第21湯 俺はおばあさんに邂逅する
「……おばあさん?」
ルークが静かに問い返す。
ミーナは目を丸くしたまま、そっと頷いた。
その直後だった。
──ざわ……。
森の奥から風が一筋、草木を揺らして吹き抜けた。葉の擦れる音が波のように遠ざかり、やがて、ゆらりと一本の影が現れた。
古びた枝を杖にした、白髪の老婆。
肩まで垂れる髪はほつれており、草木を編んだような包帯状の衣を身にまとい、森の霊気をまとうような静けさを携えていた。
「おばぁぁさぁ~ん!」
ミーナがぱぁっと笑顔になり、かわいらしい声で叫びながら駆けていく。小さな足音が森の静けさに弾け、猫たちもその後をちょこちょことついて行った。
「ミーナ、待て!」
ルークは思わずハッとし、ミーナの後を慌てて追う。草を踏み分ける音が二人の間に広がっていった。
「え……誰? あれ?」
亮と美月が顔を見合わせる。美月は口元を指で押さえながら、ひそひそ声でつぶやいた。
「先輩、ジブリに出てくる系の人じゃないですか、あれ」
「……その感想が出てくるお前の方がすげぇわ」
やがて、ミーナはおばあさんの服の裾をきゅっと掴みながら、ルークとともに二人のもとへ戻ってきた。
「あらあら、どうしたのかねぇ」
おばあさんの声は、森の葉擦れの音に溶けるように柔らかく、どこか風の匂いがした。
「ミーナねぇ、ミーナねぇ、あの蜂蜜でおいしい物たくさん作ったんだよ!!」
「おぉぉ、そうかいそうかい。それは良かったねぇ」
おばあさんは目を細め、ミーナの髪にそっと触れた。その指先もまた、枝葉のように細くしなやかだった。
「なんか不思議なおばあさん出てきましたよ、先輩」
「……ああ、女将ほどじゃないけどな」
「ですね(笑)」
「今日はどうしたんだい、大勢でやってきて、ん?」
「ミーナたちねぇ、探してるのぉ!」
「はいはい、何を探してるんだい?」
「えっとねーえっとねー、へんなにおいのするやつ!!」
「それじゃあわからないだろ、ミーナ……でも可愛いから大丈夫だぞ」
ルークは心の中でそっとフォローを入れた。
「すみません、俺たち温泉を探しているんです」
「えーっと、ミーナちゃんが前にこの森で変わったにおいをかいだことがあったらしくて」
「なるほどねぇ……なるほどねぇ」
おばあさんはじっと二人を見つめ、不思議そうに目を細めた。その瞳はまるで霧の奥をのぞくような、年齢を超えた深さを感じさせた。
「心当たり、有りませんか?」
「うん、じゃあちょっとついておいで」
「おっ……ついに温泉が……!」
亮の胸が高鳴る。木々が風にざわめき、まるでこの先に何かが待っていると告げているようだった。
ミーナは草の上でくるくると猫たちと踊っていたが、おばあさんの言葉にパッと立ち上がった。
──ああ、やっぱりミーナは天使だ。
ルークの脳裏に浮かんだその言葉とともに、一行はおばあさんに続いて森の奥へと足を進める。
しかし、数歩踏み出したところで、森の空気が変わった。
湿り気を帯びた空気が足元を這い、木々の葉が無言で揺れ始める。鳥のさえずりが途絶え、ただ風の音だけが細く鳴る。
地面の苔は濃く、ぬめるような艶を帯びて広がり、足音すら吸い込まれていくような静寂。
やがて、淡い霧が地表を這い、靄のように立ちこめ始める。
「せ、先輩……これって……」
「……ああ、あれかもしれん」
「なんだよ、あれって……」
「わぁぁぁ、まっしろぉぉぉ……」
ミーナが嬉しそうに声を上げ、手を広げて霧をすくおうとする。猫たちはその様子に反応し、低く鳴きながらも周囲を警戒し始めた。
「なんだこの感じ……やばくないか……」
ルークはすぐにミーナの手を取り、そっと自分の背後へ隠すように立つ。周囲に視線を走らせると、奥の木立の向こうから──ぼんやりと、白い湯気が立ち昇っていた。
「……見つけた、か?」
誰かがそう呟いたような気がしたが、それすらも霧に溶けて、森の奥へと消えていった。




