巫女、圧を掛けられる
「雨天の巫女、開けなさい!」
もう就寝しようとしていたナルハは、激しいノックで叩き起こされる。
腐っても特権階級者で、割としっかりとした身分を持っているナルハの自室のドアをブッ壊しそうな勢いで叩く人間はそうそう居ない。
平均的な成人男性と比べると割と高く、艶やかな声。その声の持ち主は、ナルハの同僚である。のっそり立ち上がり、すぐにドアを開けようとしたが、思い止まる。
速攻で開けたら「開ける前にドアの前の人間を確認しなさい!」とキャンキャン言われるのは目に見えていた。
訪問者は、かなり面倒臭い知り合いである。
「どなたでしょうか。名を名乗ってください」
「ナオナ=ノレイです!言わずとも分かるでしょうが!」
理不尽な反応に怒る前に、ナルハは吹き出しそうになった。人のことは言えないのだが、出オチだったからである。
ノブを回せば、かわいらしい顔に怒りを浮かべる男が仁王立ちしていた。
少し傷んだ赤髪の癖毛に、きゅるんとした丸い目。そばかすが青年の可愛らしさを強調する。眉毛は吊り上がっているが、好戦的なポメラニアンだな以上の感想は出ない。
このキュートな女顔だが身長は妙に高くて此方の脳をバグらせてくる神官は、数少ない学生時代からの知り合いである。
ナルハは当時偽名を使っていた(洗礼名しか名乗らない女という時点で就職先がバレ、汚職や癒着を招くからである)のだが、卒業後、同じ職場で出会したときに何故かノレイにはバレたのだ。認識阻害の魔術をブチ破って、彼はナルハを見つけた。
仲は割と悪い方なのだが、本当はこいつわたしのこと好きか?
犬猿の仲...という訳ではないが、優等生気質のノレイ神官は割と問題児寄りのナルハと折り合いが悪い。
普段温厚で穏やかなフリをしている彼だが、ナルハと話す時は九割方キレてる。
「サウス教皇がお呼びです。...貴女何したんですか?」
じっとりした目でノレイはナルハを見た。
知らない間にまた何かやっちゃいました?と茶化そうかと思ったが、ノレイ神官は湯沸かし器より沸騰するのが早い。すぐティファる。
女騎士のような性格をしたこの男(しかし、くっ、殺せ!は言わない。くっ、殺す!は言っていた)に余計な事を言うと盛大にキレ散らかすのは見えていたので、率直に答える。
「全くわからん」
「お前と言うやつは...!」
正直に答えたのにノレイはキレた。人間って難しいね。
「学生時代から貴方はそうだった!いつも不真面目で、不用意に目を付けられる!もう少し大人しく出来ないのですか!」
「今回こそはわたし悪くないかもしれない」
「その発言が出る時点で殆ど貴方が悪いんですよ」
隣を歩くノレイは指を折りながらナルハの悪行を数え始める。
ナルハは別にそこまで悪いことはしてないのだが、売られた喧嘩は買う主義であった。
それを当時のクラス委員のようなものであったノレイにかなり咎められている。若いのに説教臭い男である。
「あの時も貴方は”今回は悪くないかもしれない“と宣いましたが、内容を聞いて非難した僕をパンで殴りましたね」
「殴られた貴方も“くっ、殺す!”って言いながら火球飛ばして来たからおあいこだと思うのですが」
ノレイは大きく咳をした。彼の完璧な経歴に一度だけ刻まれた“流血沙汰による一週間の謹慎”は、ノレイにとって忘れたい不祥事らしい。自分で掘り返した癖に迂闊なやつである。
ナルハは軽度の火傷を負い、彼方は打撲を負った。魔術で治るとは言え、同門の仲間内での諍いは罰則の対象である。
ナオナ=ノレイは穏やかで温厚に振る舞っているが、その実かなり短気で頭に血が上りやすいタイプの男だ。
ナルハも同じタイプの人間なのだが、自身を律して隠しているタイプのノレイに取って、オープンにしているナルハは目に余る存在のようだった。同族嫌悪ってやつである。
あと初めて会った時に、まだ第二次性徴が来ていなかったノレイに対して「何処のクラスの娘?かわいいね」と言ったのが致命的だったのかもしれない。
「貴方が驚く程に考え無しで、常時適当に生きている愚か者であるとは僕も知っています。しかし、今すぐ生き方を悔い改めるべきだ」
ノレイは静かに言った。長い廊下を、冷ややかな声が反響する。
荒げた声ばかり聞いていたので、冷静に告げるノレイはそれだけ真剣に話を切り出そうとしているのだろう。
ナルハは彼と仲が悪いが、会話を拒絶するほど無礼では無い。静かに続きを待つ。
「貴方を狙う暗殺者について、予測は付いていますか?」
「全く。どこの派閥の人間かさえも分かりませんね」
「そうですか。でしたらお教えしましょう。貴方を抹殺するのは死神ですよ。ご存知でしょう、有名な暗殺者ですから」
死神というのは、名無しの殺し屋に世間が勝手に付けた名前である。
性別不詳、年齢も出自も分からない。国の平和を脅かす人間に裁きを与えるという話だ。
それはそれは長いこと死神伝説は存在しているので、本当は政府の秘密警察で、死神は襲名性なのでは?というのが都市伝説として囁かれている。
意外とずっと空席の天雷の巫女とかがその枠だったらロマンあるよなあとナルハは不謹慎だが思っている。
殺し方は様々だが、ターゲットは必ず政府の要人。そして反体制分子であり、争いの火種である事が多い。
現場には必ず焼け焦げた跡が残っており、炎、或いは雷を操っているとの噂だ。
他の犠牲者を出さず、目撃者も出さず、ターゲットだけをピンポイントで殺す事から死神と呼ばれている。
ノレイは死神の仕業だと断定したが、どういうことだろうか?尋ねてみれば、少し言い噤んでから話し始める。
「彼が殺すのは、政府にとって邪魔になる人間だけです。自覚はありますか?」
ストレートな罵倒である。ナルハの存在が政治に邪魔だと言われている。
ノレイの川底に煌めく宝石のような瞳が、薄暗い色を写してナルハを見た。
この青年は太陽が似合う美しい色彩を纏った男であるのだが、時々どうしようもなく仄暗い雰囲気を纏うことがある。
「貴方は命を狙われています。死にたくなければ、早く何処かへお逃げなさい。死神はきっと、巫女でない貴方は殺さない」
ナルハは少し驚いた。
ノレイは誰よりも生真面目で模範的な神官だ。学生時代から彼を知っているが、その勤勉さを買われて王立学院の講師枠に推薦を貰ったくらいにド級の真面目ちゃんである。
閣下同様、逃亡を助長するような発言をするタイプには思えない。
「ノレイもそんなこと言うんですね」
「此方は真面目に進言しているというのに、お前と言うやつは...!」
以降、口を聞いてくれなくなった。余程頭に来たらしい。
そのまま静かにこの国の最高権力者の片方である、女教皇の元へと連れて来られたナルハは息を吐く。
一度怒らせたノレイは、過去を思い出してキレる...思い出しギレを行うので、中々気を使うのである。
怒らせなければ良いという話ではあるが、前述の通り犬猿の仲なので無理な話だ。
「ナオナ=ノレイ。下がりなさい。ヤデシネを連れて来る任務、ご苦労でした」
「...はい」
ノレイは静かに部屋を出て行った。少しだけ名残惜しそうというか、ナルハと女教皇の話に興味が有るような雰囲気であったが、勤勉な彼は無駄口を叩かずに立ち去る。意外と野次馬根性があるタイプなのかもしれない。
「お早う、調子は如何かしら?」
「...良い夜ですね、教皇様。ぼちぼちですと報告致します」
開幕から嫌味が飛んで来る。ナルハは嫌な顔で挨拶を返した。
艶やかで美しい銀髪に、鈍く輝く黄金の瞳。威厳を感じる荘厳な雰囲気は、この国の最高権力者に相応しい。既に四十を過ぎているというのに全くそうは見えない顔立ちは、彼女のミステリアスな雰囲気を強調させる。
「そう、良かったわ」と言う割には、全く内心の見えない無感情な声。
純白の礼服に身を包んだ女性は、冷ややかな目でナルハを見下ろした。
「ナルハ=ヤデシネ。貴方には死んで頂くことになったの」
「は?」
祖国の話をしよう。この国は、多民族多国家が協定を結んで成立した、連合国家である。
軍事国家である北方、宗教国家である南方、その間にあった文化の混ざり合う名も無き国が合体して出来たノーザンサウス王国は、代表の君主こそ“国王”...北方であるノーザン系の王が務めているが、同時に南方であるサウス系の代表“女教皇”も採用されている。
ノーザンサウス王国の王妃陛下であるサウス教皇は、ノーザン王の正妻(不足の事態に備えて、両王は側室を持つことが許されている)であると同時に、ナルハたち神官を束ねる教会のトップ、”女教皇“の立場で有らせられる。
ナルハの前任の雨天の巫女というのは彼女であり、この国では特権階級を持った神官である巫女が教皇に成り、王と同じ権力を持った女教皇が王妃として迎えられるのが長年の風習である。
たまにそうならなかった時は、両王の子供を婚約させて行く。王妃陛下であるのはその為だ。
補足をすると、ノーザン系は大多数が王妃陛下と呼び、サウス系は大多数が教皇と呼んでいる。勿論、枠組みから外れる人間も居る。
我々サウス系の礎は宗教であるが、隣人にまで同じ神を押し付けない。王妃陛下という特殊な敬称は、そういう配慮の上に発生している。
つまるところ、騎士と神官、どちらにも強すぎる権力が行かぬように、また連合国としての結束を物理的に作るために、代表同士が婚姻を結んでいるのだ。
議会があるとは言え君主制で、最高権力者が二人居る為に派閥争いも凄いが。
「ま、なるはやでお死になさいってことね」
サウス教皇の言葉に、ナルハは露骨に嫌な顔をしてしまった。顔が隠れているので分からないが、雰囲気でめんどくささが出てしまったらしい。教皇はじっとりとナルハを見た。だって教皇様が寒いギャグ飛ばすから!
因みにナルハに”ヤデシネ“というクソ洗礼名を授けたのは彼女であり、ナオナに“ノレイ”というクソ洗礼名を授けたのも、晴天の巫女アレルヤの後続に“ハレルヤ”とかいう洗礼名を授けたのも彼女だ。
サウス教皇は間違いなく前世がJ言語の者であったのだが、転生者は記憶が完全であるパターンはあまり無い。彼女の場合は、前世の記憶は殆ど無いし前世を知覚しては居ないのだが、ワードとセンスをぼんやりと引き継いでいる。夢の中で見る妄想の世界とでも思っているのだろう。
いや、実は前世など全て無いのでは?我々が知覚している”チキウ“や“キョート”は本当は夢なのでは?考え出すとキリがない。この話は保留にしておくのが一番精神衛生に良い。
「なんだか意味がありそうで素敵でしょう」と彼女が意気揚々と付ける名前は、次元の壁を超えて遥か遠いJの国では意味を持った文章になってしまう。そういう話である。
前世が半端にあるという弊害はかなり大きく、城の外壁の名称は“ウォールリバイ”であったし、愛犬の名前は“ホットドッグ”。戦艦は“七つの1peace”。七つなのか一つなのかはっきりしろ!
それとなく遠回しに「ヤデシネはちょっと...」と言ったナルハも結局こうなった。誰か上司を止めてくれ!
「教皇様、お待ち下さい。それは自害をしろという話ですか?隠居しろという話ですか?」
「おかしいわね。レナードに説明するよう頼んだ筈なのだけれど」
「人選絶対間違えてますよ」
見ろ人類。これが伝言ゲームの破綻だ。
「まあいいわ。貴方、何処まで聞きましたか?上層部で疎まれていることは既にご存知?」
「そうですね。閣下の言う協力者が教皇様だとは今知りましたが、軍部で煙たがられている件は存じておりますし、この目で確認致しました。先日の暗殺はお耳に入って居るかと」
「そう。貴方に早く消えて欲しいのです」
身も蓋もねえな!
そう思ったが、ナルハは耐えた。出来る社会人として、しっかりと言葉を選ぶ。
「身も蓋もありませんね!」
「では言い直しましょう。皆が貴方に死んで欲しいと願っているのですよ」
「主語がでけえんだよ!」
言葉足らずクソババア!と言い掛けたが、ナルハは耐えて閉口する。しかし弧を描いて飛んで来たコインが脳天に星を散らした。バウンドした記念貨幣がチャリンチャリンと高い音を立てる。ギザギザ記念硬貨だ。ちょっとレアである。
「その言葉遣い、控えなさいと申した筈ですよ。無意味な衝突は避けなさい。わたくしが教えた処世術をお忘れではないですね?」
「異論を唱えたくなっても、反抗的な態度は表に出さぬべし...反撃するのは手札が揃ってから...完勝が危ぶまれるのなら、一時保留にするべし...」
「よろしい。勝算の薄い勝負は仕掛けるべきではありません。このように手痛いしっぺ返しを喰らいますからね」
ヒリヒリと痛む額に笑顔を向ける女教皇は、恐怖の象徴である。
補足しておくが、ナルハは別に最高権力者にも喧嘩腰の狂犬という訳ではない。よく知る相手に喧嘩腰なだけである。
孤児であったナルハは、雨乞いの才能を買われて当時はまだ雨天の巫女であったサウス教皇に教育を受けている。
この女は今でこそ淑女として振る舞っているが、昔はもっとチンピラ寄りの神官であった。というか彼女は武闘派神官なのである。
今この国は、稀代の天才と言われる人材を多く抱えた黄金時代の最中だ。その一人が拳で語り、拳で勝利を得る。“聖拳“、女教皇サウスである。おっかしいな...これはバトル漫画の世界線か?
聖職者が拳で語るな。その口は何を説く為に付いているんだ?
魔術師の欠点は脆弱な肉体だが、それをカバーした人間にただ才能があるだけの子供が勝てる道理は無い。
金獅子、聖拳、死神...あと天災って呼ばれてる魔術師とか、炯眼の名で呼ばれる悪役令嬢とか居るらしいが、前述した二人しかナルハは知らない。
ナルハを後継者として育てたのは、才能の兼ね合いも当然あったのだが、自分に似た性質のナルハの根性を見込んでだったとは本人の弁である。
騎士と神官は同等の立場と言えど、男性の割合が高いのは当然のことだ。
そこに気の弱い女が放り込まれれば、良いようにされてしまうのがこの社会の欠陥である。だから無茶苦茶に扱かれた。女教皇は外道では無かったが、畜生ではある。ナルハが男性社会で負けぬよう、根性を叩いて叩いて叩いて叩きまくって鋼鉄の女にしようとした。
結果生まれたのは、常時喧嘩腰の狂犬である。ナルハは国家の犬であるが、限り無く狂っていた。「育児って難しいわね」当時の王妃の言葉である。
子供は身近な大人の背中を見て育つ。
自分やサウス系をよく思わない人間からの攻撃を受けるたびに「次に会う時は法廷だ。覚えておけ穢らわしい売国奴どもがッ」と言ってキレるサウス教皇の姿は、子供だったナルハに強いショックを与えた。
「教会側からしても貴方の扱いに困っているのよね。ナルハが上層部で邪魔になっているのは事実なのだけれど、誰が何の目的で貴方を排除しようとしているかは分からない」
「空いた席に息のかかった者を入れるためでは無いのですか?」
「巫女の席は複数あるわよね。わたくしを最上位として、直下の高位神官として数席。晴天、雨天、天雷...これから増えるかもしれないし。
一席を手中に収めたところで、及ぼす影響は小さなものでしょう。独裁政治をさせぬ為に、沢山の席を用意しているのですから」
言われてみればそうだ。複数ある席の一つを貰えたところで、議会の決定は多数決。軍部に有利な政策を可決しようにも、思い通りに進む確率は低いだろう。
神官にはノーザン系もサウス系もハーフも入り混じっているし、露骨に人種差別をした愚か者は学院の魔術科から弾かれるので居ない。
人種や言語に囚われない、自由な思想と発想を良しとし、それこそが魔導という学問であり、清き精神に通ずると謳う教会側は、それ故に扱いづらい。
個々の考えで動き、個々の正義を追い求めるので、同時に採用させたい二案の片方だけが採用されて無意味な法律になる...とかは建国以降よくある話なのだ。
一方が通っているから、出来レースだとかそういうイチャモンも言えなくなるし。
軍部の議席は殆ど貴族であるが、教会の議席は平民と貴族が半々であるのも、そこに拍車をかける。
領地経営に優位な法律を可決したい貴族、ノブレスオブリージュに従い民の為の法案を勧める貴族、識字率を上げ平民の社会進出を進めたい神官。三つ巴の均衡が、複雑な政治を行なっている。
どの方向性も間違いでは無いし、正解でも無いというのが内政の難しいところだ。
「水面下の差別って本当に嫌になってしまうわね。わたくしたちが気に食わないのであれば、直接申せば良いものを。狙うのはいつも力の無い女子供ばかり。騎士が聞いて呆れます」
ぷんすこ!とコミカルな感じで怒っていらっしゃるサウス教皇であったが、この方は十数年前に第一子を暗殺されている。全く弱みを見せず、気丈に振る舞う姿は女教皇としては理想なのかもしれないが、ナルハは痛ましくも感じる。
上に立つ者は相応しい振る舞いをしなければならないとは理解しているものの、だからと言って哀しみが無いということは有り得ない。
当時、王弟が統治するライガー領に訪問していた第一王子が、公爵家の敷地内で射殺されてしまったのである。
この国に一定数存在する売国奴どもは、サウス教皇の血を濃く継いだ人間が王位を得ることを認められなかったらしい。その時、居合わせた閣下の両親も死去なさっている筈だ。
ライガー家といえば、ノーザン家系の中では古い歴史と強い権力を持った名門なのだ。
サウス系嫌いとしても有名な家であったので、王子の暗殺を手引きし、成功した際に口封じの為に殺されたのだろうというのが軍部での認識であり、調査の結果だ。
連帯責任でレナード閣下も爵位を取り下げられそうなところではあるのだが、両親の悪行を全く知らなかったこと、当時はまだ成人前だったことを考慮され無罪。
特に刑罰などは無かったようで、王太子の暗殺事件のことも丸ごと伏せられている。
連合国家として、致命的な亀裂が入るのは困る。関わった疑いのある家々は勿論裁かれたが、事件自体は体よく物取りの犯行として処理された訳だ。
「でもねえ。ノレイに話したらきっと”ヤデシネは抹殺するべきです!“って進言すると思ったのよね」
言いそう。ナルハは正直そう思った。先程は逃げろと言われたが、それは意外な発言だったのである。
彼は優秀な神官であるが、少々頭がお堅い。良くも悪くも堅実とも言う。
根は誠実かつ熱い男であるが、ナルハが女教皇の手の届かない案件で謀殺され、万が一にも教会の権威が落ちることがあるなら迷わずナルハに切腹を選ばせるだろう。
「教会の足を引っ張るな!潔く死ね!」って言うタイプである。それを思うと、先程のノレイは何かがあったのだろうか。デフォルトの考えを捻じ曲げる何かの要素が。
ナルハが早く死ねば済む話。それは此方にも分かっていることなのだが、当然進んで死にたくは無い。教皇が協力者としてノレイを選ばず助かったと思うべきだろう。
王妃陛下は少し抜けた女性に思えるが、政治的手腕と先を読む力は施政者として十分過ぎるほどである。
だが直属の上司である彼女もやや...というか、結構な天然ボケであり、出来れば長時間の会話はしたくねえなあとナルハは思っている。
レナード閣下もそうであるのだが、内政の才能があると一般人としての感性は不足するのだろうか?(ストレートな悪口)
「わたくしは政治の駒として貴方を育てましたが、国の為に今此処で死ねとは言えません。ナルハを連れて来る際、死なぬ程度に働いて貰うと言いましたから」
「そんな律儀に守らんでも...死んだら死んだでって感じですよ。こんなご時世で、アイタァ!?」
「貴方はわたくしの子供のようなものです。二度とそのようなことを言わぬように」
二枚目のコインが地面に跳ねる。こちらも年代違いの記念硬貨であった。女教皇は記念硬貨を趣味で集めている割に雑な使い方をする。
女教皇が何処まで本気で言っているのか分からないが、案じてくれている以上、そういうことにしておくのが良いだろう。
「わたくしからの勅命は二つ。一つは、生存を第一に考えること。命あっての物種ですからね。これはハレルヤやノレイにも言っていることです。貴方たちは少々生真面目すぎるので」
ナルハは人名とセリフの並びに笑いかけたが、大人しく口を噤んだ。前述の通り、サウス女教皇はデジャヴ的に前世の情報があるだけの記憶無しなのだ。
「その慣用句、教典に載せるんですか?」
「ええ!何かそれっぽいでしょう!命あっての物種!“生きていれば国の為になるので兎に角生きなさい、国に害為すなら早く死になさい”という意味です」
「どうかと思いますよそれ!」
「あら、そう?ならば“国に害為すなら懺悔しながら死になさい”にしましょうか」
ナルハはもうどうにもならないことを悟った。命あっての物種という慣用句は今死んだのだ。
「二つ目は...そうね」
教皇は神の描かれたステンドグラスを通過し、反射する七色の光に照らされ、一国の王に相応しい偉大さと傲慢さで命令を下した。
「もしも正体が露見するのならば...口を割る前に死になさい」
女教皇はニッコリと微笑んだ。こういう女性なのである。家族より国。愛より国。子供より、国。命が一番大切だと言う口で、死を仄めかす発言は慎めと言う口で、国の為に死ねと言う。
とっくの昔に彼女は壊れている。元から壊れていたのか、子供が死んだ時に壊れたのか。
ダブルスタンダードを抱えていることすら、彼女は気付かない。
「さあ、どうするのナルハ。レナードと手を組むのかしら。それとも、此処で死ぬのかしら。好きな方をお選びなさい」
ナルハの答えは、勿論────。