃つ。
「何なんだ、こいつらは!」
「それよりもどうするの?」
恵は向かってくる竹の根を払いのけ応戦する。
「地面に雷撃をぶちかますってのはどうだ?」
一刀が切り伏せると、竹の根は霧散していった。
「無茶よ。どこに本体があるのか分からないし、効果がなかったらどうするの」
「使用制限があるから、無駄遣いはしたくないな」
両脇の竹林には竹の根の気配はないが、そこに逃れようとすれば別の罠が待っていそうだった……。
「だったら、前進あるのみ!」
「戻るという選択肢はないの?」
「ない!」一刀は言い切った。
こういった時の一刀は思いっきりが良すぎだ!
躊躇なく決断し、勝負どころと見れば、一気に突っ込んでいくのである。
恵は覚悟を決める。
「ちゃんとついて来いよ」
一刀は前方の竹の根に斬り込んでいく。
剣先を目で追うのがやっとだった。
素早い剣さばきで、一刀は竹の根を斬り伏せる。
竹の根はさらに数を増やそうとするが、一刀の剣戟に追い付かない。
恵は後ろを守りながらついていく。
一刀の剣技が冴えわたる。
恵が目で追えたのも途中までだった。あとは竹竿の切れる音と風切り音が耳に届くのみである。
根の壁に道が開ける。
そこを抜けると、屋敷の中で、一瞬人影が見えた。
「人が住んでいるのか? 見えたよな」
一刀の問いかけに、恵は頷く。
屋敷の前までは竹の根も追ってこないようだ。一刀は刀を鞘に納める。
後ろを見ると、あれほどうごめいていた竹の根は消えている。
「あれって、ガーディアン?」
「侵入者からここを守っているってんなら、そうだろうが……あんなの普通じゃ考えられないぞ」
「そうだよね……屋敷はオブジェじゃないだろうし、こんなところでどうやって暮らしているんだろう?」
「自給自足できるってんなら別だろうが……」
「抜け穴に入ってまだ地下にいるんだよね、私たち?」
「こんなのがあるなんて想定外もいいところだ」
「他にも出入り口があるのかな」そうだと嬉しいと思う恵だった。「来た道を通らなくて済むなら、そうしたい」
「もう帰りの心配かよ」
「だって竹の根っこが触手みたいに動くなんて異常だよ」
「人がいるなら、あれが出ないようにしもらえばいい。でなければ何かあった時にここから出られないだろう。それに帰りのことよりも先にこの家を調べないとな」
「罠じゃなければいいけど」
「ここはゴキブリホイホイかよ」
「誘惑するような匂いとか何もしないけど……捕食されるのは嫌だなぁ」
「足元も気を付けて行こう」
二人の目の前に建つ屋敷は、それほど大きいものではなかったが、朽ち果てた感じもない。庭先もきれいだった。




