第19湯 俺は森を探索する
──翌朝──
「おはよう」
朝日が窓から差し込み、やわらかな金色の光が木の床に帯となって伸びていた。空気はまだひんやりとしていて、朝の静けさが家の中に満ちている。その中で、亮が控えめに声をかけた。
「おぉ、亮か……おはよう。眠れたかい?」
ルークが目をこすりながら大きく伸びをする。寝起きの身体が音を立てて軋み、木の床がみしりと鳴った。彼の背後には、まだ燃え残る暖炉の余熱がほのかに漂っていた。
「おはようございます」
レイナがふわりと現れ、やわらかな笑みを浮かべながら、木製のカップをテーブルにそっと並べていく。カップの中からは、湯気とともに香ばしいハーブの香りが立ちのぼった。
「あっ、おはようございます。亮です」
亮も立ち上がり、少し気恥ずかしそうに頭を下げる。ふと気づいたようにきょろきょろと辺りを見渡した。
「……ん? 美月は?」
「ミーナたちはまだ寝てるよ(笑)」
ルークが肩をすくめ、テーブルの上のカップを指先でくるりと回す。小さな木の食器が、こつんと軽い音を立てた。
そのとき、レイナが穏やかに立ち上がる。
「猫さんたちぃ、起こしてきてくれるかしらぁぁ」
「にゃあにゃあ」
何匹かの猫たちが、返事をするように小さく鳴きながら、階段を軽やかに駆け上がっていく。陽の光に透けた毛並みが、まるで朝の精霊のように輝いていた。
(……ふしぎなねこだなぁ、おい)
亮が思わず心の中でつぶやいた、そのとき――
「おにぃぃぃぃ、おはよぉぉぉ!!」
階段の上から、まるで弾かれたようにミーナが飛び出してくる。その顔には屈託のない笑顔が咲いていた。
「おはよう、ミーナ」
ルークがしゃがんで腕を広げると、ミーナが勢いよくその胸に飛び込む。小さな体をしっかりと受け止め、ルークは頭を優しく撫でてやった。
「せんぱぁぁい、おそようございまぁすぅ、もっふもっふでしたよ、うへへ…」
「何言ってんだよ、お前は……」
亮があきれたように頭をかきながらも、目元を緩める。ミーナの明るさに、どこか緊張していた朝がふっと和らいだ気がした。
「みんな、顔洗ってきなさぁぁい。ご飯にしますよ〜」
レイナの明るい声がキッチンから響き、家の中に一斉に命が巡り出す。
*
木漏れ日が差し込む食卓で、みんなが囲む朝食。ハーブの香りと温かな湯気が漂う中、木の器に盛られたスープから、ふわりと野菜の香りが立ち上る。
「先輩、昨日の夕食の時も思ったんですけど……お野菜がとてもおいしいんです」
美月が木製のスプーンでスープをすくい、ふぅふぅと息を吹きかけてから口に運ぶ。スープの表面に、朝の光がきらきらと反射した。
「ああ、めちゃくちゃうまいよな、ここの野菜」
亮も根菜を刺して口に運び、しみじみと頷く。その顔に、ゆっくりとした満足の色が浮かんだ。
「お野菜はねぇ、おにぃが育ててるからおいしいんだよぉ」
ミーナが誇らしげに胸を張る。ぱたぱたと小さな足が椅子の上で揺れた。
「そんなこと言ったらお父さんがすねちゃうわよぉ」
レイナがおかしそうに笑いながら、手際よく食器を布で拭き始める。
「あれ? 旦那さんは?」
亮がふと気づいたようにきょろきょろと見回す。
「アベルなら、もう畑に行ってるわ」
「流石、農家ですねぇ」
美月が微笑みながら頷いた。彼女の目には、どこか尊敬の光が宿っていた。
*
「母さん、今日はこの人たちとちょっと森まで行ってくるよ」
ルークが背負い袋を整えながら言う。袋の中には手作りの弁当と木の水筒、それに冷えた麦茶の小瓶が丁寧に詰め込まれていた。
「もぐもぐ、ミーナもぉ……もごご」
「ちゃんと飲み込んでから話しなさい」
レイナが優しくたしなめると、ミーナはぺろっと舌を出して頷いた。
「はぁぁい!」
「気をつけていってらっしゃいね。……後片付け手伝ってちょうだい」
「うん、母さんありがとう」
「おにぃぃ、とまと持ってくぅ〜」
ミーナが元気に立ち上がり、小さな籠を手に取る。その籠の中には、朝摘みの赤く熟れたトマトがいくつも揺れていた。
「うんうん、今日もミーナは天使だなぁ」
ルークが笑みを浮かべて、その小さな頭をぽんぽんと撫でる。ミーナは得意げに鼻を鳴らした。
「じゃあ、行こうか」
「ミーナねぇ……あの場所……覚えてない……」
少し不安げに呟くミーナ。瞳がわずかに揺れる。
「大丈夫、大体の場所はおにぃが覚えてるから」
その言葉に、ミーナの顔がぱっと明るくなる。
*
朝の森。
木々の梢からこぼれる光が、濡れた草を金色に染める。空気はすがすがしく、鳥たちのさえずりがあちこちから響いてくる。
ルーク、ミーナ、亮、美月、そして猫たちが、けもの道を一列になって歩いていた。露を踏むたびに、足元でかすかな水音が立つ。
「とりあえず、危険な動物はいない感じだなぁ……」
ルークが周囲を見渡し、小声で呟いた。彼の目は野生の勘のように鋭く、木々の陰影を丹念に追っていた。
「先輩、きっとフォースですよ、フォースで感じてるんですよ!」
「お前はいつも楽しそうで羨ましいよ(笑)」
亮が苦笑しながら、葉の隙間からこぼれる光を見上げた。木の香り、土の匂い――森は五感すべてにやさしく語りかけてくる。
やがて、小高い丘の上へとたどり着く。
そこからの眺めは圧巻だった。緑の海のような森が、朝の光に包まれて広がっている。遠くで、鳥の群れがふわりと飛び立つ姿が見えた。
「……あったかいな、ここの朝」
亮がふと呟く。その声は、風に溶けるように丘に広がっていった。
一陣の風が頬を撫で、鳥の羽ばたきが空を横切る。猫たちは静かに草むらに身を沈め、風の匂いを嗅いでいた。
「ここだよ……たぶん、あの蜂蜜のおばさんと会ったの」
ミーナが静かに呟いた。その言葉に、全員の表情が引き締まる。
「じゃあ、もう少しこの辺を探してみるか」
そう言ってルークが前を向いたとき、朝の光がまるで導くように、丘を柔らかく包み込んでいた――。