第2湯 俺は仕事より温泉につかりたい
「さて先輩、次はどこの温泉に行きますか?」
昼休み、弁当を片手にニコニコと美月が俺のデスクにやってきた。視線はやたらと期待に満ちている。
「いや、今週はパスな。休出入ったし」
「えぇ〜っ、またですかぁ?」
「しょうがないだろ。現場のライン、ようやく立ち上がってきたとこで、ティーチングがてんこ盛りなんだよ」
「……ぴぃ」
ふくれっ面で美月は小さく椅子に座り込み、タッパーのフタをぱかっと開ける。中には、卵焼きとウインナーがきれいに詰められていた。
「じゃあ、代休とっていきましょうよ」
「お前な……その代休が取れるのがいつか、分かってて言ってる?」
「えっ、来月くらいですか?」
「甘いな。俺のスケジュール表、マジで“ぎっしり”って言葉が似合う状態なんだが」
「じゃあ、それまでに新しい温泉リスト作っておきますね!」
「……お前、聞いてねぇな?」
返事もそこそこに、美月はスマホを取り出して“東海地方 日帰り穴場温泉”と検索を始めていた。
そのまま数週間――仕事に追われて過ぎ去った。
ティーチング地獄もひと段落し、やっと代休をもらえたその日。朝からメッセージが飛んできた。
《出発ですょ!!先輩!》
「……こっちの都合関係ねぇな、ほんと」
苦笑いしつつ、俺は今日も今日とてジムニーのエンジンをかけた。
ギアを一速に入れ、クラッチをゆっくり繋ぐ。
目指すは――湯の山温泉。
「さて、今度はどんな“湯”が待ってんだか」
助手席では、嬉しそうな顔の美月が、手に小さな温泉まんじゅうを握っていた。
何で、温泉行く前から温泉まんじゅう食ってんだよ。どこで売ってんだよ!?
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「湯の山温泉もヌルヌルすべすべですよ、先輩!!」
助手席でテンション爆上がりの美月が声を張る。ドヤ顔で。
「ヌルヌルって表現はどうかと思うが、まあ……たしかに、良い湯ではある」
――が、実のところ、俺のジムニーが向かっていたのはその手前。朝明渓谷方面。
目的地は、ひっそり佇む日帰り温泉三休の湯。
露天風呂はない。だが、泉質は申し分なし。加えて、何気にここのカレーが妙に美味い。
案の定、到着したのが湯の山温泉でなかったことで、美月は若干ふくれっ面だったが――
「ぬる湯なのに、芯からぽっかぽかですね……」
湯船につかってるうちに、すっかりご満悦。まったりと溶けていた。俺も一安心だ。
牛乳の自販機がないのだけは残念だったが。
その後、帰りにアクアイグニスへ寄ってみた。
案の定、美月の“スイーツ目当てレーダー”が全開になり、イタリアンの店に吸い込まれることに。
気づけば俺が支払い担当になっていた。なぜ。
「いやぁ~、先輩って優しいなぁ~」
「お前、それ使い古された営業トークな」
でも、ここ片岡温泉の湯もまた素晴らしい。すべすべ系で、肌にまとわりつく感じがたまらない。
ただし、ちょっと熱いのが難点。まったり派の俺には、長湯できないのが悔しい。
温泉のはしご。これもまたいいものである。
そんな帰り道――
「でさ、そのスイッチ、いつ使うんですか?」
美月がサラッと爆弾を投下してきた。
「あ?」
「ほら、“YUNO-GATEスイッチ”。次元の湯、開くんですよね?」
「……お前、またワケワカメな現象を体験したいわけ?」
「したいですっ」
「俺はな……ただの、平凡な温泉ライフを……」
――言い終わる前に、美月が身を乗り出した。
「よいしょっと」
カチッ。
……押しやがった。運転席、ジムニー、狭い。手、届いちゃうのよ!
「ああもうっ!!」
湯上がりののんびり気分を吹き飛ばすように、ジムニーのフロントに霧が広がり始めた。
まるで、湯けむりが空間ごと包み込んでくるような――
「……あぁ。今度は、どこへ行ってしまうのだろう……」
俺の心の叫びをよそに、美月は助手席でタオルをたたみながら呟いた。
「先輩、今回こそ露天風呂あるとこがいいですねっ!」
いや片岡温泉に・・イグニスにあっただろ露天風呂ぉぉ
ほんと勘弁してくれ……
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とりあえず、車を止めた。俺は大きく息をつく。
――さっきまでは確か、三重の山間で温泉三昧してたはずなんだが。
モヤモヤっと霧が晴れてくると、そこに現れたのは――未来っぽい町並みだった。
「え……どここれ?」
助手席の美月がぽかんと口を開けている。
俺も同じく絶句していたが、すぐに冷静に観察を始めた。
いやいや、これは名古屋とかじゃない。俺たちの地元が田舎っぽいから、都会に見えるだけじゃない。
ビル群……というより、ズバーン!と垂直に伸びた四角い構造建築が並んでいる。
ガラス張り、白とグレーの統一感。無機質でありながら、どこかSF感も漂う。
だが、未来の街ってさ、空中にチューブとか、連結された歩道とかあるイメージじゃん?
……ない。
意外と、地上に全部ある。チューブすら見当たらない。
「あれ?」
動くものを見つけた。人か?
……違った。
ツルンとした丸っこい車体に、小さな車輪がついたロボットのようなモノが道路をすべっていく。
背中には緑色のバッグを背負っていた。しかも保冷っぽい。
「……あれ、ウーバーなやつじゃね?」
「あ、ほんとだ……配達ロボ……?」
そのロボットは、マンションの下でスッと止まり、何やら信号のようなものをピコンピコンと発していた。
人の姿は……ない。
通勤中の人も、歩いてる人も、散歩中の犬すら見当たらない。
「……みんな、家から出ないのか?」
「……」
ふと見ると、美月の顔からは感情が消えていた。
「おい、大丈夫か?」
「……こんなところに……温泉……あるの……かなって……」
「いや、完全に目が死んでるぞ」
まぁ確かに。こんな近未来シティに、源泉かけ流し露天風呂って空気じゃない。
せいぜいサウナか、ハイテク岩盤浴くらいだろ。
だが――そんなことを思っていた次の瞬間、ジムニーのダッシュボードに内蔵された例の謎ボタンが、勝手に点滅を始めた。
“YUNO-GATE”
ピコン、ピコン、と音を立てて。
「……おい、これ、まさか……」
「えっ、えっ、次の目的地来ちゃった系ですか……?」
俺たちは顔を見合わせた。
この未来都市に――本当に、温泉なんてあるのか?
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二人の前に、カタカタ……と足音もなく近づいてくる影があった。
「ようこそ。温泉管理AIユニットNo.47、あなた方に協力を要請します」
見上げると、そこには白くてメカメカしい、人型ロボット。胸のところに“YUNOSEN”のロゴが輝いていた。
「温泉管理……AIロボット?」
思わずつぶやく俺に、美月がペチペチと背中を連打してくる。
「出番ですよ先輩!こういうの得意でしょ!動かないロボットとか!」
「いや、いてぇから。おま、手ぇ加減しろ」
俺は肩をさすりながら、ジムニーから降りた。
ロボットに案内されるまま、未来的な町を進んでいくと……なぜかだんだん硫黄のような香りが漂ってきた。
「え、湯の香り?」
そして現れたのは、ウッディーなログハウス風の建物。
周囲の未来感とまったく合ってない。完全に浮いてる。
「……やっぱ変だろ、この世界。さっきの超高層ビル群とこの木造の差よ」
ガチャリと扉を開けて中に入ると――壁にもたれたロボットたちが動かなくなっていた。大小様々、形もバラバラ。みんな沈黙している。
「数週間前から、次第にシステムエラーが多発し、現在は機能停止に近い状態です」
AIユニットNo.47が語るには、この町にある温泉管理システム全体がバグを起こし、同時に町の人々も姿を消してしまったという。
「なんだ、でも“いなくなった”ってことは、どこかに生きてはいるのか。ゾンビ化とかじゃなくてよかった」
ホッと胸をなでおろす俺の後ろでは、美月が突如「温泉音頭」を踊っていた。
「なにやってんの」
「応援!頑張れテクノロジーの民!」
「……お前なぁ……」
そんな茶番を背に、俺はログハウスの奥へ進む。
あ、これ。
――見覚えがある。いや、めっちゃある。
「……これ、仕事で使ってるPLCのユニットじゃん。しかも日本製……三菱?いやオムロン?……こっちは安川か。デンソーのコントローラーもあるし……黄色いファナコちゃんはいないのか」
思わず遠い目をする。
「……お前ら、もう世界の壁どころか、次元まで超えてたのかよ……」
すげぇな、日本の制御技術。
そんなわけで、俺は未来都市の温泉管理システムの復旧作業に入ることになった。
背後からは、美月の「がんばれー!がんばれー!」という変なテンポの応援が聞こえてくる。
俺の平凡な温泉ライフ、ほんとに戻ってくる日はあるのか……?
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何か知らんが、直せたっぽい。
気がつけば、周囲のロボットたちが――カタカタ……と少しずつ動き出していた。
美月の温泉音頭も、なんか佳境に入ってるっぽい。回転数が上がってる。
「再起動します」と、管理AIロボがコンソールを操作すると、周囲のロボが一斉に停止。
……あー、わかる。トラブった時はまず再起動、それだよな。
再びウィーンと唸りを上げて、ロボットたちが起動。
「……正常に機能復旧しました」
おおお、俺すげぇな。未来の温泉、復旧完了。制御技術者の面目躍如だ。
……ん?
視線を横にやると、美月が管理ロボの胸ぐら(的なところ)をつかんでいた。
「で、温泉は!?どこにあるんですか!?え、あるんでしょ!?さっきから硫黄臭してるじゃないですか!?」
あーあーあー、それたぶん問い詰めてるというより脅してるよな。怖ぇよ。
「と、とりあえずご案内いたします……」
AIロボが涙目(風)で温泉へ誘導してくれた。
着いた場所は、先ほどのログハウスの奥。
「うわ、湯の花すご……!乗鞍より白くね?あれ?」
硫黄の香りが濃厚。とろみもある。これは……かなり良い湯だ。
そっと足を入れてみる。
「お……あったか……いや、ちょっと……ちょっと熱いな……」
胸までつかってみると、
「熱ッ!!……これ、いかん、ジワーっと来る系じゃなくて、直球の熱湯だこれ!」
美月もロボに食ってかかっている。
「ちょ、何度設定!?サウナか!?温泉じゃなくて茹で風呂か!?」
「し、しばしお待ちください、設定を――設定を……!」
しばらくしてロボが調整してくれたのか、湯がちょっとずつぬるめに。
じわ~っと身体に染みてくる。これはたまらん。
「あぁぁ……とけるぅぅぅ……」
じっくり浸かって、体を冷やして、また入る。数セット繰り返して……
「うぅぅん、満足ッ!!」
風呂上がり、美月がAIロボに詰め寄っていた。
「次は牛乳くださいフルーツなやつ。もちろん、冷えたやつ。あと、先輩にはコーヒー牛乳」
「え……えぇ……ただ今、合成中で……」
「早くっ!」
……なんか、ロボに感情というか、同情心が芽生えそうだな。いや実際あるかもしれん。
俺もコーヒー牛乳は欲しいけど。
さて、そろそろ帰るかとジムニーに向かおうとしたとき。
「お礼に、こちらをお持ちください」
AIロボが、小さな箱を差し出してきた。
「なんか見たことある形だな……って、おいこれ……」
「えっ、玉手箱!?マジそれ玉手箱!?開けたらジジィになっちゃうやつじゃん!!」
「違うって、先輩。“湯玉”って書いてある。“ゆ・だ・ま”。入浴剤的なやつですよ」
「……お、おぉ、びっくりした……」
なんなんだこの世界。
未来で湯けむりって、どう考えてもジャンルがちがうと思うんだけど。
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「さぁ帰るぞ」
ジムニーに乗り込みながら、美月が言った。
「今度はどこに帰り着くんですかね、先輩」
そうだよなぁ……前回は伊勢神トンネル通ったはずが、なぜかどんぐりの湯にワープしてたし。
まったく、このスイッチ付きジムニー、どうなってんだ。
ドキドキしながらエンジンをかけた。ジムニーはいつも通り、元気にブルルンと目を覚ます。
外はまた白い靄――しばらくして、それがゆっくり晴れてきた。
「……どこだ、ここ……?」
見覚えのない街並みに、俺は思わずつぶやく。
と、視界の先に見覚えのあるロゴ。
「……ドコモショップ?」
その隣、振り返ると大きな建物に「湯守座」と書かれていた。
「……えぇぇ、お風呂cafe湯守座!?マジかよぉぉ」
四日市店である。
「なんだよ、芝居でも見てけってか……」
すぐにスマホを取り出して検索していた美月が、ニコニコしながら寄ってきた。
「先輩先輩、ここのお風呂、芝居が観れるらしいですよ!ほらほら、行きましょ!」
「もう帰るっつーの……」
俺がブツブツ言っても、美月はもうノリノリだ。
「ここ、マンガもめっちゃ多いし、一日居られるんだよ~?」
確かに、それは魅力的だが……今日はもう十分堪能したよ。
「またな。また今度ゆっくり来ような」
名残惜しそうな美月をなだめつつ、俺は23号線を目指してジムニーを走らせた。