第15湯 俺は草津を楽しんだ?
途中、美月が「あっ、お猿さんが湯もみしてますよ!」と指差す。
「おぉ、すげぇ……と思ったが……うーん……」
少し苦笑いしつつ、西の河原公園へと足を向ける。
浴衣姿の観光客の間を抜けるたびに、あちこちからふわりと湯けむりが立ち昇る。
「さみしそうなところですねぇ」
石や岩がゴロゴロしている小道を歩きながら、美月がぽつり。
「あぁ、相槌を打ちながら、ちょろちょろ流れているのも温泉みたいだなぁ」
俺はこの先にある西の河原露天風呂へ意識が向かっていた。
千人風呂と呼ばれることもある巨大な露天風呂だ。
コンクリートに埋められた滑りそうな石の道を少し登っていく。
「つきましたぁぁ!!」
美月がはしゃぐ。男湯・女湯に分かれた小さな脱衣所、その先には、どーんと広がる大露天風呂!
俺は滑りやすい板の間を慎重に歩き、ゆっくりと湯に足を入れた。
「うおっ、熱っ!」
広いのにこの温度……やっぱ草津だ。
俺は真ん中位にある岩の所まで進んで肩までつかる。
酸性度が強いと聞いていたが、そこまでピリピリはしない。
と思っていると、近くでおっさんが叫んだ。
「うぉぉ、けつがいてーな! ヒリヒリじんじんするぞ!!」
いやそれ、痔じゃねーの? おっさん落ち着け(笑)。
何度か出たり入ったりして体を冷ましながら浸かり、頃合いを見て風呂を出る。
「先に出てたよー」
と、美月がタオルで髪をふきながら言った。
「露天とはいえ熱すぎです。あたしはぬるめのヌルヌルの湯が好きなんです!」
笑いながら「なん言ってんだ、草津は全然当てはまってないだろ」と俺。
「じゃあ、ホテル戻るか、もうすぐ夕食の時間だし」
「そうですね、きっと豪華なお料理が待っていますよ♪」
「あぁ、そのはずだよ(笑)」
言いながら歩き始めると、どこか空気が変わってきた。
「でもちょっと天気崩れてきたんですかねぇ……靄ってきましたよ、霧ですかね?」
立ちのぼる湯けむりに混じって、町全体を包むような淡い白。
まさか——そんな言葉が、ふと胸をよぎった。
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西の河原公園を下りながら、町の方へ足を進める。
だが、その白い靄はますます濃くなっていった。
「足元すら見にくいぞ……」
美月の声も不安げになる。
「動かないほうが良くないですか?」
「あぁ……ちょっとそこの岩にでも腰かけて、待ってみるか」
俺たちは岩の上に腰を下ろし、しばし濃霧の中に身を委ねた。
時間の感覚が曖昧になる中、五分?十分? それとももっと?音も、気配も、まるで遠ざかっていくような錯覚。
やがて、ほんのわずかに霧が晴れてくる。
「先輩……なんか、また来ちゃったみたいですよ……」
美月の言葉に顔を上げた俺は、唖然とした。
「……うそだろ……!? ここ、どこだよ……」
舗装されていない地面に、かすかに轍の跡が残っている。
両脇は草むら、そして遠くには森のような影。振り返れば、ぽつぽつと古びた家々が点在する、まるで最近はやりのアニメに出てくる村の風景が広がっていた。
俺は天を仰ぎ、思わず叫ぶ。
「なんでだよ……(涙)」
スイッチなんか押してない、そもそも今回はジムニーじゃねーし!
ふと横を見ると、美月が手元に小さなBOXのようなものを持っている。
その指で、何やらスイッチをポチポチと押していた。
「美月さん!? それ……なんですか!?」
「えっ!? これ、この前ジムニー洗車してた時に車内にありましたよ? よくわかんないんで、持ってきちゃいました♡」
俺は全身の力が抜けた。
「なんだよそれ……知らねーよ、俺……」
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とりあえず、村の方へ歩いていく。
歩みを進めると、麦畑や見慣れた野菜畑のようなものが広がっていた。
「今回もまた、ぬるっと現れるのかなぁ……」
「女将さんですか? なんか雰囲気合いませんよ、前回のピラミッドもでしたけど(笑)」
「誰かひといねーかなぁ……」
「……あっ! あそこっ」
美月が麦畑の方を指さす。
「案山子だろあれは。……でもなんであの案山子……赤いんだ?」
風に揺れる麦の向こう、真っ赤な布をまとったような奇妙な案山子。
その姿に、現実感が一気に薄れていく。
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「……おっ、なんか動いた!? ……って、猫か……。かわいいですねぇぇ……えええっ!! いっぱいいますよ!!」
「なんだこの村は?」と俺が呆れていると、
「オッ、今度こそ人だ!! 子供がいる。行って話しかけてみるか」
「女の子みたいですねェ、先輩が話しかけたら、事案になりませんか(笑)」
「じゃぁお前が話しかけてくれよ(笑)」
案山子の方へ歩いていく女の子に、美月が声をかけてみた。
(うわぁっ、かわいいぃ♡金髪だぁぁ……って、言葉通じるのかなぁ)と思いながら、「こんにちは」
女の子は少しびっくりしながら二人の方へ向いた。
「お姉さんたち、だあれ?」
「あたしたち迷子になっちゃったの。ここはなんていうところなのかなぁ?」
(えっ、言葉通じた……日本人なの!?)と美月は内心驚く。
「えーっとね、えーっとね……お兄ちゃんとミーナの住んでる村なの」
「あぁ、そーなんだ。じゃあ他に誰かいるのかなぁ?」
そんなたどたどしい会話をしていると、遠くから声がする。
「おぉぉぉい、ミィーナァー!!」
「あっ、お兄ちゃんだ!!」
ミーナという女の子より少し年が上だと思われる男の子が、畑の向こうから駆けてくる。
黄金色の麦が風にそよぎ、猫たちが気ままに遊びまわる田舎の風景。
どこか懐かしくて、でも非現実的な世界。
俺たちは、またしてもこの“異世界”に足を踏み入れてしまったのだった。