第15話 俺に話しちまって良いのか?
「用意はバッチリだね、タイキ」
「……ああ。まかせとけ」
この日のために用意された、上等な上着に袖を通す。たった6日間で、仕立屋はよくやってくれた。
泰樹の髪の色に合わせて、上着は黒。刺繍は金糸。インナーは臙脂、ゆったりとしたズボンも黒だ。
素足に先の尖った形の靴を履き、これで準備はオーケー。
今日も、もちろん念入りにヒゲをあたってある。人前に出るのに、清潔感は大切だからな、うん。
「これを、タイキ様」
シーモスは香水びんを持ちだして、エキゾチックな男っぽい香りを泰樹に振りかける。
「香水? 何だかいい匂いだな」
「これは、タイキ様を誤魔化すためのモノでございます」
「……俺、そんなに匂うか?」
ショックを隠しきれない泰樹は、思わず自分の袖を嗅いでみる。今は、香水の艶っぽい匂いしかしない。
「いいえ。タイキ様の体臭は、とても良い香りだと思いますよ? これは、タイキ様の印象を薄めるために、認識を阻害させる魔法薬を混ぜてございます。タイキ様のお顔をはっきり覚えている者は、少ない方がよろしいですから」
「そんな魔法使っちゃって、大丈夫なの?」
気づかわしげに訊くイリスが、くんくんと泰樹の襟の匂いを嗅いでいる。
「ええ、これは気休め程度ですから、お目こぼしいただけるでしょう。魔法を能くされる幻魔様には、あまり意味はございませんしね」
「……用心のためってヤツか?」
イリスとシーモスがそんなにも恐れる『議会』とは、いったいどんな恐ろしい場所なのだろう。泰樹は気を引き締めて、唇を固く結んだ。
「はい。用心ついでに、こちらもお持ち下さい」
泰樹の手にもう一つ、香水入れのような小びんを握らせて、シーモスは真顔になる。
「こちらはお守りです。身の危険を感じたときにたたき割って下さいませ」
身の危険ならいつも感じてるけどな。そう言いたい気持ちを飲み込んで、泰樹は小びんを受け取った。
「残念ながら、私は議場に入れません。後はイリス様とタイキ様次第。今までの練習をお忘れ無きよう」
自力で魔人になったシーモスは、イリスの所有物と見なされない。従って議場に入れず、控えの間で待たなくてはならない、らしい。
三人の中では一番弁の立つシーモスが議場に入れないのは痛手だが、そのための想定問答集である。そのための厳しい練習であった。
「よし、いこう。タイキ。お披露目に……!」
泰樹とイリスは何かをやり遂げた者の顔をして、魔獣の引く車に乗り込んだ。
『使徒議会』の議場は、魔の王の城にあった。魔の王の城は『島』の中心部、幻魔たちの屋敷に取り囲まれて建っている。
イリスの屋敷は、幻魔たちの邸宅の中では市街地に近い外縁部に当たる。城までは魔獣の引く車、魔獣車で10分ほど。歩いて向かっても問題は無いほどで、たいした距離では無い。
それでも魔獣車を使うのは、幻魔としての体面があるのだろう。
「……ところで、なんで幻魔の『議会』のことを『使徒議会』なんて呼ぶんだ?」
魔獣車の中で泰樹が発した疑問に、シーモスが答える。
「ああ、それは、幻魔の皆さまは『島』の一般の方々に『使徒様』と呼ばれているからでございますよ。この『島』の民を導く魔の王様に従う『使徒』、と言うことです」
「ふうん。なんとなく、わかったようなわからねえような……」
首をひねる泰樹に向かって、イリスはいつになく真面目な顔をしてみせる。意を決したように一度深呼吸して、彼の口から出た言葉は驚くべきモノだった。
「……あのね、タイキ。『方舟』の普通の人たちは、『島』の外の世界はもう壊れちゃってて、荒野が広がってるって思ってるの。その方が、この『島』から出られないって事に気持ちの整理がつくから、『議会』にとって都合が良いんだよ。でもね、ホントはそんなことは無いんだ。世界はとっても広くてキレイなんだよ。僕も、自分の眼で見たことは無いけれど……でも、それは幻魔と魔人の秘密なんだ」
一般の人びとには、知らされていない恐ろしい真実。どうして、イリスはそれを話してくれるのだろう。泰樹は言葉に詰まった。
「……それ、秘密なら、俺に話しちまって良いのか?」
「うん。タイキは『マレビト』、ううん。『ソトビト』だからね。外から来た人は『島』の外が荒野じゃないって、知っていて当然だもの」
「……ただし、タイキ様。この事を外部に漏らされますと、誠に残念ですが……貴方を処分する命令が『議会』から下るでしょう。私もイリス様も、それには逆らえません。ここだけの秘密にしておいてくださいませ」
「……わかった」
うなずく他はない。処分されるなんてごめんだし、イリスは自分を信頼して話してくれたのだろうと思うからだ。
「……『島』の外にはね、僕の大切な友達がいるんだ。だから僕は、その子に迷惑をかけたくない。この『島』の幻魔たち、魔人たち、誰一人だって外には出してあげない。まあ、『封印の結界』があるから、簡単にはみんな外に出られないけど」
イリスの茶色い眼の奥に、情熱の暗い炎を見た気がして、泰樹は言葉を失った。
『友達』のためにコイツはどんな手段でもとるし、どんな献身でもするつもりなのだろう。いつでも優しく朗らかなこの幻魔には、ひどく危うい一面があった。




