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北条家の四代目  作者: 兜
第一章   幕開
6/32

第四話   講和

彦九郎=北条彦九郎為昌  氏康の長弟  氏綱の次男

西堂丸=後の北条新九郎氏親  氏康の長男

中野殿=中野権右衛門忠昌  堀越家家臣

雪=今川雪  氏康の正室  今川氏親の三女

兄上=北条新九郎氏康  氏綱の嫡男

父上=北条左京大夫氏綱  早雲の嫡男

駿河の叔父上=北条駿河守長綱  氏綱の三弟

金石斎=大藤信基  北条家家臣  氏綱の軍師

義元殿=今川治部大輔義元  今川家当主

雪斎殿=太原雪斎  今川義元の師であり軍師

寿桂尼様=中御門寿子  今川氏親の正室

治部大輔様=今川治部大輔義忠  今川家三代前当主  

紹僖様=今川修理大夫氏親  今川家先々代当主

氏輝殿=今川上総介氏輝  今川家先代当主

輝忠殿=今川彦五郎輝忠  今川氏輝の長弟 

青鑑=風魔小太郎  風魔衆頭領

天文八年(1539年)  九月  相模国足柄下郡小田原城 当ノ間

北条新九郎氏康




「そろそろ、着いた頃でしょうか?」


不安から口にした言葉は消えるような声量で、部屋の中は再び静寂に包まれる。部屋には父上と私の二人。二人ならば静かで不思議はないが、それにしてもこの静かさは異常である。私と父上、二人の張り詰めた空気は、この一室に一切の雑音を許さない。今ならば背筋を通る汗の音が聞こえるかもしれないと、そう思える程に。…間もなく、二日前に出発した今川家への講和の使者が駿河館に着く頃である。


三ヶ月前に行われた中野殿との謁見。あの場で西堂丸が語って見せた今川家との和睦案は皆を驚愕させるには十分であった。

今川家との和睦。この一点においては北条家のみならず、今川家でも反対する者は皆無に等しいだろう。北条家の中には、父上の様に今川家への援軍で今川兵と共闘した者も大勢いる。共に支え、助け合った戦友たちだ。今川家にとってもそれは同じこと。互いの家中にも仕える家は違くとも、その垣根を越えて親交を持っている者もいる。家来衆から民草に至るまで、両家の友好関係は根深いものである。和睦を歓迎すれど、反対する者は少ないだろう。


問題はその和睦案である。まず、そもそもの同盟破棄の発端は彦五郎殿の進めた今川、武田間の和睦。この和睦の問題点は武田と和睦した事実ではなく、その過程にある。武田家との和睦であれば当家も今川家も何度もしている。今更騒ぎ立てる事ではない。しかし、今までどちらかの家が武田家との和睦を望んだ場合、事前に会談を行い、意思の疎通を行った上で和睦を結んできた。常に両家の足並みを揃えてきたのだ。北条と今川、両家の先々代から四十年に渡っての仕来たりである。彦五郎殿の一つ目の過ちは、これである。武家社会において仕来たりとは重要な事。これを軽く考えられては、秩序は成り立たない。


しかし、これだけの過ちであれば、父上も怒りはすれども手切れの上に駿河侵攻などはしない。当主になったばかりゆえ、勝手が分からなかったと一言の謝罪で事は済んでいた。…父上の琴線に触れたたもの、それは武田との婚姻同盟である。もう一言付け加えるならば、これを当家に相談なく行った事だ。この同盟も仕来たりに従い、事前に相談していれば、父上も渋々ではあるが認めていたであろう。両家にとって大きな方針転換となることは火を見るよりも明らかではあるが、過去にも両家では類似した出来事を経験している。大事も小事も共有し支え合う。これを第一とした事で、両家は勢力を拡大することが出来た。それを彦五郎殿が壊したのである。


ここまでが当家の言い分である。当家の視点でのみ語って見せれば今川家に非があり、北条家に非はないように見えるだろう。しかし、彦五郎殿の視点から見れば話は変わる。


お家騒動での援軍も、武田との婚姻同盟も領内が落ち着いてから北条に伝えるつもりであった。事後報告とはなったが、今川家はこれからも北条とは共に助け合いたい。そう思っていた矢先、北条が突如として軍勢を駿河へ向け領内を蹂躙している。長年に渡る両家の同盟を一方的に破ったのだ。これが駿河国内で知られている北条と今川の手切れの経緯である。


このような噂が城下まで流れているとすれば、遺恨を残さない完璧な和睦はそう容易いものではない。…しかし、西堂丸があの日提示して見せたあの和睦案は、その全てを解決させるものであった。障壁となるのは父上の返答のみであったが、これも西堂丸は〝今川家は私にとってもう一つの守るべき家にございます。母上の実家であり、御曾祖父様、御祖父と二代に渡って支えてきた家でもあります。その家といがみ合い、憎しみ合うなど嫌で御座います。…御祖父様!北条と今川。両家の未来を決めるは、今この時です!〟と、皆を圧倒し父上をも了承させてみた。


ただ一つ懸念があるとすれば、この和睦案が今川家にとってはあまりに虫が良すぎる話ということ。彦五郎殿含め、今川家臣は素直に信じるであろうか。特に、彦五郎殿は猜疑心が強いと聞く。我らの意思が確りと伝わるであろうか。それに西堂丸の事も心配だ。…よもやこの様な事になるとは。


「…新九郎(氏康)、そう心配するでない。…駿府には寿桂尼(じゅけいに)殿が居る。たとえ和睦が成らずとも使者の方は無事に帰して下さるだろう。西堂丸もな」


父上の言う寿桂尼殿とは、今川家の二代前当主である今川修理太夫氏親様の御正室にして、先代当主・今川上総介氏輝殿、現当主・今川治部大輔義元殿、私の妻である雪の御生母。父上や叔父上とは三十年近い親交があり、今川家は勿論の事、北条家にも絶大な影響力を持ったお方である。


そして、今川家への使者に同行している西堂丸の実の祖母でもある。……西堂丸。

中野殿との謁見の話には続きがある。和睦案を一通り述べ父上も納得させた西堂丸は、〝北条と今川は互いに手を取り合ってこそ栄えましょう。一度の過ちで四代に渡る交友を絶ってはなりません〟と、嬉しそうに語って見せた。


そして、〝両家の和睦が成るまで私を駿府へ人質として送ってください〟と表情一つ変えずに続けて言い切ったのだ。当たり前の様に皆で止めたが西堂丸の意思は固かった。自分が人質となれば今川にも北条の本気が伝わるとはずだと、今川嫡流の血が流れる自分なら危害は加えられないと、逆に皆が説得されてしまった。


「…西堂丸の覚悟には驚きました」

「うむ。…西堂丸にとって今の今川家と北条家の関係は心苦しものがあったであろう。…お主も雪殿と寿桂尼が今も文のやり取りを続けておるのは知っておろう?」

「はい」

今川と手切れとなった後も、妻が両家の関係を断たせまいと努力していたのは知っている。父上に文通の許可を頂いたのは私なのだから、知っていて当然ではあるが。


「西堂丸に言われた事があってな。…雪殿は寿桂尼殿の文を読むたびに泣いていると」

「…それは。知りませんでした」

…雪。そこまで苦しんでいたのか。…私は側にいながら何も見えていなかったのか。

「当然であろう。今川と北条の絆を更なるものとする為に嫁いだというのに、三年も経たぬうちに実家と婚家が争い始めたのだからな」

雪が私に嫁いできたのが天分四年。河東の乱で北条と今川が敵対したのが天文六年。雪が真に幸せだったのは、僅かこの二年だけだっただろう。


「〝母を悲しませたくない〟と西堂丸は言っておった。此度の覚悟は雪殿を思ってこそであろう」

…私は何も知らなかった。夫として、父親として何も出来ておらぬではないか。

「まぁ、そう落ち込む出ない。母を助けたつもりが、今度は父がその様な顔をしておっては西堂丸が可哀想だ。…和睦が成り西堂丸が帰ってきたなら、笑顔で〝ようやった〟と褒めてやれ」

「はい」

悔しいのやら、恥ずかしいのやらで何とも言えぬ顔をしていたのだろう。父上に言われてから気づく程だ。…これからだ。私も雪もまだ若く、西堂丸もまだ四歳なのだ。夫として、父親として何かしてやれる事も時間も沢山あるのだから。


「うむ。…それとな、お主には先に言うておかねばならぬ事がある」

少しばかり頷くと、父上は先程までの思案顔ではなく不気味な笑顔を向けてくる。こんな時は碌な事がないのだが。…此度は何を企んでいるのか。少しばかり、いや、かなり不安ではあるが聞くしかない。

「何事にございましょう?」




同日  駿河国安倍郡駿府館 謁ノ間

北条彦九郎為昌




「御尊顔を拝し恐悦至極に存じまする。左京大夫が三弟・駿河守長綱にございます」

「左京大夫が次男・彦九郎為昌にございます。…そして、後ろに控えるは兄・新九郎氏康が嫡男西堂丸にございます」


事前に話した通りに叔父上の言上に続き名を名乗り、最後に西堂丸様を紹介した。西堂丸様を紹介した途端、少しざわつきが起こったが上座の男が名乗り始めると一瞬で静かになった。此度の交渉は兄上の為にも、そして発案された西堂丸様の為にも決して失敗は出来ん。


「今川治部大輔義元である」

私と一つしか違わない若い男が上座より名乗ってみせた。…この男が今川治部大輔義元。昨夜の内に風魔(ふうま)から聞いていた容姿とは些か違うらしい。体は少し痩せこけ、声には張りがなく、顔色も悪く見える。初対面でも分かる程に体調は良くない様に見える。…夏風邪にでも(かか)ったのだろうか。


「して、此度(こたび)は如何なる用でございましょう?」

互いの挨拶も終えると、義元殿の側に座る僧侶らしき男が用件を聞いてきた。容姿を見るに、この僧が噂に聞く義元殿の師にして今川家の軍師・太原雪斎(たいげんせっさい)殿なのだろう。兄上にはこの者には注意せよと言われている。


私達を囲む今川の他の家臣達は息を呑んで此方を窺っている。無理もあるまい。半年前までは国力も兵力も互角であったが、今では我等の方が国力も兵力も倍に近い。敵対する家が急激に力を付けたと思えば、今度は前触れもなく使者を送ってきたのだから。


「此度、我らは和睦の使者として参りました」

叔父上の言葉に我等を囲む今川の家臣達から戸惑いの声が聞こえてくる。注意深く見てみると、幾人(いくにん)か表情を変えずにいる者もいる。瀬名伊予守殿、関口伊豆守殿、朝比奈備中守殿、庵原左衛門尉殿。和睦が円滑に進むようにと父上が事前に話を通していた方々であろう。瀬名殿と関口殿は今川一門の重鎮。朝比奈殿と庵原殿も譜代の重臣達だ。


「これは異な事を。先の国府台(こうのだい)での合戦や古河公方(こがくぼう)様との縁組は聞いております。…今の北条家であれば駿河を奪う事も難しく無いと思いますが?」

「な、何を言うか雪斎殿!」

「失言でございますぞ!」

雪斎殿の発言に今川家臣から非難の声が聞こえてくる。…ふと上座を見てみたが義元殿は微動だにせずに叔父上の言葉を待っている。


「駿河を奪うなどと毛頭考えておりません。…そもそも、我ら北条家は初めから今川家との戦など望んではおりませぬ」

叔父上は淡々と北条家の真意を伝える。

「これは、また異な事を。先に河東の地を占領したは北条ではないか!」

「今更何を言うか!」

叔父上の発言を聞くや、部屋の隅に座っていた若い家臣達が立ち上がり怒号を上げる。

「………はて?花倉の折、先に盟約を破り武田と手を組んだのは今川だったと思いますが?」

思いもよらぬ難癖を言われ、叔父上もほとほとに呆れている。


花倉の折とは現当主・義元殿と異母兄・良真殿とで争った今川家の御家騒動の事。今から三年前の事である。今川家と武田家が婚姻同盟を結んだのもこの頃である。そして、この同盟に激怒した父上が侵攻して支配下としたのが駿河国の駿東郡と富士郡の河東と呼ばれる地域であった。武田との同盟、河東地域の占領。この二つの出来事により、二代に渡り続いていた両家の関係は断絶。今に至るという訳だ。


「そ、そのような嘘まで申すか!」

「我等を愚弄するのも大概にせよ!」

若武者達が叔父上に食って掛かる

「…嘘とは何のことに御座いましょう?」

叔父上が平静を保って尋ねる。叔父上の声色に焦りはない。激高し興奮する今川の若武者達とは正に対照的と言える。…それにしても、北条が先に裏切ったと喚いたかと思えば、続けて嘘つき呼ばわりとは。…どうも話が嚙み合っていない。


「武田との婚姻の件、釈明する為の使者を殺したは左京大夫(氏綱)殿ではないか!」

「その通り!」

「忘れたとは言わせぬぞ!」

堰を切ったが如く四方八方から野次が飛ぶ。中には殺気を放っている者もいる。

「…いえ、その様な使者は当家には来ておりません」

殺気を向けられて尚、叔父上の落ち着きは変わらなかった。

「何を言うか!」

激高した一人の若武者が立ち上がると同時に刀に手を掛けた。反射的に私も立ち上がろうとした刹那…


「静まりなさい!」

室内に聞き覚えのある女性の声が響いた。上段の襖から声の主であろう初老の女性が現れた途端、周りを囲む今川家臣が一斉に頭を下げた。

「母上、頃合いにございますか?」

「ええ、確証を得ました。義元殿」

今川家臣が頭を下げ、義元殿が母と呼ばれるお方は一人しかいない。“東海の尼御台”寿桂尼様である。


「宗哲殿、彦九郎殿、ご無沙汰しております。…それと、初めましてですね。西堂丸殿」

寿桂尼様は義元殿の隣に座られると、我等の方へと向きを変えて小さく頭を下げられた。

「お久しゅう御座います、寿桂尼様。お元気そうで何よりです」

「ご無沙汰しておりました」

「御初に御目に掛かります、西堂丸に御座います」

先に挨拶を返したのは寿桂尼様に法名である宗哲の名で呼ばれた叔父上。私も続くように短く挨拶を済ませる。そして、今まで静かに後ろに控えていた西堂丸様が最後に挨拶を済ませた。


「失礼ながら話は隣の部屋で聞かせて頂きました。…どうやら、双方の言い分には矛盾があるようで?」

「…その様ですな」

寿桂尼様の問いに叔父上が頷く。

「宗哲殿、一つ尋ねても良いですか?」

「はい、何なりと」

二人の会話に皆が意識を集中させる。


「釈明の使者の事、真に知らぬのですか?」

「はい。亡父・宗瑞の名に誓って存じ上げませぬ」

御祖父(宗瑞)様の名が出た事で室内が騒めき始めた。

「そうですか。…小四郎、まだ宗哲殿が嘘をついていると思いますか?」

「い、いえ」

声のした方を見ると、先ほど激高して刀に手を掛けた若武者がばつが悪そうな顔をしている。


「皆の者、良く聞きなさい」

再度、寿桂尼様の号令で上座に視線が集まる。

「宗哲殿の言葉は真の事です。…北条の者が宗瑞公の名を口にした以上は嘘は申しません。それは(わたくし)が保証しましょう」

長年、寿桂尼様は今川家と北条家の友好を間近で見て来られた方である。御祖父(宗瑞)様の名の重みを北条以外の者で最も理解されいるお方だ。

「…そして、宗哲殿、彦九郎殿、西堂丸殿。(わたくし)共の言い分も真なのです」


「「「…」」」

皆が静まり返る。目の前の叔父上は黙して思考を巡らせておられるが、私を始めとする部屋にいる大半の者が困惑するばかりである。

「皆が困惑するのも無理はありません。…この真実を知るのは(わたくし)だけですから」

…これは、状況が全く分からぬ。寿桂尼様の言う真実とは何の事か。…事と次第によっては兄上や父上を呼ぶ事態になるやもしれぬ。

「その前に宗哲殿、西堂丸殿は別室に移動していただいてもよろしいですか?…幼子に聞かせる話ではありませんので」

西堂丸様の名前が呼ばれ少し身構えた。しかし、それも一瞬の事。西堂丸様を見つめる寿桂尼様のお顔は、宛ら西堂丸様を心配する時の雪様とそっくりであった。それは、純粋に孫を心配する普通の祖母である。


「分かりました。…西堂丸様、別室にてしばしお待ち頂けますか?」

叔父上が伺うと西堂丸様は素直に頷かれ、後方から現れた女中達に連れられて部屋を後にされた。

「……宗哲殿、北条家の教育に口を挟むつもりはありませぬが。この様な話の場に西堂丸を同席させているのですか?」

西堂丸様が去った後、寿桂尼様が顔を顰めて尋ねられた。

「あ、いやぁ…。常にという訳では」

不意の指摘に今まで顔色一つ変えなかった叔父上が動揺されておる。


父上や兄上、叔父上や私も含めた西堂丸様を良く知る者達は、西堂丸様が未だ子供であることを忘れがちである気がする。しかし、我等にも言い分はある。西堂丸様の話す事や成す事に驚かされたのは一度や二度ではなく、確かな功績を何度も残されている。…既に、“所詮は子供の申す事”などと聞き流せる段階はとうの昔に過ぎている。


私にとって西堂丸様は尊敬する兄上の子であり、可愛い甥に変わりはない。しかし、それと同時に私は無意識の内に西堂丸様を一人の強者(もののふ)として見ている。…はたして、これが良い事なのか悪い事なのか。


「母上、お願いします」

義元殿の声で我に返る。

「彦九郎、一つとして聞き漏らすでないぞ」

放心の態を見抜かれ、叔父上に声を掛けられた。

「…お任せください、叔父上」

気持ちを切り替え、戦時の如く五感を研ぎ澄ませる。


「では、全てをお話しましょう」


 


天文八年(1539年)  九月  相模国足柄下郡小田原城 東ノ間

北条新九郎氏康




駿府館から使者の三人が帰るとその日の内に一門全員と金石斎、そして風魔の棟梁である青鑑(じょうかん)が集められた。交渉の結果よりも先に語られたのが、今川家の御家騒動の元凶となった先代当主・氏輝殿とその長弟・輝忠殿の急死の真相。そして、今川家と北条家を引き裂いた河東の乱の黒幕であった。


まず、氏輝殿と輝忠殿の死因は毒殺である。では誰が毒を盛ったのか。二人が暗殺された三年前の天文五年三月十七日。実はこの日、死んだ者がもう一人いる。膳奉行の一人として仕えていた男である。つまるところ、誰かにやとわれた暗殺者が駿府館の台所へと侵入し二人の膳に毒を混入する。しかし、その場を膳奉行の男に目撃され口封じのために殺した。事の経緯はこんなところであろうか。勿論、館の出入り口には門があり見張りの兵もいる。ただの雑兵の仕業ではない。


容易に侵入など出来るはずもなく、〝その者を中へ招き入れた協力者がいるはずだ〟と父上は指摘していた。そして、最初の話し合いが終わると直ぐに風魔の者達も駿河へと調査へ向かった。二人が死んでから、既に三年以上が過ぎている。今更手がかりになるようなものは出てこないと思うが。


話はここで終わりではない。寿桂尼殿によれば、事件の日は氏輝殿と輝忠殿が夕餉(ゆうげ)を共にしており、食事が始まって直ぐに倒れたという事だった。何の毒だったのか、何に毒が入っていたのか、もしくは塗られていたのかは分からない。しかし、二人を狙った事だけは確かである。その後、二人は医者による治療も虚しく朝を待たずに亡くなられた。

それから一月もせず、氏輝殿に京都から呼ばれていた義元殿と花倉に居た良真殿とで家督を争った花倉の乱が起こった。


ここで二つ目の真実が明かされた。義元殿は二人が亡くなる丁度一月前に氏輝殿に駿河へ帰るようにと命があり帰郷していた。しかし、この様な命はそもそも出されていなかった。氏輝殿の側近はまだしも、三人の母である寿桂尼殿ですら聞いていなかったのである。


さらに、義元殿に氏輝殿からの使者を語り帰郷の命を伝えた者と、花倉の折に北条家へ武田との同盟を釈明する為に送ったという使者は同じ者であった。つまり、今川家臣が父上(氏綱)に殺されたと思われていた人物。


義元殿は氏輝殿の側近だったと語ったその男の進言を聞き、武田と同盟を結んだ事。その者が度々、我ら北条家と手を切る様にと発言していた事など、此度の講和交渉で多くの事を知る事が出来た。

寿桂尼殿は二人の死後、急に現れた氏輝殿の側近を名乗るその男を怪しく思い、密かに重臣達や雪に文を送り事の真相を調査していた。そして、此度の謁見での叔父上の反応を見て確信を持ったと。


真実を知る前に今川家と北条家が敵対してしまい、本当に使者として送ったその男が死んだのかも確認が取れず、手遅れになったと聞かされた。


ただ、最後にもう一つ疑問が残る。それは、誰がこれを仕組んだのか。その答えに辿り着くにはまだ情報が少な過ぎる。父上も今回の事は慎重に慎重を重ねると仰っていた。


両家の仲違いが仕組まれたものだとわかり父上も叔父上も意気消沈していた。それでも、不幸中の幸いとばかりに真相が分かった事で和睦交渉は滞りなくと進んだようだ。何よりも和睦が完全に成るまで西堂丸を人質として駿府へ預けるとした条項は寿桂尼様の一声で取り消された。誤解が解けたことで気遣い無用と言われ即座に返されたのだ。この寿桂尼様の判断は英断だったようで、家臣をはじめ城内の女衆に至るまで大層好評だった。両家の遺恨が払拭されるのも近い様に感じる。


最後に、此度の講和条約を振り返る。


一つ、北条家が占領していた河東の領地は天文五年以前の領地を残し全て今川家に返還する事。

二つ、花倉の(いくさ)以降に今川家に謀反を起こし北条家に従っていた者達のなかで今川家への帰順を望む者は帰順させること。又、今川家はその者達を以前の待遇に戻し、以後も冷遇をしない事。

三つ、両家は再度同盟を結ぶ事。

四つ、この両家の講和は両家のみが知る事であり、他家には通達もしくは漏洩しない事。

五つ、両家は相手国の本拠地に家臣を駐在させ常時取次ぎを設ける事。

六つ、北条家は今川家と武田家の同盟を認め、これを理由に戦は起こさない事。

七つ、武田家が北条家の領土に侵攻した場合、今川家は武田家との同盟を破棄する事。

八つ、北条家は今川家が武田家と同盟を破棄しない限りは、北条家から武田家へは戦は起こさない事。

九つ、大名間で婚姻同盟を結ぶ場合は事前に相談する事。


大きなところではこんなところだろう。他にも色々とあるが、それはこれから両家の使者同士で話し合う事になる。…此度も西堂丸の活躍で西の脅威を取り除くことが出来た。北条家が四方八方を敵に囲まれていたのも今は懐かしいもので、今や残るは北の上杉のである。…雌雄を決するのも近いやもしれぬな。



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