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第4湯 俺はまだまだ帰れない。温泉どこ行った?

 俺たちは、真っ白な霧の中を、ジムニーごとゆっくりと進んでいた。 


 ヘッドライトをつけても、5メートル先すら見えない。まるで、霧そのものに包まれているような感覚だ。


「先輩、もしかしてまた……ワープ?」


「たぶん、そう。ってか、そうとしか思えん……。てか、このスイッチ、どんな仕組みだよ」


 しばらくすると、霧が徐々に薄れていき――


 視界が開けた。


 そこに広がっていたのは……異世界風の、漁村だった。


 木造の家が軒を連ね、港には見たこともない形の帆船が停泊している。遠くには、獲れたてらしい巨大な魚が天日干しにされていて、潮風と魚の匂いが混じった空気が鼻をくすぐった。


「……え、なんかまた、時代劇のセットみたいなとこ来ちゃいましたけど?」


「いや、セットじゃなくてガチだろこれ……。異世界だよ、どう見ても」


 ジムニーは明らかに場違いだった。ゴロゴロと石が転がる道を進む軽自動車に、あたりの住民らしき人々が目を丸くしている。


 その中で、ひとりの老人が、俺たちに向かって手を振ってきた。


「おお、異界の乗り物……それに、旅人か。久しぶりじゃ!」


「え、知ってるんですか? これジムニーって言うんですけど……」


「いや、知らん。でもこういうの、たまに来る。『白霧の門』が開いたときだけの奇跡よのう」


 ……なにそれ、デフォルトで異世界転送ポイント扱いされてる?

 このスイッチ、マジでヤバいんじゃないの?


「先輩、なんか……今回、温泉なさそうですね?」


「いや、そこかよ。もっと心配することあるだろ」


 とはいえ、実際、温泉っぽい湯けむりは見えない。


 あるのは、港。船。潮の香り。


 ……で、港の広場の一角では、でっかい鍋でなにかが煮られていた。


「……先輩、カニじゃないですか? あれ」


「え、うそ、またカニ?」


 近づいてみると、そこにいた漁師たちが誇らしげに鍋をかき回していた。


「ようそこの嬢ちゃん兄ちゃん! “紅鬼甲”のスープ、飲んでいかんか! 異界の者には特に効くぞ!」


「紅鬼甲……?」


「海の鬼よ。さっき討伐したばかりじゃ。足一本でも、二日三晩はもつぞ」


 煮えていたのは、明らかに常識外れのサイズをしたカニ。

 しかも、足の先端が赤黒く光っていて、なんだか……動いてるような気がする。


 生きてる? まだ。


「……これ、食べて大丈夫なやつ?」


「カニカニカニ……まさかの二連チャン……」


 美月が震える声でつぶやいた。


 いや、そりゃそうだよな。

 昨日はカニでプロポーズして、今日は異世界で未知の巨大カニを勧められるとか、どんなフラグ構成だよ。


「先輩……スープ、飲んでみてください」


「いや、なんで俺!?」


「だって……昨日プロポーズしたんだから、責任とってよ♡」


 この子、ほんとに俺の心臓を弄んでくる。


「じゃあ……いただきます」


 スープを一口。


 ――うまい。


 なんか体の芯からあったまるというか、海の旨味が全部溶け込んでるというか、よくわかんないけどとにかくすごい。


「どうですか?」


「うん……これ、たぶん、やばいスープだ。帰れなくなるやつだ……」


 俺はひそかに悟った。

 この異世界には、温泉こそないが、カニと、美月がいる。


 ……さて、どうやって帰るかなぁ。




------




 漁村の鍋の周りには、人がどんどん集まっていた。

 どうやら今日は“討伐祝い”らしい。


「異界の旦那! 気に入ったら泊まっていかんか? 港の宿なら空いてるぞ!」


「えーと……泊まり……?」


 また異世界泊……? 美月が一泊追加希望って意味なら断れない気がするけど、さすがに俺、会社の有給そんなに多くないんだけど……。


「先輩、いいじゃないですか〜! 温泉はないけど、あの鍋、なんか肌ツヤ良くなりそうな味しますし! 女子力上がりそう!」


「いや、美月……これ異世界だぞ? お風呂どうするの? 携帯圏外だぞ?」


「ふふーん、こう見えて準備してますから。バスタオルとスキンケア一式、車に常備してるんです♪」


「いや、どういう女子力だよそれ……」


 そのときだった。


 海のほうから、ドオオォォン……ッ!!

 重低音のような衝撃音が響き、村人たちがざわめき始める。


「な、なんだ!?」


「海が……」


 誰かが叫んだ。


 港の向こう。

 水平線のかなたから――巨大な、真っ赤な甲殻類の影が、浮上してきた。


 しかも、一匹じゃない。


 三匹。五匹。十匹以上――!!


「な、なんだあれ……第二波!?」


「紅鬼甲の群れじゃぁぁぁあッ!!」


 漁師たちが一斉に立ち上がり、槍や銛、網を手にしはじめた。


 村の若者「まずい、こんな数、今の人数じゃ対応しきれん!」


 老婆「また“海神の怒り”が……」


 騒然とする中で、美月がぽつりと言った。


「……先輩、スイッチ押します?」


「いや待て、逃げるなって! 異世界に来ていきなり“カニ討伐イベント”とか聞いてないんだけど!?」


「じゃあ、先輩。あのカニ、倒したら……絶対、おいしいですよ?」


 そう言って、美月がにこりと笑った。


 この子……たぶん俺より適応早い。


「……ジムニー、漁船仕様にカスタムしてないけど、いけるのか?」


「先輩。あの変なスイッチ……なぜか“海モード”って書いてありましたよ?」


「今知ったわ!!」


 そして、俺は覚悟を決めた。


「よし、美月。いくぞ」


「はい、旦那様♡」


「その呼び方やめろおぉぉぉ!! 俺の精神がもたないっ!!」


 俺たちはジムニーに飛び乗り、スイッチを押す――。


 ゴウン、と車体が震え、車内に表示されたナゾのランプが「航海モード・起動」と点灯した。


 すると……ジムニーのタイヤが横倒しになり、スクリューに変形した。

 B・T・T・F、デロリアンみたいだな

 ――どんな機構だよ!?


 ジムニーは、そのまま港の海へ滑り込み、ぐんぐん沖へ進んでいく。


 目指すは、異世界の巨大カニ軍団。


 目的は――討伐と、そして多分、夕食。




------




 海を滑るジムニー。


 エンジン音は心なしか頼もしいが……なんだこれ、思ったより速ぇ!


「先輩! カニ、こっち見てますよー!」


「わかるのかよ!! そして、めっちゃハサミ構えて威嚇してきてるから!!」


 海面からぬぅっと現れた一匹、でかい、真っ赤、ハサミでかすぎ。

 バランス的に倒れそうだけど、倒れないのがファンタジー。


「てか美月、前見てくれ! 操縦してるの俺だけど!!」


「先輩、はいこれ!」


 そう言って、美月が差し出してきたのは――


「……え、サンオイル?」


「日差し強いから焼けちゃいますよ〜? ほら、背中に塗ってあげましょか?」


「バトル中だっつってんだろ!! なんでリゾート気分なんだよ!!」


 そのとき、カニの一匹がハサミを振り上げ、こちらに向けて水柱を飛ばしてきた。


「うおっ!?」


 間一髪で避ける。海に派手な水しぶき。


 ジムニー、水上でも意外と機動力高い。


「先輩、撃ち返しましょうよ!」


「撃つって何を!?」


「そこ、ダッシュボードの横の、ボタン……“カニ味噌砲”って書いてあります!」


「ネーミングぅぅぅ!!」


 押した。


 ボシュッ!!


 ――前方ハッチから、謎の緑色のドロッとした液体が発射された。


 命中。紅鬼甲、一撃でひっくり返る。


「効いてるゥゥ!? カニ味噌って、なに!? 毒!?」


「たぶん、超濃縮……?」


「やべぇ……異世界(改)の車、意味不明……」


 しかし、まだあと何匹もいる。

 包囲されて、逃げ場もない――


「先輩、いよいよ“奥の手”ですかね?」


「奥の手って……」


 美月がニッコリ笑って、胸元から取り出したのは――


「ポ○モンカード!?しかも、キラ!!」


「こっちの世界でも通じるかなって思って♡」


「カード投げて勝てるかぁぁぁぁ!!」


「じゃあ、こっちのカードで!」


 次に出してきたのは――


「社員証ぉぉぉぉ!!」


「人間力で勝負!」


「そろそろ真面目にやれぇぇ!!」


 そんなこんなで、騒ぎながらも数体のカニを討伐。


 気がつけば、港の方から歓声が上がっていた。


「異界の英雄ぉぉぉ!!」


「紅鬼甲を退けたぞぉぉぉ!!」


 どうやら……勝ったらしい。


 静かになった海を背に、俺は放心状態。


「……先輩、お疲れさまでした」


 助手席で、美月がにこにこ笑ってる。


「……おまえ、戦闘中にカードゲーム始めようとしただろ」


「でも、うまくいきましたよね? 結果オーライです♡」


 俺はジムニーのスイッチを見つめながら、そっと心に誓った。


 ――次は絶対、スイッチ押させねぇ。




------




 紅鬼甲こうきこうを撃退した俺たちが港に戻ると、村人たちがワラワラと集まってきた。


「おぉぉぉ、英雄様!!」


「海を守ってくださったお二人に、我らの最大限の感謝を!!」


「この“嫁入り道具一式”、どうぞお納めくださいまし!!」


「……は??」


 ぽかんとする俺の横で、美月がキラキラした目をしている。


「えっ、えっ!? 嫁入り道具って本当にあの、“あの”ですか!? タンスとか布団とかアレ!?」


 出てきたのは――


 桐のタンス一棹(しかも重い)、

 絹のような布団セット(すっごいふかふか)、

  名古屋嫁入り物語かよ

 手編みっぽいレースのクロスとか、

 なんか……壺(?)とか、

 あと、でっかい魚の干物カニじゃないのかよ


「……持って帰れないだろ、これ」


 ジムニーの積載量200kgくらい、完全無視。


「先輩、これも運命ってやつじゃないですかね〜」


 いや、美月さん、運命で片づけないで。


「では、最後に――この“祝言の証”を!」


 村長っぽいおじいちゃんが差し出したのは……


「赤い布……と、手作りの指輪……?」


「それはこの村に古くから伝わる、“心を交わした者たち”に渡すものですじゃ!」


「えっ、もらっていいの? これ、結構重要なやつじゃ……」


「さぁ、さぁ、どうぞどうぞ。あんたら、もう式は済んだようなもんじゃしな!」


「いや、カニ食べただけなんだけどな……」


「先輩! 指輪、つけてくれますか?」


 美月が、少し恥ずかしそうに左手を差し出してくる。


 ……ああ、もう、流れに逆らえないよこれは。


 そっと、その手に指輪を通す。


 なんだろうな。

 変なスイッチで異世界に飛んで、カニと戦って、なんか……

 ちょっとジーンとしてる自分がいるのが悔しい。


 村人たちは拍手喝采。


 ドンチャン騒ぎが始まりそうな雰囲気になったところで――


「そろそろ戻りますね!」


 美月がまた、あのスイッチをポチっと。


「って、押すの早くなぁい!?」


 あたりに霧が広がっていき、村の景色が溶けるように消えていく――


 気づけば、また道の駅の駐車場にジムニーが止まっていた。


 トランクを見ると……


「おい、マジかよ……載ってんじゃん……」


 タンスも、布団も、あの壺も、全部キレイに格納されていた

 シルバニアンのサイズで。

 魔法収納ってやつか? ジムニー、どこまで万能なんだ。


「先輩、これで準備は整いましたね!」


「……なにが?」


「新婚生活の♡」


「だよね~~~~!!!」








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