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第2話

 ピピピ、と己の役目を全うする目覚まし時計の音で目を覚ました。バシンとはたき、本日の職務終了を告げてやる。

 ベッド横のカーテンを開ければ明るい光が目覚めたばかりの網膜を白く刺激した。


「あさ……」


 そう、朝だ。昨日と同じ、いつも通りの朝。

 私は布団をめくって自分の膝を見た。傷ひとつない平凡な膝である。

 しかし、たしかに昨夜そこには擦り傷があった記憶がある。……そこを舐められた記憶も。


 昨夜、「俺らな──吸血鬼なんだよ」なんて言われた私は全く情報を処理できず固まるしかなかった。そんな様子を見かねてナギくんが


「まあ、詳しいことは明日話そか。送ったるから今日は帰り」


 と提案し、あれよあれよという間に私は自宅へと送り届けられていたのだった。あれはなんとも迅速な対応だった。


「……夢オチ、だったりしないかなぁ」


 そんな望み薄な希望をほんのり抱きながら、私はベッドから出た。





 登校して早々、下駄箱でジグくんに遭遇した。相変わらず校則ガン無視の着崩しスタイルである。


「おう、おはよう律香りつかさん」

「お、おはよう……」


 下手くそな笑顔を浮かべて靴を脱ぐ。

 あまりにもいつもと同じ調子で挨拶してくる彼を見て、望み薄だった考えが頭の中に広がる。

 やっぱり、昨夜のことは夢だったんじゃ──


「夢じゃないぜ、律香」


 すぐ耳元で、私だけに聞こえるように囁かれた声。

 上履きを取ろうとした手が止まる。隣をちらりと見れば、心の奥を見透かすように光る赤い瞳が愉しそうに細められていた。


 はじめて見るジグくんの表情に心臓がどきりと跳ねる。残念ながらそれはときめきというより、自分が獲物になったような錯覚から来る恐怖が主な原因だ。


「私、口に出てた……?」

「いーや? 顔にはめちゃくちゃ書いてあったけど」


 カハハ、と笑ったジグくんは弾んだ声で続けた。


「安心しろよ。放課後、ちゃんと説明してやるからさ」



◇ ◇



「というわけで、今から俺らの家に行きます!」


 放課後、校門前でジグくんとナギくんが揃ったところで意気揚々とジグくんはそう言った。

 

「俺らのリーダーがな、律香とお話ししたいって言ってんねん。リーダーが色々わかりやすーく説明してくれるさかい、一緒に行こな」

「それって本当に行ってだいじょうぶなやつ?」


 彼らの言葉を信じるなら吸血鬼の家、ということになる。入ったら最後、血の一滴まで搾り取られるなんてことになるのでは……。


「だーいじょうぶだって。なんかあっても他のやつらに絶対手ェ出させねえから」


 ニ、と白い犬歯を見せてジグくんは笑う。声音は軽いが、まっすぐ目を見てくれる彼の言葉に嘘はなさそうだ。

 

 ……吸血鬼だとかなんだとか、正直関わらないほうがいいと本能はビンビンに警報を出している。

 しかし、昨夜の恐ろしい体験についての謎が解明されないままでは夜道を一人で歩けない。……クラスメイトが実は吸血鬼だったとかいう展開にも、ちょっと好奇心がうずくし。


「……わかった。それじゃあ、案内よろしく」


 私が頷くと、二人は嬉しそうに笑った。





 そうして着いたのは、よく知った場所だった。


菊岸山きくきしやま?」

「そ、ほら行くで」


 菊岸山──私の家の裏手にある小さな山だ。幼い私の遊び場でもあったそこに、彼らは慣れた様子でずんずん進んでいく。視界は西陽のオレンジと影が落とす黒のまだら模様だ。


「ナギくん、メガネ取っちゃっていいの?」

「ええねんええねん、伊達目やし。“狐塚渚こづかなぎさ”になりきるための小道具やから、必要ないときはつけへんの。邪魔やから」

「邪魔て」

 

 そんな他愛無い会話をしながら山を歩く。不思議と、木々が道を開けているように見えた。

 やがて、二人が足を止める。


「あ、ここ……」


 目の前には、煉瓦造りのトンネルがひとつ。それは昨日私が夢で見たいつかのトンネルと全く同じ姿をしていた。相変わらず、一寸先も見えない暗闇は怪物が大きな口を開けているようだ。


「ここを通るの?」

「おん」


 頷いて、ジグくんは右手を差し出してきた。


「手ェ繋ぐぞ。じゃなきゃ迷子になる」

「初回だけや。安心しい」


 俺とも繋いどくか?と目を細めてナギくんも手を差し出す。


「いえ、結構です……」

「ありゃ、フラれてもうた」


 幼稚園児じゃないんだ、両方のお手手繋いで歩くなんてさすがに耐えられない。

 こんこん笑うナギくんは「ほな行くで〜」と長い脚を前に出す。私は置いていかれないように、慌ててジグくんの手を握った。


「んふふ、手ェ小さ」


 ジグくんはそんなことを言って、にぎにぎと私の手を握り返す。その視線は煮詰めまくった砂糖かとろけたチョコレートだ。


「ほ、ほら。早く行こう」


 見てるこっちが胸焼けしそうで、私は思わず顔を逸らして足を踏み出した。

 そして入ったトンネルの中は、一切の光源がなかった。視界に広がるのは黒一色。広さも長さも到底わからない。

 わかるのは、ひんやりとした空気と足音がよく響くことだけ。


「律香ー、ちゃんとついてきとるー?」

「うん」


 どこからか聞こえるナギくんの声に返事をする。やけに反響するせいで、遠くにも近くにも聞こえた。


 そうしてどれくらい歩いただろう。おそらく一分も歩いていないのに、やけに長く感じた道のりの先にようやく黒以外の色が見えた。

 暗闇に慣れた目では外の光は眩しくて、私は外の景色を見る前に目をつぶった。そのまま光の中へ進む。


「着いたぜ、律香」


 ジグくんの声に目を開ける。そして私は、思わず感嘆の声を漏らした。


「わあ……」


 トンネルの先にあったのは洋館だった。


 ところどころ蔦が伸びた煉瓦造りの赤茶けた壁に、魚の鱗のような瓦が敷かれた急勾配な屋根。尖塔の上では少し錆びついた風見鶏が小さくキィと音を立てている。ここからではよく見えないが、屋敷の向こう側には小さな庭園もあるようだ。

 

 静謐な空気の森の中、静かに佇む古めかしい洋館。目の前の光景はまるで自分がお伽話の中に飛び込んだようだった。


「何ボーッとしとるん、はよおいで」


 ゆるく弧を描きながら置かれたタイルのアプローチの上を進みながら、ナギくんが振り返る。私はハッとして後を追おうとして、繋がれたままの手に気付いた。

 

「あ、ありがとうジグくん。もういいよ」


 私が手を離そうとするも、がっちりと掴んでくる彼の右手は離す気配がまったくない。


「えっと、ジグくん? 手、離して?」

「んー、ヤダ」

「ヤダ!?」


 子どものように無邪気な却下がおりた。驚く私をよそに、彼は嬉しそうに笑って私の手を引く。


「もうちょっとだけだから、な!」


 彼に引っ張られる形で、私は玄関前にたどり着く。重そうな両開きの扉だ。その少し禿げた金色のドアノブをナギくんの骨張った手が回す。

 ギィ、と蝶番が軋んだ音を立てた。


「俺らの家にようこそ、律香」


 二人の吸血鬼が笑う。私は生唾を飲み込み、家へ足を踏み入れた。

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