1 ごく普通の日々
夜明けとともに目覚める。家がかなり高いところにあるので、開けっ放しにしていた窓から入る光がまぶしくてたまらない。街は寝静まっている。しかし朝から仕事があるから起きなきゃならなかった。着物の袖を翻して外へ出る。
井戸の水を汲んで、顔を洗う。 僕の耳はその冷たさに、ビクッと動く。その耳は人の耳ではなく、獣の耳だった。
僕は凍魔という。
僕はいわゆる見た目は半妖、中身は完全な妖だ。
私は人化の術に失敗した。それは端的に言えば、完全に化けきることができない。人間社会に溶け込めなかった敗北者だ。そしていままさに迫害を受けている身である。
本来妖怪もタフで、妖気という概念があること以外は何ら人と変わりはない。しかし、そんな我々を脅威と人間はみなしたのだ。この境遇を得たのは僕だけではなかった。
そんな者たちのためのの町がここにある。とある盆地にひそかに作られた妖にとって桃源郷のようなだ。人々は、村の創造主のもとで自由に暮らしている。
家々は山肌に作られていて、山肌には石垣と土で作ったスペースがある。土塁をつく手補強として石垣を造った。そこに、井戸を掘って、家を建てている。基本的に1段につき2家庭で、それがおよそ五十段ある。
僕の家は46段目だ。だから降りるのが非常にきつい。
家は衛星写真に写らないようにある程度のカモフラージュを施してある。家の屋根には植物をはやして、家の隣に一本の木を植えなければならないという法律も存在する。基本的に上から見るとほんとに緑ばかりだと思う。
「はぁ~~~。」
朝から疲労感を抱えて溜息を吐く。
毎回下までが遠すぎて朝から疲労がたまる。
(あと少し)
と唱えながら、高さが不ぞろいな階段を下りていく。本来ならふもとの景色は絶景なのだろうが、錯覚で残りの段数が増えていくにつれてそんなのはどうでもよくなる。
漸く階段を下り終えると、今度は雑踏に遭遇する。市場である。この全員が、変化に失敗したものたちだ。夜は灯火管制で動けないので反動のようなもので一挙にこの中央部に人が集まる。全員着物だから統一感があって味気がない。
この街のふもとの中央部は同心円状に5重に大きな道があり、それに沿うように店がある。
一番外が、食料品 二番目の半分が雑貨類、
二番目のもう半分と三番目が、道ごとつぶして建てた野球場、サッカースタジアムと余ったスペースに銀行だ。
4重目は中央の政治局たち。
5重目が祭祀担当と中央研究所だ。
僕の住む位置からは特にこの構造がよく見える。
脳死で下り続けて、草履が地面に触れる音がしてようやく心が楽になった。
5重目、商業施設エリア
雑踏を躱しながら、4重目を目指しているもののなかなかたどり着かない。 (ああ・・・。少しイライラしてきたな。)歯を食いしばる。
「よ~。凍魔さんよ~。相変わらずしけた顔してんね~。」
そういって私の肩に触れる。私の旧知の友である彼が来たようだ。黄色く長いとげついた髪とややうるさい若者らしい元気な声ですぐわかる。まあ、私も若者だが。
私の同期、雷神の迅だ。かなり格式の高い大妖怪だ。彼は今陸軍にいる。それにしても、一応、人化の術に妖の格は関係ないんだなと思う。
「ああ、ずいぶんと見なかったな迅。ところでお前は今日陸軍の訓練はないの?」
「今日はな・・・・。なんとオフだーーーー!!!」
迅は体を存分に使ってその喜びを表現する。街中で一人だけテンションのベクトルが外れている。そんなことよりも私は驚きが大きかった。
「あの人が休みをくれるとは・・・。いったい何が・・・。」
あの人とは軍部のドンこと軍令部長のことである
軍令部長は剣術の達人だそうでかなり鬼らしい。いつもスパルタでいまだにオフの日がないことで中央の間では有名だ。実際あったことすらないが・・・。
だけどそんな人だからこそこの町を守ってくれるという信頼感がわく。しかし
「風の噂だと上から怒られたらしい。中央所長は下からの要望に応えてくださる…。あー幸せ・・・。」
迅は完全に調子乗っている。
(あとで密告してやろうかな。僕は朝から疲れているというのに・・・。)
私が少し不愉快に思うのは治安を守るという責務の重さを知らないように見えることだ。何年たっても私は今でもこいつに思う。大切な友であるけれど、親しき中にも何とやら、そこだけは直してほしいと思っている。
「ところで何の用なんだ?僕は今から職場だからね。あまり付き合ってあげられないからな。」
「じゃあ、帰りがけに飲もうぜ!」
と迅はいい提案を入れる。
「ああ、それはいいね!」
すこしテンションのタガが外れたような僕の声に。
「飯の話には飛びつくのな・・・。」
と迅はあきれたように言う。
(そうはいってもご飯を食わなくてもある程度は食っていけるせいであんまり食べてないんだよ。)
と心の中で返した。
その後、少し世間話をして迅とは別れた
迅は手を振って
「またあとでな!」
という。
(いい笑顔をしてるな、相変わらず。)
すこしいい気分になった。やはり友と語らうのはたまにはあるべきだなと思った。
(今日は何があるかな。メニュー増えてるといいな。)
そんなことを考えていると叫び声が耳を突く。
「よっしゃーー。今日は遊ぶぞ。」
職場、総務部所の長屋にて
僕はようやく部所にたどり着いた。足がつりそうになりながらも長屋の戸を開けた。すると、戸の近くにデスクのある部長が僕を見て声をかける。(部長は部所内でのトップである。)
「凍魔か、毎度毎度朝からつらそうな顔をしてくるね。もう少し元気出したらどう?そんなにこの職場がいや?」
笑いながら声をかけてくる。部長はどんな時でも笑っているフレンドリーな人だ。私はそんなことではないと弁明する。
「毎回毎回すさまじい段数を下りて職場に来る身にもなってください。別にあなたに不満があるわけじゃないです。しかもここの仕事大変じゃないですか。」
僕が今働いている部所は、他所との関係調整、法整備と世論のヒアリング、そして、諜報部からの情報を整理活用する総務だ。この街は議会ではなく、天才が集まる中央研究所と各部所が協力して治めている。
昔はたくさん走らされたものだった。法整備に文句を言われたり、人手不足だったりと・・・。まあ人手不足は人気のなさからきてるわけで、それは今でも続いているが。
ちなみに部は6つ。総務、財務、中央研究所、諜報、祭祀、陸軍である。その下にも支部が何個かあったりもするが、割愛する。
ところで部長の目元には多少のクマがあり、耳は普段よりしおれている。
「そういえば、上司。あなたいつからここにいたんですか?もしかしてあなた寝てませんね?」
「ざっつらいと」
片言の英語を言って僕に向けてビシッと親指を立てる。
そして理由を説明する。
「陸軍の部長と予算の事前調整の折り合いがつかなくて。ほら、部長会議までに大まかに予算を決めなきゃいけないでしょ?
財務も今銀行と債務について抗争中らしいから、予算の増額と引き換えに引き受けたんだよ。だけど軍部厳しいからなかなか引き下がってくれないんだよ。だから残業中なんだ。」
部所の責任者たちが一堂に会する会議が白猫神社で数日後に開かれる。頻度は数か月に一回ほどでそこで色々なことを決定するのだが、あまり時間がかかりすぎるとスケジュールに響く。
だから、大まかな今すべきだと考えられる議題とその内容、他の部所に対する質問を各部所は作成する。議題は総務が集計してまとめ、各部に通告する。そして、質問は質問される側に送られて大筋の回答が作成される。
ここまでは大分終わっていて今、火花を散らしているのは、どこの部所でも譲れない予算関係だ。毎年、お金だけはたやすく決まらないのだ。
しかも、相手にしているのがあの鬼軍曹とは・・・。一応同期らしいが、僕は(かわいそうに・・・。)という視線を向ける。
そして退勤を促す。あえてオーバーに
「ホントですか!?それはお疲れ様です。無理しないでくださいよ。お願いですから過労死しないでくださいね?あなたが倒れたら責任を問われるのは次部長である僕なんですからね。」
あえて自分が困るかのように言う。自分や部下を人質に取った方がこの人は行動してくれる。やはり部下思いのいい人だからだ。しかし、部長は意外にもすんなりと退勤の意思を示す。
「大丈夫だよ、人間ほどやわじゃないんだから。だけど、心配しなくてももうそろそろ帰ろうかと思ってる。実は有給取ったんだ。ちょっとお使い言ってきてくれないかな?軍令部長に届けてほしいものがあって・・・ね?♡」
「え?」
(いやだいやだいやだいやだ。殺されないですかね…僕・・・。)
心の中でそう繰り返す。その様子を察したのか部長は申し訳なさそうにいう。
「いや・・・。すまない・・・。女房からもう少し家族に時間を割けと言われてしまったんだ。結局、半ば強制的に有休をとらされたんだよ。」
「確かに、部長、尻に敷かれてますもんね。」
「ああ・・・。」
そう言って頭を抱える部長・・・。
たしかにあの奥さん怒ったら怖そうだな。一度一緒に歩いているところを見たことがあるが、美人だけど少し気が強そうな顔立ちをしている。言い訳かと思いきや、やはり、どこかかわいそうな理由だった。だから私はあっさりと納得した。いや納得せざるを得なかった。
「はぁ~~~。仕方ないですねそればっかりは。」
「おおそうか、君に任せれば安心だね。じゃ、僕は退勤するから。お疲れ様。君は適度に休んでね」
そういって上司は戸から出ようとする。しかし足取りが心配だ。酒でも飲んだかのような千鳥足なっている。
(大丈夫かな・・・。)
そう思った数秒後、上司は柱に頭を強打した。そしてドアの先で、転げまわっていた。どうやら頭だけでなく、足もケガしたようだ。いくらタフだろうが睡眠だけはおろそかにしてはいけないことを学んだ。
町の外心部 居酒屋にて
遠くで手を振っている迅を発見する。
「お~い。おそいぞ~。」
それにしても、遠くから手を振っているのにすぐにわかる。まあ、何よりも目立つ色をしているからだが。
あいつとの待ち合わせは、この町唯一の居酒屋でだった。
この町の居酒屋は一応地下に部屋はあるけれどもやはり八時までには閉めてしまう。だから割と早めに仕事を切り上げた。ちなみに迅は予定より三十分ほど前に待っていたらしい。 (名前に似てせっかちだ。)と思った。
「どれだけ遊び歩いてたんだよ・・・。」
迅はやけに充実していそうな顔だったから少し
あきれ顔で問いかける。すると、天国を味わったかのような顔つきで、
「サッカーみて野球見て、おいしいもの食べて・・・。」
と憩いの時間に起こったことを話し始めた。ここでできる娯楽のフルコースを制覇したようだ。
「で、どっちが勝ったんだ?」
「どっちも引き分けだよ・・・。あ~ついてないな~今日は・・・。」
「さっきの天国気分どこ行った。羨ましいな畜生。」
すかさず、今日一日調子に乗っていた彼の発言に待ったを入れる。しかし、その合いの手を無視して
「そんなことより早く入ろうぜ!」
と迅は僕の手を引っ張る。少し引きずられる格好になりながらのれんをくぐる。
「2名様ですか?」
「はーい。」「はい。」
僕は席に案内されると、壁にあるお品書きに目をやる。
「相変わらず似たものばっかだな。」
「とりあえずいつもの頼んどけばいいでしょー。すみませーん。これくださーい。」
迅の言ういつものとは、鮎の塩焼きと、小ライスそしてタケノコ刺しである。アユの塩焼きは名物で外せない。
「にしてもレパートリー少ないな~。」
「仕方ないだろ、こっちに海はないんだし、畑を作る平野すらないんだから。米は棚田つくりゃ何とかなるけども・・・。」
せめて海ぐらいほしかった。と言いたいところだ。
「迅はそういえば何の酒頼んだんだ?」
「妖気酒だ。訓練で疲れてるからな。今日ぐらい飲ませてよ。」
迅は頬杖を突きながら笑う。
「なんだそれ。最近酒飲まないからわからんわ。たしかそんなの前なかったはずだがな。」
「妖気を固めて濃縮した液体だ。結構、この酒はアルコール入ってないけど酔うぞ。あとで一杯飲ませてやろうか?」
こいつは私が酒が弱いのを知っている。そういうことを知っていて勧める。たまにいやらしくもなる男だ。
(二日酔いになると明日かなり苦しくなるからな・・・。)
そう思って
「僕は弱いからいい。おまえも知ってるだろ?ところで、最近陸軍の方はどうなってる?」
と断った。
こっそりと相手方をさぐる。こいつについてきてもらうのは確定条件だ。しかし
(向こうの「ドン」の機嫌の探りを入れなければ・・・。)
という思惑があった。まあ、この町じゃ話題になるものがあまりないというのもあるけど。
「ああ、最近人間どもの侵入が増えてきててな・・・。」
そう苦々しく語る。
結局、分かったこととしては、機嫌どうこうよりストレスが溜まっている様子だ。出動過多で大分きついらしい。人間が街に行き着くのを阻止するために、軍はあらゆる手を使っている。
もちろん殺すのは最終手段で、よほどでないと行使されない。というよりできない。だから知能をフル回転せねばならずとても疲れる。軍部長は
「奴らも知性を持っているからクマやイノシシのようにはいかない」
と嘆いているとのこと。
(自分もしんどいんじゃないんですか・・・。早く休み取りなさいよ・・・。)
と心の中で突っ込みつつも
(これはいけるか・・・。)
とわずかな期待感を持つ。精神が参っているのであれば押せば投げやりになってくれるのでは、という期待感だ。しかし例のあの人に限ってそんなことにならないのではないかという根拠なき正しき考えが浮かぶ。そこで、
「軍部長は今どうしているんだ?」
ともう少し探りを入れる。彼は会話の途中で届いた妖気酒を飲んですでに酔い始めている。
「知らないね・・・。知りたくもないね・・。ただあの人独り身だから。美形なのに厳しすぎて。だから、軍令部で一人寂しく寝てるんじゃないの~?」
(かわいそうだなぁ・・・あの人・・・。)
部下にそこまで言われてしかもまさかの独り身って・・・。僕は聞いたことを少し後悔して軍部長へ同情する。というよりうちの部長陣かわいそうな人しかいないな・・・。
しかしそんなしんみりとした気持ちをよそに段々と酒に酔った迅は僕にダルがらみしてくる。
「ほぉら~。おまえものみなよぉ~。ヒック。」
前に一回のみ比べをしたとき、僕の惨敗だった。僕はお猪口一杯でKOされたのに、彼は一升瓶を飲み干したのだ。
(飲まないでよかった。たぶん僕は死んでたな)
と安どする。
もし酒のせいでダルがらみされたとしても僕はこいつの酔いを醒まさせるための方法を知っている。
「実は明日軍部に用ができてな、軍部長に伝言やら、者やらを届けに行く予定なんだ。」
「あ~そ~。どんま~い。がんばってね~。俺は山で見張りだから全然関係ないね~」
完全に他人事だった。どうでもいいと顔に書いてあるようだった。しかし、
「お前もついてこい。」
お前もついてこいーーーー
この言葉は夢見心地の彼を一瞬で現実に引き戻した。あの赤くなっている顔は一瞬で青白く変わる。
「い、いやだ。いやだぞ。対面とかホント無理だから・・・。だからいやでーす。」
耳をふさいで拒否する迅だが、弱みを握った私は強かった。
「じゃあ、今までの会話内容を言いつけちゃおっかな~。あの人に。」
「ぐぬぬ。卑怯な真似を・・・。」
「調子に乗ったお前が悪い。」
僕がバッサリと切り捨てるとあいつは観念して了承してくれた。
「でも、俺は道案内するだけだからな。陰に隠れてるからね!」
「わかってる。」
「くっそ~。やけ酒だ~。」
「やめとけ。余計二日酔いひどくなるぞ。」
そうして我々は久しぶりの会食を楽しんだ。しばらく会話が弾み、共感できる話題もあった。しかし、ラストオーダーの時間が来た。
「そろそろ会計しよう。」
そういって店員を呼ぶ。
「お会計 3700銭になります。」
店員は小銭カウンターという機械を差し出した。
その中に小銭を入れるとすぐにその額を数えてくれる。この町は紙幣がない。そこまでの信用と偽造防止の技術がないのだ。
彼と店を出ると迅はやはりふらついていた。
結局、彼を肩車して家まで送り自分も帰路に就く。
(ちゃんとビビらずに会話できますように)
という願いを胸に秘めながら。
第一話 おしまい