第20湯 美月は叫ぶ、私は帰ってきた!!
──森の中、朝の陽光が梢を抜けて、地面にまだら模様の光と影を落としていた。木々の隙間から小鳥のさえずりがこだまし、柔らかな風が葉を揺らすたび、森全体がさわさわとさざ波のような音を奏でる。
そんな中、ルークとミーナ、亮と美月の二組に分かれて、周囲の探索を始めた。
猫たちはそれぞれのグループに付き添い、ぴょこぴょこと静かに足音を忍ばせてついてくる。その動きは、まるで森に溶け込むように自然だった。
「先輩、ここ……すごく素敵な場所ですね」
美月がふと立ち止まり、辺りを見渡しながら声を漏らす。
「ああ……何か、心が洗われるようだな」
亮が目を細めて、木々の隙間から差し込む光を見上げた。
「俗世にまみれてますもんね、先輩は(笑)」
「ほっとけ!」
二人は苦笑を交わしながら、森の奥へと猫たちの導くままに足を進めていく。
しばらく歩いたところで、猫たちが足を止め、少しざわつくように動き始めた。にゃあと短く鳴く声が警戒を含んでいる。
「ん? なんだ?」
猫たちの前方を覗き込むと、そこには崖があった。地面は切り立ち、その底は朝の光が届かないほど深く暗い。
「これ……落ちたら助かりませんねぇ」
美月が覗き込みながら、顔をこわばらせる。
「あぶねぇな……おい、美月、気をつけろよ」
亮は美月の肩をそっと引き寄せるようにして、慎重に崖沿いを進む。
だが──温泉の気配は、ない。
「俺の温泉センサー、無反応だな……」
「猫ちゃんたちの鼻に賭けましょう」
そのとき、猫たちがピタリと動きを止め、耳を伏せて低く唸るような声を漏らした。
「……なんだ? 様子が変だな」
「先輩、伏せて……何かいます」
二人は息を潜めて木陰に伏せた。葉の隙間から覗いた先に、見慣れない動物が姿を見せる。
鹿のような体格──だがその体にはシマウマのような縞模様。淡い銀と黒が混じるその模様は、朝の光に浮かび上がり、まるで神秘の霧の中にいるような気配をまとっていた。
「……幻想的ですね、でも……」
その瞬間、茂みが揺れ、黒い影が飛び出した。
犬のような、いや、狼か。鋭い牙をむいた野生の獣が、一直線に鹿へと襲いかかる。
「うわっ、マジかよ……!」
「すごい……本物の狩りだ……!」
二人が息を呑む中、猫たちはというと──器用に腹を低くしながら、すでに反対方向へ這うように移動していた。
「器用なやつらだな……」
亮も猫たちの真似をして、そろりそろりとその場を後にする。
「にゃん、にゃん……こうですか? にゃん」
美月もつられて冗談交じりに猫の真似をするが、その目は笑いつつも周囲をしっかりと警戒していた。
ある程度距離を取ったところで、猫たちは再び落ち着きを取り戻し、辺りに平和が戻ってくる。
二人も小さな切り株に腰を下ろして、ほっと息をついた。
「いやー……あぶねぇな、この森」
「こうしてる分には、ほんとに素敵なところなんですけどねぇ」
しばしの沈黙。
鳥の声がどこからともなく聞こえ、木々の枝葉がそよ風に揺れて、森の息吹が胸いっぱいに広がる。
「さて、どうするかな……」
亮が猫たちに目をやると、まるで察したように猫たちがこちらを見返してくる。
「いったん、あの丘まで戻りませんか?」
美月が提案すると、亮は少し考えたあと、苦笑混じりに応えた。
「そうだな……で、美月、お前、方向わかるのか?」
「そんなの、わかりませんよ〜♪ でも、大丈夫! ね、猫ちゃんたち♪」
「にゃぁごにゃぁぁご」
頼もしく(?)鳴く猫たち。
「おし、任せた!」
亮が軽く笑い、二人は猫たちを先導に森の中を歩き出す。
緑のトンネルを抜けるたびに、どこか別の世界に迷い込んだような錯覚を覚える。森はただ静かで、美しく、そしてどこか、神秘に満ちていた。
そして最初の丘に戻ってこれた。
そのとき──
「温泉成就のために! ソロモンよ、私は帰ってきた!!」
突然、美月が両手を掲げて高らかに叫ぶ。
「……お前はどこの残党勢力だよ(笑)」
亮は思わず吹き出し、二人の笑い声が森の静けさの中にやさしく響いた。
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最初の丘に戻ってきた二人。背後から差し込む陽光は少しずつ色を変え、昼の気配が濃くなっていた。
しばらくすると、反対方向からルークとミーナの姿が見えた。草の匂いとともに、元気な足音が近づいてくる。
「どうだ!? 見つかったか?」
ルークが声をかける。
「いや、見つかんねー」
亮が首を振りながら、汗をぬぐう。
「つかれましたぁぁ〜」
美月が大の字で草の上に倒れ込む。
「そっかぁ、こっちも見つからなかったよ」
ルークが腰を下ろしながら、籠を手にした。
そのとき、ミーナが猫たちとじゃれながら、草むらから元気よく駆け寄ってきた。
「おにぃぃ、とまと食べるぅぅ〜!」
「おうおう、いいタイミングだな。……お二人さんも、トマトどうぞ」
ルークが籠を差し出す。
「ありがとう」
亮と美月がそれぞれ手に取り、かじる。
「やっばいですよ、うますぎですよ……!」
甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がり、美月がうっとりと目を閉じた。
「しかし、良いところですねぇ、先輩」
「……ああ、そうだなぁ」
陽の光に包まれる森と丘。柔らかな風が頬を撫で、どこか夢のような安らぎがそこにあった。
「この前なんて、ピラミッドにミイラでしたもんね(笑)」
「思い出したくねーな」
「……あんたら、どんな異世界行ってるんだよ」
ルークが思わず吹き出す。
「でもさぁ、温泉見つけてどうするんだ!?」
「そーいや、説明してなかったか?」
亮が言いかけると、美月が楽しそうに割り込む。
「あたしたち、いろんな異世界行ってるんですけど〜、温泉に入ったあと、お約束で戻ってくるんですよ〜」
「なんなんだよ、それ(笑)」
と笑い合っていたそのとき──
「あっ!! あのときの“おばあさん”……」
ミーナが急に顔を上げ、森の奥をじっと見つめていた。
空気が一瞬、ぴたりと静止する。
風が葉を揺らし、木漏れ日がその視線の先を淡く照らす。
「……おばあさん?」
ルークが静かに問い返す。
ミーナは目を丸くしたまま、そっと頷いた。




