巫女、義理堅い
結局レナード閣下が帰って来たのは三日後の夜である。
その間の二日間はリオさんとキャッキャしたり、他の使用人達と親睦を深めて居た。
恐らく屋敷はナルハの活動拠点になるので、早く馴染んだ方が良いという判断だ。しかしそんな邪な感情で挨拶回りに行ったナルハを迎えたのは、無茶苦茶に生ぬるい視線と優しさである。
実年齢より若く見られがちな南方人種のナルハは、レナードが連れて来た女であることも相まってかなりチヤホヤされてしまった。毒気も抜かれるってもんである。
因みに、目の前でめんどくさそうに座ってる閣下は北方人種。ノーザン系とサウス系に分類される人種は、顔の作りが結構違うのだ。
北部の方が騎士文化が盛んで、南部の方が魔術文化が盛んとか、そういう差もあるのだが...この話は割愛しよう。取り急ぎ、現状の相互理解をすべきである。
「お邪魔しております、閣下。ご存知の通り、此方は無事に暗殺“されて”来ましたが。王城はどうなってました?」
座っているだけで絵になる人である。少し癖のある金髪は緩く革張りのソファに垂れ、アンニュイな雰囲気のある黄金の目は気怠げに細められている。
適当に着崩した軍服は、他の人間であればだらしないの一言で片付けられるが、美形の着崩しはただ単に格好が良くなる。顔面偏差値ってすげえな〜とナルハは思った。
「そうか、先ずは労いを送らせて欲しい。ご苦労だった」
レナードは先に戦果を誉めるタイプの上司である。こういうところがカリスマたる所以なのかも知れないのだが、ナルハは早く情報を知りたかった。
「そういうの今は良いんで、大丈夫です」と返せば、閣下は少し寂しそうにする。
「端的に言えば、君は他殺ということになった」
「...行方不明ではなく?」
「そうだ。加えて言えば、私室からは国家反逆罪に値する物品が検挙されてな。こう言ってはなんだが、自死は最善手だったかもしれない」
「えーっと、つまり?」
「あの場で斬り捨てた方が、君は幸福だったかも知れないな」
「そういう身勝手な幸福の決め付けが不幸を呼ぶんだぞ!」
閣下は真剣な眼差しで“お前多分死んだ方がマシだった”と言う。そんなに名誉が毀損されたのか?とレナードを見れば、彼は小さく頷いて立ち上がる。
そして帯刀されているシャムシールを抜いた。閣下やめて!そうじゃない!
「冗談だ」
ナルハは閣下を殴ろうとしてグーを振り上げたが、下ろす前に手首を掴まれる。
そして優しく腕を下ろされると、向かいのソファに座らされる。意味の分からない行動を挟まれたお陰で、ナルハは少し冷静になれた。閣下と話していると、ストレスで脳血管がブチギレそうである。
「話を戻そう。君の部屋から押収された文書は、我が国の分断計画が記された密書だった」
「はあ?わたしそんなの知らないですけど?」
「それはそうだ。君を陥れて始末する為に用意された偽造文書なのだからな。
しかし、その真偽を問う前に現品は何処かへ消えた。事を起こしてから君に擦り付ける気だったのが、予想外の暗殺によって頓挫したと言うことだろう。
死者相手にそのようなスケープゴートをすれば、主犯が別に居ると申告するようなものだ」
南北分断を企むということは、国を崩壊させると言うこと。それは国家反逆罪で即死級の罪である。
我が祖国、ノーザンサウス連合王国の歴史は意外と短く、ここ百年程前に誕生した国家である。
北方と呼ばれる軍事国と、南方と呼ばれる宗教国が合併して出来た、諸外国から身を守るための連合国なのだ。
自然が荒れ狂う寒冷大地に、騎士を中心とした鉄血国家、北方。
緑豊かな肥えた大地に、神官を中心とした宗教国家、南方。
北方は短期決戦では並ぶ国家が無い程の軍事力を持つが、痩せた大地に悩んでいた。年間を通して寒く、日照時間の短い大地は、農作物の取れ高が低い。長期戦になった際に、物資が枯渇するのである。
南方は魔導に優れた人間が多く生まれ、その力で豊かな恵みを享受してきた。飢えは決して訪れず、大地が痩せることもない。だが国の財である魔術師を、諸外国は奴隷として欲しがったのである。
北方は恵みの魔法を。南方は民を守る兵士を。互いに求めるものの為、手を結んだのがノーザンサウス連合国の始まりである。
共に昔は国名があったが、今はもう北方、南方と呼ばれていた。人種もかなり混ざり合って、平民は殆ど差が無くなったのだが、上流階級の人間はノーザン系とサウス系で派閥が別れている。連合国家になったところで、純血主義というのは中々無くならないという分かりやすい例だ。
「あのまま君が王城に残っていれば、今頃広場で処刑されていただろうな。
謂れのない罪で糾弾され、反論する間も無く断頭台だ。南北分断に乗じて有耶無耶のまま処断されただろう」
「そんな横暴が許されるんですか!?」
「許されるからこそ、この国の議席を入れ替える必要がある。民は国の宝だ。私欲の為に殺されることなど、あってはならない」
革命とか掲げだすから、閣下は野心家のヤバいやつだなと勝手に思っていたナルハだったが、その理念の根本は国民の為であったらしい。
しかし清廉な国のために改革を起こすという野望はやはり褒められたものでは無く、傍迷惑な革命家という印象は間違いなさそうである。それに乗じるナルハも同罪なのだが。
「我が国の議席の多くはノーザン系だ。人種関係なく平等に席を選ぶとは謳っているが、実際はそうではない」
「実力主義とは言いつつも、普通に血統至上主義の貴族社会ですもんねこの国」
「そうだ。そして君を嵌めようとしたのはノーザン系純血主義者だろう。
彼らは従順に従うサウス系は好きだが、対等以上に振る舞う相手は嫌いだ。...全く、馬鹿馬鹿しい話だな」
閣下は心底侮蔑するように息を吐いた。レナードはかなり純血に近そうなノーザン系だが、それ故に貴族社会と密接に関係あるのだろう。
ナルハは血統など関係なく、俗世間とは遠いところで暮らしていた身だ。彼の苦悩は分からないが、大変な身分だなとは思う。同情的に聞いていれば、閣下は「そこで、だ」と強く言う。重要な部分なのだろう。
「純血主義者を一人ずつ失脚させて、平等を人為的に作り出す」
思ったより脳筋の発想で吹き出しかけた。
草と言い掛けた己の口を封じたナルハは今世界で一番偉い。
煌めく黄金の目は、真剣に物騒なことを言っている。いや、言ってることはわかる。腐ったみかんは取り除かないと、どんどん増えて手に負えなくなる。だから国ごと腐敗する前に、一つずつ消していこうという話だ。実にシンプルでわかりやすい。
しかし暴力的すぎないか?とナルハは強く思ったが、偉いので閉口した。話の腰を折るとばっちり理解していたからである。流石だぞ!と褒めて欲しい。
「目には目を、歯には歯を。弱者に押し付けた理不尽の代償は、同じく理不尽に与えられても仕方があるまい」
理不尽だと理解しているだけ賢いが、閣下の言動は大変にヒールである。顔はもう、それはそれは麗しく、実は愛人の息子で隠し子の王子様と言われても「へー!」と思う程度には整っていらっしゃるのだが。
あんまりにも悪役っぽいことばかり仰られるので、ナルハは「もしかして担いではいけない片棒なのでは?」と疑い始めている。
この辺りで閣下の婚約者だとか、閣下を助けようとする幼馴染の悪役令嬢とかが現れて、直接的に計画の後押しをしたナルハという悪女を断罪するんじゃないのか。
ナルハは巷で流行りの悪役令嬢小説の当て馬ヒロインとかなのではないか?とやや疑念も浮上するのだが、ネット小説の読みすぎだなと一旦落ち着くことにした。
そんなナルハの怯えなど知らない閣下は、今後の計画を話し始める。
「君には王立学院へ編入して貰う。
そこで第一王子と話をして来てくれないか。今後の政策の為、癒着或いは陥落を進めて欲しい」
「癒着あるいは陥落」
突然ナルハの悪女レベルが上がった。
絶対これ悪役令嬢に断罪されるタイプのヒロイン枠だよ!と震え上がったが、閣下は気にも留めない。こんなとんでもないことを言い出すお人なのだ。一般人の五十三万倍くらい図太いに決まっていた。
「そうだ。純血主義者が王子を中心に結託するのなら、そこを潰すのが正解だろう。
彼を失脚させても良いし、同調しないように説得してもいい。万が一にも見染められることがあれば、そのまま乗っても構わない」
「こちらは構いますが?」
閣下の言い分はわかる。第一王子は正真正銘のプリンスだが、在学中は一生徒として扱われる。
共に勉学に励む以上、贔屓は無いというのが王立学校の基本思想だ。この辺りは現代の学校にも通じるものがある。王族、皇族、ロイヤリティ溢れる身分の人間も、同じ物差しで測られ、ある程度は同じ立場で勉学に励む。
その制度の穴をついて、一般女子高生のフリをしたナルハに接触して来いと言うのだ。
レナード閣下は高い身分であり、王子との会合も可能だろう。だが、“身分が高すぎる”。
そして何より、閣下は誤解を受けやすいタイプだ。絶対乗っ取りと叛逆が目的だと思われる。これは偏見だが、賭けてもいい。閣下は美しい悪人ヅラだ。シュミレーションゲームとかに出てくる、仲間になりそうで仲間に出来ないタイプの美形黒騎士みたいな顔をしている。ラスボス一歩手前の幹部顔と言えばいいか。終章の2、3章前...16章とかで出てくる顔なんだ。国宝の槍とか剣とか持ってるタイプの。幸運値が低い顔と言い直してもいい。
癒着に失敗して決裂となれば、国はあっさり崩壊するし、閣下は直々に出向いたら失敗する系列の顔をしていた。
国の実質的な次期トップと、軍事力のトップ。ここが揉めたらマジでやばい。語彙力が低くて大変恐縮であるが、やばいの最大表現“マジでやばい”だ。
それなら別の人間を主体として話を進めて、いざ同調されたタイミングで閣下を後出した方が低リスク。
もし仮に失敗して断罪されても、平民ごときの妄想を裁いた王子は反感を買うだろう。ついでに特大爆弾であるナルハも消えるならメリットしかない。それならば純血主義の旗本を削ぎたい閣下の目的は果たされていると言える。
ローリスクハイリターンなのだこの計画は。それはとてもよくわかる。
完璧な作戦であるとは思う。ただ一点の致命的な欠陥を除いて。
「可哀想だと思いませんか?二十過ぎた成人女を学生の巣窟に送り込むの」
ナルハは今年で二十二。今は二十一才である。三年前に王立学院の魔術課程を納めているのだ。
想像してみてほしい。二十過ぎてもう一度女子高生の制服に袖を通す苦痛。成人を過ぎて、ヤンチャも収まりやっと心もそれなりに大人になってきた頃合いである。この男は、成人女にもう一度女子高生になれと言っている。
「大丈夫だ、君ならば十七歳でも通るだろう。二学年に編入し、君のその類い稀なる対話能力で王子を陥落させて来てくれ」
何も大丈夫じゃない。全然大丈夫じゃない。マジで全く大丈夫じゃない。
ふざけたことを抜かすなよと閣下を見たが、レナードの目は本気である。ナルハは内心泣いた。行く末を知ってしまったからである。
顔も名前も誰にも知られていないナルハ。若く見える容姿。嘗て居た学舎。納める必要のない学習課程。それらの圧倒的なアドバンテージ。
閣下の部下にも信用に足る女性は居るだろう。レナードはノーザン系の純血だが、平等を謳う。きっと部下にも“若く見える”サウス系は沢山いる。
しかし顔が割れていないナルハ以上の適任が居ないのは間違いなく、分かりたくないが分かってしまった。
パイプ役として送り出すのであれば、全てに置いてナルハが最善であり、最適解。
理解してしまったナルハは、もう諦め半分で嫌味を飛ばすくらいしか出来ることがない。
「そら閣下よりは人と話すの得意ですけどね。閣下と比べたらね。閣下は軍人以外と話すの得意じゃないですもんね。お友達いないし」
「二階級特進が良かっただろうか?」
「十七歳です、よろしくお願いします!」
大人気ない嫌味には大人気ないストレートな返答が与えられた。
現実逃避を始めたナルハは今までの情報を整理する。日曜朝八時半から放送している感じで説明する。
あたし、ナルハ!国を守る神官、雨天の巫女なの☆でも、命を狙う悪い影が...!?暗殺されそうになったあたしを助けてくれたのは、イケメンの騎士、”金獅子“...!?
わかった。あたし、年齢と身分を隠して、純血主義者と戦うわ!王子様を説得して、この腐った国に鉄槌を下すの!十七才の学院ライフ、始まるよ☆
素直に打ち切られろと思った。
既にナルハは乗ってしまった泥舟を漕ぎ出す気持ちでいるが、そのままハイハイ従うのは癪だったし、物事には達成報酬が必要だ。
十七歳のコスプレをして、今更女子学生になってやるのだ。それなりの戦果というものを頂かなくてはなるまい。
「閣下」
「なんだ」
真面目なトーンで語り掛ける。
神に祈りを捧げる時のように。静かに、厳かに。閣下は少し驚いたようだが、短く返答を返した。
「わたしは正直、貴方の野望を手伝う理由がありません。今ここで適当頷いて、逃げたっていいんです。このまま民衆に紛れて、第二の生を謳歌したって良いんですよ。
その辺りは如何でしょうか?わたしを使うと言うのなら、それなりの報酬を頂きたい」
「君は交渉が...その...得意ではないのだな。わざわざ私に逃げる可能性を提示するとは...君の正直なところは大変好感を覚える。美点だとも思うのだが...」
「話の腰を折らないで頂けますか?」
レナードは気の毒そうに此方を見た。
真面目な雰囲気は一瞬で霧散して跡形もなく消えてなくなる。ナルハは閣下の天然ボケにも突っ込まず、話の腰を折らないよう我慢をしている。しかし閣下は持ち前の天然でガンガン話の腰を折るタイプであった。幾ら顔が良くても許せねえ部分である。
「それを切り出すのであれば、私が帯刀して居ない時に聞いた方がいい。
君はわたしを信用してくれているようだが、武器を持った男に脅しを掛けるのは危ない。今後気を付けるべきだ」
閣下は真っ当な正論でナルハを嗜めたが、なるはやで死んでこいって言った人間の発言とは思えなかった。
脅して来たお前が言うんか〜い!と突っ込まなかったナルハは世界で一番偉い。
もう会話に疲れて来たナルハに、レナードは真剣な顔で言う。真っ直ぐに此方を見て、少し口角を上げる表情なんかはやっぱり悪役のそれである。
「私からの報酬は何でもいい。貴殿が望むものを与えよう。学院卒業後の進路でも、領地でも、遊んで暮らせる金でもいい。隣国へ逃亡すると言うのなら、船を出そう。
だが、今すぐに提示出来る最大の物は...これだ」
レナードは小さな円盤を取り出した。
この国には意外にも、音声を保存する魔術などはまだ存在して無いのだが、レコード盤に音を書き込む技術は確立している。
多分、転生者によって持ち込まれたそれは、増幅と透過の魔術と合わせてボイスレコーダーのような役割を果たしていた。
そこでふと思う。カリスマのスキル取得条件を。あれらは王族がよく持って生まれてくるスキルであるが、所持者が一般人であった場合。
それは大抵、“扇動”の才能に名称が与えられたものだ。稀代のペテン師だったり、神の代弁者であったり。或いは人を煽るのが異常に上手い、一級戦犯だったりだ。
考え事をしていたナルハを引き戻したのは、レコードの芯が盤面を引っ掻く音。ザ...ザザ...と最初はノイズのようだった音声が、閣下の指パッチン一つでクリアになる。
魔術と化学の併用は、この国をやたらとシャレオツな世界観にした。やけにカッコよく決まった閣下を背景に、レコードが音を再生する。
“神官が暗殺されるなど、あってはならぬことです”
閣下の一声で始まった会話は、厳かな雰囲気で進む。
レナードは声だけであってもカリスマが伝わる人間である。音声だけであるが、周りの気圧された雰囲気が読み取れた。
”由々しき事態ですな。城の警備を増員するべきだ”
“ヤデシネ殿...彼女はまだ若かったと言うのに”
この壮年後期の声はナルハの知り合いである。彼はノーザン系なのだが、息子の嫁はサウス系で、孫とナルハの歳が近いのだと言う。初年度は直属の上司だったのもあって、随分可愛がって貰った。
ナルハの死を哀しんでくれる人間など居ないのでは?と勝手に思っていたのだが、その認識を恥じた。軍人の声の震えは録音からでも分かるほどだった。
“しかし雨天の巫女殿は神殿内で殺されたのだとか”
“こう言ってはなんですが、彼女はやはり相応しくない人間だったのでは?“
「は?」
閣下が「録音だぞ」と言いたげな目で見てくる。しかし、反射でキレてしまったのだから仕方がないだろう。
思わず立ち上がってしまったが、一度落ち着こうと腰を下ろした。聞こえてくるのは不愉快な会話である。
”その通りだな。結界の貼られた神殿内で射殺されるなど、実力が足りなかった証拠ですぞ“
“能力が弱く、融通も効かない。任期満了を待たずに二階級特進。全く、死んでも迷惑を掛けるとは”
“実につまらぬ娘であった。ローブを脱いでみせよと言っても、慣習の一点張り。陰気な性格に似合いの、見せられぬ顔をしていたのでしょうなあ”
“貴様ら...!我が国の平穏は彼女たちが祈っているからこそ保たれているッ!口を慎め!”
“その役目が担えてなかったと言っておるのですよ。わかりませんかねえ”
”もっと賢くて、従順なサウス系を連れて来るべきですな“
ナルハへの侮辱もそうだが、ナルハを庇う老騎士までもが愚弄されている。
自分が悪く言われるのも普通に頭に来るが、自分に優しくしてくれる人間が悪く言われる方がもっと頭に来るとナルハは思い知った。
ブン殴りたい衝動を抑えながら続きを聞けば、思わず萎縮してしまうような声が場を鎮める。
“無駄口は謹むべきだ。そうだろう“
水を打ったような静けさが訪れた。
レナードが稀代のカリスマたる所以はこの辺りにあるのだろうと、ナルハはぼんやり思う。
“ン、ンン。ところで、次の巫女ですが────。
そこで針は上げられた。これ以上の再生は要らないということだろう。
ソファの上で、その長い御御足を組んだ閣下はナルハを試す様に見る。レナード閣下は冷たい美貌の男性であったが、その瞳は挑戦的だった。
「君には復讐の機会が与えられる。それは唯一無二の報酬だ」
ナルハは笑った。完璧に形作った笑顔で、閣下に声を掛ける。
「閣下」
ナルハは人生二周目だ。死んだのも今くらいの年齢なので、精神年齢こそ全く変動がないが、二周目だ。
そこらのティーンよりはずっと落ち着いているし、世の中には無駄な労力というものがあるのも知っている。“やられたらやり返す”という思想なんかは、その最たる例だ。全くもって無駄なのだ。コストもかかるし、心労もかかる。
ざまあというコンテンツになるのは疲れるのだ。どうせざまあするなら、自分が手を汚さずに、相手が勝手に破滅する方が気持ちいいと思う。他力本願の方が、ハッピーになれる。
みんな幸せになりたいけど、自分で手を下すのは嫌なのだ。めんどくさいし、泥臭いから。
“大人”が一歩譲って、水に流すのがスマートでクールな生き方なのだ。
だから勿論、ナルハがそんな低レベルな名誉毀損で怒るわけ─────。
「共にこの国を滅ぼしましょう」
「そこまでは言っていない」
( ´_ゝ`)
現在の立ち位置、ナルハ=ヤデシネ死亡。
今後の基盤、学生生活。
最終目標、王子に取り入る。
あんまりにもあんまりな作戦会議が終わった。脳内で文字にすると本当に酷くて笑うしかない。
こちらが胃をキリキリさせていることを理解しているのかしていないのか、レナード閣下はまだナルハを見ていた。もう客間に戻っていいか?と聞きたかったのだが、彼方は他に話すことがあるらしい。
「まだ何か?」
閣下は少し悩むような素振りを見せたが、話すことを決めたようだ。
「先程の話とは無関係なのだが」そう前置いて、口を閉じる。やっぱり言うか言わないか悩んでいるらしい。微妙なところで切られても、こちらがもやもやするだけである。
切り込んでしまった方が互いにスッキリすると思うのだが、レナードは変なところで躊躇をするタイプらしい。
「ナルハというのは、君の名前で間違いないだろうか?」
そんなことを聞きあぐねていたのかと一瞬思ったが、閣下は慣習を守るナルハを評価していた。
もしかすると、ナルハが神の教えを厳守する敬虔な信者だと思っていたのかもしれない。名前を神以外に知られるのは嫌がると。
それは誤解であったが、宗教を重んじる人間の多数はそっちだ。配慮するのも分かる。
意外なところで見える閣下の気遣いに感心しつつも、そんなに重く捉えたことはないと断りを入れる。
「そうです、わたしの実名になります。もう洗礼名を名乗ることはありませんからね。
熱心な信者という訳ではないので、普通に呼んでくれて結構ですよ」
「そうか」
淡白な返答にそんなものかと思えば、閣下の言葉はそれで終わりではなかった。
ソファから立ち上がったレナードは、ナルハの前に膝を折る。いつ間にか整えられた軍服は、金獅子と称される閣下の美貌を強調させた。恐ろしいほどに整った顔の男が、ナルハの前に手を差し出す。
身分が上の女性をダンスに誘うような、まるで此方を姫扱いするような行動に面食らえば、閣下は努めて真摯な声で言う。
「どうか、私に名を教えてくれないか。
先に知ってしまってはいるが、今一度名乗って欲しい。私だけの為に」
そんな大袈裟な、とナルハは茶化そうとしたが、レナードは真剣にそう言っている。
たかだが平民の名前ひとつでと卑下するのは、ナルハの名を知りたいと思ってくれている閣下に失礼だろう。過剰な謙遜はこちらを評価してくれている相手も侮辱することになる。
ナルハは閣下の手に指を乗せて、彼に二度目の自己紹介をする。
「わたしはナルハ。ナルハと申します」
彼にしては珍しい、喜色を隠しきれない笑い声が耳に届いた。手を引かれて立ち上がれば、美しい顔がそこにある。
「君はナルハと言うんだな」
閣下は穏やかに微笑む。普段は威圧的な黄金の瞳が優しく細められて、人差し指がナルハの髪に触れる。そのまま親指で挟むようにして、一房持ち上げられた。
甘やかな雰囲気に内心で驚くが、ノーザン系の伝統文化はレディファーストというか、女性を姫のように扱う風習が根強い。長らく軍属であったので、そういった文化に接する機会はほぼ無く「近い近い」と率直に思うナルハだったが、努めて平静を保った。
彼からナルハに対する最大限の敬意だと素直に受け取り、こちらも微笑み返す。
「私は決して短くない期間を君と過ごして来たが、名を知る日は来ないと思っていたよ」
「わたしも閣下に名乗る日が来るとは思いませんでしたね」
素直な感想である。
ナルハは洗礼名であるヤデシネだけを名乗り、雨天の巫女として生きて死ぬと思っていた。この国の為に祈り、願い、適当に暮らして行くのだと。
こうして閣下に名乗っているのは数奇な運命としか言いようがないのだが、少なくともレナードとナルハは信用に足る共犯者で、嵌められて殺されたけど復讐先もある。痛い思いも、露頭に迷うこともしていない。結構恵まれている部類な気がする。
「この髪も、瞳も。君が貶められなければ知ることは無かったのだから、皮肉なものだ。
想像よりもかわいらしい顔をしているから、驚いてはいるが」
「どのような顔を想像していました?上層部のアホが言うように、見せられない顔だと?」
「...根に持っているのだな」
「それは勿論。美醜に関わらず、人をそのように言うことは万死に値します。言語道断ですよ」
ナルハは絶対にセクハラを許さない。
今後相まみえる機会があれば、必ずしばく。血統差別は気に食わないが、性差別も気に食わない。どうせ反社会的存在アンダーグラウンドの住人になるのなら、徹底的にやりたいことをしようと思う。
闘志に燃えるナルハを見た閣下はおかしそうに笑った。レナードは表情が硬い風に思われがちだが、案外とよく笑うタイプである。
「君は聡明で慈悲深く、他者が思うよりも情が深い。そして感情的で、誰が相手でも比較的すぐに手が出る。おまけに平手では無く握り拳だ」
後半褒めてんのか?
「私はそんな君が好ましいと思っている」
後半もか?
ナルハのじっとりした視線をスルーした閣下は、相変わらず笑ってはいたものの、目尻を少し下げた。
寂しげな微笑みで、静かに懺悔をする。赦しを乞うようにナルハの手を握ったが、彼が申し訳なさそうにする理由は無い。悪いのは腐った施政者たちで、レナードが謝罪するようなことは無いのだ。
「君の汚名を注がなかったこと。無実の君を脅し、送り出すこと。命を拾ったと言うのに、再び危険に身を晒させること。
酷い友人だと思ってくれて構わない」
それでも彼は謝る。この男はルックスと立場に似合わず、性根が甘く、優しいのである。今のナルハは存在しない人間で、切り捨てられて当然の生命だと言うのに。
哀しそうに目を伏せた閣下は、憐憫を隠さないまま微笑む。被害者でありながら、閣下の策略にも関与しなければならないナルハを可哀想だと思っているのだろう。しかし、そう思われるのは心外だった。
「だが、君が了承してくれたこと。それを私は、とても嬉しく思うよ」
本当はナルハも気付いている。
国家分断のキーがナルハなら、このような仕事をさせずに素直に殺すのが最適だったこと。生きていることが明るみになれば、今度こそ利用されるということ。
連合国家を分断する程の民族対立を起こすには、雨天の巫女が最適な生贄だったのだ。国の中枢に居る特権階級であり、サウス系民族。平民であり、後ろ盾も無い。
その条件を満たすのはナルハだけだ。生きる特大地雷とも言える。ナルハを生かすのはリスクの方が大きく、決して賢明な選択ではない。
別に復讐なんてのはいいのだ。頭にきたのは本当であるし、殴れるなら殴りたい。だが、それは”ついで“で、乗った本当の理由は別にある。最初から賛同する気で、建前として報酬を強請っただけだ。
閣下がナルハの死ななければならない理由を伏せるなら、こちらも気付かないフリをしたと言うだけ。
ナルハはよく分かっている。
閣下がナルハを助けたのは私情十割であると。計画に引き込んだ真意こそ分からないままであるが、此方を助けて生かしたのは、彼の情でしかない。
閣下は見た目こそ冷ややかな美青年であるが、その実かなり情に厚いとナルハは知っている。
その友情に応えたいと思うのは、当然のことだろう。




