第3湯 俺は温泉接待をしなければならない
仕事の休憩時間。同僚が得意げな顔で話しかけてきた。
「新しいジムニー納車されたんだよ、昨日!」
まじか。うらやましいな、ちょっとだけ。いや、正直かなり。
だが――
「俺は俺のジムニーが好きだよ」
そう、オンボロだけど愛着ある相棒だ。
……変なスイッチが付いてるから好き、ってわけじゃない。たぶん。
「えー、先輩のジムニーいいじゃないですかぁ」
どこからともなく、美月が会話に割り込んできた。
「なんかもう、動くのが不思議なくらいワケワカメですし!」
「おい美月、それ褒めてんの?けなしてんの?」
「もちろん、全力で愛情込めてます!」
……いや、どういう意味だよそれ。
「それに、あの変なスイッチが――」
「ちょ、待て!!」
俺は慌てて美月の口を手でふさいだ。
いろいろヤバい話題に触れようとしている気がしてならない。
その様子を見ていた同僚がニヤニヤしながら言った。
「やっぱりお前ら、付き合ってんの?」
「は?」
……たしかに、休日は一緒に温泉に行ったり、なんだかんだ出かけている。
学生の頃からの付き合いだ。だけど、正式に告白したことも、されたことも――ない。
俺が黙っていると、美月がにこっと笑って言った。
「もちろん、付き合ってますよ♡」
「……へー、そうだったんだぁ」
我ながら、他人事みたいなリアクションだった。
美月はその俺の様子にぷいっとそっぽを向いて、どこかへ行ってしまった。
……え、怒った?
隣にいた同僚が肩をポンと叩く。
「ま、がんばれよ。いろいろと」
さて。
その数分後、俺のスマホにメールが届く。
送信者:美月
『今週末、泊まりで温泉行きます。先輩もちで。カニがあたしを呼んでるんです。』
怒りマークとハートマークが一緒に並んでいた。
……どっちなんだよ。
どうやら俺は、次の休み、お泊まり温泉旅行を接待しなければならないらしい。
(自業自得だよ、先輩)
美月の独り言が、どこかから聞こえてきた気がした。
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とりあえず、貯金通帳を眺めてみる。
古いアパート暮らしで、住居費は控えめ。
車も軽のジムニーだから維持費は低い。古いから税金はちょっと割高だけど。
飲み歩くような趣味もないし、酒もそんなに。
俺が好きなのは、つかること――温泉だ。
つまり何が言いたいかというと、そこそこ貯金はある。
……しかし!
「泊まりで温泉?しかもカニ!?」
美月から届いたメールを見返す。
怒りマークとハートマーク。ダブルパンチ。
あのなぁ、カニってのはな……
昔「カニ食べ放題」に連れて行かれたことがあるが、しょっぱすぎて正直あんまり食えなかった。
一緒に行ったやつは「酒のつまみに丁度いい」とか言ってたけど。
だいたいカニって、食べ始めるとみんな無口になるんだよな。
なんでだろうな、あれ。
……よし、わかった。だったら、“いいとこ”取るか。
てことでやって来ました、福井県・越前温泉 HEIS○I !!
「どーだ!」と俺。
「どーだ、と言われても……なんか漁師町?」と、美月。
正解。
少しでも節約するために、俺は敦賀で高速を降り、国道8号から305号へ。
海沿いをジムニーでのんびり走る。潮風と青い水平線が気持ちいい。これが温泉旅の醍醐味だ。
とりあえず――温泉だ。とりあえずビールではない。
ここも「美人の湯」らしい。肌すべすべ系。
露天風呂もあって、接待に抜かりなし!……だったんだが、
男湯には露天風呂が無い。代わりにサウナがある。
俺はサウナーじゃないんだよなぁ。露天、入りたかったなぁ……。
夕食はもちろん、越前ガニのフルコース。
「見ろ美月!カニが、カニがあふれてるぞ!」
「わぁ、豪華ですねー。あ、足に黄色いバンド付いてますよ?」
「ん?結束バンド?」
「ちがいますって、それ越前ガニのブランドの証しですから!」
へぇ、そうなんだ。知らんかった。
俺は「剥きながら食べる」タイプ。
美月は「全部剥いてから一気に食べる」タイプ。黙々と、手際よく、職人のように。
今日は泊まりだし、ちょっとくらい飲んでもいいだろう。
生中2杯目を飲み干したあたりで、ふと思い出す。
――あれ、俺、美月と付き合ってんのか?
酔っていたこともあり、つい口をついて出た。
「美月ぃ……俺とさ、結婚してくんない?」
ん?
「付き合ってください」じゃなくて「結婚してください」からいったぞ俺。
美月は、カニのハサミを器用に外しながら、にこっと笑った。
「先輩、カニ食べながら言うことじゃないですよね」
……うん。たしかに。
「まぁ、いいですよ。結婚してあげます。カニおいしいし」
……おいしかったらOKなの!?
おいしくなかったら、どうなってたんだ俺……?
(コナン風に)
「あれれ~? おかしいぞぉぉぉ……」
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「昨日の夕日を見ながらの露天風呂もよかったけど
いやぁ〜朝風呂、最高でしたね、先輩!」
美月がすっきりした顔で言ってくる。
……が、俺はまだ昨日の“アレ”が頭から離れない。
酔ってたとはいえ――
カニ食いながらプロポーズってどうなのよ。
うん、美月のことは好きだよ。今までも、これからも一緒にいたいとは思ってる。
でも、なんかこう……もっと雰囲気ってもんがあるだろ。
せめて指輪とか、夜景とか、そういうやつ。
通帳確認してたのがフラグだったのか。
「先輩、なにへこんでるんですか? かわいい美月ちゃんがお嫁さんになるんですよ〜?」
……夢じゃなかったらしい。
ほんとに俺、カニでやらかしたっぽい。
「さぁ、いってみよぉぉぉ!!」
って、スイッチ押すなぁぁぁ!!
「えぇぇ〜、だって今回まだ飛んでないし……」
「“飛んでない”とか危ない薬みたいなこと言うなよ!」
さて。越前と言えば……東尋坊?
いや、俺は指ぬきグローブ持ってないし。あとちょっと距離あるし。
近場の越前がにミュージアムでも行ってみるか。
展示見学のあと、美月がぼそっとつぶやく。
「先輩、もうカニは……満足です。見るのも、食べるのも」
「俺も同じこと思ってた」
じゃあ次はちょっと足を延ばして、越前市街へ。
テレビでも紹介されてた「吉田食堂」へ行ってみることに。
「先輩、ここなんですか? けっこう人がいますけど?」
「駐車場狭いけど、ジムニーなら余裕よ。ソフトクリームでも買うべ」
「なんでなまってるんですか(笑)」
「ほへぇぇ……あたしの顔より長いですよ、このソフトクリーム!」
「一緒に食べましょ? ラブラブですね〜」
……美月さん、ご機嫌でなによりです。
(※声には出さず、心の声)
だがしかし、ここでラーメンでも頼もうものなら洗面器のようなどんぶりで出てくるのである。
さて、帰りは高速に乗ろう。武生あたりから入るか。
「先輩、道の駅ありますよ〜。寄っていきましょ」
お、新しくできた道の駅か。北陸新幹線の「越前たけふ駅」に併設されてるやつだな。
寄ってみるか。
ジムニーを駐車枠に滑り込ませ、ドアを開けようとした、そのとき――
カチャッ……
……ん? あれ?
どうやら、例のスイッチに触れてしまったらしい。
降りたら――
霧の中だった。
あたりは真っ白。景色も音もない、世界が霞んでいる。
美月はというと……
ワクワク顔でニッコリしている。
……なんでお前、そんなに楽しそうなんだよ。