巫女、肩身が狭い
あの後、レナードに簡易的な書類を書かされた。
というのも、彼が防衛隊を動かす権限を持っているからである。
”王城に変な人が居て、弓で狙われました。こわかったです“────そんな感じの、大変分かりやすい報告書を書いたのだが、閣下は微妙な目で見られた。どうしてだ、わかりやすくて良いだろう。
それを置いて自室に帰ろうとしたのだが、「先程の件、一考するように」と言った閣下に部屋まで送られて、そのまま就寝。
ぐっすり眠れる訳もなく、寝不足特有のぼんやりした気分で朝を迎えた。
理由は勿論お分かりですね!レナード閣下がナルハに「死んでくれないか?」と聞いたからです!暗殺者も傷害罪で訴えます!覚悟の準備をしておいて下さい!頭の中はグチャグチャである。
顔が浮腫んでいて腹が立つのだが、こういう時に巫女の正装はローブで良かった〜!と感謝する。かわいいは作れるし、ブサイクは隠せる。
一度落ち着いて、状況を整理しよう。侍女が来るまで一時間はあるので、ゆっくり思い返す時間はある。
ナルハは自室のカーテンを閉めて、紙とペンを取り出した。
ナルハ
・雨天の巫女(とてもえらいよ!)
特権階級を与えられた神官で、立場はとてもえらい。みんなに死んで欲しいと思われているらしい。雨乞いが仕事だよ。
いや酷。
自分も今置かれている状況をザッと整理したが、“”“周りに死んで欲しいと思われている”“”の部分が強すぎる。
わたし何かやっちゃいました?と思ったが、何もしていないのが問題と詰られる。詰みかな?
レナード閣下
・ライガー公爵(すごくえらいよ!)
王国騎士団の指揮を任されていて、“金獅子”の異名を持っているよ。前王弟の息子で、血統もすごいんだ。
王国一の学校を主席卒業した神童でもあるよ。これは高校生が考えた最強の設定かな?
盛り過ぎ。閣下の設定盛り過ぎ。
オーバースペックすぎてデラックスプリンアラモードパフェみたいになってる。ナルハの後にまとめたらナルハがまるでしょぼい経歴のやつみたいになってしまう。
す、すごいんだぞう!それなりにエリートなんだぞう!本気出したらつよいんだぞう!と内心で己を鼓舞するが、彼の輝かしい経歴の前では全てが霞んでしまうだろう。
暗殺者
・殺し屋(ころそうとしてくる!)
ナルハを狙撃して殺そうとしてきたんだ。どこの派閥の人間か知らないけど、絶対に殴りたいとナルハは思っているよ!
「もうどうしようもなくないかこんなの!」
ナルハは机に拳をぶつける。痛い。物に当たるのは良くないと秒で理解した。
真面目に纏めるのも一瞬でバカバカしくなる状況だったので、メモはすぐに丸めて燃やした。証拠隠滅である。
ナルハに死んで欲しい偉い人たち。ナルハに死んだフリをして働いて欲しいレナード閣下。ナルハを殺しに来た暗殺者。死にたくないナルハ。
色々考えることはあるが、本日の公務をしながら思案することにする。巫女は例え殺されそうになっても、民の為に祈る義務がある。それが存在理由であり、責務だからだ。そのことは誇りであるし、確かなやり甲斐でもあるのだった。
...まあ、ナルハなら自衛出来るとレナード閣下に進言されて厳重警備敷かれてないっていうのもあるのだが!
閣下はやはりナルハにどうにかして死んで欲しい訳なので、やって来たチャンスは有効に使うべきだと言っている。
ナルハの正直な感想は「うっかり本当に死んだらどうしてくれるんだ!?」なのだが!
( ´_ゝ`)
今日の仕事は二つ。一つ目は、サロンへの参加。
サロンというのは、ざっくり言うと文化交流をメインにした交流会である。主に流行や世情を共有する場ではあるが、普通に雑談が中心になることもある。
上品な井戸端会議と思ってくれて構わない。
因みに主催は第一王女であり、要するにまあ、彼女の暇潰しである。
ダンスを不得手とし、小説などの大衆娯楽を愛する王女は、昼間の茶会を好んでいた。
神官が何故そこに!?というのは正直な感想だろう。ナルハも就任直後は「は?今なんと?」って言った。
まさかそんな、貴族の駄弁り場に聖職者がねじ込まれるとは思うまい。
しかし、連合国家である我が国の文化は独特で、特権階級である巫女に限定して参加資格が与えられる。...それは正しくないな。言い直そう。
ほぼ強制的に送られる。
ナルハだって辞退出来るならしたかった。女同士のマウンティング合戦に挟まれたくなかった。
今日は王女主催なのでマウンティングなんてのは無いが、式典にねじ込まれた時なんか本当にやばいのだ。ドレス、タキシード、ドレス、タキシード、ドレス、カルト宗教服。水に落とした油くらい浮いている。
女性社会は怖い。休憩室が会場となる現代も怖いが、中世はもっと怖い。階級社会であるから色々えげつないのだ。歯止めってもんがない。
上位貴族と高位神官の身分がほぼ同じこの国は、貴族と神官を同じように扱うという取り決めをしている。
これはまあ...色々理由があるのだが。それは必要な時に説明するとしよう。
とにかく、ナルハはサロンに参加しなければならない日があったし、今日はその日である。
仕事である以上、どんなに気が進まなくとも茶をしばかねばなるまい。
「雨天の巫女さま、襲撃にあったというのは本当ですの?」
王女に面倒臭い話題を嬉々として振られても、差し支えない程度に答えなくてはならないのだ。
麗しい金色の髪に、黄金の瞳を持った王女はナルハをじっと見た。金糸のような艶やかな髪と同じ色で、切長の瞳が縁取られている。
どこまで言っていいのか。閣下は「解決していない問題は、あまり口外すべきではない」と言っていたが、話すなとは言われていない。
ここに居る貴族のお嬢さん方は、命の危険を感じたことが無いのが殆どだろう。御伽噺を強請るように、無邪気にナルハに聞いてくる。
「ええっと...まあ...襲われましたね」
「まあ...でもご無事で何よりですわ!どうやって撃退なさいましたの?」
「倒しては居ないですね。狙撃されただけなので...死角から来たので、驚きました」
言葉を選んで、これ以上の質問を受けないように、つまらなそうな語り口を意識するのだが、貴族のお嬢さんは止まらない。
というか、ナルハの認知しないところで盛り上がっているというのが正しい。
目の前に座っている令嬢は、頬を薔薇色に染めて、うっとりと言った。
「レナードさまが巫女さまをお守りになったのね...!」
思わず立ち上がったらしい伯爵令嬢は「やだ、はしたないわ」と言ってソファに腰を下ろした。
王女も「沸き立つ気持ちはわかります。わたくしも完璧に理解致しました」と余計な言及をする。
貴族令嬢の放つ、キマシタワー!と言わんばかりのガッツポーズにナルハは怖くて泣いた。
王女主催の小規模な茶会は、王女自身が「咎めないので、自然な喜びを見せて頂きたいの」と無茶苦茶なルールを敷いたので、かなり無法地帯である。
お家柄の良いお嬢さん方なのだが、俗世で流行る恋愛小説を中心に形成された友人関係は、やや...かなり...だいぶオタク気質であった。
「素敵だわ...レナードさま...」
「巫女さまのことを大切に想っていらっしゃるのね...」
「流石ですね。レナード公は...」
ナルハがサロンに行きたくない理由の半分はこれである。
上品な井戸端会議の内情は、スキャンダル共有会。品良く座って、下世話な勘繰りが広がっている。
その中でもホットなのは、麗しの騎士公爵、レナード=ライガーの話。
金髪金眼、美しい容姿に凛々しい表情。公爵でありながら、軍属の騎士として指揮を執る彼は、しなやかだが引き締まった体付きをしている。硬派で民に尽くす誠実さを持った閣下は、多くの女性の理想である。
この数行程度で半端なくモテることが察されるだろう。しかし彼は未婚で、妻を娶っていない。別に彼が訳有りだとかではなく、貴族たちからの打診を全て断っているというだけだ。
これの皺寄せを食らったのがナルハである。
「ああ、金獅子レナードさま。巫女さまの危機に駆け付けるなんて、やっぱりそういうことなんだわ」
全然そういうことではないが。
「駆け付けたのではなく、その場に居たのですよ。内容はお話出来ませんが、公務の話をしておりましたから...」
「お二人は一緒に居らしたの!?」
「どのように庇われたのですか!?」
「あすなろ抱きかしら!?これは来ましたわね!?」
「来てません、落ち着いてください」
こういう、こういうの!マジでこういうの!キーーーー!!!
会話のドッチボールが始まりナルハは猿になる。頭に血が上ってウータンにもなる。ウータン、げんきげんき!
完全にチンパンになったらレナードの所為だ。裁判所にも来て頂きます。
事の顛末はこうである。
もう妻が居てもおかしくない身分と年齢のレナードが結婚しないせいで、“閣下に好きな女がいる”という噂が立った。
そこまでは良い。だって結婚するしないは閣下の自由であるし、レナードの祖父は前王弟である。
ただ力を持っただけの公爵や侯爵であれば、より一族を繁栄させ権力を得るために結婚するのが通例だった。
だが、閣下は生まれが生まれなので急いで結婚する必要も無い。
陛下両名にお子が居られないのであれば白羽の矢も立とうが、第一王子も第二王子も直系のご子息だ。
他の貴族たちは王族の血を欲しがるが、求められる側は別にって感じなのだ。変に年齢を寄せても、血で血を洗うような権力争いになってしまうし。
閣下に世継ぎが居なければ、今の第二王子とかがそこに来るだけである。存分に未婚ライフを過ごしてくれ。
肝心の問題はそこからである。
貴族の女性たちはレナードの好きな女を探す。存在するかも分からない、シュレディンガーの女状態であるレナードの好きな女を探す。
そして空想の中で見つけた。シュレディンガーの女さんを見付けた。ナルハさんである。
は?としか言いようが無いが、ナルハである。
「寡黙で口数の少ないレナードさまが、巫女さまとだけはよくお話になるの...わたくし、その時の優しいお顔が“推し”なのですわ」
「わたしが同僚だからですよ...閣下は軍人の前だと饒舌です。我々巫女は軍属ですし、護衛は管轄下にありますから...」
「巫女さまは任期を満了するまで婚姻を結べないから、レナードさまは待っていらっしゃるのよ...!」
「任期は先月25日に更新しております。巫女の契約は月極ですから、そのような理由ではありませんし、先代の巫女は任期中にご結婚成されております」
「ヤデシネ、あれは貴方に気があるのですよ。わたくしには分かります」
こいつら、ナルハの話を聞いちゃいねえ。
どこの令嬢が言い始めたのか知らないが、レナードとナルハは勝手にカップリングにされている。
推しとかいうワードを使われ、カップリングにされている。
“推し”というワードから推察するに、それは間違いなく前世持ちか、或いは居るかどうかも知らないが、”現代“のことをなにかの魔術で覗き見た人間だろう。
恐らくそいつは一般的なオタクの感性があるので、ナルハの前で堂々とカップリング妄想する連中には居ない筈だ。...居ないよな?ネットリテラシー、あるよな?ナルハは不安になってきた。
娯楽の少ない貴族のお嬢さん方は、麗しの騎士公爵さまと、顔を隠したミステリアスな神官の密かな恋情に燃えるらしい。
隠れて言われるのもそれはそれで嫌だが、せめて本人の前で語るのはやめろとナルハは思っている。ナマモノを本人の前で話すのは禁忌だぞ!
以前、閣下に「迷惑だから早く誰かと結婚してくれ」と言ったことがあるのだが「君がそう言い続ける限り、妻は娶れないだろうな」と言っていた。
要するに、あっちもナルハと噂されて本命へのアプローチに困っているということだろう。
ナルハとレナードの噂が無くならない限り、閣下は本命にアピール出来ず、ナルハも恋人が作れない。本当に迷惑な話だ。
“お互いさっさと結婚出来ると良いですね”
そう返した時の閣下の困り顔は忘れられない。
なんにせよ、そういう根も歯もない話は困る。どこのスイーツが流布させたのか知らないが、レナード閣下は本命が居て、ナルハは良い人を探してる途中である。
職場内結婚は死ぬほど嫌なので、一般職種の、専業主夫になってくれる男性がいいなとは思うが。ともかく、そっとしておいて欲しい。
「あのですね。何度も申し上げました通り、私と閣下は...」
ぱしゃん。軽い音が聞こえると同時に、頭と衣類が濡れた気持ち悪さを感じる。
振り向けば、顔を隠した勝気そうな雰囲気の女が銀食器の杯を下に向けていた。
「ごめんなさいね。あんまりにも陰気だから気が付きませんでしたわ」
黒いローブに赤い刺繍。太陽信仰のカルト宗教みたいな仰々しいデザインをした装束を着た女は、清々しい笑い声を上げた。顔は見えないが、さぞ綺麗な笑みを浮かべていることだろう。
一般神官とは違い、顔も名前も隠した女は、ナルハと同じ特権階級の高位神官である。
サロンに来たくないもう半分の理由はこれである。ここに来ると、この女が居る。
ナルハは魔術で温風を自分に当てた。顔を覆う布を慎重に乾かさなければ、貼り付いた布から形が分かってしまうからだ。余計な個人情報を漏洩しないように立ち回るのは最早癖である。
苛立ちを隠す気もなかったので、乾かしながら嫌味を返す。
「貴方の目は節穴ですか?」
「どうせ、この後に儀式でしょ。ずぶ濡れになるんだから変わりませんわね」
「わたしは障壁を貼りながら雨乞いをします。濡れる予定はありませんでしたね」
この女は何かに付けてナルハに絡んでくる。目の敵にしていると言えば良いのだろうか。
理由が分かるだけにナルハにはどうすることも出来ず、当たってくるのを適当に流すしかないのだが。
「命を狙われたっていうのも嘘ではなくって?そうまでしてレナード様の気を引きたいのかしら?」
この女の一番嫌な部分はこれである。
こいつ...この...こいつ...この女ァ!もナルハがレナード閣下を好きだと思ってやがるのだ。
恐らくレナード=ライガー閣下のことを慕っている晴天の巫女は、存在しない架空のカップリングにジェラシーを燃やして攻撃してくる。落ち着け!こっちは付き合ってないんだぞ!
「ですから閣下は関係ないんですって!」
「まあ!ムキになって声を荒げて...レナード様を庇うだなんて...そんなに強くお慕いしているの?
それを隠すなんて気に食わないわね。もっと詳しく話しなさいな。そうね...まずは馴れ初めを語りなさい。王妃陛下にも報告する義務がありますし」
この国で最強の恋愛脳を持った王妃陛下の名前を出されたナルハは怯える。
この女はナルハとレナードを勘繰っているが、王妃は別の推しカプがあるのだとこの女から聞いた。
恋愛小説と他人の恋路が三度の飯より好きな陛下は、ナルハと会う度に「うちの息子...興味ないかしら?」と聞いてくるのだ。子供の押し売りやめろ。
上司に勧められる乗り気でないお見合いはパワーハラスメントに等しい。因みに殿下ではなく陛下である。誤字では無い。
ナルハは権力に抗えない。
もしも王妃が力で自カプを成立させるパワープレイを見せてきたら、こちらは勝てないのである。政治的にも好条件なので、騎士と神官のパワーバランスを取るためにも望ましい婚姻になるのだ。
「ほら、正直に申告なさい。王子よりもレナード様の方が好きだと宣言なさいよ!」
こいつはこいつで変な方向にヒートアップしてきた。
ナルハは有難いことに大凡好意的に受け入れられては居るが、当然反発する人間も居る。
神官が貴族と肩を並べることに、良い感情を抱かない人間というのは勿論居るのだ。今ぶつかってきたのは同僚だが。今ぶつかってきたのは同門の同輩だが!
この面倒なスイーツ女は晴天の巫女。
晴天の巫女だが性格は陰湿。晴れ女の癖に、じめじめネチネチとした性格をしている。因みにスイーツとは、流行や俗っぽい物事...他者の恋愛やレディコミが大好物の人間を指す蔑称だ。
彼女は恋愛脳のスイーツであるが、恐らく高位貴族でありながら高位神官の、非常に優秀なサラブレッド女である。洗礼名はハレルヤ。先代はアレル...そのネーミングセンスはダメだろ!
恐らく貴族であるというのは、やはりナルハと同じで姿も名も伏せられているからだ。
しかし声も所作も明らかに格調高く、洗練されている。ついでに言えば、ナルハをよく「平民の香りが致しますわね〜!」と煽る。罵り文句の程度は低いが、身分はかなり高いと思われる。
貴族ということは、すぐに身元割れないか?とお思いのことだろうが、巫女の装束は特殊な魔術が掛かっている。
認識阻害の防壁が、印象の定着を妨げるのだ。簡単に言えば、「あれ?この人知ってる人かも?」みたいなデジャヴが起こらなくなる。
ローブはかなり優秀な魔術装備であり、効果自体に文句はないのだが。
大変忌々しいことに、雨天の巫女と晴天の巫女の存在は対であり、ワンセット。加えて言えば、ちょっとした双子コーデの擬似ペアルック。
仕事着に文句を付けるのもどうかと思うのだが、カルト宗教みたいなローブを着用してのお揃いコーデは嫌すぎるだろう。
ナルハとしては、この女と折り合いが悪過ぎるので人員チェンジをして欲しい。
しかし先代の晴天の巫女が辞任なさってからこれまで、彼女以外の能力者は生まれていないのだった。
お陰様で国も神官も人材を選ぶことが出来なかった。
巫女は基本的に推挙式で、先代からの推薦があり、立候補した人間の中から軍部と高位神官で話し合って選ぶ。しかしこの場合は彼女一択だったのだ。
ナルハは幼少期に先代の推薦を受けているので、高等教育が終わったタイミングで役目を継いでいた。しかし人材不足により鉢が回ってきた彼女は、そんな自由も無かったらしい。恐らく学生であるが、仕方なく本職と兼業で聖職者をやっているようだった。
それで貴族巫女とかいう事故属性が生まれているわけである。因みに多忙な彼女に夜勤は無しだ。そこは純粋に羨ましい。
「ハレルヤ。本来であればわたくしは貴方を咎めるべきなのでしょう。しかし、何か理由がお有りなのですね?」
「ええ。お分かりになるだなんて、流石ですわ」
王女が晴天の巫女をフォローしている。この二人は明らかに砕けた態度なので、やはり彼女の中の人はかなり高貴な身分なのだろう。
この女の異常としか言えない行動は度々あるのだが、無碍にしたらしたで酷い目に遭ったりするとナルハは知っている。
晴天の巫女ハレルヤには妙に鋭い第六感があるらしく、彼女の忠言や突飛に見える行動は良い結果をもたらすことが多い。王女の発言は頭おかしいのか?って一瞬不敬にも思うが、ナルハに水をかけることで好転する事象があるのかもしれない。
まあ恋愛の話で若者が盛り上がれるのは、余裕と平和の証とも言える。
他者のラブロマンスが娯楽になるような社会自体は平和的で素晴らしいのだが...当事者にされると大変困る。そういう話である。
ビショビショになった上着を乾かしていると、晴天の巫女がわざとらしさを消し切れずに言った。
「あら。もうこんな時間ですわね。ヤデシネさん、早く儀式の間に向かわれたら如何?」
日時計を見た晴天の巫女が、出口を指差す。ナルハも確認したが、移動するには少し早い。もう暫く乾かしてから行きたいところだ。
「誰かさんが水をかけてくれたので、乾くまでは行きませんよ。風邪引きますから」
晴天の巫女は銀の杯をもう一つ手に取った。
「早くお行きなさいな!もう一杯ありますわよ!」
「そんなに急かしますか!?」
ナルハは彼女と仲が悪かったが、あっちも仕事で助言をしているので「仕方ねえな...」という気持ちで席を立った。
( ´_ゝ`)
此方に一礼をする貴族令嬢たちに会釈を返し、足早に仕事場へ向かう。
うんざりする程の長い廊下を歩いていれば、前方から見知った男が見えた。
そのまま横を通り過ぎようと思ったのだが、道の中央で立ち止まった青年────レナード閣下は、訝しげな表情でナルハを見下ろす。
「...何故濡れている?」
「サロンで職務を全うしていたんですよ」
頭上にクエスチョンマークを浮かべた閣下が顎に指を当てた。
レナードは策略謀略軍略には長けているのだが、いかんせん人の心に鈍いので、こういった内情は気が付かない。サロンの実情が下世話な女子会であると彼は知らないのだ。
自身の顔が良い部類である(実際にはそんなレベルではないのだが...)ことと、家柄の後押しでおモテになる自覚はあるようなのだが。
「風邪を引くだろう。一度部屋に戻ったらどうだ?」
「公務に差し支えるので、そのような時間はありませんね」
「そうか。ならば他に言うべきことは一つ。早く死ね」
「もっと何か無いんですか?」
思わずツッコミを入れてしまった。
雨乞いの祈祷は別に疲れる作業では無いのだが、こういう余計なところで疲労を蓄積させるのはパスしたい。
頭が痛む案件を再び示されたナルハは“面倒臭い”という大きな感情に支配され掛けたが、真剣な瞳でこちらを説得するレナードを見て正気に戻った。
「重大な選択を矢継ぎ早に迫るべきでは無い。だから君を帰した。しかし、此方も急ぎだ。一刻の猶予もない」
彼の主張は”命を狙われてるから自主的に死んだフリをしろ“だったのだが、この急かし方はナルハ一人の命がどうこうという感じには思えなかった。
閣下は妙にナルハを買っているから、以前「君は...殺しても死ななそうだな」との褒め言葉も頂いている。勿論場の空気は凍ったのだが、彼は本気で此方を褒めたつもりであった。
...脱線したが詰まるところ、単なる暗殺などではなく、もっと大々的に、かつ確実に殺そうとする計画が進んでいるということか?
「そんな大事になりそうなのですか?」
「ああ。まだ確定した話ではないので開示出来ないのだが、君は死ぬことになるだろう」
「それは知ってるんですけどねえ!」
情報をぼやかそうとした結果、既出の話になってしまった。
よっぽどレナードは焦っているらしい。全くそんな風に見えないのは才能であるのだが、渦中のナルハは交渉し辛くて困ってしまう。ボケをかまされると此方はツッコミを入れなくてはならない呪いが掛かっている。
ああ哀れJ言語の血。例え異世界転生しても魂が青の惑星を覚えている。
しかし困ったのはナルハだけでなく、レナード閣下も大層困惑したようだ。
別に彼が悪いという訳ではないのだが、閣下は己の勧誘手口や自身に問題が有ったのかと勘違いした...いや別に勘違いではないな。
ナルハとレナードは雑談する分には良いのだが、仕事をする上での相性が極端に悪いので、イマイチ話が進まないし噛み合わないのである。
「...私が信用に足らないか?」
「そういう訳では無いんですけどね。閣下の手腕は存じてますし、本当に猶予が無いっていうのも理解できます」
加えて言えば、レナードは何らかの思惑があってナルハに死んで欲しくないというのも。そうでなければ、昨日さっくり刺殺されてるだろう。無駄に情報を持った中立者は邪魔なだけだ。
「私情で悩んでるだけです。一応特権階級を頂いている身なので、この温い椅子を手放すのは惜しいですから」
「それは君の推薦者への義理か」
社会の底辺みたいなクソ発言から、閣下は真意を見抜いたらしい。レナードは天然ボケであるが、恐ろしく慧眼で勘が良い。生まれ持っての要領良しと言えばいいのか。
適当に流すつもりだったのに、本音を透かされてしまったナルハは居心地が悪くなる。ナルハは別にいつでも辞職して良いが、先代からの推薦を受けた手前、最低限の筋は通すべきだと考えていたのだ。
閣下は切れ者だ。こういうところがやり辛いし、いま無茶苦茶恥ずかしくなっている。今日は布団の上でローリングしてしまうだろう。
無言を肯定と取ったらしい。閣下は小さく溜息を吐く。
「君のその誠実なところを私は評価している。だが、先ずは保身を優先させるべきではないか?」
あまり閣下らしくない発言である。誇り高く、かなり高潔な矜持も持ち合わせているレナード閣下から、保身を肯定するワードを聞くとは。
ナルハを生かすことにそれ程までの価値を見出しているのだろうか?
「そこまで言わせる価値がわたしに有るのですか?」
「そうだ。君は掛け替えの無い存在だ。死んで欲しくない」
稀代の英雄であるレナード閣下に買われていることは、身に余る光栄なのだろう。
しかしやはりナルハには自分の利用価値がわからず、微妙な反応をしてしまう。閣下は少し不機嫌そうに眉を上げたが、話を切り上げることにしたらしい。
「本日中に協力者から声が掛かる。最終決定はそこで伝えてくれればいい。...君の賢い決断を期待している」
圧を掛けられ、ナルハは困ってしまった。レナード閣下の改革計画の協力者を知ってしまえば、ナルハは死んだフリしか出来なくなるのではないだろうか。
一応ナルハには師匠と言える人物が居て、その相手に心労も迷惑を掛けない方法で退場したい訳だが。
身の振り方に頭を悩ますナルハの肩に、やたら重い布が掛けられた。
「今日は冷える。それを着て行くといい」
わあ閣下やさしい上着暖か...重過ぎるんだが!?
ナルハの肩に乗ったのは、勲章とか金モールとかがジャラジャラ付いたクソ重い上着である。巫女の正装は結構軽くて薄いのだが、この騎士団のイカれた重さの布はか弱い神官の肩を痛め付けた。
勿論戦場へ赴く時にこんなもん着ては居ないのだが、公務を為さる時の軍人は大抵これである。階級や威厳が一眼見て分かる装いをするのは、聖職者も騎士も同じことだ。
「...君は女性だ。そのような状態で出歩くな」
閣下はナルハの健康状態を気にしてくれているらしいが、此方はそれどころではない。
軍服の重さは栄光の重さであり責任の重さでもある。ナルハが背負っていい物ではないだろう。重さ的にも背負える物ではない。
閣下待ってこれ重過ぎるから要らな────!
ナルハの声は届かない。コンパスが大変大きく、それはそれは長い御御足をお持ちの閣下は、彼らしい威厳のある早歩きで速攻廊下の角に消えたからである。南無三。