第4話
「は……?」
突然の死刑宣告に呆けた声が出た。
何を根拠に、と言うより早くジグくんが口を開く。
「残念ながらグランツは嘘ついてないぜ。実際、昨日も死にかけただろ?」
昨夜の影。もしあそこでジグくんたちが来てくれていなかったら──そこまで考えて、やめた。落ちた視線の先で両手がスカートをぎゅっと握る。
「原因は“聖杯”だ」
聞き慣れない単語に私は顔を上げた。
「聖杯って……あの、宗教的な?」
「名称こそ同じだが、違う。ここで指す聖杯とは、膨大な月の魔力リソースのことだ」
「ようするにバッテリーやな。月の魔力っちゅう特別な魔力がギューっと詰まった、この世にひとつしかない超特別なバッテリー」
「それが、昨夜何者かによって砕かれた」
グランツは淡々と続ける。彼が喋るたびに、空気が静寂へと近づいてくようだ。
「正確には、宮辻教会地下に封印されていた聖杯の封印を、昨夜何者かが解いた。同時に聖杯は砕け、欠片は市内に飛び散った」
「市内には昔から怪異を抑える結界が張られてたんだけどな、それって聖杯の魔力使ってたんだよ。だから聖杯がバラバラになると同時に結界もパァ、市内の怪異を抑えるもんはなーんにもなくなっちまったってワケ」
ジグくんに言われて、思い出す。
昨夜の昇降口で感じた違和感。景色は変わらないのに、世界の何かが決定的に変わってしまったようなあの嫌な感覚──あれはそういうことだったのか。
あのとき、市内を守っていた結界が消えてしまったのだ。
「市内に散らばった聖杯の欠片は、それひとつでも十分な月の魔力の塊。怪異たちは我先にと取り込んだだろう」
「聖杯の欠片を取り込んだ怪異は、それまでとは比べ物にならんレベルでパワーアップできるからなあ。昨夜の宮辻市は、空前絶後の地獄のバーゲンセールだったってわけやね」
「怪異抑制の結界はなく、中には聖杯の欠片を取り込んだものもいる──以上が、宮辻市が今非常に危険な状態にあると言った理由だ」
「な、なるほど……地獄だ……」
あまりに世界が違うというか、怪異とか言われても少し前までの私なら信じなかっただろう。
でも、今は違う。昨夜、私はたしかに怪異に襲われたのだから。彼らの言う通り、宮辻市は怪異がうじゃうじゃ蔓延る魔境と化しているのだろう。
自分なりに整理していると、グランツの赤い瞳がまっすぐに私を射抜いた。
「そして、望月律香」
「へ」
突然の名指し。びくりと肩を震わせた私をよそにグランツは続ける。
「お前は怪異を引き寄せる体質……“月の祝福”だ。昨夜襲われたというのも、お前の体質によるもので間違いない」
「ムーン、ブライド……?」
「純度百パーな月の魔力を持つ人間。怪異たちにとってはこれ以上ないご馳走だな」
「ま、怪異ホイホイやね」
「え……え!? いやそんなはず……」
ない、と言いかけて止まった。たしかに昨夜まで私は怪異とは無縁の生活を送ってきた。しかし、おそらくそれは──
「これまで怪異と無縁の生活を送ってきたのなら、それは結界のおかげだろう」
そういうことだ。
結界がなくなった途端、襲ってきた怪異。あれはたまたま運が悪かったなんてことじゃなくて、
「はじめから、私を狙ってた……」
口にして、サアッと血の気が引く。首に刃物を突きつけられている気分だ。
震える唇は勝手に動いていた。
「もし、今夜一人なら──」
「ほぼ間違いなく死ぬだろう」
ただ純粋な事実を告げるだけのグランツの声。しかし、それは私にとってあまりに重い響きだった。
「そこで提案だ」
俯いた私の鼓膜を、重くも澄んだ声が揺らした。
「私たちは聖杯の欠片を集めたい。しかし、怪異に取り込まれては探知のしようがなくてな。強力な怪異を探し出し、その都度狩る必要がある」
痛む頭をおさえて、たどり着いた最悪の結論を口にした。
「私は……囮、ですか」
「お前は賢いな」
ふ、とグランツがはじめてほんの微かに笑みを浮かべた。絵画のように美しい微笑は、同時に目の前のヒトが人間ではないことを本能に語りかける。
「お前を囮に、寄ってきた怪異を我々が狩る。承諾すると言うのなら、この騒動が終わるまで必ずお前の身は私たちが守ると約束しよう」
理屈はわかる。しかし怖くないわけがない。
命を守ってもらうために、命を危険に晒せと言うのだから。
「……拒否権は?」
「あるとも」
できるものならな、と言われた気がした。グランツは微笑を崩さない。
ひどい選択肢だ。命を人質に取られた、二択に見せかけるつもりもない一択。
それでも。
怖い──それ以上に、死にたくない。あたりまえだ。
私はまだ生きていたい。なら、より生存確率が高い選択はどちらかなんて明白だった。
少しの沈黙の後、私は息を吸った。
「……わかりました」
目に力を込めて、グランツの赤眼を見つめ返した。
「あなたたちに協力します。だから絶対に、私を守ってください」
吸血鬼だろうが関係ない。この際だ、使えるものは全部使ってやる。
私の返答に、グランツは満足そうに頷いた。
「もちろんだ。我々は必ず約束は守る──協力に感謝する、望月律香」
──これが始まり、プロローグ。
魔境と化した宮辻市で始まった、利害の一致による吸血鬼との奇妙な関係。この日を境に、私は月と夜の世界に足を踏み入れることとなった。




