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第5話

「本日未明、宮辻みやつじ市東区にて二人の女性の遺体が発見されました」


 テレビの中のニュースキャスターが、今日も原稿を読み上げる。私はそれを聞きながら、少し焦がしてしまったトーストにマーガリンを塗りたくっていた。


「遺体はどちらも内臓が抜き取られていたとのことで、警察はふたつの事件の関連性について調べています……」


 朝から食欲の失せそうなニュースだ。そう思った三秒後には、キャスターは俳優の熱愛報道について喋っていた。

 世界はいつも通り回っているらしい。


「怪異とか聖杯の欠片とか、そりゃみんなは知るわけないか……」

 

 かぶりついたトーストが、同意するようにサクリと音を立てた。


 


 玄関を出たところで、私は家の塀の上に寝転んでいた黒猫に笑いかけた。


「おはよう、クロ。いってきます」


 クロは私が幼い頃から近所で見かける野良猫だ。我が家の塀の上がお気に入りらしく、昼寝をしているのを昔から頻繁に見ている。

 野良猫というにはきれいすぎる毛並みを持つクロは私の声に特に顔を上げず、垂らしたしっぽをゆらゆらと揺らして返事するのみだった。



 ◇ ◇



「ねえ、神隠しがあったの知ってる?」


 登校するや否や、教室はその話題で持ちきりだった。

 私はカバンを机の上に置きながら、話を振ってきた隣の鬱木雨子うつぎあめこに尋ねる。


「何それ?」

「一組の織崎おりざきさん、昨日から行方不明なんだって。靴は下駄箱に入ったままで、校内から出た痕跡がないんだよ」


 彼女曰く、最後の目撃情報も図書室らしい。親も友達も連絡がつかないんだと。


「それは……」


 ぴた、とカバンを机横にかけようとした手が止まる。


「……心配だね」


 怪異では、と思い浮かんだ言葉を飲み込んで無難な返しをした。オカルト好きな彼女の話だ、以前なら「はいはい」と流していただろうに。

 うまく笑えていただろうか。そんな心配が頭をよぎったとき、


「はよー、なんの話してんの?俺も混ぜてくれよ」


 ドカッと勢いよく、前の席にジグくんが座ってきた。その様子は噂に興味津々のどこにでもいる男子高校生そのもの。直情型に見えて案外演技派な吸血鬼だな。

 

 当然何も知らない雨子は「いやそれがさー」と神隠しの噂を話し始める。そこで、教室のざわめきはチャイムの音にかき消された。


「はーい、席につけー」


 担任の声に、生徒たちが渋々腰を下ろす。さっきまで神隠しだのなんだの言っていた空気は、あっという間に日常に押し流されていった。



 


 黒板に書かれる数式。固いチョークとめくられるノートの音。誰かが小さくあくびを噛み殺す気配。


 本当に、世界はいつも通りだ。


 私は教科書を開きながら、雨子の話を頭の中で反芻していた。


 一組。下駄箱に靴。図書室。

 そして、連絡がつかない。


 ……聖杯の欠片を取り込んだ怪異。考えないようにしても、どうしてもそこに辿り着いてしまう。

 昨夜、グランツに言われた言葉が脳裏をよぎった。


 ──ほぼ間違いなく死ぬだろう。


 ぎゅっと、無意識にペンを握る手に力が入る。

 この学校のどこかで、もう日常から零れ落ちてしまった人がいる。

 

 織崎さんは、無事なのだろうか──


「望月」


 名前を呼ばれて、びくりと肩が跳ねた。


「え、あ、はい!」


 担任が怪訝そうな顔でこちらを見る。


「さっきから上の空だな。体調でも悪いのか?」

「い、いえ……大丈夫です」


 大丈夫じゃない。でも、そう言うしかなかった。

 クラスメイトたちの視線が一瞬集まり、すぐに逸れていく。誰も、私が何を考えているかなんて知らない。……知られちゃいけない。


 担任が再び黒板に向き直る。それと同時に、前の席──ジグくんから手紙が回ってきた。

 雑に四つ折りにされたそれをこっそり開けば、


『昼休み、作戦会議』


 という角ばった文字。顔を上げれば、ちらりとこちらを見やる赤い瞳が悪戯っ子のように細められていた。

 

 今は四限。昼休みはもうすぐだ。



 ◇◇



 昼休み、私たち三人は図書室に向かっていた。

 行方不明になった織崎おりざきさんの、最後の目撃場所。


「まっさかこんな早く学校で、しかもわりとデカめの事件起きるとはなぁ」


 頭の後ろで手を組んだジグくんがぼやく。


「ま、学校なんか怪異のマンションみたいなもんだから当然か」

「マンションて」

「学校の七不思議とかよく言うだろ?そういうイメージが強い場所はやっぱり怪異って湧きやすいんだよ。学校とか、病院とか、路地裏とかな」

 

 昼休み開始と同時に始まった作戦会議はすぐに結論が出て終わった。

 まず昼休みに手がかり調査。そして放課後、改めて校内を調査しつつ私を餌に怪異を待つ。


「怪異はお天道様てんとうさまの光が苦手やから、昼間は基本あんま活動せえへんのよ。あいつらが活発になるのは夕暮れ時から夜にかけてなんや」

「だから昼休みはとりあえず調査のみ、と」


 なるほど、私は頷く。

 やがてたどり着いた図書室の扉を押すと、どこかひんやりとした空気が肌を撫でた。昼休みだというのに人はまばらで、紙とインクの匂いだけが静かに漂っている。


 何も変わったところはない。

 いつも通りの、本の森。

 ……なのに何か落ち着かないのは、神隠しの話を聞いたからだろうか。


「二人は何か変わったところは感じる?」


 中を歩きながら尋ねるも、返ってきたのは芳しくない声だった。


「いーや」

「なぁんも」

「そっか……」


 各々、変わった本や棚、違和感がないか見て回るもののそれらしいものは見つからない。


「図書室ってのは重要やないのかもしれへんなぁ」


 適当に数冊取り出してペラペラめくるナギくんが呟く。

 そうこうしているうちに、昼休み終了が近づいてきていた。しかし現状手がかりはゼロだ。


「そろそろ教室に戻らないと……ん?」


 図書室の隅。窓もなければ蛍光灯の明かりもあまり届かず暗くなっているその場所。本棚の前。

 少しホコリの溜まった床の上に、一冊の本が落ちていた。


「あらら……」


 図書委員の見落としだろうか。本は大事にしてほしいものだ、と思いながら私は本を拾い上げた。

 初版が古いのだろう、カバーの深緑色は褪せていた。ホコリを払えば表紙には『宮辻市立北高等学校の歴史』の文字。


「来年で創立百年なんだっけ……案外歴史ある学校なんだよねぇ、うち」


 気まぐれにパラパラと中身をめくってみる。明治時代に創立され、長い歴史の中で学舎として立ち続けてきた。

 取り立てて珍しいところはない。

 ──そう思ったところで、手が止まった。


宮辻北高みやつじきたこうの守り神……?」

「ん? どうしたん律香、なんかそれっぽいものあった?」

「関係あるかはわからないけど、これ」


 ひょいと後ろから覗いてきたナギくんに開いたページを見せる。

 創立時、高校と生徒たちを守ってくれるように、と鎮守神を祀ったこと。校舎裏手の森に建てられた、ささやかなおやしろの写真。

 

 ナギくんはそれを見て夕焼け色の瞳をすう、と細めた。


「ふぅん……」

「私生まれも育ちも宮辻市ここだし高校入って二年経つけど、こんなの初耳」

「あ? 二人でなにコソコソやってんだよ!」


 俺も混ぜろ、と向こうにいたジグくんがやってきたところで、昼休み終了を告げるチャイムが鳴った。私は慌てて本を閉じる。


「やばい、次音楽室だよ!」

「なあ、何見てたんだよー、なあなあ」

「後で説明するから! ほら早く行くよ! 田畑先生、遅刻するとめんどくさいんだから!」


 私は急いで本棚にしまうと、ジグくんの手を引っ張って図書室を後にした。



 ◇◇



「ワリィ! すぐぬけ出してくっから!」

「ゴルァ神宮寺ィ! なに堂々とサボり宣言してんだ!」

「頑張ってねー」


 剛田先生に引きずられていくジグくんに手を振る。

 放課後、ホームルームが終わると同時にジグくんは補習室へと連行されていった。この前の単元テストの内容がひどかったらしい。


 まあ、彼のことだから本当にすぐ抜け出してくるだろうし、仮に遅れてもナギくんがいるから大丈夫だろう。


「三組行くか」


 まずはナギくんと合流だ。

 教室の喧騒を聞きながら椅子から立ち上がる。ガタンと音が鳴って、まばたきをひとつ──瞬間、音が消えた。


「え」


 顔を上げれば、そこは変わらず教室。


 しかし、一瞬前までいたはずのクラスメイトたちの姿は影も形もない。あたりの喧騒は耳が痛くなるような静寂に変わっていた。


「な……」


 からっぽの教室は不気味な赤紫色にぼんやりと染まっている。それは窓の外に広がる、夕暮れというには嫌に赤みがかった空のせいだと気付いた。生まれてこのかた、あんな色の空は見たことがない。

 五感のすべてが、ここは通常の空間ではないと告げている。


 たらり、と汗が頬を流れた。

 なるほど、これが──


「神隠し……」

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