第6湯 俺は温泉を掘ってみる?
眩しい光の中に、鳥のさえずりと湯けむりの匂いが混ざる。 目の前には、絢爛豪華な和風の城。そしてそのすぐ隣には、立派な温泉宿。 「うわぁ……! ほんとにお姫様になれる場所に来ちゃった!」 「マジで来ちまったな……ここどこだよ……」 美月はキラキラとした目で城を見上げていたが、気づけば手を広げてくるくると回り始めた。
「お姫様体験」とウキウキしていた美月だが、到着早々、なぜか礼儀作法や箸の持ち方、和歌の詠み方までみっちり仕込まれる羽目になった。
「姫様、姿勢が曲がっております」
「姫様、そのような笑い方は下品にございます」
「姫様、襖の開け方がなっておりません」
「……あれ? わたし、なんか……姫っていうより囚人?」
気がつけば、豪華な部屋の中で毎日着物を着せられ、座敷に正座してお辞儀の練習をしていた。
「お姫様ってもっと自由で優雅なイメージだったんですけどぉぉ……!」
一方の亮はというと、
「殿、敵軍が南の峠より迫っております!」
「そなたが指揮を取らねば、我が城は落ちましょう!」
と、これまた勝手に『殿様』にされてしまい、戦の準備に巻き込まれていた。
「おい待て、なんで俺が戦略会議に出席してんだよ!」
「というか、俺、何軍の誰なんだよ!!」
疲れ果てた二人は、夜中こっそり城を抜け出した。
「もう限界ですっ、先輩……姫教育とか無理っ!」
「俺ももうダメだ……武将にされる未来しか見えねぇ……」
裏山の竹林を抜け、たどり着いたのは、静かな川辺だった。
「ふぅ……ここまで来れば追っ手も来ないかな」
その時、亮の内なるセンサーが反応した。
(……温泉の気配がする)
「ここ掘れ……ここ掘れ……」
ガサガサと地面を掘る亮。
「先輩!? 何してんですか!?」
「感じるんだ……ここに、湯がある……!」
しばらくすると、地面からぽこぽこと湯気が立ち上った。
「で、出た! やっぱ温泉かよ!!」
とりあえず周りの玉石で即席の湯船を作り、そこに二人で足を浸ける。
「あぁ~……生き返るぅ……」
「こんなとこにまで温泉あるとか……もう、この世界なんなんですか」
すると、川の上流から何かがぷかぷかと流れてきた。
「ん? あれ……?」
よく見ると、それは――
「……しゃもじ??」
川面に漂うそれが、ふとくるりとこちらを向く。
「いい湯ですかぁ~?」
「……久しぶりだな、あいつ」
「しゃもじって……なんでここに!?」
「いや、知らん。けどあいつ、前も急に出てきたしな……」
「今後も出てくるんですかね?」
「……なんか、出てくる気しかしねぇ」
月明かりに照らされる川と、足湯に浸かる二人と、しゃもじ。
まるで夢のような一夜だった。
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足湯につかりながら、ほんわかした空気の中――
「最近、玉手箱でてきませんね?」
隣で、美月がぽつりとつぶやく。
「……湯玉な、ゆ・だ・ま。玉手箱出たら俺おじいちゃんだよ」
「えっ、でもほら、ふわぁって煙でて、気づいたら時間が……」
「おいおい、そっちの世界観に引っ張られるなって。浦島太郎はファンタジーすぎる」
「え~、でもちょっと見てみたくないですか? 玉手箱、ぽんっ!ってして、先輩が白髪になって――」
「やめろ、縁起でもねぇ!」
そんなくだらない話をしながら、ぽかぽかと足を温めていたときだった。
カランカラン……と、木履の音が近づいてくる。
「失礼いたします、姫様、殿様。おくつろぎのところ申し訳ございません」
にっこりと笑顔を浮かべて、温泉宿の女将がこちらに頭を下げた。
やべ、見つかった・・・
「お食事のご用意が整いましたので、お知らせに参りました」
おっ、なんかいい方向へ変わってきたな。
「えっ、食事!? 温泉だけじゃないんだ!」
美月のテンションが一段階跳ね上がる。
「はい。本日は、“異世界懐石・姫様おまかせ膳”をご用意しております」
「なんかすごい名前ついてるな……」
「ちなみにメインは……カニでございます」
「きたーー!!!」
美月と亮の声が重なる。
「またカニかよ!」と心の中でツッコミを入れながらも、ふたりの表情には否応なく笑みが浮かんでいた。
女将が立ち去ったあと、美月がぽつりと呟く。
「なんだかんだで、この世界……わりと住める気がしてきました」
「その発言が一番危ないやつだからな。戻る気なくなるやつ」
「でも、毎日カニ食べて、温泉入って、お姫様扱い……最高じゃないですか?」
「いや、それ最終的に俺が殿様仕事で過労死するパターンじゃね?」
「そのときは湯玉で若返りですよ♪」
「結局玉手箱じゃねーか……」
湯けむりの向こう、幻想的に揺れる提灯の灯り。
非日常の旅はまだまだ続きそうだった――。
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食事処に通された二人の目の前に並べられたのは――
ふつうのカニとは、どこか違う……異世界仕様の豪華懐石料理だった。
「なんか、光ってない? このカニ……」
「ほんとだ、きらきらしてる……。しかも、なんか香りがフルーティー……?」
ぱくり、と一口。
「……う、うまぁ……なにこれ……!」
「こっちの焼きガニ、肉汁の代わりに……え? 出汁? 香味油? どっちも入ってるのか……わけわかんねーけど、めっちゃうまい!」
ひと皿、またひと皿と箸を進めながら、ふたりの顔がどんどん蕩けていく。
「先輩……もしかしてここ……」
「……まさかの、竜宮城パターンか……?」
「やっぱり……次に出てくるの、玉手箱じゃないですか?」
「絶対開けるなよ!? フタ開けたら俺ジジイになるんだからな!」
そんな冗談を言い合いつつ、満腹になった二人は、ふと気づく。
「そういえば、ちゃんとした温泉ってまだ入ってなくないです?」
「ああ、足湯だけだったな……ていうか、メインそれだったよな、今回」
「女将さーん!」
「はっ、何なりと姫様」
ぬるっと現れた女将が、会釈をしながら告げる。
「ご案内いたします。本日のお部屋には、専用の露天風呂がございますので、そちらをお楽しみくださいませ」
そしてやってきた露天風呂。
月の光に照らされた白濁の湯が、静かに湯気を立てていた。
「わぁ……綺麗……硫黄のにおいはしないけど……」
「温度、ちょうどいいな……ぬるめで長湯に向いてる」
湯に身を沈め、月を見上げる美月。
「……はぁぁぁ、天国ぅ……」
「……」
亮も肩まで浸かりながら、ふと意識が遠のく。
(このまま……ここに……)
「やべえ、帰れなくなるぞ!」
「良いじゃないですかぁぁ、せんぱぁい……ぅふふ……」
「ダメだこいつ。完全に溶けてる。おい、美月!!」
「……ん~……」
反応が鈍い。
ちょっと焦る亮。
「おいおい……このままだと、二人して本当に異世界定住コースじゃねぇか……」
こうなったら
「早く帰って、新しい部屋でも探すかなぁぁ」
「新居ですか!! 二人の愛の巣ですね!!」
「……反応はえーな、おい」
美月はぱしゃっと湯から上がると、タオルで軽く拭いて、手をパンパンと叩いた。
「さぁ、とっとと帰りましょう! 女将、牛乳をもて!」
「まだ姫様やってんのかよ……」
すぐさま女将が現れ、にこやかに盆を差し出す。
「フルーツ牛乳とコーヒー牛乳、どちらになさいますか?」
「ちゃんと二択あるんだ(笑)」
二人が牛乳を飲み終わると、美月がぴしっと姿勢を正して言った。
「それでは、私たちこれにて失礼いたします!」
女将は微笑みながらお辞儀をし、ふわっと袖を揺らす。
「では、ささやかではございますが、お土産をお渡しいたしますので、少々お待ちくださいませ」
「……それ、まさか」
「玉手箱の時間ですよ。わくわく」
「もういいから……!」
女将はお土産箱を差し出しながら、ふと真面目な顔になった。
「こちら、“湯玉”と申します。温泉の記憶を封じた、泡のようなもの。おふたりが現実に戻っても、ひとつまみ湯船に浮かべるだけで……ほんのひととき、あの日のぬくもりを思い出していただけます」
「……前のと一緒の機能ついてんのか、これも」
「うん、貯めましょう」
箱の中には、ほんのり光る丸い玉がふたつ入っていた。
――これは夢か現か幻か。
二人は再びジムニーに戻り、次なる“現実”へと旅立つのだった。
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「さて、じゃあ帰りますか……」
ジムニーのドアを閉めたら、お約束の白い靄が――
「ぽちっとな♪」
「いや、おさせねぇぇ!!パターン的に戻れるだろ、押さなくても。押したらまた何処かへ行ってしまうわ、たぶん」
しばらくすると白い靄ははれていき…
……だが。
「……ん? ここ、どこだ?」
まわりを見渡すと、見慣れない石碑と広がる芝生。
隣では、美月がキョロキョロと落ち着かない様子。
「……はい、お約束の帰還ワープ、ですね(涙)」
「……いやマジで、先輩、どこですかここ……」
「……うん、だいぶ飛んだが、有名どこだな。間違いない」
亮が看板を指差す。
『養老公園』
「帰ってくるときは……やっぱここか……」
「え、じゃあ……」
「うん、足湯からスタートして、足湯で終わる。まさに温泉物語」
「じゃあ次は、養老の滝に打たれながら反省会ですか?」
「……ちょっとだけその案、いいかもしれんと思ってる自分がいる」
「じゃ、いったん滝行いきますか!」
「え、まじで!?」
「冗談です(笑)」
とりあえず、ふたりは笑いながら、並んで公園のベンチに腰を下ろす。
「……また行きたいね、異世界」
「その前に、来週の会議資料ちゃんと仕上げてくださいね、殿様」
「現実が一番つらいんだよなぁ……」