婚約破棄で魔王になった令嬢を救おうとする勇者の話
許せない。
私を捨ててあの子を選ぶなんて、絶対に許さない。
みんなが私を裏切った。
一緒にあの子を貶めようとしたでしょう?
あなた達が言ったんじゃないの?
あの子は殿下にふさわしくないって。
だから一緒にあの子を虐めた。
私だけが悪いの?
「君のような醜い女性を王妃にするところだった。ミユウが現れて本当によかった」
そう言って、殿下は黒髪の女性の肩を抱きしめる。
ミユウ。
小柄で可愛らしい女性。
突然現れて、私の婚約者の心を奪った。
「レティシア。君との婚約は破棄する。そして新しい婚約者はミユウだ。未来の王妃を傷つけた罪は重い。よって死刑だ」
殿下は私を見下ろして、そう言った。
「し、死刑?」
たかがその子を虐めただけで?
私は牢屋に入れられ、満足に食事も出してもらえなかった。その他、排泄も屈辱的で、耐え難い日々を強いられた。
そうして二日後、広場に連行され、民衆に囲まれた。
殺せ、殺せと皆が叫ぶ。
熱に浮かされたように皆が叫んでいた。
何があったの?
私がいったい何をしたの?
その子を虐めただけじゃないの?
それで死刑なんて馬鹿げている。
こんなの間違っている。
『そうだ。間違ってる。お前に非はない。周りが狂っているのだ。全部殺してしまおう』
「だ、誰?」
『私はお前だ。任せろ」
「何をぐちゃぐちゃと。死刑執行人、直ぐに執り行え!」
「はっ」
私は強引に床に座らされる。
顔をすっぽりと布で覆った男が斧を振り上げた。
『邪魔だ!』
シュッと音がして、真っ赤な液体が私に降り注ぐ。
「ひっつ、血!」
私は立ち上がり、民衆を見渡していた。血に染まった私は口の両端を上げて、高笑いしていた。
「ま、魔女だ!捕らえろ!」
逃げ惑う民衆の勢いに押されることなく、元婚約者の王太子は叫ぶ。
「魔女ではないわ。私は魔王よ」
その日、ラフリア王国は私によって滅ぼされた。
☆
「ほ、本当に、ひどい話です。寄ってたかって」
目の前で体格のいい男が大粒の涙を流して、大泣きしている。
男は勇者、私を殺しにきた者だ。
普通の貴族の娘から、突然私は魔王になった。どうやら、私の先祖が魔王の血を引いていたらしい。怒りでその血が蘇った、そういうことらしい。
魔王になって十年が経つ。
私は不老を手に入れ、あの時を同じ姿で城にいる。
あの場にいたすべての者を私は殺した。王子もあのミユウも全部殺してやった。
一国を滅ぼした私に恐怖を感じてか、隣国かどこからか時折勇者一行が送られてくる。
魔王になって人間への情がなくなってしまい、人を殺すのはどうでもよくなった。邪魔をしなければ殺さない。でも邪魔をしたら殺す。
こいつはどっちだろう。
「レティシアさん!」
勇者が泣きながらその名を呼ぶ。
ああ、そんな名前だったか。
この十年で私の心は変わり果てた。人間であった私の心は完全に死んでしまった。だからレティシアはもうこの世にはいない。
「俺が、あなたを救います!」
「救うとはなんだ?」
私は魔王になってよかった。
くだらないしがらみから解放され、自由に振る舞える。
何者に媚びる必要もなく、好きなことをやれる。
「あなたの心を癒して差し上げます」
厚かましい男は、その日から城に住み込んだ。
魔王になってから味覚というものがなくなり、食べても食べなくても何も変わらない。
だからずっと食事なんてものをしたことがなかった。
だが、そいつはせっせと料理をこさえる。
今は魔王城だが、この城は元はラフリア王国の城だ。なので台所もあり、そのほか人間が必要なものは取り揃っていた。
「美味しいですか?」
「わからない」
男は食事を二人分用意して、一緒に食べる。
にこにこ笑いながら食事をする。
何が楽しいのだろうか?
楽しい?
そんな感情があったことすら忘れている。
だが、男と一緒に食事をすると、少しだけ心が浮き立つ気がした。
「男、下がってろ」
「男、男ですけど、俺の名前はアレックスって言います」
「ア、アレックス?」
「そうです」
何か聞き覚えがある名前だった。
まあ、それはあとだ。
「アレックス。人間がくる。お前は邪魔だ。下がってろ。共闘したいならするがいい」
「共闘!いいですね。レティと俺の共同作業」
「違う。私が言っている意味は、」
アレックスは人間だ。しかも魔王である私を殺す勇者だ。やってきた人間と共に私を殺すつもりならそれでいいと思ったから言ってやった。
しかし何か勘違いしたようだ。
「アレックス様?!生きていらっしゃって。さあ、共に魔王を葬りましょう」
私とアレックスが言い合ってる間に、人間どもはやってきてしまった。
「断る。ルーク。俺はこの人を守る」
「な、何をおっしゃてるんですか?そいつは、あなたのご家族を、国を滅ぼした魔王ではないですか!」
ああ、思い出した。
アレックスは、あの男の弟だった。
あの日、運良く、彼は留学していたんだった。
子犬のような男の子だったな。
一瞬、何かが脳裏をよぎる。
だが、すぐに忘れてしまった。
「なるほどな。アレックス。私が憎かろう。共闘して、私に挑むがよい」
「どうして、あなたはわかってくれない!こうなれば俺の愛を見せるしか」
「アレックス様?!」
アレックスは私の前に立ち、剣を抜いて人間に切りかかった。
「狂ってしまわれか?それとも魔王に操られている?!」
戸惑っているうちに人間どもはアレックスによって、全滅させられた。
「これで、俺の愛、わかってくれました?」
なんだろうか。
この気持ち、胸が痛いということか?
「レティ。どうして泣いているんですか?」
「わ、私がか?」
わからない。
ただ脳裏に浮かぶ少年の笑顔、アレックスの血塗られた顔、それがとても胸を抉る。
痛い。
ああ、痛みなんて久々だ。
「ああ、とりあえず休みましょう。俺が片付けておきますから」
背中を押され、私は寝室に戻った。
ベッドに体を投げ出すとちらつくのはあの少年の顔。
ああ、アレックス。
子犬ように私を慕ってくれた男の子。
あの男の弟。
それが、人間を殺した。彼を慕っていただろう、人間どもを。
私の為に。
涙がこぼれ落ちる。
嗚咽が漏れる。
これが悲しいという気持ちか。
忘れていた。
「レティ?入ってもいいですか?」
「いいぞ」
扉を叩かれ、返事をするとアレックスが部屋に入ってきた。
血塗られた服は着替え、体も洗ったのか、さっぱりしている。
「あの、レティ。どうして泣いたのか、聞かせてもらえますか?」
「わからない。ただ、お前は小さい男の子だっただろう?よく笑って、周りのものに愛されていた。それが、人を殺すなんて」
「レティ。俺はあなたがいればそれでいいのです。裏切り者の兄など、私が殺してやりたかった。あなたを傷つけようとする者がいれば、俺が殺します。これからも」
「なぜ、お前はそんなことをするのだ。お前はレティと呼ぶが、私はもうあのようなか弱い人間ではない」
「あなたはレティですよ。だから俺に守らせてください」
キュッと心臓を掴まれたような痛み。
胸が痛い。
なんだ、これは。
「さあ、食事にしましょう。今日はあなたが好きなチーズケーキですよ」
「チーズケーキ?」
「あなたがチーズケーキ食べる時、いつも嬉しそうなんです。俺も大好きだから嬉しいです」
「それは違う。お前が嬉しそうに食べるから、そのチーズケーキというものが美味しく思えるのだ」
「レティ!俺のことよく見てくれてるんですね。嬉しいです」
ぱあっと顔を輝かせて笑う。
この笑顔は変わらない。
私が彼を変えてしまったのか?
あんな風に簡単に人を殺す者に。
彼は人間だ。私とは違う。
だから、
「アレックス。お前は、この城から出ろ」
「は?何を言っているのですか?」
「お前は人間だ。人間は人間の世界に戻るべきだ」
「嫌です。俺はあなたのそばを離れません。絶対」
「だが、お前は時期に死ぬぞ。人間の体はそう長くもたん」
「知ってます。だから死ぬまであなたのそばに」
「私は嫌だな。お前の死に顔を見るなんて」
「悲しんでくれますか?」
「わからない。だが、お前が死んだら、嫌な気持ちになるのは確かだ」
魔王である私は常に魔気を出している。アレックスはいつも平気な顔をしていたが、それは全部演技だった。
ある日、私は彼が血を吐くのをみてしまった。
見られた彼は青白い顔で微笑んだ。
「……もうダメみたいです。お世話できなくてすみません」
「私は魔王になってずっと一人だった。世話などいらん」
「そうですね。だけど、俺は寂しい。死ぬのは怖くない。ただあなたから離れるのが寂しくて、悲しい」
胸が痛い。
なんだ、これは。
とても痛くて苦しい。
「レティ。最後にお願いしてもいいですか?」
「なんだ?」
「キスを、キスをしてください」
「キス?」
「唇を重ねるアレです」
「知っている」
レティシアであった時の気持ちは忘れてしまったが、記憶はある。
「わかった」
なんだか、胸が騒いだ。
どうしたんだ。
「レティ」
痩せこけた頬。
窪んだ瞳。
私がそばにいると苦しいはずなのに、離れようとすると嫌がった。
だから死期を早めることになったんだ。
バカもの。
キスのやり方を知っている。
頬を両手で包む。
アレックスは目を閉じた。
「レティ。愛してます」
どうしようもない、わからない気持ちが溢れてきて、気がついたら涙が出ていた。
頬を濡らしたままで、彼の唇に私の唇を重ねる。
「ん?」
私の体の中心から光が溢れ出る。
それは全身を包んだ。
「レティ」
アレックスの声がして、真っ暗になった。
☆
「レティシア!」
目を覚まし視界に入ってきたのは、アレックスだった。
痩せ細った体は元に戻って、いや前よりも元気そうだった。
「何がいったい」
どうやら、私はベッドの上にいるらしい。
「呪いだったようです」
「呪い?」
「あなたは愛する者とキスをして、元の姿に戻った」
「は、え?」
言われてみて、額を触ればそこに角はなく、耳の形は尖った部分がなくなり、髪を引っ張って、確認すれば、それは金色。
「レティシアの体」
「そうです」
「だが、レティシアはいないぞ。私は魔王だ」
「そうですね。でもいいのです。俺はあなたを愛してますから」
「ま、待て。何をする気だ」
「キスをされて、俺はわかりました。あなたも俺を愛してると。だから遠慮することないですよね?」
「遠慮しろ!」
レティシアの感覚も戻ってきて、私にいらぬ感情が増えた。
だから奴がそばにいると胸がドキドキする。
きっと頬も赤い。
「可愛い。俺たち、ずっと一緒にいましょうね」
「だが、ここは魔王城だ。レティシアの体に戻ったとなれば、私は弱いぞ」
「俺を誰だと思っているんです。勇者ですよ。あなたの姿は元に戻った。魔王なんて思う人はいませんよ。アッシリム王国へ行き、魔王討伐の報告をします。その報奨金でゆっくり二人で暮らしましょう」
「そんなことうまくいくか!」
私はそう思ったのに、事はアレックスの思惑通り進み、私たちは田舎に小さな家と土地を買った。
「……私は多くの人間を殺した。そして今は魔王ではない。罪は償うべきじゃないのか?」
「何を言っているのですか?罪を償えって言った奴がいたら、俺が殺しますから」
アレックスは魔王よりも魔王らしい気がする。
裏切られ傷ついたレティシアの心は、勇者によって救われ、物語は終わりを迎える。
末長く幸せに暮らしました、と。
(終)