表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編(歴史もの)

蓮 ー時間旅行者ー

作者: 蘭鍾馗

800年前の種子から発芽した「中尊寺蓮」の話を、「種子は旅行者である」という観点から書いたものです。短いです。

 種子は、旅行者だ。


 例えば、柳や蒲公英ならば、綿毛のついた種子で風に乗り、新天地へと旅立つ。

 樹上の蘭は、埃のように細かい種子が風に吹かれて、再び新たな樹上にたどり着く。

 椋の木は、その甘い実が鳥に食べられることで、鳥の翼を借りて遠くへと飛んでゆく。

 菫や片栗は、蟻の好物を種につけることで、蟻に運ばれてゆく。

 自ら動くことの出来ない草木は、こうして空間を旅するのだ。


 ところが蓮の実は、熟せば種子がぽとり落ち、足元の泥の中に潜るだけだ。空間を旅する手段を持っていない。それでも、蓮の実は旅をする。

 空間ではなく、時間を旅するのである。


 蓮が生える湖沼は、山や川などに比べると、寿命の短い環境だ。

 湖沼に流れ込む土砂や、そこに生える植物の遺骸などが少しずつ堆積し、やがて湖沼は浅くなり、ついには陸地に変化してしまう。だから、そこに生えている水草は、そうなる前にどこかへ行かなければならない。

 だが、蓮などの多くの水草は、深く休眠する種子を作り、湖沼の底に沈ませる。そう、どこへも行かないのだ。


 湖沼はもともと水が集まる地形にできる。だから、川の蛇行の変化や浸食、堰き止めなど、様々な理由で、長い年月の後、再び湖沼になる可能性は決して低くない。

 そこで、蓮などの水草は、長い寿命と深い休眠をもつ種子をその場に残し、湖沼が陸地になってからも土の中で耐え忍び、再び湖沼になる時代を待つ。

 つまり、時間を旅することで、未来に子孫を残すのだ。


 ◇


 八百年ほど前、陸奥国のとある池で、春、蓮の種子が芽生えた。池のかいぼりを行った翌年のことであった。


 蓮の根からではなく、種から芽生えるのは何十年ぶりになるのだろう。蓮は水底から芽を伸ばし、やがて水面に小さな丸い葉を浮かべた。

 やがて夏になると、蓮は大きくなり、水面から立ち上がって、空中に大きな葉を広げはじめた。

 蓮は成長を続け、やがて秋になって、葉を枯らして冬を迎えた。


 その翌年の夏、蓮は花を咲かせた。その花は大きく、濃い紅色で、他の蓮とは明らかに違う美しいものだった。

 ある僧がその花に目を止め、蓮の根を掘り、寺の庭の池に植えてその特別な美しい花を愛でた。

 その美しい蓮の花は、寺の庭の池で育ち、やがて再び実を結んだ。


 ◇


「泰衡様が戻ってこられた。」


 寺の僧たちが騒ぎ始める。奥州藤原氏の、その最後の当主泰衡は、源頼朝に追われて平泉から逃れ、比内の郎党を頼ったが、そこで裏切りに遭い討ち取られた。その首だけが焼け落ちた平泉に戻されて、いまこの寺に届いたのだった。

 僧侶たちは、泰衡の首を黒い漆塗りの首桶に入れ、その父・秀衡の棺の傍らに納めた。首桶の中には、その魂を慰めるため、また極楽往生を願うため、寺に咲く、あの美しい蓮の実が入れられた。


 ◇


 ここは水底の泥の中ではない。

 何か、乾いた箱の中だ。


 寺の僧に実からとり出され、何かと一緒にこの箱の中に納められたのだ。

 一緒に納められた、その何かとは、人の首であった。

 よく見れば、その首は傷だらけであった。鼻と耳は削ぎ落され、顔には幾つもの刀傷が刻まれていた。額には大きな穴が開いていた。

 私を見つけ、拾い上げて育ててくれたのは人だ。その心優しいはずの人が、同じ人に対して、何故このような惨い真似ができるのだろう。私には分からぬ。

 いずれにせよ、何の運命のいたずらか、私は再び池の水底へ還ることは出来なかった。ここで長い刻をかけてゆっくりと乾き、死んで朽ちて行くのだろう。

 それはもう仕方のないことだ。それならば、誰かは知らぬが、せめてこの哀れな首の慰めとなろう。


 蓮の実は、そのまま長い眠りについた。


 

 ………………



 水の声が聴こえた。


 その声は、「目覚めよ」と私に告げていた。

 私は生きていた。箱の中で朽ちていたのではなかった。

 突然、種皮の中は水で満たされた。そして、その水はゆっくりと、本当にゆっくりと、体の中へと沁みこんでいった。


 私は目覚めた。


 ◇


「発芽しています!」


 とある大学の研究室で、ある朝、歓喜の声が上がった。

 寺に納められていた首桶が学術調査のために開けられ、その中から蓮の種子が見つかった。その蓮の種子が、この研究室に託されて、発芽実験が試みられたのだ。

 過去には、二千年前のものとされる蓮の種子の発芽に成功した例があり、この首桶の蓮の種子も、まだ生きていて発芽するのではないかと思われたのだ。

 そして、一度の失敗の後、再び試みられた発芽試験で、蓮の種子は八百年ぶりに芽を出したのである。


 ◇


 芽を出した蓮は、小さな池に植えられて育てられた。


 蓮は少しずつ成長し、やがてある年の夏、蕾をつけた。

 蕾は成長し、葉の高さを少し超えるところまで伸びたある朝、ゆっくりと開花しはじめた。

 史実に照らすならば、種子が首桶に納められてから、八百十年が経っていた。


 私は、再び池に戻ってきた。

 最初に芽生えた池とも、拾われて育てられた池とも違う。だが、またこうして成長することができた。

 一度は諦めた命は、運命のいたずらにより永らえた。

 そして、今日ここで、再び花を咲かせることが出来たのだ。


 葉の上に、花は咲かねばならぬ。

 花は開き、光と風とを知らねばならぬ。

 知恵の訪いを待たねばならぬ。


 その日、八百年ぶりに開いた蓮の花に、花蜂が訪れた。
















評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ